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第10章 動き出す時間

第223話 行商人がやって来る季節です

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 そんな感じで、工房の仕事も大分軌道に乗ってきた初夏の事、例によって行商のハンスさんがやって来ました。
 この時期、途中の山岳部に積もった雪もすっかり溶けて、やっとここと帝都を結ぶ街道を自由に往来できるようになります。
 帝都からはるばるやって来るハンスさんは、今年最初の来訪です。

「姫様、ご無沙汰しております。ほぼ、半年振りですね。
 陛下に伺いましたよ、今年は雪解け前からご活躍のようで。
 陛下は、姫様と過ごされた休日がとても嬉しかったご様子です。
 それはもう、耳にタコができるくらいに、何度も話を聞かされ辟易としています。」

 ハンスさん、行商人に身をやつしていますが、本当は帝国が私の一族を監視するために遣わした諜報員なのです。
 聖教を国教と掲げる帝国が、『魔女』の一族である私の家を野放しには出来ないという建前があるからです。
 そうでなければ、一介の行商人が帝国の皇帝に簡単に会えるはずがありません。
 ハンスさんは、皇帝直属となっているようで、おじいさまと会う機会は多いようです。

 行商人として実際に物を運んで来てくれるハンスさんは、人里離れた僻地に住む私には有り難い存在なのです。

「で、姫様、昨年の冬前にお預かりした懐中時計百個ですけど、瞬く間に完売しました。
 やはり、皇帝陛下があちこちで自慢していたのが追い風でしたね。
 皇帝お気に入りの工房で作られた時計という事で、我先にと買い手が付きましたよ。
 でも、申し訳ないですね、三割も手数料を頂いてしまって。
 これだと、帝国の諜報員をしているより、本当に商人になってしまった方が実入りが良いくらいですよ。」

 そう言って、ハンスさんは時計百個の売上代金、金貨三千枚からハンスさんの取り分を引いた分を差し出してきました。
 実際の金貨百枚と私の指定する口座に預け入れた金貨二千枚分の預かり証です。
 金貨二千百枚も持ってこられても、邪魔ですもの。

「それは、良かったです。
 今後の販売見通しは如何ですか?
 冬場に作り溜めた時計が八百個ほどありますが、どのくらいお持ちになりますか?
 全部お持ちになられても良いですよ、手数料は前回と同じ三割という事で。」

「えっ、それ全部お預かりしてもよろしいのですか?
 幾らでも売るあてはありますが、それでは私が儲け過ぎになりますよ。」

「ええ、今だけですから、儲けておいてください。
 ゆくゆくは、帝都とアルビオンの王都には直営店を出したいと考えています。
 そしたら、ハンスさんはお払い箱ですね。
 ですが、それは大分先の話になると思います。
 今のところはお任せできる人物がいないのです。
 単価の高い物ですし、貴族の方くらいしか買う人がいないでしょう。
 私には帝国貴族にツテなどありませんからね。
 ハンスさんのツテだけが頼りなのですよ。」

「アハハ!
 私だって、そんな甘い汁がいつまでも吸えるなんて期待はしていませんよ。
 では、お言葉に甘えて八百個全部預からせて頂くことにしましょうか。
 次回伺う時までには完売して見せますので、期待しておいてください。」

 そう言って、ハンスさんは今在庫として持っている懐中時計全ての販売を引き受けてくれました。
 「これじゃあ、本当に諜報員として貰う手当より商売の利益の方が大きくなっちまう」との呟きが聞こえてきました。

 とはいえ、一つ釘を刺しておかないといけません。

「ハンスさん、最初に言ってあるので覚えていると思いますが。
 くれぐれも、私の工房の時計が軍隊、特にプルーシャ王国の軍隊の手に渡らないようにしてくださいね。
 アルビオン王国と交わした契約の事ももちろんございますが…。
 私個人としても、私の工房の製品が戦争の道具に使われるのは気分が悪いですので。」

「はい、勿論それは承知しています。
 私も、懇意にしている貴族の家にしか声を掛けないので安心してください。
 プルーシャの連中ですが、どこで嗅ぎ付けたのか時計を全部売れとか言ってきましたが。
 ちゃんと撥ねつけてましたから、ご安心ください。」

 やはり、プルーシャ王国の連中は時計を手に入れることを諦めてはいませんでしたか。
 もう少し警戒を続ける必要がありますかね。

     **********

「ところで姫様、ここまで来る途中の街で耳にしたのですが。
 最近、セルベチアのあちこちで軍の施設で火災が起こっているそうです。
 ご存じですか?」

 ハンスさんは、ニコニコと笑いながら私に問い掛けてきました。
 ああ、これは多分私の仕業だと予想している顔ですね。
 クラーシュバルツ王国の王都アルトブルクがセルベチア軍に襲撃されたのは周辺国に周知のこととなっています。
 王妃の国葬の案内を出したのですから。

