恋なし、風呂付き、2LDK

蒼衣梅

文字の大きさ
上 下
102 / 119

102 ノンシュガーチョコレート

しおりを挟む
「今日は、ごめんね。残業させちゃって」

 国見さんが申し訳なさそうに整った顔をくしゃっとさせてる。
 今日はバレンタイン当日だから、例えば、ケーキ屋さんみたいにその日に買わないといけないようなお店は混んでいるかもしれない。でも、国見さんのところは賞味期限があるわけじゃないから、そう混まないだろうって思ってた。でも予想は大外れ。すごく混んでて、ちょっと自分の終業時間に仕事を終えてしまうには、お店の中が雑然としすぎていて。

「恋路を邪魔しようとしたわけじゃないからね」
「っぷ。大丈夫です。ちっともそんなこと思ってなかったですよ」

 バレンタインに帰りを遅くして恋人と過ごす時間を減らしてしまおうなんて、国見さんが企んで、俺に残業を……なんてちっとも考えてなかった。

「それに旭輝も仕事なので」

 官僚のお仕事はいつだって大変そう。それでも優秀な旭輝は早く帰って来れてる方なんだって、本人が言ってたけれど。そんな早くに帰れる方が本来はとても珍しいって。

「あ、そうだ。蒲田さんに会ったんです」
「へぇ、忙しそうにしてた? 最近、なんだか連絡あまり取ってなくて」

 この場合、ブラコン……とかじゃないよね。叔父と甥だもんね。でも兄弟みたいに……いや、どうだろ。うち一人っ子だからわからないけど、兄弟以上に仲がいい……ぁ……もしかして、蒲田さんの恋の……。

「はぁ、この前も佳祐が好きなお菓子を買って持って行ってあげようと思ったらいなくてね」

 蒲田さんが今、恋してるのって、まさか。

「一緒に食べようと思ったんだけどね。僕も佳祐も甘いものに目がなくて……」

 あ…………違った。
 なんだ、一瞬、国見さんを好きになっちゃったのかと思った。でも確か、甘いの大丈夫かな、みたいなこと、あのお店で呟いてたもんね。じゃあ、違う人なんだ。

「そうなんですね」
「そう、元気そうにしてた?」
「はい。チョコレート一緒に選んだですよ」
「え?」
「テレビで紹介されてた有名店に行ってみたら、そこでバッタリ。こんな偶然あるんだなぁって驚いて」
「…………えぇっ?」

 国見さんの第一印象は柔らかくて余裕のある大人の男って感じ。でも、今の声はそんな国見さんの第一印象がガラガラと音を立てちゃうくらいに大きな声で。

「佳祐がチョコを?」
「は、い」
「この時期に?」
「え、ぇ」

 あれ?

「バレンタイン前に?」
「そ、です」

 もしかして、国見さんに言ってない……っぽい?

「聞いてない!」
「そ……みたい……ですね」

 なんか、ごめん……蒲田さん。



 絶対に話してると思ったんだ。国見さんと蒲田さん、秘密なんてお互いの間になさそうに思えるくらいすごく仲が良いと思うから。
 だから蒲田さんがチョコを渡す相手のことも聞いてるだろうって思ったんだけど。
 まさか知らないなんて。
 めちゃくちゃ慌ててた。国見さん。そんなの聞いていないって言って、これは佳祐に連絡をしなくちゃって。
 心配性っていうか。過保護っていうか。

「後で……俺、蒲田さんに怒られるかなぁ……」

 余計なことを言いましたねって、ものすごおおく睨まれそうだなぁって思いつつ、けどそのおかげで残業も短くなって終わってくれたし。
 もう旭輝は仕事を終えたかな。

「……」

 カバンの中にしまっていたスマホを取り出すと通知が来ていた。
 旭輝から。
 今日は急遽の仕事が入って帰りが遅くなるって、メッセージが残されていた。日付、変わらないうちに帰れるとは思うからって。俺が仕事中はスマホを見ないって知ってるから、返事がなくても気にすることなく小刻みになったメッセージが連なって残されていた。
 日付が変わる前には、なんて、すごく忙しそう。
 なんか、急な仕事が入っちゃったのかな。エリートの中でも優秀な旭輝でも手こずっちゃうような仕事がさ。

