上 下
6 / 45

6.

しおりを挟む
「瘴気が濃い……」

 測定士でないリアムにもはっきりわかるほど、『死の森』の瘴気は濃かった。重苦しい、毒の空気。生きるものを毒や魔物に変える忌まわしき瘴気がそこに満ちていた。

「ハァ……ハァ……」

 光魔法で周囲の瘴気を払っているにも関わらず、息が異常に切れる。濃い瘴気のためだろう、口の中や鼻の穴がピリピリを痛む。降り積もった瘴気の結晶にズブズブと足を取られ、体力が削られていく。黙々と歩いていたリアムは何かに躓き、地面に倒れた。

「もう……疲れた……」

 俯くと、長い髪が顔にかかる。アンリが好きだと言ってくれた髪。嬉しくて切るのが勿体なくて腰まで伸ばした髪。
 ユージーンが現れなければ、リアムは未来を夢見ていられたのに。
 妙に重たい右手。手の中の短剣をじっと見る。

「馬鹿みたいだ……! くそ! ああああ!」

 リアムは衝動的に髪を掴んだ。
 ぶつり、と短剣がそれを切り裂く。赤い髪がバラバラと血のように地面に散った。

「……紅蓮の神子は死んだんだ」

 リアムはそう呟いて、前のめりに倒れたまま目を瞑った。度重なる裏切りにリアムは心身からボロボロだった。泥のような疲れが彼を襲い、そのままリアムは気を失った。

──ゴオオオオオオ……。

 リアムは朧気な意識の中で音を捉えていた。死んだ木々の隙間を、まるで悲鳴のように風が通る音だろうか。
 いや……それにしては近い。
 リアムはそっと目を開いた。

「……!」

 そこには、黒い影があった。地面から吹き出した黒い靄がぼんやりとした形を作り、リアムを取り囲むようにしていた。

(弱るのを待っているのか……?)

 黒い怪物からは強い瘴気が発せられている。瘴気が山の動物を魔物に変えるように、これらもまた森が変異した怪物なのだろう。

「冗談じゃないぞ」

 その姿を見た時、リアムに湧き上がったのは……怒りだった。
 さっきまであんなに死んでしまいたいくらい悲しかったのに、いざとなるとリアムの心を焼き尽くしたのは怒りだ。
 自分は己の職務に忠実であったのに。沢山の人々を救ってきたのに。あのような謂れのない罪でどうしてこのような死に方をしなければならないのか。

「愛して……いたのに」

 アンリは守ってくれなかった。それどころか殺そうとした。
 あなたの為に僕は尽くして来たというのに!

「アアアアアアッ」

 リアムの体から白い光が放たれた。力まかせの光魔法。リアムの光魔法は強力だ。教会でコントロールの術を学んで以来に、リアムは全力で光の玉を周囲の怪物めがけて放つ。

──ゴオオ……。

 リアムの攻撃で何体かが消滅した。だが、地面からは後から後から怪物が湧き出して来る。

「くっ……キリがない!」

 リアムは黒い怪物を倒すのを諦め、この場から逃げることにした。
 こちらには『飛靴』フライングブーツがある。おそらく死の森と呼ばれる所以であるこの怪物は、森の死んだ木に溜まった瘴気の結晶が正体だ。このまま森を抜けてしまえば逃げ切れる。
 そう踏んだリアムは一気に駆け出した。『飛靴』フライングブーツが黒い砂塵を巻き上げながら地を蹴る。常人の何倍ものスピードで、リアムは走った。森の切れ目まで、早く早く。
 いける。この分ならば逃げ切れる、とリアムが確信した時だった。

