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第九話 伝えるのは気持ちであり、言葉はツールに過ぎない
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子供達が綺麗に食べていたおかげで、食器洗いは容易く終わった。
風呂場からの水音を聞きながら、久々の平穏を手にした私は、自分がまだ昼食を取っていないことに気付いた。気付いた途端に、腹が減ってきてた。
まだ、子供達の風呂には時間がかかりそうなので、軽く何か食べることにする。
台所の床下にある冷暗所から取り出すのは、この間、森で取った山菜類。本当は、毎日使う分だけを取って食べるほうが、新鮮な山菜を食べられるのだが、足腰の衰えから、毎日森に出て食材を取るのが億劫になったため、一度に持てる分だけ取ってきて、冷暗所や冷蔵庫で保存している。
先ほど洗った寸胴鍋よりも小さな鍋に水と塩を入れ、『炎炉』にかけて湯を沸かす。
沸騰したところで、軽く水洗いしておいた山菜を入れていく。茹で過ぎると食感が楽しめなくなるので、二~三分でお湯から取り出し、魔法で温度を下げた冷水でさっと洗う。
これに、塩を付けて食べる。歯ごたえのある食感と共に、仄かな苦みと豊かな自然の味が口の中に広がり、大変に美味い。
軍師時代は肉ばかり食べ、魔導師時代はまともに食べていた記憶が無く、宰相時代は魚ばかり食べていたが、隠居して初めて、野菜の美味しさというのに気付いた。というより、採れたて新鮮な山菜の美味しさを知ったのだ。初めてここの山菜を食べた時の感動は、今でも忘れられない。
最近のように感じられる数年前の思い出と共に山菜を噛みしめ、飲み込んだ私は、二人分の足音がこちらに近づいてくるのを聞き取った。どうやら、風呂は済んだらしい。
視界に入った子供達は、暗喩するなら非常に簡素なローブ、直喩するなら穴の開いた布というのが適切であろう物を着ていた。
「サイズの合う服が無かったから、布に頭と腕を通す穴を開けて急ごしらえしたんです。もう数着、服と下着を作っておきたいので、あなたのローブを何着か生地にしたいのだけれど、もちろん、いいですよね」
子供達の後ろにいるアイラが、決定事項の確認をしてくる。もちろん、私に異議は無い。
「冠婚葬祭に着ていける礼服を、数着は残しておいてくれ」
「わかってますよ。あんな刺繍だらけのローブを生地にしても、着心地の悪い服しか作れませんし」
彼女との会話に区切りをつけて、視線を下に向けると、子供達の眠気眼と目があった。これまでの疲労が溜まっていたからか、まだ昼過ぎだが、睡魔に襲われているらしい。
「君達の部屋に案内しよう。ついてくるといい」
子供達を引き連れて来たのは、私の寝室。寝具と机と多少の本があるだけの簡素な部屋だ。
「ここが、今日から君達の部屋だ。もし何かあれば、私か彼女に言って欲しい」
元から眠るときにしか使用しなかった部屋なので、子供達に与えた方が有意義だろう。私は普段過ごしている書斎で寝ればいい。
「トイレは部屋を出て左の突き当りにある。使い方は分かるかね?」
ちゃんと二人とも頷いたのを確認し、トイレの使い方を説明する必要が無いことに安堵する。奴隷の扱いは商人によって変わり、動物同然の扱いをする輩もいるので不安だったのだが、トレード君は奴隷に最低限衛生的な生活をさせていたらしい。その方が商品価値が上がり、病気などのリスクも軽減するので、当然と言えば当然なのだが。
「では、ゆっくり休んでくれ。夕食時になったら、また呼びに来るが、お腹が空いたり喉が渇いたりしたら、何時でも降りてきてくれ。決して、我慢しないこと。子供は我儘を言うのが仕事なのだからな。いいね?」
これ以上、睡魔と戦っている子供達に言う事を聞かせようというのが酷なことに、今更ながら気付いた私は、まだまだあった言いたかったことを飲み込み、静かに部屋を後にする。
「子供と接するときは、どのように振る舞うのが正しいのだろうな。全く見当もつかん」
リビングへと戻った私は、テーブル向かいで浮かんでいる彼女に、それとなく子供との適切なコミュニケーションの仕方について尋ねてみる。
「そんな風に硬く考えてるうちは、いつまでたっても仲良くなれませんよ。仲良くするためにどんな言動をすべきか、なんて考えなくたって、仲良くなりたいと思って自然に接していれば、自ずと仲良くなれるものです。第一あなた、まだあの子達に名乗ってさえいないじゃないですか。自分のことを隠したまま、他人の心を開示してもらおうなんて虫が良すぎますよ」