「……」

 差し入れ代わりに持ってったら、ダメかな。
 すぐに帰るし。
 チョコ渡すだけ。部屋で待ってればいいのわかってるけど。俺が寝ずに待ってれば帰ってくるじゃん? 一緒に暮らしてるんだし。でも、チョコ、って、ほら、エジプト時代には薬みたいなものだったってあのお店にも書いてあったし。仕事で疲れた時にちょっと食べるとさ、元気になれそうじゃん。
 だから……。
 ただ会いたいだけだけど。
 顔が見たいだけなんだけど。
 行ってみようかなぁって。
 旭輝にメッセージ送って、ちょっとだけ外に出ることってできる? とかって訊いてみてさ、すぐに返事がなかったら、なんでもないや、うちで待ってるねって言ってすぐに帰ろう。もしも、外に少しなら出られるって言ってもらえたら、そこで渡して、そしたらすぐに帰ろう。
 すぐに。
 帰れば、よかった。
 お店を出て、マンションとは逆方向に歩いて、五分、かな。早歩きしちゃったから。そこから駅いくつか電車で行って、また少し歩いて。所要時間三十分くらい。

「…………」

 うちに帰って待ってればよかったな。

「………………」

 旭輝とは偶然がたくさん重なって付き合うことになったけど、ホント、偶然ってたくさん重なるんだね。
 ビルからちょうど旭輝が出てきたところだった。

「…………」

 女の人と一緒に歩いてるのを見つけた。
 職場のビルからじゃなくて、その向こう側から歩いて来た。
 あの甘い香りのヒール十センチが似合いそうな女の人じゃなくて、優しそうで、家庭的? なんか、ちょっと遊んだりとかしなそうな、それでいて美人って感じの女の人と。
 どこかから歩いてきて、職場のビルを通り過ぎる旭輝を道路の向こう側で。

「……」

 偶然、見かけた。


しおりを挟む
感想 39

あなたにおすすめの小説

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

またのご利用をお待ちしています。

あらき奏多
BL
職場の同僚にすすめられた、とあるマッサージ店。 緊張しつつもゴッドハンドで全身とろとろに癒され、初めての感覚に下半身が誤作動してしまい……?! ・マッサージ師×客 ・年下敬語攻め ・男前土木作業員受け ・ノリ軽め ※年齢順イメージ 九重≒達也>坂田(店長)≫四ノ宮 【登場人物】 ▼坂田 祐介(さかた ゆうすけ) 攻 ・マッサージ店の店長 ・爽やかイケメン ・優しくて低めのセクシーボイス ・良識はある人 ▼杉村 達也(すぎむら たつや) 受 ・土木作業員 ・敏感体質 ・快楽に流されやすい。すぐ喘ぐ ・性格も見た目も男前 【登場人物(第二弾の人たち)】 ▼四ノ宮 葵(しのみや あおい) 攻 ・マッサージ店の施術者のひとり。 ・店では年齢は下から二番目。経歴は店長の次に長い。敏腕。 ・顔と名前だけ中性的。愛想は人並み。 ・自覚済隠れS。仕事とプライベートは区別してる。はずだった。 ▼九重 柚葉(ここのえ ゆずは) 受 ・愛称『ココ』『ココさん』『ココちゃん』 ・名前だけ可愛い。性格は可愛くない。見た目も別に可愛くない。 ・理性が強め。隠れコミュ障。 ・無自覚ドM。乱れるときは乱れる 作品はすべて個人サイト(http://lyze.jp/nyanko03/)からの転載です。 徐々に移動していきたいと思いますが、作品数は個人サイトが一番多いです。 よろしくお願いいたします。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

処理中です...