──ガクン。

 突然両足が動かなくなった。

「な……」

 リアムは息を飲んだ。撒いたはずだったのに。後少しだったのに。
 リアムの足には太い縄の様に密集した黒い靄が絡みついていた。

「くそっ! 離せ!!」

 リアムはそれを振り払おうと暴れた。だが身動きすればするほど、黒い靄は絡みついてくる。

「……ぐっ」

 怪物の触手がリアムのふくらはぎから太ももに、ズルズルと這い上がってくる。その感触が気色悪くてリアムの肌は粟だった。

「ひっ……痛……」

 その触れたところからじゅくじゅくと肌が焼き爛れていく。

(落ち着け……落ち着け……)

 リアムは唇を噛みしめながら自身に治癒魔法をかけた。
 だが、身動きの出来ないリアムの体は触手に追い尽くされていく。

「ああっ……」

 治癒が追いつかない程に、リアムの体は瘴気に包まれる。
 それだけではない。削がれた皮膚から黒い霧が浸透し、リアムの白い肌を染め上げていく。
 このまま瘴気の毒が回って死ぬのだろうか、それともこのまま魔物に変えられてしまうのだろうか。遠のきそうになる意識をなんとか繋ぎ止めながら、リアムは自分にこれから何が起こるのかと怯えた。

――オオオオオオ……。

 そんなリアムの不安をまるで嗅ぎつけたかのように黒い怪物が蠢く。

「ぐ……?」

 大きく膨らんだ靄がリアムを飲み込むように動いた。さらに皮膚は爛れ、白い法衣に血が滲む。そしてその法衣も引き裂いていく。

「ぐああ……! ああ!」

 毛穴から、眼球から、鼻の穴、耳の穴に至るまで、穴という穴を黒い瘴気が侵す。

「うぶっ……がっ……」

 黒い塊がリアムの口を塞ぐ。喉に容赦なく入り込むそれに嘔吐感がせり上がってくる。

(絶対に……絶対に気を失ってはダメだ……!)

 リアムは必死に己に治癒魔法をかけ続けた。
 何かこの窮地から脱する方法を探さなければ……。リアムは怪物の手から逃れようと、光魔法を放つ。その衝撃に怪物たちは一瞬霧散するものの、すぐにまた復活してしまう。
 リアムの魔力はもはや底を突きそうになっていた。

「う……ううっ……」

 口から注がれた瘴気が内臓を焼く。リアムは口から大量の吐血をした。

(本当に死ぬかもな)

 口中に広がる鉄臭い味を感じながら、リアムは霞む頭で考えた。

――アアアアア……。

 弱り切り、もうリアムは力を籠めることが出来なくなっていた。
 怪物たちはリアムを取り囲み、わずかに残った下履きを剥ぎ取った。

「嫌だ……死にたくない……」

 哀れな獲物を食いつくそうと、怪物はザワザワとまるで笑っているかのように見えた――。

――ザン!

 その時だった何かが黒い怪物たちを切り裂いた。瘴気の気配が一瞬緩んで、リアムはかすかに目を開ける。

「だ……れ……」

 月明かりが黒いローブの男の姿を映す。
 男は何も言わずにリアムの額に手をやった。大きく、乾いた、温かな手の平の感触にリアムは安堵感を覚え、そのまま気を失った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

