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第三章
73話 かりそめの本物
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名無しとその家族の住むのは平屋の粗末な家だった。ひとつきりの暖炉を中心にベッドと食卓があるだけ。そんな家にフレドリックはお邪魔した。
「荷物はその辺に置いておくといい」
「あ、ああ……」
フレドリックはどこか浮き世離れした雰囲気の名無しがこうして慎ましく肩を寄せ合って生きている事に驚きながら返事をした。
「フレドリックさんお茶どうぞ!」
「ありがとう、クロエちゃん」
かいがいしく働くクロエにフレドリックは目を細める。
「じゃあ畑に戻るね!」
「俺も……」
「パパはお客さんほったらかしたら駄目だよ!」
仕事に戻ろうとした名無しにクロエはそう言うと家の外に出て行った。
「……しっかりした娘さんで」
「あれでいて苦労人なんだ。母親は病気で、父親は出稼ぎ先で死んだ」
「それで養父に?」
「まあ……なりゆきで」
それ以上は踏み込むな、という名無しの気配を感じ取ってフレドリックは目の前のお茶に口をつけた。
「……俺の証言がいるくらい、アーロイスに攻め込む理由がないのか」
「今の所……。民の暮らしに変化がないのが何より証拠でしょう」
「ふむ……」
そういうものか、と名無しは思った。策謀を張り巡らすのはいつだって別の人間で、名無しはただ手足となって動くだけだった。
「明日朝に出立しよう。馬を借りてくる」
「ああ……すまない」
「そんな顔しなくてもいいぞ。あいつに借りがあるのは俺もだ」
名無しは仲間を殺された。ただ今はこの暮らしを守りたいのと、首領の残した復讐するなという言葉を守っているだけだ。首領はきっと名無しが復讐に身を滅ぼすのを恐れたのだ、と今の名無しなら思える。
「すまんが留守番していてくれ」
名無しはリックの所に馬を借りに向かった。ひとりポツンと残されたフレドリックは所在なさげにお茶をすすった。するとふとすぐ脇のベッドが目に入った。一つだけ妙に使った形跡のないベッド。なのにそこの端にメダルがぶら下がっている。フレドリックは思わずそれを手にとった。
「エミリアからアルフレッドへ……」
そのメダルにはユニオールの紋章と記名がしてあった。リュッケルンの宿の周りで売っていたしがない土産物である。
「いつの間にこんなものを……」
フレドリックはなんとなく見てはいけないものを見てしまった気がしてメダルから手を離した。
「いっぱいお代わりしてください」
「ああ、ありがとう」
そしてやってきた夕食時。体格のいいフレドリックの為に、クロエは張り切ってシチューを沢山作った。
「パパもいっぱい食べなよ、フレドリックさんみたいに大きくならないよ!」
「クロエ。俺は多分これ以上は大きくならない」
「……そうなの?」
名無しとクロエのやりとりにフレドリックは吹きだした。
「ははは……」
フレドリックは久々に笑った気がした。元王太子ロドリックがその地位を追われてから、ライアンを安心させようと微笑むことはあっても腹の底から笑うことはなかった。
「フレドリック」
「……こほん」
「……で、クロエ。三日ほど留守にするけど大丈夫だな」
「うん。お見舞いしてあげてね」
「そうだの、デューク」
クロエとヨハンには知人の見舞いに家を空けると説明していた。二人とも是非行ってやれと頷いた。フレドリックはそれを見ると少し胸が痛むのだった。
そして翌朝。ハンナが使っていたベッドを借りたフレドリックは目を覚ました。顔を洗って外に出ると、すでに名無しは黒装束に身を包んで馬に水を飲ませていた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
昨日までの農夫の格好から着替えると、名無しの顔つきは少し変わったようだった。フレドリックが旅の最中に見た表情のうかがえない雰囲気が彼を包んでいる。
