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第6章 異国の地を旅します
第116話 何とも不思議な町でした
しおりを挟む翌朝、約束通り町の案内をするために私達の部屋を訪れたオークレフトさんにリーナが確認します。
「出来れば馬車の窓からではなく、歩いてこの町を見てみたいのですが。
この町ではそれが可能ですか?」
リーナにトンチンカンな事を尋ねられたオークレフトさんは言葉の意図を汲み取れずに困惑した様子です。
「もちろん、徒歩でご案内することも可能ですが…。
昨日に暴徒を見て治安の心配をなされているのですか。
確かに、最近は治安の悪化が見られますが、昼間の大通りを歩けないほど物騒な町ではありませんよ。」
「いえ、治安の心配ではなく…、その、…。
汚物が建物の上階から降ってくることはございませんか?
王都では、王宮周辺くらいしか頭上を気にせずに歩くことは出来ないと伺ったのですが…。」
尾籠な言葉をあまり口にしたくないリーナは言い淀みましたが、何とか言葉を選んで質問の意図を伝えます。
「ああ、王都で何方かに注意を受けたのですね。
安心してください、裏路地に入り込まない限りは、その心配はございません。
王都の不潔さは異常ですよね、僕も今の工房に就職して王都に住んで驚きました。」
オークレフトさんの話では、この町は王都ほど人口が密集していないので、高層のアパートメントは存在しないそうです。
確かに、部屋の窓から見渡す限り三階建以上の建物はほとんど見当たりません。
また、表通りに面した建物は昔からの住人が住んでいる建物が殆どで、好んで自分の家の軒先を汚す者はいないと言います。
とはいえ、人口が流入している町です。
町の裏路地に面した場所では一つの建物を複数の人に安く部屋貸ししている物があるそうです。
そうした建物の二階、三階の住人の中には窓から汚物を捨てる横着者がいるようです。
「ですので、表通りを歩く限りは頭上に注意を払う必要はありませんし、悪臭がするという事もありません。」
オークレフトさんが自信満々に言うので、私達は街を歩いて回ることにしました。
**********
ホテルを出て正面の目抜き通り、私は昨晩一つ面白いモノを目にしたので尋ねてみました。
「昨日の夕方、ホテルの窓から外を眺めていましたの。
辺りが暗くなり始めると、この大通り沿いに二十ヤードくらいの間隔で明かりがともりました。
とても驚きましたわ。
あれは何ですの?青白い光がとてもきれいでしたが…。」
「さっそく、あれに関心を持たれましたか。
中々目敏いですね。
あれはこの国で初めて実用化されたガス燈と言うものです。
ちょうどここに立っているこれがそうですね。
まだ、この町にしかないのですよ。」
オークレフトさんは道の脇に立っている鉄の柱に手を添えて言いました。
高さが五ヤードほどの鉄柱の先にはガラスでできたランプのような物が付いています。
「ガス燈ですか。
道がとても明るく照らされていて、夜道を歩くのも心細くなくて良いですね。
早く広まると良いですわ、特に女性の方に喜ばれると思います。」
「ええ、おっしゃる通りです。
ガス燈が設置されてからこの界隈の治安が改善したと言われています。
夜陰に塗れてひったくりを働く者や婦女子にけしからん行いをする者、更には暗がりから家に侵入する泥棒が減ったそうです。
とても素晴らしい発明だと僕も思っています。」
そう言えば、滞在しているホテルはまだロウソクを照明に使っていました。
ガス燈というのは、本当にまだ開発されたばかりなのでしょうね、きっと。
「部屋の中の照明も早くローソクからガス燈に変われば良いですわね。
ローソクよりも格段に明るいようですし。」
「さすが、シャルロッテ様は分っていらっしゃる。
わざわざ、この町まで視察に来られただけの事はありますね。
僕もこんな素晴らしい発明は速やかに広げるべきだと思います。
たまに爆発するくらいどうってことありませんよね。」
「はい?」
私は思わず聞き返してしまいました。
この人、今サラリと、聞き捨てならないことを言いましたよ。
「このガス燈、点火不良を起こして火が付かなかった時にガラスの中にガスが充満して…。
次に火を点けようとしたときに爆発することがあるんですよ。
いえ、本当に稀にしか起こりませんよ、ごくたまにです。
なのに頭の固い政府の連中は、もう少し安全性が高くなるまで早急な普及は控えるように言うのです。
特に室内照明に用いるのは控えるようにと煩いのです。
確かに室内に充満したガスに火が付くと部屋は粉々に吹き飛ぶかもしれませんよ。
でも、ガスが充満した時点で室内にいる人はガス中毒で絶命しているのに誰が火を点けるのですか。
爆発事故なんてそう起こるモノじゃないですよ。
安全性なんてものは使っている間に良い案が浮かぶもんです。」
ダメダメではないですか、そんな危ないもの使える訳ないでしょうに。
そもそも、絶命するって何ですか…。
「オークレフトさん、もしかしてそのガスって有毒なのですか?」
