春雷

倉橋 未季

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13,白日の下に

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有休空け、いつもように出社した唯が、何気なく喫煙スペースに目をやると見覚えのある背中が見えた。
驚いて固まっていると、振り向きざまにあの口角を上げた不適な笑みを浮かべる椎名がいた。
慌てて喫煙スペースに駆け込むと、椎名は何事もなかったように
「おはよう」
と笑った。
「え?どうして?昨日は、出勤だって。」
クックと肩をゆらすと
「出勤だとは言ったが、本社とは言ってない。驚かそうと思って黙ってた」
「ビックリしました。でも、どうして?」
「さて、どうしてだろうね」
と、言ったままニヤリと笑う椎名だった。
それから、椎名は三浦と打合せに入り、その後企画部一同で会議が行われることとなった。
「今日、本社から椎名くんにきてもらったのは、本社主催のコンペの為だ」
三浦の説明に会議室のみんなが騒めいた。
「私から説明をさせてもらおう」
椎名が立ち上がると、順番に資料が回された。
「突然で驚いたかと思うが、これは本社主催で毎年行われているコンペの資料だ。今回は、支社のみんなにも参加してもらい、より良い企画を募ろうということになった」
「テーマは自由だ。こんなイベントがあればと思える企画を各自で考えてくれ」
瀬野のイベントの件では、いろいろとあった唯だが、自由に企画を考えられると思うと心が浮き立つのだった。
椎名もまた、プレゼントをもらった子供のような顔をしている唯を見て、今回のコンペを支社まで広げて募ることを提案したのは間違いではなかったと確信するのだった。
そんな二人の様子を見て、面白くないのは三浦だ。
せっかく、唯を瀬野のイベントから引き離し、瀬野を椎名に近づけたのに、椎名がコンペの話しを持ってきた。二人が有休をとっていると知った上での休日の呼び出しにも応じない。
苦々しい顔で椎名を一瞥すると
「以上、会議を終了する。各自、質問のある者は椎名くんに聞いてくれ」
そう告げると、会議室を後にした。
椎名の周りには、資料を手に質問をする人であふれた。
「これじゃあ椎名さんに近づけないな」
松谷があきれたように首を振る。
「そうですね。私は午後から聞いてみます」
「じゃあ、俺もそうしようかな」
そう言いながら、会議室を出ていく松谷を追いかけた。
「あ、松谷さん。瀬野さんのイベントも全部おまかせすることになって、今回のコンペと並行してやらないといけないので大変ですよね。瀬野さんのイベントのことなら表立っては難しいですが、支社でできることがあれば何でも言って下さい」
「そんなこと気にしてんのか?俺を誰だと思ってるんだ。まかせとけ。とか言いながら、本当に困った時は頼らせてもらうな」
と笑った。

