恋なし、風呂付き、2LDK

蒼衣梅

文字の大きさ
上 下
66 / 119

66 夏の稲光で、秋の嵐で、そして(旭輝視点)

しおりを挟む
 エダシマさんは今どこにいるのだろうか。もう何年も経ったのに、まだ忘れられない……なんてな。こんなに引きずるとはな。

「久我山さん、二番に外線です」
「……はい」

 電話なんて珍しいな、そう思った。大体メールが多いんだ。言った言わないで問題にならないように。仕事柄。

「もしもし、お待たせしました。久我山です」
『……こんにちは』

 でも、声ですぐになぜ電話なのか分かった。

「……どうも、お世話になってます」
『……蒲田です』
「……えぇ、存じてます」

 用件も、すぐに分かった。

『大変申し訳ないのですが……』
「はい」

 そして予想通りの用件に、溜め息混じりで答えて言われた場所と時間をメモに書き残した。



 十九時、か。
 まぁ、待ち合わせには間に合うかな。ただその時間に指定されたところまで行くのが面倒だけど。それにこの仕事してる人間に十九時待ち合わせって無理だと思わないか? フツー。でも、あの人、どっか天然っぽいところあるし、無駄に生真面目だから、夕食は十九時、とか決めてそうだし。
 それにしても、まさかレストランに呼び出されるとは思わなかったな。
 レストランで食事をしながらするような話なんてないだろ? 和やかなムードなんて皆無になるだろうに。
 主である先生の愛娘に手を出すな。
 そんなところだろうから。

「やぁ、久我山」

 廊下を歩きながら、小さく溜め息をついたところで、前方から声をかけられて顔を上げた。いたのは、同期の河野だった。

「どう? 調子は」

 初任でデスクが隣だった。そこで半年、一緒に仕事をして、それからは異動になってパタリと会わなくなったが。地方に行っていたのが最近帰ってきたらしくて。

「……あぁ」
「あぁ、か……すごいよな。一年目の時の初々しかった久我山が今じゃ、有能だと上からの信頼も厚く? 下からは慕われる人気者だもんなぁ」

 そして、どうしてか、新人の頃とは変わった俺のことがやたらと気に食わないらしい。見かける度に声をかけてくる。むしろ、新人の頃から数年経っても変わらない奴の方がおかしいだろ? と思うんだが。

「そして今度はあの先生の愛娘、だろ? さすがに先生の力とコネには、あの噂の初恋の人も負けたかよ」
「聞いてるぜ? 先生の祝賀会で気に入られたっていうじゃないか。すごいよなぁ。ゆくゆくは自分もそっちの世界へ、とか? あの先生のコネがあれば、一躍トップに躍り出られるもんなぁ」
「……」
「顔がいいと得すること多いよな」
「別に、そういうのじゃない。それに、ルックスなら河野の方が人気あるだろ? キャンパスグラフティだっけ? 初任の時に見せてくれただろ? ちょっとしたアイドル並だったのを覚えてる」
「!」
「それから、あの先生の祝賀会で気に入ってもらえたらしいが、彼女、婚約者いるよ。俺は丁重にお断りしてる。それじゃ」

 まだ何か言いたそうにはしていたけれど、俺もこの後、あの時間にやたらとうるさい生真面目蒲田との約束があるから、その場を急いで後にした。
 何せ、まだ仕事は山積みなのに、十九時よりも前、せめて三十分前にはレストランに行っておかないといけないから。



 待ち合わせまでにどうにか仕事を終わらせて、急いで駅へと向かう途中で運よくタクシーを拾うことができた。それに乗り込んで、指定されているレストランのあるショッピング街へ。
 これで間に合うな。
 そう腕時計の時間を確認して、タクシーの後部座席シートに背中を預けた。
 河野にも、先生の愛娘騒動は知られてたな。
 それからあの人のことも。デスクが隣で、つい話したんだ。あの人に出会ってすぐでどうしても誰かに話したくて話したくて、隣のデスクだったあいつに話したんだ。エダシマさんのこと。

「……言う相手、間違えたな」

 そうぽつりと呟きながら、タクシーの外を流れる賑やかな繁華街の景色を眺めてた。
 大学進学のために上京してすぐ、この繁華街の賑やかさと煌びやかさにくらくらしたっけ。何時になっても人が行き交う街に驚いたのを覚えてる。生まれ育った場所はもう夜の七時にもなれば真っ暗でポツリポツリとお情け程度に灯ってる街灯の明かりすらいらないほど人もいなかったから。

「……」

 そんな田舎で育った俺にとって、あの人はとても鮮やかだった。
 あのあと、しばらくして、店に行ってみたいけれど、その時、彼はいなかった。名前、覚えてたから。

 ――あの、エダシマさん、は?

