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第9章 雪解け
第217話【閑話】ある男の金策
しおりを挟む「何だって?金がないだと?」
余は、失われた海軍力の回復を急ぐようにと指示を飛ばしたのだが…。
宰相から帰ってきた言葉は、『お金がありません。』の一言であった。
余は耳を疑って、宰相に問い返したのだが。
「はい、今年度の海軍予算はすでに底をついております。
これから、新しい戦列艦を建造するなどとても無理でございます。
それ以前に、軍そのものの予算が切迫しているのです。
あの軍港には海軍、陸軍の集結した部隊を維持をするための多額の資金が集められていました。
それが全て失われたのです。
作戦が中止になったからといって、養うべき兵士の数が減る訳ではないのです。
軍の幹部たちは、今の軍勢をどうやって維持していくかに頭を悩ませています。」
そうなのだ。
この事件で一番の損失は、多額の資金と長い時間を投じて築き上げた、海軍の軍艦が多数失われた事だ。
だが、直ちに困ったのはそれよりも、司令部に保管されていた多額の軍資金が消えてしまった事の方だった。
今回の不可思議な事件、幸いなことにと言って良いのか、人命は一つも失われなかった。
という事はだ、…。
集結した十五万人にも及ぶ兵員を養わなければならないのだが。
そのための資金が消えてしまったのだ。
おまけに、兵士達が個人的に持っていた私的な金銭まで消えてしまった。
これでは兵員達が飢えてしまう。
作戦を中止しても、兵員たちを元いた駐屯地に帰すための移動費すらない有様だった。
軍港に蓄えられた糧秣が尽きる前に、資金と追加の食糧を送るため、軍の幹部連中は四苦八苦することになったのだ。
いったい何が何やら、分からないことだらけである。
軍資金は、到底動かすことなど出来ないと思われる大きな鉄製の金庫に保管されていたという。
それが、全て消えてしまったのだ、動かせないはずの鉄製の金庫ごと…。
そう、失われた命は一つもないと言ったが、正確には生死不明の者が一名いる。
それは、余が最も信頼する腹心の一人で、今回の作戦の総司令官を命じた元帥、レンヌだ。
司令部で作戦会議中だった首脳陣の中で奴だけが忽然と姿を消してしまったのだ。
会議に参加した他の連中が目を覚ました時にはレンヌ元帥の姿は無かったという。
この事件、唯一姿をくらましたレンヌ元帥の仕業だなどという者もいるが…。
余はそうは思っていない。
別にレンヌをそこまで信用している訳ではない。
単に、奴が一度に十五万にも及ぶ兵員を眠らせることが出来る訳がないというだけの事だ。
奴を疑ってかかるより、奴が何者かによって連れ去られたという方がよっぽどありうることだ。
彼の軍港では、レンヌ元帥はセイレーンに魅入られて連れて行かれたと噂されているらしい。
また、セイレーンか、世迷言もいい加減にして欲しいわ。
しかし、この事件は不思議なことだらけだ。
物盗りの仕業だとすれば、なんで厨房の鍋釜やカラトリー迄持って行ったのだ?
まったく、意味不明だ…。
余が事件の報告書を読みながら、首を傾げていると。
バタバタと廊下を走る音が聞こえてきて、乱暴に余の執務室のドアが開け放たれた。
誰だ、そんな礼儀知らずは?
銃殺刑にでもしてくれようかと、ドアの方を見ると。
そこで、息を切らしていたのは…。
例の軍幹部であった、伝令係をしていると思しき男。
余が、最近一番見たくないと思っている顔だ。
この男が悪い訳ではないと頭では理解している。
でもな、この男が持ってくる知らせはロクでもない事ばかりなのだ、
「貴様はノックくらいできないのか。
子供でもそのくらいはきちんとできるぞ。
なんなら、エコールからやり直して来るか?」
余が一言苦言を呈すると、奴はそれどころではないという顔をして言いおった。
「陛下、大変です。
アルビオン王国が帝国と同盟を締結すると共に、我が国に宣戦布告を通告してきました。」
やはり、ロクでもない知らせであった…。
アルビオン王国の方から我が国に宣戦布告があるとは思いもしなかった。
彼の国は、大陸の事に不干渉を貫くと思っていたのに。
しかも、帝国と同盟を結んだ?