 この日から毎日、唯は企画コンペに向け全力を注いでいた。
コーヒーでも入れようかと、休憩スペースに行くと数名の社員が雑談をしていた。
「あの、絵本作家のなんとか言う人のイベントさ。難航しているらしいぜ」
「松谷が担当しているんだろ?」
「それが、かわいそうなんだよ。企画通りに進めてても本人からストップがかかって、椎名さんと相談して決めるとか言ってさ、なかなか進まないらしいぜ。人前に出て話すのはダメとか、他にもダメ出しもあるみたいでさ。さすがの松谷も参ってるんだって」
唯は、そっと休憩スペースを後にした。
 一方、本社では相変わらず、毎日のように瀬野が椎名の元を訪れていた。
瀬野はイベントの内容を逐一報告し、椎名に相談してから決めるという流れをとっていた。
「瀬野さん、申し訳ありませんが、今後お越しになる際は事前にご連絡を頂けますでしょうか。実は、新しい企画を受け持つ事になりまして、不在にしていることも多くなると思いますので」
「そうですか。わかりました」
わかりやすく意気消沈する瀬野に困惑しながらも、唯を不安にさせない為になんとか少しづつ距離を置こうと思う椎名だった。
それが功を奏したのかそれ以来、瀬野がパタリと来なくなって、数日は穏やかながらも忙しい日々が続いていた。
唯もまた、コンペにむけて勤しんでいた。
「柴咲、進んでるか?」
一心不乱に企画に取り組む唯に、松谷が声をかけた。
「はい、ほぼ出来上がっていて後は調整をするだけです。松谷さんはどんな感じですか?瀬野さんのイベントはどうですか?」
「俺?コンペの方は、順調だよ。瀬野さんのイベントは、多少は手のかかることもあるけど、今んとこ大丈夫」
「わかりました」
と、にこりと笑顔を返した。
先日、休憩スペースで聞いたこともあり心配にはなるが、松谷が大丈夫だと言うのだからまかせようと思うのだった。
コンペの締め切りの日が近づくにつれて、ようやく仕上げた企画書は、今までの経験と椎名から学んだこと、そしていろんな人との関わりから得たもの、唯の全てをかけた企画だった。
完成した企画書を元に、プレゼン用のデータを作成していく。
その様子を、ずっと見ていた三浦が席を立つ。
「柴咲くん、コンペの企画は順調?」
驚いた唯が、思わず画面を小さく閉じる。
「はい、大丈夫です」
「そうか、なにかあれば相談に乗るから遠慮なく声をかけてくれ」
「あ、ありがとうございます」
不信に思いながらも、とりあえずお礼を言った。
その時突然、背後でなにかが倒れる音がした。
「松谷さん!」
「松谷!」
周囲の人が慌てて駆け寄った。
松谷が倒れたのだ。
唯が、松谷のそばへ行くと、青白い顔で眠るように倒れている松谷がいた。
「動かさない方がいい。今、救急車を呼んだから、柴咲くんついていってあげてくれ」
三浦から指示を受け、病院へと付き添った。
救急で診察を受けてからもベッドでは、まだ顔色の悪い松谷が眠っていた。
点滴に繋がれた腕を見て、痛々しさに胸が痛む。
「かなり、ご無理なされていたみたいで寝不足と過労が原因ですね。今日は目が覚めるまでこのまま病院で過ごして頂きます」
そう言った担当医の言葉が更に胸を突く。
瀬野さんのイベントで、大変だったこと知っていたのに何もできなかった。
三浦からは、目が覚めるまではいてやってくれと言われたのだが、プレゼンのデータをそのままにしてきたことが気がかりで、一度会社へ戻ることにした唯は病院を後にした。
 再び病院へ戻り、松谷が目を覚ましたのは面会時間終了間際だった。
「あ、俺」
起き上がろうとする松谷を制し
「松谷さん、会社で倒れたのを覚えてますか?」
「いや、全く。そうか、倒れたのか。すまない迷惑かけたな」
そうつぶやく声は、いつもの松谷からは考えられないくらい弱々しくて、心身ともに疲弊していたことを改めて感じるのだった。
「そんなの全然大丈夫ですよ」
そして、担当医の言葉を伝えると
「ああ。もう少しだからと思って無理したかな」
ははっと笑う声も元気がなく、居たたまれない気持ちになった。
「そんな泣きそうな顔するなって。今日、ぐっすり眠れば大丈夫だから。柴咲はもう帰って休んでくれ」
他人がいると落ち着いて眠れないかもしれないと思い、迷ったものの病院を後にした。
 翌日、会社に行くとしばらく松谷が休むことが告げられた。
瀬野のイベントから外れること、コンペも辞退すること、そして瀬野のイベントは椎名が担当することになったと知った。
PCにUSBを差し、プレゼンの内容を確認する。
唯の原点は、椎名と担当した有村の音楽と花のイベントだった。
「七夕の織姫と彦星」をテーマに一年に一度の恋人との逢瀬をモチーフにし、クラッシック音楽界の新人にスポットライトを当て、小さなオーケストラを組んでもらおうというものだった。
会場の中は夜空の星を施し、華道のお弟子さんにお願いして夜空に咲く星を花でイメージし、その中で演奏をしてもらうというものだった。
そして、ラストはソロパートで有村にピアノを弾いてもらって幕を閉じるという企画だった。
そのラストも趣向を凝らし、グランドピアノをステージ上で向かい合わせに設置し、片方のピアノにスポットライトを当てるとピアノ教室に通う、小さな男の子と女の子がきらきら星を連弾する。
曲が終わると同時に反対側のピアノにスポットライトを当てる。そこには有村が座っていて、モーツァルトのきらきら星変奏曲を弾いてもらうというラストだ。
そう、あの時に椎名と唯が連弾したきらきら星、そして有村が弾いたきらきら星変奏曲のエピソードを盛り込んだのだ。
唯は、ただ夢中でこの企画が行われるとすればどんなに素敵なイベントになるかと、わくわくした気持ちでいっぱいだった。
提出用とプレゼン用に作成したデータにパスワードを付け厳重にロックをかけて保存した。

その日の昼休みに椎名から連絡が入る。
「松谷の件、聞いたよ。瀬野さんのイベントの事も、すまない」
「謝らないで下さい。この前、話したばかりじゃないですか。全然ってこともなくて、仕事だからと思う気持ちと、私がやきもちを焼くことは別っていうか」
「え?」
「あの、えっと、すいません。そういう意味じゃなくてですね」
「へえ、やきもち焼いてくれるんだ。何も気にならないっていわれるのも寂しいものだ。そんな仕事、受けないで下さいなんて唯が言うわけもないこともわかってるけど、素直に嬉しい」
「はい」
なんだか照れくさい。
「それと、瀬野さんのイベントを受け持つからっていうわけでもないんだけど、唯と俺とのことはみんなが知るところだろ?だから、公平性を期す為に企画コンペの審査からは辞退することにした。明後日のプレゼンの日は瀬野さんのイベントで、立ち会えないのが残念だが応援してる。頑張れよ」
「はい!椎名さんも瀬野さんのイベント頑張って下さい」
「ああ、こっちは柳瀬がアシスタントについてくれてるから、なにかと心強い」
と、何かを含んだように笑った。