 わざわざ他の店員にも訊いて。

 ――エダシマ……あ、聡衣君! すみません。彼、先週退職したんです。何か、ございましたか?

 けれど、もうその時にはあの人はいなくなってた。慌てて、なんでもないです、なんて言ってその場を離れて。バカだなって、失敗したって、すぐに後悔したんだ。連絡先は無理でも、何かその後の彼の所在でもなんでも聞けばよかったのにって。けれどそれもやっぱりあの人の迷惑になるかもしれないと、引き返すことはしなかった。でも――。

「……」

 まだ、覚えてる。
 もう何年も経ってるのに、まだ覚えてるんだ。
 あの人の夏の青空みたいな爽やかな笑顔と、春の桜のように柔らかい声色を――。

「ちょ、何! 今のっ」
「シーっ! いーから、聡衣!」
「はぁ?」

 目の前を、男が二人、連れ立っ……て、じゃない。

「ちょっ、何っ」

 男が、腕を掴んでトイレに。

「いーからっ、今、説明するから! とりあえず、聡衣!」

 サトイ……って。

「はぁ?」

 彼は。
 彼は、サトイ? って。
 今、確かにそう言ったよな。
 そんなことあるか? でも、よくある名前じゃない。珍しい名前だ。それにあの髪色。あの横顔。もう記憶は朧げだ。何年も前のことなんだ。不明瞭で、不確かで。
 でも、声はあんな感じだったようにも思う。
 声色は違ったから確かじゃないけど。でも。

「!」

 その前に、そんなあの人のことを思い出してる前に、なんだ今の。トイレに連れ込まれてたぞ。今、確かに。

「最低短小男!」

 トイレに入った瞬間聞こえたのは、その人の弾くような激しい声。それから皮膚を打ち付けるただならぬ音。

「ってぇな! 人が優しくしてやってんのにっ」
「!」

 男が殴られてた。
 それは夏の稲光のようで。

「っっっっっ」

 秋の嵐のようで。

「いや、さすがにあんたはグーで殴ったらダメだろ」

 咄嗟に手を伸ばした。

「殴られても仕方ないことしてんのに」

 その人は、目を見開いて、ふわりとあの時とは違う髪色になった明るいアッシュグレーの髪を揺らした。

「二股しておいて、女の方とデキ婚。けっこうぶん殴られて当たり前だぞ」
「! 誰だてめぇ! 関係ない奴がなんなんだよ!」
「ちょっと彼に用事があるんだ」

 そして――。

「とりあえず、さとい、はもらってく」

 その名前を、俺は少し緊張しながら口にした。


しおりを挟む
感想 39

あなたにおすすめの小説

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

またのご利用をお待ちしています。

あらき奏多
BL
職場の同僚にすすめられた、とあるマッサージ店。 緊張しつつもゴッドハンドで全身とろとろに癒され、初めての感覚に下半身が誤作動してしまい……?! ・マッサージ師×客 ・年下敬語攻め ・男前土木作業員受け ・ノリ軽め ※年齢順イメージ 九重≒達也>坂田(店長)≫四ノ宮 【登場人物】 ▼坂田 祐介(さかた ゆうすけ) 攻 ・マッサージ店の店長 ・爽やかイケメン ・優しくて低めのセクシーボイス ・良識はある人 ▼杉村 達也(すぎむら たつや) 受 ・土木作業員 ・敏感体質 ・快楽に流されやすい。すぐ喘ぐ ・性格も見た目も男前 【登場人物(第二弾の人たち)】 ▼四ノ宮 葵(しのみや あおい) 攻 ・マッサージ店の施術者のひとり。 ・店では年齢は下から二番目。経歴は店長の次に長い。敏腕。 ・顔と名前だけ中性的。愛想は人並み。 ・自覚済隠れS。仕事とプライベートは区別してる。はずだった。 ▼九重 柚葉(ここのえ ゆずは) 受 ・愛称『ココ』『ココさん』『ココちゃん』 ・名前だけ可愛い。性格は可愛くない。見た目も別に可愛くない。 ・理性が強め。隠れコミュ障。 ・無自覚ドM。乱れるときは乱れる 作品はすべて個人サイト(http://lyze.jp/nyanko03/)からの転載です。 徐々に移動していきたいと思いますが、作品数は個人サイトが一番多いです。 よろしくお願いいたします。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

処理中です...