上 下
14 / 36

13話 変わった患者(後編)

しおりを挟む
「二人は強く抱き合うと……く、口づけを……」

 オルディス卿が読んでいたのはまさかの恋愛ロマンス小説だった。口に出して音読するのはなかなか恥ずかしいもので肝心のラブシーンで噛んでしまった。

「ああ、もういいよ。子供に読ませるようなものではなかった」
「あ……いえそれは大丈夫なんですけど……」

 頭の中はアラサーだもの。そんなぶりっこするつもりはないんだけど。でもこの偏屈そうな老貴族がまさかロマンス小説を読んでいるとは思わなくて。顔つきからはなんだか小難しそうな神話の本でも読んでいそうだったのに。

「口づけをかわし、お互いの思いを確かめ合いました……終わり」
「……うむ」

 終わりまで読み終わると、オルディス卿は満足そうに頷いた。

「さぁ、私はそろそろ帰らないと……」
「――また来てくれるか」
「え? ああ、治療なら今すぐ」
「そうじゃない、また来て本を読んで欲しいんだ」

 そう言ったオルディス卿はどこか気まずそうに顎髭を撫でた。

「それは……ジェラルド司祭に相談させてください」

 さすがに雇用主を無視してこの屋敷に通うことは出来ない。私は回答を保留して、屋敷の主寝室を出た。出た所で廊下の端に年老いた使用人の二人がこちらを心配そうに覗いていた。

「お嬢ちゃん、旦那様の具合はどうなったかね。司祭様にはわしが頼んだんだ」

 そう聞いてくるお爺さんに私は黙って首を振った。今回の件はこのお爺さんの独断だったのか。

「それが、治療させて貰えませんでした」
「そうか……旦那様……」
「どうしてでしょうか。あの方はなぜ治療を拒むのでしょう」
「それは……」

 お爺さんは俯いた。何か言えないような事情でもあるのだろうか。口を濁らせた。そこに口を挟んだのはもう一人のお婆さんメイドだった。

「旦那様はここを最後の地にしようと思っているんだよ」
「最後……」
「もう生き飽きたのさ、きっと。だからお嬢ちゃんの治療も受けない」
「そうなんですか……」

 あの老貴族の目に浮かんだ諦めのような色の意味がようやく分かった気がした。

「それにしても、治療もしてないのに随分時間がかかったね。何をしていたんだい」
「本を。本を読んでくれと言われまして」
「本……」

 今度はお婆さんメイドが考え込むように俯いた。

「そうだね、旦那様は本が好きだから……」
「また来て読んで欲しいとも」

 そう言うと、お婆さんはハッと顔を上げた。

「そうかい。……あんたも仕事があるだろうけど、出来れば来てやってくれないかね」
「考えてみます」

 そう言って、私は屋敷を出た。門を抜けると初夏のさわやかな夕暮れが広がっている。しかし私の足取りは行きのパパッと治療を終わらせるつもりだった時とは逆に重たかった。
 死を待つ老人の傍らで本を読む。治療もしないで。その事の重さを感じていた。

「ただいま戻りました」
「ああ、アンナマリー。遅かったね」
「それが……」

 私は事の顛末をジェラルド司祭に話した。オルディス卿が治療を拒んだこと、そして本を読んで欲しいと頼んできたこと。それを聞いたジェラルド司祭の眉が困ったように寄せられた。うーん、憂い顔もイケメンだなぁ。間抜け面で見惚れていると、ジェラルド司祭が首を傾げた。

「アンナマリー、聞いているかい?」
「へっ!?」
「……行っておあげ、と行っているんだよ。さすがに毎日はこっちの手も足りなくなるけれど、時々だったら構わないんじゃないかな」
「いいんですか?」
「ああ、ご老人には親切にしておくものだよ」

 ジェラルド司祭の許可は割とあっさりと下りた。そこで私は二、三日に一度、オルディス卿の元へと通うことになった。彼の、死に際の願いを聞く為に



「今日はどの本をお読みしましょうか」
「……棚の端から三番目の……その下だ」
「これですか?」

 仕事の合間を縫っては、私はオルディス卿の屋敷へと通った。彼の好むのはやはりロマンティックな恋物語が多く、私はそれを読みながら彼との静かな時間を過ごした。私の朗読を聞くオルディス卿は満足そうに微笑んでいる事が多かった。
 そうして季節は巡り、夏がやってきた。