 椎名が担当になってから、瀬野の浮かれ調子は周りから見てもよくわかった。
イベントの進行に手間取り、さじを投げだしそうな勢いだった森下も、椎名が担当になった途端に全てが驚くほどスムーズに進み、複雑ながらもホッと胸を撫で下ろした。
「弓弦、私がアシスタントについたんだから、柴咲さんを不安にさせないためにも私を上手く使いなさいよ」
「ああ、頼もしいな。頼む」
椎名が去って行ったあと、奥の打合せブースにコソコソと三浦と新入社員の栗原が入っていくのが見えた。
首を傾げる柳瀬だったが、そのままそのことは忘れてしまった。

 いよいよ企画コンペ当日を迎えた。
プレゼンの順は、くじ引きで決まるのだが、トップバッターは本社新入社員の栗原徹(くりはらとおる)だった。
唯は、7番目。
「うん、ラッキーセブンだと思おう」
椎名の担当するイベントも上手くいっているといいな。
その時は、そんなことを考える余裕もあった。
瀬野のイベントでは終盤を迎え、囲み取材を受ける瀬野を椎名と柳瀬が見守っていた。
記者に囲まれる瀬野が、何度もチラチラと椎名に視線をよこす。
椎名は小さく肩で息をつくと、瀬野の後ろへ立った。
瀬野は遠慮がちに椎名の裾を掴むと、顔を赤くして俯いた。
柳瀬が、辟易した表情で瀬野の反対側に立ち、そっと背中に手を充てた。
ハッと振り向いた瀬野に満面の笑みを返すと
その顔が引きつっていたことを柳瀬は見逃さなかった。
質疑応答も、終盤に向かうと
「すいません。最後に一つ。前回同様、今回のイベントも椎名さんが担当なされたことについて、お二人は交際をされていると思ってよろしいですか?」
「いえ、それは」
と曖昧に答える瀬野だったが
「申し訳ありませんが、作品と関係のない質問はお控え下さい」
と毅然とした姿勢で椎名が答えた。
はっきり否定してもいいのだが、瀬野の気持ちを知ってしまった以上、公の場でそれをしてしまうことは、瀬野を必要以上に傷つけるようなことになると思われたからだった。
そしてまた、このイベントが終われば瀬野には自分の意志を伝えようと思っていた。
「以上を持ちまして、このイベントを終了とさせて頂きます」
椎名がそう告げると、柳瀬が瀬野を促すように背中に手を回すも、それを避けるように椎名に寄り添って歩いて行った。

 本社、プレゼンの会場では唯が壇上で固まっており、なかなか始まらないプレゼンに会場が騒めきだす。
ひとつ大きく深呼吸をすると、おなかに力を入れて声を出した。
「エントリー№7番。柴咲唯と申します。よろしくお願い致します。企画のタイトルは、星空に咲く花とハーモニーです」
このタイトルを告げた途端、会場が更に騒めきだした。
唯は深く深呼吸をすると、周囲の騒めきが耳に入らないかのように、最後まで自分のプレゼンを完了させた。
今回の審査委員長の大島が静かに手を挙げた。
「これは、君が考案した企画かね?」
「はい。もちろんです」
と、敢えて胸を張った。
「しかし、エントリー№1の栗原君の企画と全く同じだと思われるのだが?」
「それは、私もなぜ、このような事態になっているのか驚いております」
「わかりました。この件は調査対象と致します。結果は追ってご連絡致します」
「はい」
動揺を隠せない唯が、震える手を握りしめて席に着いた。
周囲のみんなが、好奇の目でみているのがわかり、身が縮むような思いだった。
本社の社員と、支社の社員とでは信頼度が違うのか、唯が盗作したのではないかという空気が周囲に流れていた。
胸を張って堂々としよう、疚しいことなど微塵もないのだから。
椎名ならきっとそうするはず。
自分は椎名から何を学んできたのか。
考えろ。椎名さんなら、どうするか。
ただ、前だけを向いてそれだけを考えていた。
そこに、三浦が近づいて声をかけた。
「柴咲くん、このプレゼンでラストだから調査に入る前に話しを聞かせてもらえないか」
「わかりました」
と頷いた。