有能すぎる親友の隣が辛いので、平凡男爵令息の僕は消えたいと思います

緑虫
BL
第三王子の十歳の生誕パーティーで、王子に気に入られないようお城の花園に避難した、貧乏男爵令息のルカ・グリューベル。 知り合った宮廷庭師から、『ネムリバナ』という水に浮かべるとよく寝られる香りを放つ花びらをもらう。 花園からの帰り道、噴水で泣いている少年に遭遇。目の下に酷いクマのある少年を慰めたルカは、もらったばかりの花びらを男の子に渡して立ち去った。 十二歳になり、ルカは寄宿学校に入学する。 寮の同室になった子は、まさかのその時の男の子、アルフレート(アリ)・ユーネル侯爵令息だった。 見目麗しく文武両道のアリ。だが二年前と変わらず睡眠障害を抱えていて、目の下のクマは健在。 宮廷庭師と親交を続けていたルカには、『ネムリバナ』を第三王子の為に学校の温室で育てる役割を与えられていた。アリは花びらを王子の元まで運ぶ役目を負っている。育てる見返りに少量の花びらを入手できるようになったルカは、早速アリに使ってみることに。 やがて問題なく眠れるようになったアリはめきめきと頭角を表し、しがない男爵令息にすぎない平凡なルカには手の届かない存在になっていく。 次第にアリに対する恋心に気づくルカ。だが、男の自分はアリとは不釣り合いだと、卒業を機に離れることを決意する。 アリを見ない為に地方に移ったルカ。実はここは、アリの叔父が経営する領地。そこでたった半年の間に朗らかで輝いていたアリの変わり果てた姿を見てしまい――。 ハイスペ不眠攻めxお人好し平凡受けのファンタジーBLです。ハピエン。

龍は精霊の愛し子を愛でる

林 業
BL
竜人族の騎士団団長サンムーンは人の子を嫁にしている。 その子は精霊に愛されているが、人族からは嫌われた子供だった。 王族の養子として、騎士団長の嫁として今日も楽しく自由に生きていく。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。 第12回BL大賞奨励賞、読んでくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!

女神の間違いで落とされた、乙女ゲームの世界でオレは愛を手に入れる。

にのまえ
BL
 バイト帰り、事故現場の近くを通ったオレは見知らぬ場所と女神に出会った。その女神は間違いだと気付かずオレを異世界へと落とす。  オレが落ちた異世界は、改変された獣人の世界が主体の乙女ゲーム。  獣人?  ウサギ族?   性別がオメガ?  訳のわからない異世界。  いきなり森に落とされ、さまよった。  はじめは、こんな世界に落としやがって! と女神を恨んでいたが。  この異世界でオレは。  熊クマ食堂のシンギとマヤ。  調合屋のサロンナばあさん。  公爵令嬢で、この世界に転生したロッサお嬢。  運命の番、フォルテに出会えた。  お読みいただきありがとうございます。  タイトル変更いたしまして。  改稿した物語に変更いたしました。

騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪
BL
(本編完結。番外編追加中) サーリーク王国郊外の村で暮らすエミールは、盗賊団に襲われた際にオメガ性が顕現し、ヒートを起こしてしまう。 オメガの匂いに煽られた男たちに体を奪われそうになったとき、狼のように凛々しいひとりの騎士が駆け付けてきた。 騎士の名は、クラウス。サーリーク王国の第二王子であり、騎士団の小隊長でもあるクラウスに保護されたエミールは、そのまま王城へと連れて来られるが……。 クラウスとともに過ごすことを選んだエミールは、やがて王城内で湧き起こる陰謀の渦に巻き込まれてゆく。 『溺愛アルファの完璧なる巣作り』(https://www.alphapolis.co.jp/novel/504363362/26677390)スピンオフ。 騎士に全霊で愛されるオメガの物語。 (スピンオフにはなりますが、完全に独立した話ですので前作を未読でも問題ありません)

運悪く放課後に屯してる不良たちと一緒に転移に巻き込まれた俺、到底馴染めそうにないのでソロで無双する事に決めました。~なのに何故かついて来る…

こまの ととと
BL
『申し訳ございませんが、皆様には今からこちらへと来て頂きます。強制となってしまった事、改めて非礼申し上げます』  ある日、教室中に響いた声だ。  ……この言い方には語弊があった。  正確には、頭の中に響いた声だ。何故なら、耳から聞こえて来た感覚は無く、直接頭を揺らされたという感覚に襲われたからだ。  テレパシーというものが実際にあったなら、確かにこういうものなのかも知れない。  問題はいくつかあるが、最大の問題は……俺はただその教室近くの廊下を歩いていただけという事だ。 *当作品はカクヨム様でも掲載しております。

処理中です...