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第13章 何も知らない子供に救いの手を

第342話 色々と考えさせられたようで

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 図書室を後にしたわたし達は、ネルちゃんの寝室を見せてもらった。
 女の子が六人で使っている部屋で年長の子からネルちゃんまで歳はばらばら、年上の子が年下の子の世話をしているらしい。

 広い部屋に大柄な成人男性でも十分眠れる大きさのベッドが六台置いてある。

「なんとも殺風景な部屋だな、立派な建物にそぐわない質素なベッドが六台も置いてあるではないか。」

 ここに来てザイヒト皇子が心無い言葉を吐いた。
 これでも、ネルちゃん達にとっては夢のような場所なのに。

「何がいけないの?
 こんな広い部屋なんだもの、ベッド六台くらい置いてもぜんぜん狭苦しくないじゃない。
 このベッドなんてネルには広すぎるくらいだよ。」

 幸いネルちゃんは、酷く貶されたとは感じていないようだ。気落ちしてなくてよかった。

「何がって、同じ部屋に他の者が寝ておったら落ち着いて眠れないだろうが。」

 ネルちゃんには個室という概念が無いようで、何のことか解らないと言った感じで答えた。

「ネルはずっとスラムの空き家でみんなと一緒に眠ってきたから、別に眠れないこと無いよ。
 この部屋は凄くきれいだし、虫もネズミも入ってこないし、雨や風も入ってこない、まるで夢みたいだよ。
 それに、悪い人がさらいに来ることがないから安心して眠れるよ。
 ネル、部屋で一人にされたら寂しくて逆に眠れないと思うな。」

 あまりに不憫なネルちゃんの言葉に思わずわたしの方が泣きたい気分になった。
 たしかに、ネルちゃん達が住んでいた空き家は廃屋と言ってもいいくらいで、扉や窓にガタがきて何とか雨が凌げるといったもの。
 しかも凄く臭ったし、はっきり言って病気にならないことの方が不思議なくらいだった。

 そんな中でネルちゃん達は身を寄せ合って生きてきたんだ、みんな一緒にいるのが当たり前だから個室なんて思いもよらないのだろう。
 だいたい、わたしがネルちゃんくらいの歳の時は毎晩おかあさんの内の誰かが必ず一緒に寝てくれていた。
 わたしも普通の家庭で育った訳ではないのではっきりとはいえないが、普通ならネルちゃんくらいの歳の子はお母さんと一緒に寝ているのだろう。
 
 今でもネルちゃんは時々他の子と一緒のベッド寝ることがあるそうだ、ベッドが広すぎてかえって落ち着かないんだって。
 そんな子に個室で一人で寝ろなんていったら不安で眠れないよね。


「そうか、スラムというのはそのような汚らしい場所であったのか。
 吾はスラムがそんなところだとは想像もできなかった。
 そなた、物心付く前からスラムにおったのだろう、よく無事であったものだ。」

 ザイヒト皇子は、周りの大人から孤児なんてものはスラムで勝手に育つと聞かされてそんなものだと思っていたらしい。
 そもそも、孤児というものに関心がなかったため、聞き流していたようだ。
 周りの大人からすれば、ザイヒト皇子には世の中には孤児という取るに足らない存在があるという事実だけを知っていれば良い程度で教えたのだろう。
 『黒の使徒』としては、孤児に気を配るような優しい王子に育ってもらっては困るのだから。


「汚い場所だったけどしょうがないじゃない、他に行く場所がなかったんだもん。
 ネル達が町に出て行くと汚いからスラムから出てくるなって言われるの。
 でも、ネル達は空き家を使わせてもらえたからまだ良い方なんだよ。
 スラムには道端で寝ている人がいっぱいるんだから。
 それにね、食べ物をくれる親切なおじさんから聞いたことがあるの。
 ネルが住んでいた町は冬でも暖かいからまだましなんだって。
 もっと寒いところにいる孤児は、冬を越せない子がいっぱいいるらしいよ。
 それにね、スラムのお姉ちゃん達がネルに優しくしてくれたから、そんなに嫌じゃなかったかな。」

 ザイヒト皇子はネルちゃんからスラムにはもっと大変な人がいると聞いて心底驚いたみたい。
 市井に人の暮らしには全く関心がなかったようなので、仕方がないと言えば仕方がないか…。

「そんなことを吾に教えてくれる者は今まで誰もおらなかった。
 第一、この学園でもスラムのことなど教えてくれないではないか。」

 まあ、ザイヒト皇子の周囲の人は『黒の使徒』の息のかかった人が多かっただろうしね。

「ああ、この国の社会の授業でスラムのことを教えないのはこの国にスラムがないからよ。
 この国の為政者は町にスラムが発生しないように気を配っているから。
 スラムは社会にとって百害あって一利なしなのよ。」

 わたしは、スラムが人材の浪費を生むこと、犯罪の温床になること、流行病の発生源になることをザイヒト皇子に分かりやすく噛み砕いて説明してあげた。

「なんということだ、吾はスラムというものは街に必ずあるものだと聞いていた。
 スラムは最下層の人間が住む所だと教えられてきた。
 市井の者はスラムを見てまだ自分より下がいることに安心するのだと、教えられてきたのだ。
 だから気にするほどのものではないと。」

 自分達の政治の失敗を棚に上げてなんていうことを子供に教えているんだ、本当にロクでもないな…。

 その後もザイヒト皇子はネルちゃんの話に熱心に耳を傾けていた。
 子供の話はちゃんと聞くんだ……。


    **********


 そして、子供達が心待ちにしている夕食、今日は孤児院を訪れたみんなも一緒に食事をとることにした。
 もちろん、孤児院の食費を圧迫したくないので食材費は出したよ、おまけに一人に一匹大きなエビの塩焼きと食後の果物にモモを差し入れしてみた。モモは今朝フェイさんに頼んで精霊の森に採りに行ってもらったんだ。