 椎名が瀬野を控室に送り、自分の意志を伝えようとした時、椎名の携帯が鳴った。
「椎名さん。大変です」
「松谷か?お前、もう具合はいいのか?」
「はい、おかげ様でって、そんな場合じゃないんです」
松谷の剣幕に嫌な予感がした。
「プレゼンでなにかあったのか?」
「柴咲の企画と、本社の栗原の企画が丸被りだったんです」
敢えて抑えた言い方に深刻さが伺える。
「詳しく聞かせてくれ」
「栗原がトップバッターでプレゼンをした時、有村さんのイベントを題材にしたものだったので、過去のイベントを調べたのかと思ってたんです。でも、その時の柴咲の様子が変で、緊張しているのかと思っていたら、柴咲のプレゼンが始まって驚いたんです。タイトルも内容も全く同じものだったから」
それを聞いた椎名は、胃がきゅっと持ち上がるような感覚に襲われた。
「柴咲は、どうしてる」
「柴咲は、たぶん聞き取りに入ったのか会場にはいないみたいです。椎名さん、柴咲はこれは自分の企画だと主張するように、堂々と最後までプレゼンを行いました。いくら調査に入るとはいえ、どうも本社の社員とういうだけで栗原の方が認められそうな空気になっています。俺は、この企画は柴咲が考案したもののように思えてならないんです。どうにかなりませんか?」
「すぐ、そっちに行く」
と、即答した。
椎名は憤りで震える指で電話を切ると、柳瀬を探した。
「柳瀬。プレゼンでトラブルがあったみたいで本社に戻る。あと、頼めるか?」
「ええ。まかせて。なにがあったの?」
眉間にしわを寄せる柳瀬に、かいつまんで状況を説明すると顔色を変えた。
「すぐに行ってあげて。こちらの事は心配ないから」
「頼む」
そう言って椎名は全力で走り出した。
栗原の名前を聞いて、なにか思い出しそうで思い出せない、そんな曖昧な記憶が柳瀬の頭から離れないでいた。
控室をノックすると、期待に満ちた笑顔の瀬野がドアを開けた。
柳瀬の顔を見た途端、その笑顔が落胆に変わったのを見て、あからさますぎるだろうと苦笑いを浮かべた。
「失礼致します。椎名がトラブルで、急遽本社に戻りましたのでお帰りまでは、私が対応させて頂きます」
「そう」
素っ気ない返事をして、不機嫌な顔を隠そうともせず瀬野は部屋を出て行った。
「柳瀬さん、すいません。お気を悪くさせてしまいまして」
瀬野の担当をしているという澤田が頭を下げた。
「いえ、そのようなことはありませんので、お気になさらないで下さい」
軽く会釈すると、瀬野を追って部屋を出た。
柳瀬が会場に戻ると撤収の作業が進む中、騒がしい声が聞こえる。
怪訝に思った柳瀬が中を覗くと、瀬野がまだ残っていた記者に囲まれていた。
「どこが、取材苦手なのよ」
そう、こぼすと瀬野の背中へ近づいていく。
「椎名さんのことはお慕いいたしております」
という言葉が聞こえた。
「でも、椎名さんは人気がおありですので、悲しいこともあります」
「それは、誰かに妨害されたり、嫌がらせをされているということですか?」
「はい」
「どなたがされてるかも、ご存じなんですね?」
「はい」
「それは誰ですか?」
「私の口からは」
と、しゅんとした表情で涙まで浮かべていた。
記者は、すっかり瀬野に同情しており、取材の苦手な瀬野が、わざわざここまで話してくれたのはよっぽどの事だと思ったらしい。
「ふざけないで」
小さく舌打ちをした柳瀬が
「困ります。勝手に取材をされては」
瀬野を強引に連れ出して、まだ後ろで何かを叫んでいる記者に一瞥をくれると控室へ戻って行った。
ドアを閉めると、瀬野に向き直った柳瀬は静かに口を開いた。
「あなた、本当に椎名を想ってるの?本気で椎名を想っての行動なの?」
「当り前です」
「それが、椎名を追い詰めてるとしても?」
「なにも追い詰めてなんかいません」
「椎名が望まない限り、それは椎名を困らせることになるの。椎名が、うちの柴咲と付き合ってることは、とっくに知ってるんでしょ?」
「やめて!」
耳をふさいで叫ぶ。
「都合の悪いことから目を背けないで。本当に好きなら、相手の為になにができるか考えるものじゃないの?少なくとも柴咲は、そういうことのできる子よ。あなたのやっていることは立場を利用した脅迫と変わらないわ」
「なにも知らないあなたに言われたくない」
「あなたの気持ちわかるから言ってるの。私も弓弦が好きだったから。何年も前からね」
ふと、こちらを向いた瀬野に
「でも、私は弓弦の足を引っ張るようなことはしない。柴咲の事も認めてる。弓弦が幸せなら、それでいいの。誰かを想うって押し付けることじゃないでしょ。あなたの弓弦への気持ちと一緒にされたくないわ」
瀬野は俯くと、涙を流した。
「さっきの取材、週刊誌に載れば困るのは誰かしらね」
その言葉にハッとすると
「ごめんなさい。本当は全部わかってたんです。自分がやっていることが間違ってるって。でも抑えられなかったんです。どうしても椎名さんに自分の方を見てほしかった」
肩を落とした。
「後始末は、ご自分で考えて対応して下さいね」
そう言い終えると、柳瀬は慰めも同情もせず控室を出た。ドアのそばで一部始終を聞いていたであろう澤田に頭を下げた。
「出過ぎた真似をして申し訳ございません」
「いえ、とんでもないです。本来なら私がすべきことだったのに、いやな役目をさせてしまいました。あとのフォローは任せてください。ありがとうございました」
柳瀬は、思いっきり背伸びをすると、背筋を伸ばして廊下を歩いて行った。
「さあ、こっちは解決させたわよ。今度こそ、きっちり収めなさいよ弓弦」
そう言うと、撤収をするスタッフの元へ走り出したのだった。