「はい、今ガス燈に使われているのは、石炭を蒸し焼きにしてコークスを作る時に発生するガスなのですが。
人体には極めて有害です、ですがそんなのは些細なことです。
だって、良く燃えるのですよ、捨てたら勿体ないじゃないですか。
こうして、光源として用いることできますし、他にも色々な用途に使われているのですよ。」
この人、機械いじりが趣味と言っていましたが、実のところ機械そのものよりも技術に関心があるようです。
新しい技術の発展のためには、多少の人的損害はやむを得ないと思っている節があります。
人付き合いが苦手と言っていましたが、倫理観にとても問題があるような気がしてきました。
**********
さて、オークレフトさんの言葉に呆れながらも街中を歩いてると、気になるモノが目に付きました。
イヤに派手な服装をした女性が街角の彼方此方に立っているのです。
今は、朝の八時、こんな朝早くからそんなに着飾って何処へ行くのでしょうか。
するとその中の一人の女性がこちらの方に歩いてきました。
年の頃は十七、八でしょうか、私より少し年上に見えますが…。
背中の大きく開いた真っ赤なドレスを着たその女性は、私達の対面から歩いて来た若い男性の袖を引いて言いました。
「お兄さん、夜勤明けだろう。
これからアタシと良いことしないかい、昼までなら銀貨五枚でいいよ。
一人寝が寂しければ、次の出勤時間まで銀貨十枚で添い寝してあげるよ。」
話には聞いたことがありますが、実際に客を引いているところは初めて目にしました。
私は思わず、アリィシャちゃんの耳を塞いで、後ろを向かせました。
子供の教育に悪いです。
いきなり袖を引かれた男性は、声を掛けられた時は驚いていました。
ですが、女性の話を聞くうちに鼻の下を伸ばし、時間と価格の交渉を始めたのです。
結局夕方まで銀貨七枚で交渉が成立すると、二人は仲良く腕を組んで私達の横を通り過ぎて行きました。
リーナは呆気にとられて声を失っていました。お姫様には刺激が強いお話だったようです。
「ええっと、あれって街娼っていうお仕事のご婦人ですわよね。
ああいったご商売というのは、夜なされるものではないのですか。
少なくとも、朝も早くからなされるお仕事ではない気がするのですが…。」
「ああ、あれは紡績工場の夜勤明けの工員を狙っているのですね。
さっきの青年は、昨日の夕方六時から今朝の六時まで仕事をしていたのでしょう。
見たところ、恐らく独身なので家に帰っても食事がないのだと思います。
どこかの定食屋か屋台で朝食をとって、これから帰って眠る所だったのだと思います。
彼ら、夜勤組にとっては今からが夜のようなものなんですよ。
それが分かっているから、夜勤明けの工員を待ち構えている娼婦もいるのです。」
「夜勤ですか?あの方、今仕事帰りなのですか?」
「そうですよ。紡績工場は二十四時間操業です。
紡錘の取り換え、材料の投入といった作業をしてあげれば自動で糸を紡いでくれるのです。
動かし続けないと損じゃないですか。
機械と違って人は休まないと倒れますので、二直体制の十二時間労働になっています。
朝六時から夕方六時までの昼勤と夕方六時から朝六時までの夜勤という体制を敷いている工場が大部分です。」
なんと、昼夜が完全に逆転してしまっている人達がこの町にはいるようです。
それって、健康に問題がないのでしょうか。
でも、…。
「この国でも街娼は違法ですよね。
たしか、役場に届け出をして営業許可を受けた娼館でしかお客を取れないと聞いたことがあります。
なのに、こんな朝早くから、あんなにもたくさんの街娼が堂々と客引きをしているのはおかしいのでは。」
「それこそ、誰が取り締まるのですか?こんな朝早くから。
この町の警邏隊の勤務時間は揉め事の多い昼前から夜中まで。
警邏隊の皆さんは今頃疲れてぐっすりお休みです。
警邏隊の皆さんが取り締まりを始める頃には、街娼の女性は姿を消していますよ。
それに、あの街娼の女性たちはある意味必要悪だと思います。
さっきの青年を見ておわかりでしょうが、夜勤の工員は殆どが未婚の若い男です。
そうでなければ、週六日の夜勤なんて体力的に続きませんよ。
この町の工場を二十四時間動かすために何人の独身男性が雇われていると思います?
色々と持て余した若い男が地元の素人娘を襲ったら困るでしょう。
だから、この町の人達も見て見ぬふりをしているのです。」
オークレフトさんがそう言った途端、リーナとカーラがアリィシャちゃんを伴って、オークレフトさんから一歩引きました。
ああ、この人も色々と持て余した若い男のカテゴリーに入るのですね。
技術マニアで女性には興味なさそうに見えますけど…。
町の視察を始めていきなりカルチャーショックに遭遇しました。
二十四時間動き続ける工場に、昼夜逆転で働き続ける人、それに朝からお客を引く街娼の女性。
いったい、この町は何なのでしょう。
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