「朝食をとったら行こう」
「ああ」
そして朝食をとり、昼食にとクロエが用意してくれたサンドイッチを手にしてフレドリックと名無しはハーフェンの村を後にした。
「気をつけてパパ!」
「いってらっしゃいデューク」
後ろからクロエとヨハンの見送りの声が飛んでくる。名無しは半身を振り返ってそれに手を振った。
「……聞いてもいいですかな」
「なんだ?」
「なぜヨハンさんはアルをデュークと呼ぶのです?」
「ああ……ボケてるんだ。デュークは死んだクロエの父親の名だ」
「……そうですか。すみません」
「でもホンモノのデュークと俺とちゃんと区別はついてるみたいだ」
そういって名無しは俯いた。この続きを口にするのは名無しは少しばかり恥ずかしかった。代わりにフレドリックが呟いた。
「家族なのですな」
「ああ」
名無しは頷いた。それから二人は黙ったまま目的地に向かって馬を走らせた。
「イライアス! 例の人物を連れて来た」
そして潜伏先の宿につくと、フレドリックはイライアスの名を呼んだ。
「おかえり」
そしてフレドリックの背後にいる名無しに目をやった。
「……ふーん。確かにちょっと似ているかな? 髪の色と体格くらいだけど」
「アル、彼は元外務大臣のイライアスだ」
「ふーん……俺はアルフレッド。こいつはあんたの仲間か」
「ああ、ありがたいことにな」
「とりあえず疲れたろう、ここに座りたまえ」
イライアスは名無しに席を勧めた。
「せわしなくて申し訳ないけれど、早速聞き取りをさせて貰う。記者ともう一人呼ぶからそのまま待っていてくれ」
そしてしばらくすると、サイラスともう一人の男――この男がおそらく記者である――が部屋に入ってきた。
「よお」
「……っ」
名無しがサイラスに声をかけるとサイラスは身を強ばらせた。
「サイラス、確かにこの男か?」
イライアスはサイラスに聞いた。サイラスはギクシャクと頷いた。
「は、はい……私が洞窟前に待機した時に代わりに討伐隊に入ったのは……彼、です」
「アル、その通りか?」
イライアスが名無しに問いただすと、名無しは口の端をちょっとあげて頷いた。
「ああ……。確かに。命拾いをしたのが一人いた。こいつだ」
「荷物はその辺に置いておくといい」
「あ、ああ……」
フレドリックはどこか浮き世離れした雰囲気の名無しがこうして慎ましく肩を寄せ合って生きている事に驚きながら返事をした。
「フレドリックさんお茶どうぞ!」
「ありがとう、クロエちゃん」
かいがいしく働くクロエにフレドリックは目を細める。
「じゃあ畑に戻るね!」
「俺も……」
「パパはお客さんほったらかしたら駄目だよ!」
仕事に戻ろうとした名無しにクロエはそう言うと家の外に出て行った。
「……しっかりした娘さんで」
「あれでいて苦労人なんだ。母親は病気で、父親は出稼ぎ先で死んだ」
「それで養父に?」
「まあ……なりゆきで」
それ以上は踏み込むな、という名無しの気配を感じ取ってフレドリックは目の前のお茶に口をつけた。
「……俺の証言がいるくらい、アーロイスに攻め込む理由がないのか」
「今の所……。民の暮らしに変化がないのが何より証拠でしょう」
「ふむ……」
そういうものか、と名無しは思った。策謀を張り巡らすのはいつだって別の人間で、名無しはただ手足となって動くだけだった。
「明日朝に出立しよう。馬を借りてくる」
「ああ……すまない」
「そんな顔しなくてもいいぞ。あいつに借りがあるのは俺もだ」
名無しは仲間を殺された。ただ今はこの暮らしを守りたいのと、首領の残した復讐するなという言葉を守っているだけだ。首領はきっと名無しが復讐に身を滅ぼすのを恐れたのだ、と今の名無しなら思える。
「すまんが留守番していてくれ」
名無しはリックの所に馬を借りに向かった。ひとりポツンと残されたフレドリックは所在なさげにお茶をすすった。するとふとすぐ脇のベッドが目に入った。一つだけ妙に使った形跡のないベッド。なのにそこの端にメダルがぶら下がっている。フレドリックは思わずそれを手にとった。
