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生真面目夫の場合(1)

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◆◆◆◆

 クラーク・ディブリ、三十五歳。男性、既婚。王国騎士団の団長を務める。ディブリ伯爵の爵位を継いだ。
 なんとも立派な肩書である。

 さらに彼の妻があのオリビア・ディブリとなれば、誰もが羨ましがる。

 元々はセンシブル子爵家の三男で、家を継ぐことはできなかった。それを、前騎士団長であったアトロに見初められ、オリビアを守って欲しいと言われた。

 そう。アトロから言われた言葉は『守って欲しい』である。

 その結果、彼女と結婚することになったのだ。

 二年前、王都ギザラを襲った大火事で、アトロは命を失った。もっと早く自分たちが駆けつけていれば、助かった命であるのにと、今も思っている。

 だからこそ、彼の娘でありクラークの妻であるオリビアに合わせる顔がない。
 ずっとそう思っていた。

 半年の遠征から戻り、帰宅すると、オリビアは笑顔で迎えてくれた。それが社交辞令だとしても、嬉しかった。

 だから、今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られたが、今の身なりはけして綺麗とは言えないことを思い出し、ぐっと堪えた。このような男から抱擁を求められても、オリビアは驚くだけだろう。

 それでも彼女は着替えを手伝うと言い、風呂まですすめてくれた。
 となれば、綺麗とは言えない身体を磨き上げるのが先だ。

 服を脱いで浴室に入れば、そこは石鹸の香りと花の香りが交じり合う空間であった。浴槽に花びらが浮かんでいる。
 クラークにはこのような風呂は似合わない。一体、オリビアは何を考えて風呂の準備をしてくれたのだろうか。

 ほぅと息をついて、身体を洗う。

『旦那様。お背中をお流ししましょうか?』

 どうやら彼女のことを考えすぎて、いないはずの彼女の声が聞こえるようになってしまったらしい。むしろ、そんな言葉をかけてもらいたいと願う妄想によるものだ。
 クラークは邪な考えを振り払うように、頭を振った。

「失礼します」

 浴室のガラス戸の向こうから、彼女の声が聞こえた。

(空耳ではなかったのか? 本物か?)

 だが、本物であればあるほど問題がある。何しろ今は、風呂にいる。
 つまり、自身の全てを曝け出している状態なのだ。

「ちょ、ちょっと待て」

 慌てて局所をタオルで隠し、背中を丸めた。

(なぜ彼女が? 何が起こった? 何がどうなった?)

 直後、背後でガラス戸が引かれる音がした。

「お背中をお流しします。昔は、お父さまの背中も洗っていたのですよ」

 その声に思わず振り向くと、シュミーズ一枚しか身に着けていないオリビアが立っていた。そのシュミーズの丈も膝上十センチ程度で、色の白い太腿がちらちら見え隠れしている。

(こ、これは……。拷問か? それとも試練なのか)

 すぐさまクラークは視線を逸らした。これ以上、彼女を見てはいけない。

「カトリーナ様から、素敵な石鹸を教えていただいたのです」
 オリビアは無邪気な声色でそう言った。

 カトリーナとは、オリビアも懇意にしている公爵夫人の名だ。変な男の名が出てこなかったことに胸を撫でおろす。

 それに彼女は、アトロとも風呂に入ったこともあると言っていた。もしかしたら、クラークのことを亡き父の面影と重ねているのかもしれない。

「頼む」

 息を吐き出すと共に、その言葉が漏れていた。

(お、俺は。何を口走ったんだ? いや、だが彼女は、団長のことを思い出しているのだろうな。悪いことをした……)

 クラークは後ろを振り向くことはできなかった。むしろ、彼女を見てはならない。
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