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第12章 冬来たりなば
第276話 ノノちゃんの掌の上で踊らされた感じです
しおりを挟むどうやら、ナンシーさん、大分大変な状況に置かれているようです。
しかし、「お金に困っているのですか」などと、迂闊な聞き方をする事も出来ません。
ナンシーさんとて子爵家の令嬢、プライドというものがあるでしょうから。
その代わりと言っては何ですが、私はノノちゃんに水を向けることにしました。
「ねえ、ノノちゃん、今朝チラッと耳にしたのですけど。
マロニエの実って何に使うのかしら。」
「あっ、マロニエの実ですか。
私、あれを石鹸の代わりに使っているんです。
体を洗う時とかシャルロッテ様に頂いた上等な服を洗う時は石鹸を使っているのですが。
部屋着に使っている下働きの時に頂いたお仕着せを洗う時や普段の手洗いに石鹸を使うのは勿体なくて。
マロニエの実の中の部分、細かく砕いて少し水につけておくと、ヌルヌルした水が出来ます。
それで洗うと、軽く泡立って汚れが落ちるんです。
マロニエってこの国の街路樹に良く使われているんで、秋になると沢山拾えるんですよ。もちろんタダで。」
リーナから聞かされていました、ノノちゃんは色々な生活の知恵を身に付けていると。
これもその一つなのでしょう、ノノちゃんは得意気に答えてくれました。
「私、ノノちゃんがマロニエの実を拾っているの見かけて、同じ事を聞きました。
ちょうどその時、石鹸を切らしていて…。
恥ずかしながら、石鹸を購入するお金にも事欠いていたのです。
それで、石鹸の代わりになると教えてもらって、私も一緒に拾いました。
ノノちゃんの言葉通り石鹸の代わり使えたので、ずっとそれで体を洗っていました。
自分では沢山拾ったつもりでしたが、三ヶ月ほどで使い切ってしまって。
ここのところ、お湯に浸した布で体を拭くだけだったので、どうしても汚れを落とし切れなくて…。」
マロニエの実の話から、今朝の事を思い出したのでしょう。
言い訳をするように、ナンシーさんが会話に加わって来ました。
「お恥ずかしい話ですが、実家が大分傾いてまして。
ここ数か月、仕送りがありません。
幸い、学費は寮費や食費と共に一年分先払いですので、卒業まで在籍は出来ます。
それに、部屋と朝夕の食事もありますので、最低限は何とかなるのです。
ですが、先程の石鹸ではないですが、生活には細々としたモノも必要で何かとお金が掛かります。
冬休みの残り二週間の間に何かできる仕事はないかと探したのですが、短期間の仕事が無くて…。
いざとなったら夜の街角に立つしかないかなと覚悟を固めていました。
そんな時です、ノノちゃんが今回の仕事を紹介してくれました。
アルムハイム伯とノノちゃんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。」
さて、首尾よく会話に食わってきたナンシーさんですが、この後自然な流れで今の境遇について話してくださいました。
ナンシーさんの家は、古くから続く名門子爵家だそうです。
アルビオン王国の西部に大きな領地を抱え、小麦の生産で繁栄してきたとのことです。
ですが、三十年ほど前から王国東部で始まった農業技術の革新とそれに伴う農業経営の大規模化に乗り遅れたそうです。
急激に増加する小麦の生産量、それに伴う小麦の価格低下がナンシーさんの家を直撃したそうです。
東部地方のとある貴族の下で始められた革新的な農業経営は、大きな資本を投じた大規模な農場で進められたそうです。
それにより、小麦の生産量は飛躍的に増加することになりました。
生産量が急増すれば値崩れが起こる訳ですが、それが小麦の消費量も飛躍的に増加させることになります。
以前、モンテスターの町で、紡績工場で働く少年から耳にしました。
十歳程の少年が、少し働けば白くて柔らかいパンが食べられるようになると言って、一生懸命荷運びをしていました。
大規模工場で働く労働者層の収入の増加と小麦の価格低下によって、小麦のパンが身近なものになったのです。
従来、一般庶民階級の口にするパンは酸っぱくて硬いライ麦パンでした。
それが、少し頑張れば柔らかい小麦のパンが食べれるようになったのです。爆発的に需要が高まるのも頷けます。
さて、この現象ですが、大規模で生産性の高い農業経営だから成り立ちます。
小麦を安く大量に作れるからこそ、価格の低下に伴う利益の減少分を販売量の増加で補えるのです。
振り返って、ナンシーさんの子爵家は言うと、この大規模経営の波に完全に乗り遅れました。
アルビオン王国、島国と言ってもそこそこの広さがあります。
私のように、ヴァイスの引く馬車で一日何百マイルも移動できる訳でありません。
普通の馬車で移動できる距離は、精々三十マイル程度です。
