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 ファンヌが侍女によって案内されたのは、サロンだ。いつもエリッサとお茶を飲み、エルランドを待っている場所。
「ファンヌ」
 今日もエリッサがそこにいた。ファンヌの姿を見ると、ひらひらと嬉しそうに手を振っている。だが今日はエリッサの他に、もう一人誰かがいる。
 王妃だ。
「ファンヌさん。驚かれたでしょう? こちらにいらっしゃい」
 外光を取り入れる大きな窓がある明るい色調のサロン。いつもの場所で慣れた場所であるはずなのに、ファンヌの心の中には不安な気持ちがあった。それを察したのか、王妃が誘っている場所は、彼女の隣の席なのだ。
「失礼します」
 気を抜けば震えそうになる身体に力を込め、クリーム色の花柄の刺繍がされたいつもの椅子にゆっくりと腰をおろす。
 王妃が目配せをすると、侍女は慣れた手つきでお茶を淹れ、黙ってその場から離れる。
 ベロテニアの白茶だ。繊細な甘みと香りが、カップから漂ってきた。
「エリッサ」
 王妃が娘の名を口にすれば、エリッサは「はいはい」と言って席を立つ。
「ファンヌ、後でね。今は、お母さまがファンヌに大事な話があるっていうから」
 彼女は明るくファンヌに声をかけ、サロンから出ていった。
 王妃と二人きり。
 この空間がファンヌに緊張を与える。王妃を敬うという緊張ではない。何か、悪いことが起こるのではないかという緊張だ。
「ファンヌさん。エルランドのこと、驚いたでしょう?」
 あの場で何が起こったのか。すでに話は王妃の耳にも届いていたようだった。
「はい……。あのように苦しむ姿を見たことがなかったので……」
 エルランドは仏頂面であったとしても、苦しむ様子をファンヌに見せたことはなかった。難しい顔をしていたとしても、それは悩んでいたり、何かを考え込んでいたりするときで、何かに耐えようとしていたときではない。
 それに、このベロテニアに来てからは、エルランドはいつも微かな笑みを浮かべていた。
「エルランドはね。先祖返りと言われているの」
 先祖返り――。
 何代も前の先祖が持っていた形質が突如と現れるもの。ファンヌはそう理解している。
「ベロテニアは獣人が建国された国とされていることはご存知でしょう?」
 ファンヌはゆっくりと頷いた。ベロテニアといえば、獣人。だが、他国との交流が始まったことでその血は薄れていることも。
「王族は、獣人の血が濃いとされているけれど、それは他の人と比べたらとの話で。今は、獣化じゅうかするような者たちもいないのよ」
 それはファンヌも気づいていた。獣人の国と呼ばれているベロテニアであるが、王都で出会う人々の中に、獣の耳や尻尾をはやした人たちはいなかった。
「だけど。間違いなく、血は受け継いでいる」
 ベロテニアの者たちは、他の国の者に比べて体力がある。動きも素早い者もいる。視力が良い者もいるし、遠くの物音を聞きつける者もいる。それが獣人の血を引く者の特徴なのだろうと、ファンヌは思っていた。
 そして、感じ取ることができる生涯の相手となる『運命の番』。おとぎ話のような素敵な話であると思っていたが、大昔は、その『運命の番』をめぐって血生臭い争いなども起こったという話もあったようだ。
 そんな中、先祖返りと言われているエルランドはどのような特徴を持つのか。
「エルランドは五歳のとき、突然、獣化したの。きっかけはね、兄弟喧嘩なのだけど」
 男の子が三人もいれば、そのような喧嘩もしょっちゅう起こっていたのだろう。まして、年齢も近い男の子三人。触ったとか触っていないとか、そんな些細なことでさえ口喧嘩になる年頃だ。
「半獣化ではなく、完全なる獣化。そこにいた誰もが驚いた。だって、ここ何十年も、獣化するような人はいなかったのだから」
 テーブルの上に置いたファンヌの手に、王妃の手が重ねられた。気づかぬうちに、体が震えていたらしい。
「大事なことをあなたに黙っていてごめんなさい。だけど、あなたに伝えないことはエルランドが望んだの。自分から言うと言っていたから」
「はい……」
 あのエルランドのことだ。きっと時期をみて説明しようとしていたのだろう。その時期がいつになるかわからないところが、エルランドなのだが。
「あの子が『調薬』に興味を持ったのは、それがきっかけね。オスモがすぐに『抑制剤』と呼ばれる薬を準備してくれて、それでなんとかエルランドも獣化の制御ができるようになったの」
 先ほど、国王がエルランドの首飾りから取り出した薬は、その獣化を防ぐための薬なのだろう。
「もうね。エルランドはそこからオスモにべったり。『調薬』の世界に興味を持ち始めて。自分で獣化を防ぐ薬を作るとか言い出して。オスモの薦めもあってリヴァスに留学させたの。ただ、定期的にこちらに戻ってくることを条件としてね。それに向こうで半獣化したら、留学はおしまい」
 そのような不安定な状態のエルランドをリヴァスに送り出すには、送り出す側にも不安があったにちがいない。それでもエルランドの背中を押した国王と王妃は、彼のことを信じていたのだ。
「幸い、向こうでは穏やかに過ごすことができたみたい。あなたと出会ったからかしら?」
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