そういえば、そうだったかもしれない。言い出すタイミングが無かったのだ。
「確かに昔は、わざわざ名乗らなくたって、あなたの名前を知らない人なんていなかったかもしれないけれど、今のあなたはただのお爺ちゃんなんですから、名前くらいは初めの挨拶の時にいうべきですよね。ちなみに私は、あの子達をお風呂に入れてあげた時に、ちゃんと自己紹介しましたから」
言いたい放題言われているが、私に反論する意思は皆無だ。正論を携えた彼女に口論を挑むなど、自傷行為以外の何物でもない。下手な言い訳で弁明しようものなら、悪魔のような笑みを浮かべながら、嬉々として完全論破にかかるだろう。
「そうだ。名前で思い出したんですけれど、あの子達の名前どうするんです?番号でしか自分を言い表せないのは可哀そうですし、何かいい名前を付けてあげましょうよ」
私の内心での降参を知ってか知らずか、彼女は話題を変えてくれた。
確かに、呼び名が無いのは何かと不便だ。簡潔で端麗な意味を持ちながらも響きの良い、将来誇りを持って名乗れるような名を考えてやらねばなるまい。
「そうだな。辞典を持って来よう。良い意味の言葉を調べなくては」
基本的に名前というのは、親が子供の将来なっていて欲しい姿を想ってつけるものだ。ゆえに、多くの良い意味を持っている言葉だったり、子供になっていて欲しい人柄や職業の言葉をもじったりして、名前を付けることが多い。
「あんまり悩みすぎないで下さいよ。私の時みたいに全く悩まないのも駄目ですけれど」
「……気を付けるよ」
彼女と出会った時は本当に忙しかったから、悠長に名など考えている暇は無かった。だから、なんとなく響きの良い名前で呼ぶことにしたのだが、名付け方がお気に召さなかったらしく(出会って十秒ほどでパッと思いついた名を付けた、というのが嫌なのだとか)、こうやって稀に恨み言を言われる。
この調子では、今日中に子供達の名前を決めないと、彼女の小さな嫉妬の矛先が私を突き刺すことになりかねない。
私は辞典を開いて、文字を調べ始める。早く良い名を決めなくては。
--------------
造語解説
『炎炉』:魔法で炎を現出させるコンロ。
風呂場からの水音を聞きながら、久々の平穏を手にした私は、自分がまだ昼食を取っていないことに気付いた。気付いた途端に、腹が減ってきてた。
まだ、子供達の風呂には時間がかかりそうなので、軽く何か食べることにする。
台所の床下にある冷暗所から取り出すのは、この間、森で取った山菜類。本当は、毎日使う分だけを取って食べるほうが、新鮮な山菜を食べられるのだが、足腰の衰えから、毎日森に出て食材を取るのが億劫になったため、一度に持てる分だけ取ってきて、冷暗所や冷蔵庫で保存している。
先ほど洗った寸胴鍋よりも小さな鍋に水と塩を入れ、『炎炉』にかけて湯を沸かす。
沸騰したところで、軽く水洗いしておいた山菜を入れていく。茹で過ぎると食感が楽しめなくなるので、二~三分でお湯から取り出し、魔法で温度を下げた冷水でさっと洗う。
これに、塩を付けて食べる。歯ごたえのある食感と共に、仄かな苦みと豊かな自然の味が口の中に広がり、大変に美味い。
軍師時代は肉ばかり食べ、魔導師時代はまともに食べていた記憶が無く、宰相時代は魚ばかり食べていたが、隠居して初めて、野菜の美味しさというのに気付いた。というより、採れたて新鮮な山菜の美味しさを知ったのだ。初めてここの山菜を食べた時の感動は、今でも忘れられない。
最近のように感じられる数年前の思い出と共に山菜を噛みしめ、飲み込んだ私は、二人分の足音がこちらに近づいてくるのを聞き取った。どうやら、風呂は済んだらしい。
視界に入った子供達は、暗喩するなら非常に簡素なローブ、直喩するなら穴の開いた布というのが適切であろう物を着ていた。
「サイズの合う服が無かったから、布に頭と腕を通す穴を開けて急ごしらえしたんです。もう数着、服と下着を作っておきたいので、あなたのローブを何着か生地にしたいのだけれど、もちろん、いいですよね」
子供達の後ろにいるアイラが、決定事項の確認をしてくる。もちろん、私に異議は無い。
「冠婚葬祭に着ていける礼服を、数着は残しておいてくれ」
「わかってますよ。あんな刺繍だらけのローブを生地にしても、着心地の悪い服しか作れませんし」