王国東部で起こった農業の技術革新、その情報が王国西部のナンシーさんの家に伝播するにも時間が掛かるのです。
情報を入手しても、それが本当に有用な技術なのかを吟味するのだって時間を要するでしょう。
そうこうするうちに水をあけられてしまったそうです。
小麦価格の低下は、小麦の生産者である限り等しく享受することになります。
思うように生産性が上がらない中で、小麦価格の急落に直面した子爵家の屋台骨は一気に揺らいだそうです。
********
「もう、大分前から厳しい状況に置かれていたのですが。
ここ数か月、本当に厳しいようで仕送りが止まってしまったのです。
既に今年度の学費や寮費は払い込んでしまったので、何とか卒業したいとは思っているのですが。
石鹸やノートすら買えない状況では、学業を続けるのは難しいかなと考えていました。
でも、卒業さえできれば、貴族家の家庭教師をはじめ、良い働き口には事欠かないですから。
それこそ、いざとなったら、街角に立ってでも足掻いてみるつもりではあったのですが。
卒業まであと八ヶ月、この金貨十枚があれば何とかなるので助かりました。」
事情の説明をそんな風に締めくくったナンシーさん、心の底からホッとしている様子です。
「ナンシー先輩が学校を止めるかも知れないと聞いて、凄く寂しかったんです。
それに、ナンシー先輩はとても成績優秀なのに途中で止めちゃうのは勿体ないです。
学費だって払い込んじゃっているんですよ、勿体ないじゃないですか。
それで、シャルロッテ様から今日のお話を伺って、ナンシー先輩も一緒にと思ったんです。
夜の街角でボッと突っ立っているだけで、お金になるとは思えなかったですし。」
ノノちゃん、『夜の街角に立つ』という意味を理解していないようです。
ノノちゃんには何時までも、そのピュアな心を持ち続けて欲しいものです。
「あと、先日、シャルロッテ様から信頼できる人を探していると伺って。
ナンシー先輩はどうかなと思ったんです。
今日はナンシー先輩を紹介できる良い機会じゃないかと思いました。」
なるほど、今日のそつのない接客態度を見ても、ナンシーさんがかなり有能な方だと言うのは頷けます。
ノノちゃんの言う通りツバを付けておいても良いかも知れません。
「ねえ、ナンシーさん、卒業後の進路にあてはあるのかしら。
もし、ナンシーさんさえ良かったら、私のもとで働いてみない。
今、この王都に店を構える計画があるの。
なかなか良い人材がいないので困っていたのよ。
ナンシーさんはまだ若いので、卒業後すぐにお店を任せる訳にはいかないと思うけど。
将来的にはそう言う事もあると思います。
もし、私の所に来てくれるのなら、卒業までの生活に必要な物は私が支援しますわ。
その金貨だけでは心許ないでしょう。
それに、衣服も一通りそろえた方が良いわね。どうかしら。」
私はノノちゃんの提案に乗って、ナンシーさんを勧誘して見ることにしました。
「今の女学校を卒業する際には、希望すれば学校の方で良い働き先を紹介してくださる制度になってはいます。
ですが、現時点で特に当てがある訳ではございません。
アルムハイム伯のお話は常々ノノちゃんから伺っております。
アルム地方の振興に尽力されている方で、先進的な事業を幾つも営んでいると。
今日の時計を拝見して、その一端が伺えました。
一日に二十秒しか狂わない精度に加え、あの繊細な意匠、とてもマネできるものではないと思いました。
私のような者でお役に立てるのであれば、是非ともお世話になりたいと存じます。」
ナンシーさんは私の勧誘を受け入れると、礼儀正しく頭を下げました。
ノノちゃんの思惑通りになってしまったようですが、私は新しい仲間を一人獲得したのです。
「そう、じゃあ、決まりね。
卒業したら私のもとで働いてくださいね。
今月から卒業まで、細々としたものを購入するための費用として毎月金貨二枚を支給するわ。
これは、ノノちゃんと同じ条件よ。月に一回、ノノちゃんと一緒に受け取りに来て。
それから、明日から学校がお休みの間、ここに来てもらえるかしら。
手伝ってもらいたい仕事もあるし、私の事で色々と知っておいて欲しい事があるの。
少しだけど、毎日、日当をお支払いするわ。」
雇うからには、魔法の事や精霊の事など、知っておいてもらわないといけない事がありますからね。
まあ、手伝ってもらいたい仕事があると言うのは、お小遣いを渡すための方便ですけど。
日当だと言わないと、気真面目なナンシーさんは受け取ろうとしないでしょうから。
取り敢えず、明日は早々に服を仕立てに行きましょうか、仕立てには時間が掛かりますから。
ついでに買い物も済ませてしまった方が良いですね。
石鹸だけではなく、色々と不足している様子ですし。
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