 唯と三浦が歩いていると、本社の人間から呼び止められた。
どうやら、栗原の聞き取りが終わり、三浦と唯からの聞き取りがしたいとのことだった。
それぞれ順番に部屋に入って、聞き取りが行われた。
唯は、真っ正直にあるがままを話して部屋を出ると、交代で三浦部屋に入って行く。
「終わったら、私も聞きたいことがあるから待っていてくれ」
「わかりました」
三浦が部屋に入ると、審査委員長の大島が口を切った。
「同じような経験を持つものとして、そして直属の上司として意見を聞きたい。客観的に見て、どうかね?」
「僕は、あれは栗原君の企画だと思います」
「と、いうのは?」
「栗原君がコンペの相談に来たことがございまして、概要だけを話してきたのですが、公平性を保つため相談にはのれないと断りました。その際に伺った概要と、今回のプレゼンの内容は同様だったと思われます。不確かな記憶で申し訳ございません」
そう頭を下げた。
その場にいた全員が、安堵のため息をついた。
やはり、本社の人間を守りたいのだ。
三浦は小さくほくそ笑むと部屋を後にした。
ドアの外に出ると、不安げに顔を上げた唯に
「柴咲が盗作などするはずがないことは、しっかり話してきたから」
と落ち着かせるように声をかけた。
明らかにホッとする唯に、わざとらしく悲しげな表情をしてみせると
「ただ、本社の人間はやはり栗原くんを守りたいみたいで、今回は柴咲に辞退をお願いしたいらしい」
「え?それは、盗作を認めろということですか?」
目を見開いて、愕然とする唯。
「そうなるね」
やってもいないことを認めて汚名を着せられることの屈辱と恐怖で震えた。
「私、栗原さんにお会いしたこともないのに、どうして」
呆然と立ち尽くす唯に
「柴咲、俺はもう一度、審査委員長に掛け合ってみようかと思う。詳しく企画の内容を説明してくれないか?」
普段、飄々とした態度からは考えられないほど真剣な表情で言われると、その言葉にすらすがる思いでついて行ってしまった。
「審査委員長には、俺が再度聞き取りをするから、結論は待ってくれるように伝えてある。心配いらない」
そう言って、エレベーターで別階へと連れて行かれたのだった。
エレベーターのドアが閉じるのと同時に1Fのエントランスには血相をかえた椎名が走ってきた。
今か今かと待っていた松谷が駆け寄ると
「唯は!」
聞いた。
「それが、審査委員長の聞き取りがあったあと、姿が見えないんですよ。携帯もつながらないし。三浦さんと一緒にいるのを見たという人もいるのですが」
「三浦さんが?」
少し考えると
「手分けして探そう。会議室を片っ端から当たってくれ」
「わかりました。鍵をかりてきます」
そう言って、二人は走り出した。