 子供達が一日の中で一番楽しみにしている時間に水を差したくないので、ザイヒト皇子には孤児院の食事には文句を言うなと釘を刺しておいたよ。
 これでも、子供達にとってはご馳走なんだから。


 そして、食事の時間、何が気に入ったのかネルちゃんはずっとわたしの隣にいる。

「孤児院のごはんはみんな美味しいけど、ネルはこのスープが一番好き。
 暖かくて体がポカポカしてくるの、ホワッて幸せな気持ちになるんだよ。」

 配膳された食事を前にしてネルちゃんが嬉しそうに言う。

「スープが温かい?スープというのは冷たいものではないのか?」

 はあ?何を言っているんだこいつ。
 わたしが怪訝そうに見ていることにも気付かずザイヒト皇子はスープを口にした。

「旨い……。
 帝国の皇子よりも孤児の方が旨いものを口にしているというのはどういうことだ。」

 単なる野菜と塩漬け肉のスープだよ。言っちゃ悪いけど予算が限られている中でお替り自由のスープだ、そんなに良いモノのはずがない。
 だいたい、寮の食事はもっと良いモノが出ているでしょうに。

「吾はスープがこんなに旨いものだとは知らなかったぞ。
 スープというのは冷たくてベタベタした油が浮いているものだと思っていた。」

 そんなはずはない。寮の食堂だって、学園の食堂だって熱々の出来立ての料理が出されているじゃない。
 わたしがそう思っていると、向かいの席に座ったハイジさんが話しに入ってきた。

「ええ、この孤児院のスープはとっても美味しいわ。少なくても帝国で私達が食べていたものより。
 私も学園に留学してきて寮の食事をいただいたとき、今のザイヒトのような反応をしましたの。」

 よくよく話を聞くと、ハイジさんやザイヒト皇子の方がそれこそ何十倍も高価な食事をしているらしいがどれも冷たいらしい。
 特に冷えると油が分離するような料理は最悪で、ベタベタして食べられた物ではないそうだ。
 どうやら、正式な晩餐以外は食事は各人の部屋で取るらしい、部屋に持ってくるまでに冷めかけた料理を更に侍女が毒見をしてから饗されるため食べるときには冷え切っているそうだ。
 肉を使ったスープや煮込み料理が顕著に美味しくないそうだ。寮の食事と比較して美味しいのは肉のローストや燻製のマスなど元々冷やして食べるようなものばかりだと言う。
 ちなみに、留学前は二人ともまだ幼かったため正式な晩餐に出席したことはなく、料理は冷たいものだと思っていたそうなの。

 ハイジさんは、朝夕は寮の食堂、昼は学園の食堂で食事を取るようにしたので、留学してからはずっと温かい食事を取っているみたいね。
 一方で、過保護な侍女がついていたザイヒト皇子は朝夕は自室で、昼はサロンで侍女が食堂から運んできた食事を食べていたらしい。勿論、侍女のの毒見の後で。
 結局、帝国にいたときと何も変わらなかった訳なの。いや、素材の質が落ちた分、悪くなったか。

「ザイヒト、あの侍女もいなくなったことだし、これからは食堂で食事を取ってみなさい。
 毎日美味しい食事が食べられるようになるわよ。」

 いつもはハイジさんのお説教をうんざりとした顔で聞いているザイヒト皇子だが、この時ばかりは目を輝かせて話を聞いていた。

 その後も、ザイヒト皇子は出された料理はどれも美味しいと言って食べていた。
 孤児院の料理を貶されるのではないかと思っていたわたしの心配は杞憂だったようで良かったよ。
 まあ、相手が冷めた料理だからね、たいていのモノは出来たての温かい料理の方が美味しいに決まっている。

 どれも美味しそうに食べるザイヒト皇子を見てネルちゃんも嬉しそうだ。

「ねえ、美味しいでしょう。」とか言っている。


 食事も終ってお暇する時間となったとき、ネルちゃんはわたしから離れようとしなかったが、また来ると言うと渋々離れてくれたの。そして、言ったの。

「約束だよ、ターニャお姉ちゃん、必ずまた来てね。
 そっちの黒いお兄ちゃんも、また来てね。」

 なんか、ザイヒト皇子はネルちゃんに気に入られたようだ…。
 ザイヒト皇子は何と答えたら言いかわからないようで、

「あ、ああ、またな……。」

 とだけ言っていた。


     **********


 王家の別荘に帰る魔導車の中でヴィクトーリアさんが尋ねてきた。

「どう、孤児院を見て帝国の何が悪いのか少しでも分かったかしら。」

「正直、吾が今まで教えられてきた事と違い過ぎて、何が正しくして、何が間違っているのか良くわかりません。
 ただ、今日チョロチョロとくっついて来た幼子が非常に優秀だということは分かりました。
 それにあの幼子が特別優秀な訳ではないことも、あの幼子が特別に優秀なのであれば別荘にいる二人の孤児のように特別な保護をされているはずですから。
 だとしたら、スラムに孤児を放置すると言うのは、この娘の言う通り社会の損失だということも。
 ただ、我が国の要である軍の予算を削ってまで孤児の保護をする方が良いかは分かりません。」

「そう、じゃあ、ケンフェンドにも相談してよく考えてみると良いわ。 
 あなたが自分の頭で物事を考えようと思ってくれただけでもここに連れてきたかいがあったわ。」

 頭を悩ますザイヒト皇子にそうアドバイスをしたヴィクトーリアさんは、満足そうな笑顔で皇子を見つめていた。

 まだ時間はあるからゆっくりと考えれば良いと思うよ。


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