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第19話 実力を隠す理由

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 実力を隠し始めたのはいつのことだっただろうか。

 正確には覚えていない。けれど朱音が引っ越してしまい、彼女と別れてすぐのことだった気がする。

 俺は昔から、人に褒められることが多かった。学校の勉強や運動でも、習い事でも。天才だとか神童だとか囃し立てられていた。

 俺はそれが嬉しくて、常に高みを目指すべく日々勉強や修行に打ち込んだ。特に、俺は姉に褒められるのが嬉しかった。

 俺には年の離れた一叶いちかという姉がいた。綺麗で、優しくて、俺は姉が大好きだった

 けれど俺はある夜、アレを見てしまった。

 その夜、俺は喉がかわいてしまい、飲み物を取りにリビングへと降りた。リビングには電気がついていた。

 不審に思い、扉を開けようとした俺の目に、信じられない光景が飛び込んできた。

 母が姉を正座させ、怒鳴りつけていた。おまえは無能だとか、落ちこぼれだとか、散々に罵倒していたのだ。

 姉は泣いていた。ひたすら許しを請うように、ごめんなさい、ごめんなさいと謝り続けていた。そんな姉の頬を、母は思い切り引っぱたいた。

 俺は吐きそうになった。胃液が逆流してくるのを感じる。

 ただでさえ心臓が握りつぶされるような感覚になっていた俺を、さらなる衝撃が襲った。

 母は言った。――

 俺は悟った。姉は、俺のせいで怒られているのだと。そして同時に思った。

 俺が、実力のない無能ならよかったのだと。

 さらには、酒に酔った父までもが母に便乗して姉を攻撃し始めた。背中を蹴りつけたりと、物を投げ続けたりと、暴力まで加え始めた。

 俺はリビングの扉を開け放ち、両親に殴りかかった。殺意が芽生えたのは生まれて初めてだった。

 しかしいくら武道を習っているとは言え、子どもの俺が大人2人の力に敵うはずもなく、リビングから引っ張り出されてしまったのだった。

 それからというもの、俺は夜眠ることができなくなった。リビングに行くと、たびたび姉が泣く声が聞こえてきた。俺はその度に自分の実力を呪った。

 そして、やがて決意した。

 実力のない、無能な落ちこぼれになろうと――

 いきなり成績が下がったら怪しまれるので、徐々に落としていった。あくまでも才覚が発揮されたのは幼少の頃だけ。そう思わせることだけに全力を尽くした。

 姉はそんな俺の真意に気付いていたのか、いつも言った。

 玲二はそのままでいいんだよ。玲二は何も悪くないんだから……と。

 姉はあんな酷い目にあっても、一切俺を責めなかったのだ。それどころか、いつも変わらず俺に優しく接してくれた。

 本当なら、こんな弟いなければよかったと思ってもおかしくないのに。

 そんな姉を見るうちに、俺の覚悟はさらに強固なものへと変わっていった。

 やがて、俺は誰から見ても明らかに無能な――最底辺の落ちこぼれになった。

 両親は俺に愛想を尽かせたようだった。相対的に姉の方が優秀になったので、彼らが姉を怒鳴りつけたり暴力を振ったりすることはなくなった。

 やがて俺は家から追い出され、都内に住んでいる叔母の家に押し付けられることになった。叔母は独身の綺麗な女性で、ちょっと変態だけど……俺を快く受け入れてくれた。

 むろん、学校が変わっても俺は徹底的に無能を演じ続けた。実は俺が優秀だということが明らかになり、両親に伝わってはいけないと思ったからだ。

 そしてそれは、今も続いている。

 最近、姉は家を出て自立したのだと聞いて安心した。けれど、俺はこれからも無能を演じ続けるだろう。

 今になって実力を明かしたら、今まで積み重ねてきたことがすべて嘘になってしまうから。

 逆に言えば、俺が無能を演じ続けている限りは『姉が俺よりも優秀だった』という虚構は真実になるのだから。

 だから俺は、この秘密を誰にも明かすことはない。

 姉が今もどこかで幸せに笑ってくれているならそれでいい。どれほど最底辺の落ちこぼれとバカにされようが、俺はなんとも思わない。

 いずれ真相は、俺が死ぬとき一緒に葬り去られるのだ――

 それが……俺が無能を演じ、実力を隠し続ける理由である。
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