「エミリアからアルフレッドへ……」
そのメダルにはユニオールの紋章と記名がしてあった。リュッケルンの宿の周りで売っていたしがない土産物である。
「いつの間にこんなものを……」
フレドリックはなんとなく見てはいけないものを見てしまった気がしてメダルから手を離した。
「いっぱいお代わりしてください」
「ああ、ありがとう」
そしてやってきた夕食時。体格のいいフレドリックの為に、クロエは張り切ってシチューを沢山作った。
「パパもいっぱい食べなよ、フレドリックさんみたいに大きくならないよ!」
「クロエ。俺は多分これ以上は大きくならない」
「……そうなの?」
名無しとクロエのやりとりにフレドリックは吹きだした。
「ははは……」
フレドリックは久々に笑った気がした。元王太子ロドリックがその地位を追われてから、ライアンを安心させようと微笑むことはあっても腹の底から笑うことはなかった。
「フレドリック」
「……こほん」
「……で、クロエ。三日ほど留守にするけど大丈夫だな」
「うん。お見舞いしてあげてね」
「そうだの、デューク」
クロエとヨハンには知人の見舞いに家を空けると説明していた。二人とも是非行ってやれと頷いた。フレドリックはそれを見ると少し胸が痛むのだった。
そして翌朝。ハンナが使っていたベッドを借りたフレドリックは目を覚ました。顔を洗って外に出ると、すでに名無しは黒装束に身を包んで馬に水を飲ませていた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
昨日までの農夫の格好から着替えると、名無しの顔つきは少し変わったようだった。フレドリックが旅の最中に見た表情のうかがえない雰囲気が彼を包んでいる。
「朝食をとったら行こう」
「ああ」
そして朝食をとり、昼食にとクロエが用意してくれたサンドイッチを手にしてフレドリックと名無しはハーフェンの村を後にした。
「気をつけてパパ!」
「いってらっしゃいデューク」
後ろからクロエとヨハンの見送りの声が飛んでくる。名無しは半身を振り返ってそれに手を振った。
「……聞いてもいいですかな」
「なんだ?」
「なぜヨハンさんはアルをデュークと呼ぶのです?」
「ああ……ボケてるんだ。デュークは死んだクロエの父親の名だ」
「……そうですか。すみません」
「でもホンモノのデュークと俺とちゃんと区別はついてるみたいだ」
そういって名無しは俯いた。この続きを口にするのは名無しは少しばかり恥ずかしかった。代わりにフレドリックが呟いた。
「家族なのですな」
「ああ」
名無しは頷いた。それから二人は黙ったまま目的地に向かって馬を走らせた。
「イライアス! 例の人物を連れて来た」
そして潜伏先の宿につくと、フレドリックはイライアスの名を呼んだ。
「おかえり」
そしてフレドリックの背後にいる名無しに目をやった。
「……ふーん。確かにちょっと似ているかな? 髪の色と体格くらいだけど」
「アル、彼は元外務大臣のイライアスだ」
「ふーん……俺はアルフレッド。こいつはあんたの仲間か」
「ああ、ありがたいことにな」
「とりあえず疲れたろう、ここに座りたまえ」
イライアスは名無しに席を勧めた。
「せわしなくて申し訳ないけれど、早速聞き取りをさせて貰う。記者ともう一人呼ぶからそのまま待っていてくれ」
そしてしばらくすると、サイラスともう一人の男――この男がおそらく記者である――が部屋に入ってきた。
「よお」
「……っ」
名無しがサイラスに声をかけるとサイラスは身を強ばらせた。
「サイラス、確かにこの男か?」
イライアスはサイラスに聞いた。サイラスはギクシャクと頷いた。
「は、はい……私が洞窟前に待機した時に代わりに討伐隊に入ったのは……彼、です」
「アル、その通りか?」
イライアスが名無しに問いただすと、名無しは口の端をちょっとあげて頷いた。
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