いつの間にそんな交渉をしていたのだ。
余は報告を受けていないぞ。我が国の諜報部は能無しばかりなのか?
同盟と宣戦布告、このことは広くアルビオン国民に告知されたという、その理由も添えて。
その理由と言うのが、笑えないものだった。
余が計画していた十四万の軍勢で急襲する作戦の内容が詳細に語られ、それに備えるものだと言うのだ。
情報、筒抜けではないか…。
しかも、アルビオン王国を支配下に置くまで戦い続けるという、余の檄文の内容まで知られているし…。
彼我の情報収集力の差に余は呆然としてしまったぞ。
**********
アルビオン王国から宣戦布告をされたと言っても、彼の国が我が国に攻め込んでくるとは考え難い。
彼の国の得意な戦術からすると、強力な海軍力で海上封鎖をして、我が国を干上がらせる作戦であろう。
場合によっては、艦砲射撃によって、軍港や一般港湾施設の破壊くらいはされるやも知れんが。
ともかく、アルビオン王国による海上封鎖は断固阻止しないといけない。
そのため、余は戦列艦をはじめとする軍艦の補充を大至急行うように命じたのだ。
それを命じた時、宰相から返ってきたのが、最初の『お金がありません。』の一言だったのだ。
「何とかならんか、アルビオン王国に海上封鎖などされたら我が国は干上がってしまうぞ。
我が国だって植民地はあるのだ、植民地に依存している物資があるのだぞ。
それ以外だって、近隣友好国との海上貿易があるのだ。」
「そんなことを申されても、聡明な陛下であればご存じでしょうが。
戦列艦一隻造るのにどれだけの予算が必要かを。
今年は既に十隻の戦列艦を建造中です。
これ以上建造するのは不可能です。
それとも、増税でも致しますか?」
「それだ!
増税をして海軍力の再構築に資金を充てるのだ!」
「そうですか…。
釈迦に説法かとは思いますが、…。
陛下は我が国の王制がなぜ打倒されたかはご存じであられましょう。
原因は色々あり、一言では言えませんが。
贅沢三昧で国費を無駄遣いした王侯貴族が、その行いを改めようともせず増税を行ったことも原因の一つです。
民にとっては、王侯貴族が無駄遣いをした結果であっても、軍費に充てるモノであっても増税は増税ですよ。
陛下の計画する海軍力の再構築、これを指示された期間で行うとなると。
半端ではない増税が必要になりますぞ、それこそ民がパンを買うお金に困るくらいに。
なんなら、陛下も言ってみますか?
『パンが無いなら、ブリオーシュでも食べれば良いではないか』と。」
なんだ、それは余に断頭台に上れと言うのか…。
余は、宰相にきつい嫌味を言われて、増税を諦めることになった。
だが、何とかして海軍を再構築しないと、我が国は干上がってしまう。
宰相と時間をかけて検討した結果、決まったのは戦線の一時縮小であった。
帝国領内深くに侵攻している陸軍を一旦引かせることにより軍費を節約しようと言うのだ。
敵国に侵攻するのは多額の費用が掛かるからな。
一旦、兵を駐屯地に引き上げさせて、浮いた軍費を軍艦の建造に回そうと宰相は言う。
これで、戦列艦数隻を追加で建造できるだろうと。
数隻では焼け石に水である気もするが、無いよりはましであろう。
どのみち、アルビオン王国の参戦によって、彼の国に対する備えをせねばならん。
アルビオン王国が帝国と同盟を結んだ以上、現在の様に帝国方面に戦力を集中的に投入する訳には行かない。
幾ら陸軍が弱かろうが、我が国の軍が帝国へ攻め入っている背後を突かれたらシャレにならんからな。
アルビオン王国侵攻のために集結した十四万の軍勢があるが、武器弾薬を全て失って丸腰の状態になっている。
その武器弾薬を補充する資金すらままならない状況に置かれているのだ。
一旦、出兵している軍勢を国内に戻して再配置する必要があるのは確かではある。
宰相は、軍費を節約できて一石二鳥だろうなどと言うが…。
現状、帝国との戦いは我が国が優勢なのだ、勝っている戦を退くなど無念なことこの上ない。
余は戦に関して連戦連勝である、勝てない戦は無いとすら思っていた。
でも、金欠には勝てなかったよ…。
この時初めて余は思い知らされたのだ。…金がないと戦ができないという事を。
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