 国葬の中で、クラーシュバルツ王国はセルベチアの暴挙を強く非難しました。
 一方で、クラーシュバルツは、こう公表したのです。
 人道主義の立場から、王都を襲撃したセルベチア兵を一人も害することなく解放したと。

 人道主義とはよく言ったわと思わず吹き出しそうになりました。
 拘束しておく場所が無いから全員銃殺してしまおうかと言っていた人が…。

 まっ、それはともかく、『一人も害することなく』と言ったのです。
 それに気づいた人は思った事でしょう、『どうやって』と。

 夜陰に乗じて、無警戒な王宮を襲撃したセルベチア兵、王妃と二人の王子を殺害するほどの成果を上げたのです。
 その兵達が、その晩のうちに制圧された?それも全員が生きたまま?

 よくよく考えると不自然なことこの上ないです。
 
 その情報はアルトブルクにいた帝国の諜報員の耳にも入りました。
 それが、仲間内を伝わってハンスさんの耳にも届いたようです。
 きっと、私が関与していると予想したのでしょう。

「それは、初耳ですわ。
 詳しく教えて頂けるかしら。」

「それが、最初に発生したのはクラーシュバルツ王国との国境に近いセルベチアの軍施設なんです。
 その日、クラーシュバルツ王国から解放された兵士達が補給に立ち寄ったのが目撃されています。
 そこで、夜、武器庫と火薬庫で火災が起こったようです。
 もの凄い爆音が響いたらしいですから。
 その日以降、その軍施設からセルベチアの内部に向かって遠ざかるように各地で火災が起こっているのです。
 しかも、共通しているのは、どうやら火災が発生しているのは火薬庫、武器庫らしいのです。
 姫様、何かご存じありませんか?」

「あら、なにかしら?」

「またまた、とぼけちゃって。
 使ったんでしょう、あの魔法を。
 だいたい、姫様にしか出来ないでしょうが。
 襲撃してきた敵兵を一夜のうちに鎮圧、しかも、一兵も殺さずになんて芸当は。
 私、覚えていますよ。
 姫様が雪解けの頃にクラーシュバルツ王国に行く用事があると言っていたこと。」

「良く覚えていたわね。
 でも、公式にはクラーシュバルツ王国の人達で対処したことになっているわ。
 私が関与したことをバラしたらダメよ。」

 私は、ハンスさんに口止めをした後、あの襲撃があった晩のことを詳しく説明しました。
 少しセルベチアの戦意をそいでやろうと思い、セルベチア兵に武器庫、火薬庫を焼き払えと命令したことも。

「やはり、姫様の仕業でしたか。
 分かっています、絶対に他言はしませんとも、一人を除いて。」

 他言しているではないですか…。
 一人に言ったら、絶対に他言しないとは言えないと思います…。

「皇帝陛下への報告はお許しください。
 陛下は、姫様のご活躍をお喜びになることでしょう。
 現状は姫様の目論見通りに事が運んでいますよ。
 セルベチアは各地に蓄えた武器弾薬が焼失しててんやわんやです。
 各地で火災が発生して以降、新たな国外へ侵攻は行われていません。」

 どうやら、アルトブルクで解放したセルベチア兵達は、言われた通りの働きをしているようです。
 あの命令は一生モノなので、あの兵士達が生きている間はセルベチア軍の武器庫、弾薬庫に火を点けて回ることになるでしょう。
 それが、四千人もいます。これからが楽しみです。

 これで、セルベチア皇帝の野望を打ち砕ければ良いのですが。

     **********

 その後ハンスさんは、懐中時計八百個を荷馬車に積んで帰っていきました。

 そうそう、帰り際に面白いアドバイスをくれました。

「この時計ですが、大変評判が良いのですが。
 現状、非常にシンプルな外観で実用重視なのですよね。
 ゴテゴテとした装飾が無いのが、かえって男性や年配のご婦人には受けてはいますが。
 若いご婦人の多くから、もっと装飾が派手で、アクセサリーとして持てるモノが欲しいとの要望を聞かされています。
 皇帝陛下お気に入りの高性能時計を持ちたいけど、外見がイマイチと考えているご婦人が多くいそうなのです。
 次回こちらにお邪魔するまでに少し検討して頂けませんか。
 上手くいけば、若いご婦人方の必須のアイテムになるかも知れませんよ。」

 指摘の通り、性能を重視する余り、装飾性は二の次になっていました。
 私はさっそくジョンさんに相談してみることにしました。

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