 連れて行かれたのは、3Fのフロアにある会議室に併設された準備室だった。
薄暗く、躊躇いを見せる唯にドアを開け放ち、カーテンを開け、安心させるようにソファへ促した。
紅茶を手にした三浦が、唯の前にカップを置いた。
ソファの向いに腰を下ろした三浦は、ペンとメモを手にしており、本当に聞いてくれるのだとホッとした唯は、一瞬疑ってしまったことを心の中で詫びた。
少し落ち着きを取り戻した唯が、そっと口を開く。
「どうしてこんなことになったのかわからないんです。私は自分が以前に企画した有村さんのイベントからヒントを得て、そこからこの企画を広げていきました」
「そうだね。でもあのイベントの成功は、社の人間ならだれもが知っているし、そこから栗原もヒントを得たと言っていたよ」
「そんな」
「データの管理は怠っていなかったか?」
「はい。あ、松谷さんが倒れられて病院に付き添った際、PCでデータを立ち上げたままで行ってしまいましたが、戻った時にバックアップを取って鍵をかけました」
「そう。でも、仮にデータを抜き取られたとしても誰がそんなことするかな?本社の人間なんてあの時はいなかったし。仲間を疑うことになるよ。それに、データの管理を怠ったのは自己責任だよね。その時に抜き取られたこと証明できる?」
やんわりとだが、畳み掛けるような三浦の言葉に、唯は青ざめていった。
どう証明すればいいかわからず、頭を抱えていると
「俺は君の上司だし、庇ってあげたいし信じてあげたいと思っているよ。俺は君を助けたい」
いつになく真剣な目で、唯を見つめる。
そんな沈黙のなか三浦の携帯が鳴る。
いくつかの言葉を交わし、わざとらしく驚くふりをして電話を切ると、ネットニュースを立ち上げた。
「これは」
瀬野が椎名とのことを認めたというニュースで、椎名のスーツの裾を握りしめている写真が上がっているのだった。
その上『瀬野の恋路を邪魔をする支社の社員Sさん!以前のイベントでもトラブルか』
そんな言葉が踊っていた。
大袈裟にため息を吐きながら、あえて画面を見せる三浦。
ちゃんと話して信じると決めたのに、今の状況がそうさせてはくれない。
もう、なにがなにかわからくなって泣き崩れる唯に
「さあ、落ち着いて飲みなさい。きっと何かの間違いだよ」
そう言いながら、紅茶のカップを握らせた。
一口飲むと、ゆっくりと喉元を温かい紅茶が流れて行った。
無性に悲しくて、やりきれなくて、不安に押しつぶされそうになりながらも紅茶を飲みほした。
「君が、落ち着くまで待つよ。審査委員長に話さないといけないからね。さ、企画を完成させるまでの内容について誰かと話したとか、そんな記憶はあるか?」
三浦は、唯に話かけながらペンで机を叩く。
その一定のリズムが、唯の頭に響き出す。
「あの企画は」
続きを話したいのに口が開かない。瞼も重く三浦の顔がぼやけていく。
軽く頭をふるものの、コツンコツンとリズムを刻む音に吸い込まれるように静かに意識を手放した。
ゆっくりと立ち上がった三浦は声をかけながら肩をゆする。
唯が完全に寝落ちしたのを確認すると、カーテンを閉めドアに鍵をかけた。
ゆっくりとソファに押し倒し、まだ涙の後が残る頬を優しくなでた。
「泣かないで。俺がそばにいるから」
そう耳元でささやくと、唯の髪をなでながらブラウスのボタンをひとつ、ふたつと外していった。

「松谷、いたか?」
「いません。携帯は?」
「繋がらない。プレゼンだから、電源を切ったままなんじゃないか」
「三浦さんも、繋がりません」
焦るように言葉を交わす、二人の息はこれ以上になく上がっていた。
「今日、会議室を借りているのはうちだけです」
このビルは、会議室の他にもイベントに使用できるような会場があり、1Fと2Fにはイベントに使用できる大きな会場がある。3Fと4Fは小さな会議室がいくつも並んでいた。
5Fはレストランが併設され会食をしながら打ち合わせができるような作りになっていた。
二人はこの3Fと4Fのフロアを片っ端から探していたのだ。
「どこにいるんだ」
椎名が焦った声で髪をかき上げた時、はじかれたように松谷が叫んだ。
「あ!準備室!椎名さん、このビルの会議室には、いくつかの準備室があります!なんで気付かなかったんだ」
松谷が悔しそうに唇を噛んだ。
「よし、もう一度だ。3Fの鍵を貸せ。松谷は4Fを頼む」
「わかりました」
二人が勢いよく階段へ走っていくと、椎名のポケットからキーリングが落ちた。
唯からプレゼントしてもらったものだ。
胸騒ぎを覚えた椎名は、階段を一段飛ばしで駆け上がり、3Fの会議室を片っ端から開けていった。

 ブラウスのボタンを全部外し、胸元をはだけさせた三浦がニヤリと笑みを浮かべた瞬間、勢いよく準備室のドアが開いた。
一瞬で状況を把握した椎名の顔は、まさに鬼の形相をしており、空気すら凍えるのがわかった。
三浦の肩を掴んで引きはがすと、一気に部屋の隅まで投げ飛ばした。
ブラウスの胸元をかき合わせ、自分のジャケットをかけた。
驚いて呆然とする三浦に、殴りかかることもなく怒鳴りつけるでもなく、ただ冷徹な視線を送った。
「三浦さん、ご自分のなさったことをよくお考えになって下さい。今後の事は追ってご連絡させて頂きます」
怒りを抑えた静かな声が、なによりも椎名の怒りの強さを表していた。
唯を抱き上げようとして、紅茶のカップに目がとまる。
それをハンカチでくるみ、ポケットに仕舞うと、唯を抱き上げて部屋を出たのだった。