「……よく来たね」

 その日のオルディス卿は一際顔色が悪かった。声も出すのがやっとといった感じだ。

「……! オルディス卿、治療を……」
「いや、いい。……本を……読んでくれ」

 土気色の肌をした老貴族はそれでも私の回復魔法を拒んだ。私は動揺を押し隠しながらも本のページをめくった。ああ、ちっとも頭に入ってこない。

「今日はここまでにしましょうか」
「……ああ」

 苦しそうに呼吸をする老人を見かねて私がそう切り出すと。オルディス卿は黙って頷いた。主寝室を後にした私はお婆さんメイドの姿を探した。

「あの……卿はひどく具合が悪いようです」
「そうかい……ありがとう、お嬢ちゃん」

 気落ちした様子のお婆さんメイドの様子に後ろ髪を引かれながら、私は屋敷を後にした。

「あぶぅ」
「ほらほら、リオン。ねぇやが帰ってきましたよー。……ってどうしたのアンナマリー?」
「それが……本を読みに伺っている貴族様が具合が悪いようで……私、何も出来なくて」
「そう……。アンナマリー、頑張ったのね」

 ジェラルド司祭の屋敷に戻り、赤ちゃんのミルクの匂いと明るい陽光に包まれると余計にさっきまでの陰鬱な雰囲気との落差に打ちのめられそうになった。モニカ奥様は肩を落とす私の頭をそっと撫でると微笑んだ。

「私、あんなので何かの役に立ったのでしょうか」
「……彼にはきっと意味があるのよ」

 ――オルディス卿の訃報が届いたのは、それから二日後の事だった。リオン坊ちゃまが寝付いた隙にそっちの屋敷に向かおうとした矢先のことだった。

「アンナマリー、待ちなさい」
「なんでしょう旦那様」
「……オルディス卿が亡くなったそうだ」
「えっ」

 私はジェラルド司祭の言葉に息を飲んだ。覚悟していた瞬間とは言え、人の死の一報と言う物は心臓のあたりに冷たい感触を残す。

 オルディス卿の葬儀は村の教会でひっそりと行われた。そして葬られたのは村の共同墓地。オルディス卿の一族の墓地に彼が入る事は無かった。

「……ご親族はお一人も来られませんでしたね」
「ああ、そうだね」
「お墓がここで寂しくはないでしょうか」
「彼の遺言だったんだ。この墓地のこの墓の隣に葬って欲しいと」

 私とジェラルド司祭はオルディス卿の墓に花を供えていた。その横には小さな墓。そこにはエイリーンという女性名が彫られてれていた。

「……秘密結婚だったそうだ。メイドとの」
「そう、ですか……」

 ありし日には彼女に本を読んで貰ったりしたのかしら? もしくはあのロマンス小説のような熱い恋をしたのかしら。オルディス卿。あなたは早く愛する人の元に行きたかったのね。私はこみ上げる涙をそっと拭った。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

最強の暗殺者は田舎でのんびり暮らしたい。邪魔するやつはぶっ倒す。

高井うしお
ファンタジー
戦う以外は不器用な主人公、過去を捨てスローライフを目指す! 組織が壊滅した元暗殺者「名無し」は生き残りの男の遺言で辺境の村を目指すことに。 そこに居たのはちょっとボケている老人ヨハンとその孫娘クロエ。クロエから父親だと誤解された名無しは「田舎でのんびり」暮らして行く事になる。が、日々平穏とは行かないようで……。 書き溜め10万字ありますのでそれが追いつくまでは毎日投稿です。 それが尽きても定期更新で完結させます。 ‪︎‬ ‪︎■お気に入り登録、感想など本当に嬉しいですありがとうございます

家族と移住した先で隠しキャラ拾いました

狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
「はい、ちゅーもーっく! 本日わたしは、とうとう王太子殿下から婚約破棄をされました! これがその証拠です!」  ヴィルヘルミーネ・フェルゼンシュタインは、そう言って家族に王太子から届いた手紙を見せた。  「「「やっぱりかー」」」  すぐさま合いの手を入れる家族は、前世から家族である。  日本で死んで、この世界――前世でヴィルヘルミーネがはまっていた乙女ゲームの世界に転生したのだ。  しかも、ヴィルヘルミーネは悪役令嬢、そして家族は当然悪役令嬢の家族として。  ゆえに、王太子から婚約破棄を突きつけられることもわかっていた。  前世の記憶を取り戻した一年前から準備に準備を重ね、婚約破棄後の身の振り方を決めていたヴィルヘルミーネたちは慌てず、こう宣言した。 「船に乗ってシュティリエ国へ逃亡するぞー!」「「「おー!」」」  前世も今も、実に能天気な家族たちは、こうして断罪される前にそそくさと海を挟んだ隣国シュティリエ国へ逃亡したのである。  そして、シュティリエ国へ逃亡し、新しい生活をはじめた矢先、ヴィルヘルミーネは庭先で真っ黒い兎を見つけて保護をする。  まさかこの兎が、乙女ゲームのラスボスであるとは気づかづに――

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!

暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい! 政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

処理中です...