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第六話:暗転

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 熱が下がったラクシュリーナは、けろっとしていた。お腹が空いたわ、といつもの調子で言い出すと、カーラがすぐに食事の用意をし始めたくらいだ。

 医者がやってきて、ラクシュリーナを診察したが、ただの風邪だろうとの話だった。
 昨日、外に出て寒さに当たったのが原因ではなかろうかと。発疹は身体にないため、例の病ではないと、医師は断言した。

 熱も下がり食欲もあることから、滋養のある物を食べて、ゆっくり身体を休めるようにとのことだった。

「ねぇ? カーラもサライアスも、過保護だと思うのよ?」

 すっかりと元気になったラクシュリーナであるが、雪が積もった日は、いくら雪がやんでいようとも外に出してもらえなくなった。雪道で転びかけたのも原因のようだ。
 だからエセルバードが顔を出すたびに、そうやって愚痴を言っている。

 この部屋を訪れるようになって、エセルバードはすぐに気づいた。ここから、子どもたちが遊ぶ様子がよくわかる。

 きっとあの日も、ここから彼女は見ていたにちがいない。

「そうですね。姫様が雪道をうまく歩けるようになったら、外に出してもらえるのではないでしょうか」
「でもそれって、外に出て練習をしなければならないと思うのね。外に出られないわたくしが、それを練習するのはどうしたらよいと思う?」

 まるで卵が先かにわとりが先かのような話である。

「ボクには判断ができませんので、義父ちちに確認してみます」

 エセルバードには決定権はない。それでもこうやって彼女はエセルバードを頼ってくれる。それだけで心にぽっと火がついた。




 一つ心配事が解決すると、また新たにやってくるのはなぜだろうか。

 次第に雪も深くなり、本来であれば氷龍が空を軽やかに飛翔する季節である。だが、空を飛ぶ氷龍の数が減っているように見えた。

 さまざまな有識人が王城に集められているのも、知っていた。

 新しい年も明け、これからますます雪が多く降るだろうとしている季節に、ラクシュリーナとサライアスは本城から呼び出された。残念ながら、エセルバードは留守番である。

 サライアスからは「目を通しておくように」と分厚い本を一冊手渡された。
 次の春から、エセルバードは本城の側にある学校へと通う予定である。それもあって、最近は身体を鍛えるよりも、知識をつけることを優先とされていた。読み書きはもちろん、計算も。そして、この国の歴史は近隣国との政治関係まで。これから学校で学ぶであろうことを、先に知識として蓄えておけとのことらしい。

 こうやって勉強するときも、離塔ではラクシュリーナの控えの間を使わせてもらっている。護衛する対象は外に出てしまったため、ここに控えている者は誰もいない。

 エセルバード、一人きり。

 外はしんしんと雪が降り続いている。厚みのある灰鼠の雲の隙間から、ときどき太陽のうっすらとした形が見えるが、その雲を吹き飛ばすほどの力はないようだ。外は少しだけ明るくなったり、また暗くなったりと、不安定な天気が続いている。

 本城と離塔をつなぐ通路は、しっかりと雪かきをしているが、これだけ雪が降ればすぐに積もってしまう。

 彼女のことだから、また通路で転ばれては大変だ。なによりも、今日はエセルバードが一緒にいない。転んでも助けてあげられない。

 右手にあのときの感触が蘇ってきた。ラクシュリーナが凍りかけの通路で足を滑らせ、転びそうになったとき、とっさに助けたのはエセルバードである。
 サライアスからは「よくやった」と褒められたし、エセルバード自身もそう思った。守るべき主人に怪我もなく、心から安堵した。それよりも、彼女を支えるくらいの力がついていたことも、嬉しく思った。

 あのとき触れた彼女のぬくもりが、まざまざと右手に思い出される。
 その想いを断ち切るかのように、もう一度、本に視線を落としかけたとき、誰かが階段をあがってくる気配がした。隣の部屋の扉が開き、室内へと入ってくる。

 誰が誰であるか、その物音から容易に想像がつく。
 なぜか心臓がうるさく鳴っていた。

「あ、義父上」

 サライアスがこちらにやってきたのを見つけ、勢いよく立ち上がる。

「どうかされたのですか?」

 いつも余裕のある笑みを浮かべているサライアスの様子がおかしい。口を開きかけて、また閉じた。あげく、右手で口元を隠す。

 何か言いにくい話でもあるのだろうか。

「義父上、お茶でも飲まれますか? 外は冷えましたよね。これでもボク、姫様にお茶を淹れるのが上手になったと褒められたのです」
「そうか、では頼もうか。できれば、香辛料の強めのものをお願いしたい」

 子どもらしく振る舞うときと、大人っぽく振る舞うときと。状況に応じて使い分ける術を、エセルバードは身に付けていた。

 いつも食事で使用している小さなテーブルの上に、一人分のお茶を置いた。サライアスが希望したお茶は、エセルバードが飲むには刺激の強いものだ。

「あぁ、美味いな」

 染み入るような声でつぶやく姿も、いつものサライアスと何かが異なる。
 彼に問いたい気持ちを、エセルバードはぐっと耐えた。落ち着けば、サライアスのほうから伝えてくれるだろう。それがエセルバードにとっても必要なことであれば、なおのこと。