3Fのフロアに出た椎名は、すぐさま松谷に連絡を取った。
「松谷、見つけた」
「本当ですか。よかった」
ホッと息を吐く。
「1Fのフロアに降りる。松谷も今すぐ来てくれ」
椎名の怒りを抑えた声色に、察した松谷が駆けつける。
「椎名さん、柴咲は」
ロビーのソファでぐったりと眠る唯に目をやると、一瞬顔をしかめた。
「眠ってるんですか。何があったんですか」
「すなまい。詳しいことは後で話す。松谷は、このまま唯を病院へ連れて行ってくれないか」
「椎名さんは」
「俺は、やらないといけないことがある」
そう言う椎名の目は、怒りを通り越し憎悪に満ちていた。
こんな椎名を見たことがないと松谷はぞっとしたのだった。
「わかりました。医者に何か伝えることはありますか?」
と尋ねた。
しばらく考え込むような顔をした後
「睡眠薬の量を誤って飲んでしまったかもしれないと伝えてくれ」
と言った。
松谷は驚きの表情をし、一瞬問いかける素振りを示したが、何も聞かず頷いた。
タクシー乗り場まで唯を運び、松谷に託すと険しい顔をしたまま踵を返した。
そのままコンペの審査員含めスタッフのいる会議室へと足を向け、軽く息を整えると決意を込めた拳でノックをした。
まだ涙の跡が残ったままの、不安げな唯の顔を思い出すと胸がつぶれそうになる。
椎名が入って行くと、審査委員長の大島が困った表情でこちらを見る。
「委員長、状況は伺いました。企画が被っていたと」
「そうなんだよ、タイトルから何から何まで全く同じでね」
「聞き取りは、終わったのでしょうか」
「ああ。我々も今回の状況に、正確なジャッジを出しかねてるところでね。椎名くん、一度二人の企画を見てくれないかね」
「わかりました。しかし、ご存じのように私は柴咲と個人的に交際をしております。公正な審査を行って頂く為にも、審査から外れた人間です。そんな私の意見を参考にして下さるのですか」
「いや、逆に交際しているからこそ、この企画が本来は誰が考案したものか感じることができるのではないかと考えたんだよ」
「わかりました。二人の企画書を拝見してもよろしいでしょうか」
大島は一つ頷くと、スタッフに合図を送る。
スタッフが企画書を手渡した後、しんと静まる部屋の中、椎名がページをめくる音だけが響いていた。
文章の言い回しが多少違うだけで、内容は完全に同じものだった。
椎名が注目したのは、ラストの『きらきら星』の件だった。
これを読んで、椎名は確信した。
これは、間違いなく唯の企画だと。
二つの企画書を手に、大島の前に行くと
「これは、間違いなく柴咲の企画です」
「そう言い切れる根拠はあるのかね」
「あります」
しばらくの沈黙の後、
「ここに、栗原くんと柴咲くんを呼びなさい。あと、栗原くんの企画だと証言をした三浦くんもここへ」
と、スタッフに声をかけた。
「委員長、柴咲は病院にいます。栗原くんと三浦さんだけでお願いします」
怪訝な顔をする大島に
「その件については、後ほどご説明させて頂きます」
と告げた。
なにかあったのだとわかる椎名の表情に、軽く目を瞑りやれやれという風に小さく首を振った。
「栗原くんと、三浦くんをここへ」

 その時、椎名の携帯に一通のメールが届いた。
『弓弦、そっちは落ち着いた?一つ思い出したことがあるから連絡しておくわ。この前、弓弦が瀬野さんと最終の打合せを行った日、本社の打合せブースに栗原くんと三浦さんが入って行くのを見かけたわ。これがどれほどの証拠になるかはわからないけど、必要なら証言するからいつでも言って。以上』
そういうことかと、携帯を強く握りしめる椎名の目が鋭く光った。