彼女との会話に区切りをつけて、視線を下に向けると、子供達の眠気眼と目があった。これまでの疲労が溜まっていたからか、まだ昼過ぎだが、睡魔に襲われているらしい。
「君達の部屋に案内しよう。ついてくるといい」
子供達を引き連れて来たのは、私の寝室。寝具と机と多少の本があるだけの簡素な部屋だ。
「ここが、今日から君達の部屋だ。もし何かあれば、私か彼女に言って欲しい」
元から眠るときにしか使用しなかった部屋なので、子供達に与えた方が有意義だろう。私は普段過ごしている書斎で寝ればいい。
「トイレは部屋を出て左の突き当りにある。使い方は分かるかね?」
ちゃんと二人とも頷いたのを確認し、トイレの使い方を説明する必要が無いことに安堵する。奴隷の扱いは商人によって変わり、動物同然の扱いをする輩もいるので不安だったのだが、トレード君は奴隷に最低限衛生的な生活をさせていたらしい。その方が商品価値が上がり、病気などのリスクも軽減するので、当然と言えば当然なのだが。
「では、ゆっくり休んでくれ。夕食時になったら、また呼びに来るが、お腹が空いたり喉が渇いたりしたら、何時でも降りてきてくれ。決して、我慢しないこと。子供は我儘を言うのが仕事なのだからな。いいね?」
これ以上、睡魔と戦っている子供達に言う事を聞かせようというのが酷なことに、今更ながら気付いた私は、まだまだあった言いたかったことを飲み込み、静かに部屋を後にする。
「子供と接するときは、どのように振る舞うのが正しいのだろうな。全く見当もつかん」
リビングへと戻った私は、テーブル向かいで浮かんでいる彼女に、それとなく子供との適切なコミュニケーションの仕方について尋ねてみる。
「そんな風に硬く考えてるうちは、いつまでたっても仲良くなれませんよ。仲良くするためにどんな言動をすべきか、なんて考えなくたって、仲良くなりたいと思って自然に接していれば、自ずと仲良くなれるものです。第一あなた、まだあの子達に名乗ってさえいないじゃないですか。自分のことを隠したまま、他人の心を開示してもらおうなんて虫が良すぎますよ」
そういえば、そうだったかもしれない。言い出すタイミングが無かったのだ。
「確かに昔は、わざわざ名乗らなくたって、あなたの名前を知らない人なんていなかったかもしれないけれど、今のあなたはただのお爺ちゃんなんですから、名前くらいは初めの挨拶の時にいうべきですよね。ちなみに私は、あの子達をお風呂に入れてあげた時に、ちゃんと自己紹介しましたから」
言いたい放題言われているが、私に反論する意思は皆無だ。正論を携えた彼女に口論を挑むなど、自傷行為以外の何物でもない。下手な言い訳で弁明しようものなら、悪魔のような笑みを浮かべながら、嬉々として完全論破にかかるだろう。
「そうだ。名前で思い出したんですけれど、あの子達の名前どうするんです?番号でしか自分を言い表せないのは可哀そうですし、何かいい名前を付けてあげましょうよ」
私の内心での降参を知ってか知らずか、彼女は話題を変えてくれた。
確かに、呼び名が無いのは何かと不便だ。簡潔で端麗な意味を持ちながらも響きの良い、将来誇りを持って名乗れるような名を考えてやらねばなるまい。
「そうだな。辞典を持って来よう。良い意味の言葉を調べなくては」
基本的に名前というのは、親が子供の将来なっていて欲しい姿を想ってつけるものだ。ゆえに、多くの良い意味を持っている言葉だったり、子供になっていて欲しい人柄や職業の言葉をもじったりして、名前を付けることが多い。
「あんまり悩みすぎないで下さいよ。私の時みたいに全く悩まないのも駄目ですけれど」
「……気を付けるよ」
彼女と出会った時は本当に忙しかったから、悠長に名など考えている暇は無かった。だから、なんとなく響きの良い名前で呼ぶことにしたのだが、名付け方がお気に召さなかったらしく(出会って十秒ほどでパッと思いついた名を付けた、というのが嫌なのだとか)、こうやって稀に恨み言を言われる。
この調子では、今日中に子供達の名前を決めないと、彼女の小さな嫉妬の矛先が私を突き刺すことになりかねない。
私は辞典を開いて、文字を調べ始める。早く良い名を決めなくては。
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造語解説
『炎炉』:魔法で炎を現出させるコンロ。
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