 深く息を吐きながらも、サライアスはお茶を味わっていた。
 その様子をじっと見つめ、言葉が出てくるの待つ。
 コトリとカップがテーブルの上に戻った。中身は空っぽ。

「氷龍の龍魔石が減っている話は知っているだろう?」
「はい」
「その原因がわかったんだ」

 何事も原因がわかったよりもわからないほうがツラい。

「それは、よかったですね。原因がわかれば、あとは解決方法を探すだけですから」
「そうだな。だが、その解決方法が常によいものとはかぎらない」

 サライアスはエセルバードを真っ直ぐに見つめる。彼は、エセルバードが子どもだからといって、ごまかすような言い方はしない。

「氷河時代、知っているか?」
「はい、義父上から借りた本で読みました」

 その答えに、サライアスはゆっくりと頷く。
 氷河時代とは、大陸の気温が低下し、普段は雪の降らないフレイムシアン国も、年中雪に覆われた時代を指す。それが始まったのは、今から五百年前であったと、本には書いてあった。そこから百年ほどの氷河時代が明けたあと、徐々に気候が落ち着いて、今に至る。

「その氷河時代がやってくる前触れらしい。氷龍の力が尽きようとしている」
「え?」
「氷河時代の始まりは、氷龍の力が尽きたのが原因らしい。その前触れとして、氷龍が龍魔石を落とさなくなる。つまり、龍魔石の減少だ」
「え? これから氷河時代がやってくると?」

 そんな話、にわか信じられない。氷河時代は今から五百年以上も前の話である。

「ですが、氷河時代は五百年も前の話。それが、なぜ、今……?」
「そう。氷河時代だけで見れば、五百年に一度起こっただけの話だ。だが、龍魔石の減少はその前にも、起こっていたようだ」
「五百年よりも前にも氷河時代があったのですか? そのようなこと、歴史書には書いてありませんでしたよ」
「正確には氷河時代は五百年前の一度きり。それ以前は、このアイスエーグル国が閉ざされた」
「閉ざされた?」

 その言葉の意味が理解できない。

「他国とのやりとりを取りやめたのだ。他の国では鎖国とも言うようだが、我が国の場合、それとも少し異なる」

 鎖国とは国を鎖で囲み、他の国をよせつけないといった印象からくる言葉である。

「では、今回も鎖国のようなことをすれば氷河時代を回避できると?」
 そうだ、と頷いたサライアスはカップに手を伸ばしたが、中身が空っぽであることに気づくと、悔しそうに手を引っ込めた。
「お茶、淹れますか?」
「いや、いい」

 その言葉の節々からは怒りを感じる。
 他国とのやりとりを断絶し、アイスエーグル国だけで生きていく。そうなると龍魔石のやりとりもできなくなるだろう。それが各国に及ぼす影響は、想像がつかない。

「だが、国を閉ざすというのは鎖国とは違う。文字通り、国を閉ざす」
「どういうことですか?」

 サライアスは眉間に深くしわを刻んだ。唇の端がひくっと動く。

「アイスエーグル国は、氷龍とともに眠りにつく。こういえば、わかるか?」
「眠りにつく……?」
「おとぎ話の、眠り姫を想像してみればわかりやすいだろう。あれは呪いだったが、あれと似たような感じで氷龍とともに眠りにつく」
「誰が、ですか?」

 それが重要である。氷河時代はウラグス大陸すべてに影響する。

「……アイスエーグル国の王族だ。そもそも、王族には氷龍を守るという役目もある。それはどこの国も同じだ。自国の龍を守るのは王族の役目……」
「つまり、ウラグス大陸を守るために、アイスエーグル国が犠牲になるということですか?」

 サライアスが言いにくそうにしていた理由を、エセルバードは瞬時に悟った。それでもまだ、気持ちを落ち着ける。

「そういう言い方もできるかもしれないが。氷河時代を引き起こす原因が氷龍にあるとすれば、アイスエーグル国はその責任を取らなければならない」

 その言い方はずるい。そんな言い方をされたら、反論できない。反論すれば、王族を侮辱したことになる。彼らの存在意義を否定することになる。

「では、アイスエーグル国は消滅してしまうのでしょうか……」

 氷龍とともに王族が眠りにつく。となれば、この国は立ち行かなくなるだろう。

「いや。王城を中心に閉鎖し、残った者は他の場所で生活を続ける。ただ、龍魔石はどうなるかがわからないから、今までと同じような生活が望めるかどうかはわからない。それでも、氷河時代がやってくるよりはマシだろうという考えだ」

 犠牲を最小限にする。その言い方がしっくりとくるだろう。

「そうですか。まだ、信じられない気持ちもありますが……」
「そうだ。俺だって信じられない……」

 サライアスが自身を「俺」と呼ぶのはめったにない。それだけ彼自身の感情も揺れ動いているという証拠である。

「だが、もっと信じられないと思っているのは……姫様だろうな……」

 今の話が本当であれば、犠牲になるのはラクシュリーナを含む王族である。

「陛下は、その役目をラクシュリーナ様に与えた……」
「どの、役目ですか?」

 そう問うた声は、かすれていた。

「氷龍とともに、眠りにつく役目だ。何も王族全員である必要はない。誰か一人であればいいと、そういうことのようだ」

 瞬時に息を呑む。

「どうして、姫様なんですか……?」

 それがエセルバードの正直な気持ちだった。
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