 ほどなくして、スタッフが栗原と三浦を案内してきた。
「座りたまえ」
そう言葉を発した大島の声は、固く冷たいものであった。
「今回のコンペの件、まず椎名くんより質疑応答に入ってもらう」
その言葉を合図に椎名は、静かに立ち上がった。
「では、まず栗原くんに伺います。この企画を思いついたきっかけが有村さんの花と音楽のリサイタルだと聞いています。間違いないね」
「はい」
震える声で返す。
「では、このラストの『きらきら星』のアイデアについてなんだけど、これも君が考案したのか」
「は、はい。有村さんのイベントの資料にあったエピソードを引用して使わせて頂きました」
「そう。本当に資料の中にこのエピソードがあったんだね」
そこを強調して重ねて尋ねた椎名の口調は柔らかく、口元に笑みすら浮かべていた。
静かな部屋の中、大島を含めスタッフの誰もが椎名の鬼気迫る剣幕に口を挿む余地がなかった。
「はい。ありました」
「間違いないね」
執拗に同じ質問を繰り返す、椎名の意図するところがわからず、戸惑いを見せながらも
「間違いありません」
と、断言をした。
その言葉を聞いた椎名は
「わかりました」
と、満足げに頷いた。
「では、次に三浦さんにお伺い致します。栗原くんの企画であるという証言をお持ちだと聞いております。再度、お話し頂きたいのですが」
先ほどの唯との件もあり、固い表情の三浦が力のない声で口を開いた。
「栗原くんから相談に乗ってほしいと言われ、概要だけができた状態の時期にちらりと見せられました。その際に見た内容が今回のコンペの内容と同様だった。あと、公平性を保つ為、相談に乗ることは断った」
「なるほど。お断りしたのに、本社の打合せブースで栗原と会っておられたんですか」
「え」
「見かけた者がおります」
「あ、ああ。その時に相談をもちかけられたのかな」
「その日は、コンペの二日前です。まだ概要しか出来上がってないなんておかしいじゃないですか」
「いや、何度か呼び出されたので」
と、栗原へと同意を求めるように視線を送るが、栗原もまたよくわからないまま頷いているだけだった。
しどろもどろになる三浦に畳みかけるように質問をしていく椎名。
三浦の返答は二転三転し、どちらが嘘をついているか一目瞭然の状態だった。
椎名は、大島や他の審査委員の方へ向き直ると、一気に言葉を放った。
「皆さん、先ほど栗原くんと柴咲くんの企画書を拝見させて頂きまして、私はこの企画は柴咲の企画で間違いないと申し上げました。その根拠について、ご説明させて頂きます。栗原くんはラストのエピソードは前回の有村さんのイベントの資料にあったものを引用したと言っておりました。しかし、そんなはずがないんです。あのラストはイベント終了後、実際に私が個人的に体験したエピソードだからです。それを知っているのは、その場にいた私と柴咲、そして有村さんの三人しかおりません。イベントの資料を調べて頂いて、有村さんに確認を取ってもらえればご理解頂けるはずです」
それを聞いた大島が隣の審査員の一人に耳打ちをすると、審査員が慌てて部屋を出て行った。
顔面蒼白になった三浦と栗原は、もはや言い返す言葉もなく肩を落としていた。
「ぼ、僕は、資料に上がっていたというか、打ち上げで有村さんがきらきら星をサプライズで弾かれたと聞いて、このエピソードを思いついたのです」
三浦が一瞬ホッとしたように顔を上げるが
「へえ。さっきと話が違うよね。君は、資料にあったと断言したよね」
椎名が不適に笑う。
「そんなこと言ったかな、えっと」
助けを求めるように三浦を見るが、三浦は我関せずというように目を合わさない。
「いくら有村さんが、サプライズで弾いたきらきら星変奏曲がヒントになったところで、あの実際にあった出来事と全く同じようなエピソードを思いつくわけがない。そして、ここにボイスレコーダーがある。これは今の会話が最初から全部、録音されている。君の話した箇所を聞かせてあげようか」
ぐうの音も出ないとは、こういう事である。
ぐっと答えに詰まった栗原は何も言えず俯いてしまい、肯定したも同様だった。
その時、先ほどの審査員が戻り、大島に耳打ちをする。
険しい顔をしたままの大島が口を開いた。
「そこまでにしよう。有村さんの証言を頂いた。これがどういうことかわからないはずないね」
大島の言葉を合図に、すっかり観念した栗原が堰を切ったように話し出した。
三浦にデータを渡され、この企画書を提出したこと。
これが成功すれば、自分の犯したミスを報告しないでいてくれると言われたことを全て話し出した。
「でたらめばかり言うな」
取り乱した三浦が栗原へとつかみかかった腕を掴むと
「みっともない真似はやめて頂きたい」
と、静かに制した椎名の腕を勢いよく振り払い、憎しみに満ちた目で睨みつけた。
「お前は昔からそうだ。平気な顔をして、人のものを奪っていく」
「だから瀬野さんの気持ちを利用し、柴咲をあんな目に合わせたんですか」
「ああ。お前と柴咲の仲を壊してやりたかった。お前から柴咲を奪ってやりたかった」
開き直った三浦は、なりふり構わず怒鳴り散らす。
「私があなたの何を奪ったんですか。奪っていったのは、あなたの方じゃないですか」
「俺の尊厳だよ」
ふらりと立ち上がった三浦は、光が失せた濁った水のような目で椎名を見ると
「お前はいつもそうだ。俺が死に物狂いで努力してきたものを、あっさり超えて奪っていく。彼女を妻にしても満たされないものを抱えたままだった。なのにお前は新しい恋人を手に入れ、数々のイベントを成功させ、満たされた毎日を送っている。大した努力もせずに」
最後は叫ぶように声を荒げ、いつもの三浦は見る影もなかった。
椎名の目は、すっかり哀れみに変わり
「委員長、これで終わらせて頂いてよろしいでしょうか」
と聞いた。
大島が頷き口を開きかけた時、三浦が椎名の肩を掴み、振り向かせると同時に殴りつけた。
誰もが驚きで固まる中、大島が静かに席を立つと、そのまま三浦のスーツの襟を掴んだ。
「出て行きなさい。今すぐだ」
温和で人当たりの良い大島の、憤りを抑えた声の迫力に誰もが何も言えなかった。
「栗原くんは自宅待機で、処分は追って連絡する」
そう告げ、椎名の方へ歩み寄ると全てが明らかになった事への感謝を述べ、コンペの審査は公平かつ厳正に行うことを約束してくれた。
そして、唯と三浦の間に何があったのかについても、三浦が怪我をさせたという説明で審査員とスタッフを納得させてくれ、その場を収めてくれた。
「あとは、こちらで引き取るから、君は柴咲くんのところへ行ってあげなさい」
その言葉に甘えることにし、悠然と部屋を出て行く大島の背中に頭を下げたのだった。


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