上 下
15 / 70

4.彼女と出会った日(1)

しおりを挟む
 ――ドォオオンッ!!

 激しい音と共に窓がビリビリと震え、建物全体も揺れた。
 机の上で書類を広げ、それに目を通していたレナートは顔をあげた。

 この揺れ方は尋常ではない。だが、地震でもない。そもそも、この国は地震が滅多に起こらない国であると聞いている。

 立ち上がった彼は、音と揺れの出どころを探るために窓辺に寄り、カーテンを手で払った。
 夜も深くなり、人々が眠りにつき始める時間帯だというのに、窓の向こう側が煌々としていて眩い。
 明るさの原因を探るため窓を開けると、熱気を孕んだ空気が顔を覆った。道路を挟んだ向かい側にある宿が、ゴォゴォと音を立てて燃えている。

 レナートは糸のように細い青色の目を、めいっぱい広げた。

「くそっ」

 早く火を消さねば周囲にも飛び火する。
 消火のために人は集まり始めているが、そこに水が扱える者がいるかどうかは別問題である。
 水のない場所に水を引くのは騎士団や自警団の役目。水のない場所に水を呼び寄せるのは魔術師の役目。

 レナートは目をこらすが、魔術師らしき人物の姿はまだ見えない。そもそもこの国では魔術師と呼ばれる人間が少ないのだ。

「ちっ」

 ――せっかくの休みが台なしではないか。

 だからといって、目の前の現状を見て見ぬふりするほど薄情な男でもない。
 窓枠に手をかけて軽やかに飛び降りる。

 レナートがいた部屋は三階であった。それでもまるで羽根でもあるかのようにふわりと飛んだように見えたのは、彼の浮遊魔法のせいである。背中で一つに結わえた髪も、ふわふわとなびく。
 外に出れば火の粉が舞い、さらに熱風が吹き付けてくる。怒号が飛び交い、逃げ惑う人々。誰もが自分の命を守るのに精一杯だ。

 音もなく着地したレナートは、ぐるりと大きく周囲を見回した。

 まだ騎士の姿も魔術師の姿も見えない。自警団と思われる男たちが、宿の客やら周辺にいた者たちに逃げ道を誘導しているくらいである。

 短く息を吐いて、気持ちを整える。彼はすっと空に向かって右手を真っすぐに伸ばした。手のひらを天に向ける。
 心の中で雨雲を呼び、命じる。

 ――この地に、雨を降らせよ!

 魔術師であっても、近くにある雨雲を呼んだり、雨雲を散らしたりするくらいならできる。この雨雲を操れる範囲というのは、魔力の強さに比例する。

 さらにもっと大きく天候を操るのは――例えば嵐を呼ぶとか、晴れ間に雪雲を呼び寄せるとかは、魔術師では不可能。それができるのが、聖女とは聞いているのだが。

 それでも、この程度の炎であれば、レナートの力で十分だろう。

 ポツポツと雨粒が落ち始めた。それがザァザァと音を立てて火の勢いを弱めるまでにはそう時間はかからなかった。

 額に滲む汗によって張りつく前髪を払うと、レナートはその場を去る。

 あとは、これからやってくるだろう騎士や魔術師がなんとかしてくれるはずだ。この場にとどまっていると、彼らに見つかって面倒なことに巻き込まれるだけ。できるだけ面倒ごととかかわりたくないレナートは、そそくさと立ち去ったほうが得策だろう。

 何事もなかったかのように、宿に足を向けた。

 レナートが呼び寄せた雨雲は、燃え盛る炎の上にだけ集まり、その場所だけ雨を降らせていた。誰が見ても魔法の力によるものとわかる。

 だから、さっさとこの場を去りたかった。

 魔力はほとんどの人間が備えており、生活のために必要な魔法を使う。火を起こす、明かりを灯す、湯を温める。そういった魔法を生活魔法と呼ぶが、このような大きな魔法を使えるまで魔力を持っている人間は少ない。
しおりを挟む
感想 34

あなたにおすすめの小説

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

【完結】期間限定聖女ですから、婚約なんて致しません

との
恋愛
第17回恋愛大賞、12位ありがとうございました。そして、奨励賞まで⋯⋯応援してくださった方々皆様に心からの感謝を🤗 「貴様とは婚約破棄だ!」⋯⋯な〜んて、聞き飽きたぁぁ! あちこちでよく見かける『使い古された感のある婚約破棄』騒動が、目の前ではじまったけど、勘違いも甚だしい王子に笑いが止まらない。 断罪劇? いや、珍喜劇だね。 魔力持ちが産まれなくて危機感を募らせた王国から、多くの魔法士が産まれ続ける聖王国にお願いレターが届いて⋯⋯。 留学生として王国にやって来た『婚約者候補』チームのリーダーをしているのは、私ロクサーナ・バーラム。 私はただの引率者で、本当の任務は別だからね。婚約者でも候補でもないのに、珍喜劇の中心人物になってるのは何で? 治癒魔法の使える女性を婚約者にしたい? 隣にいるレベッカはささくれを治せればラッキーな治癒魔法しか使えないけど良いのかな? 聖女に聖女見習い、魔法士に魔法士見習い。私達は国内だけでなく、魔法で外貨も稼いでいる⋯⋯国でも稼ぎ頭の集団です。 我が国で言う聖女って職種だからね、清廉潔白、献身⋯⋯いやいや、ないわ〜。だって魔物の討伐とか行くし? 殺るし? 面倒事はお断りして、さっさと帰るぞぉぉ。 訳あって、『期間限定銭ゲバ聖女⋯⋯ちょくちょく戦闘狂』やってます。いつもそばにいる子達をモフモフ出来るまで頑張りま〜す。 ーーーーーー ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。 完結まで予約投稿済み R15は念の為・・

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...