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第44話 「花火はじまるまで」

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 花火大会に行こう、という約束はすぐ叶うことになった。
 丁度大学の近くで、花火大会のあるお祭りが開催される。そんなに大きなものではないけれど、出店もでているし、十分だった。

 花火大会当日、昼間バイトがなかったので、先に先輩の家にいって時間をつぶす予定だった。
 だから、まだ昼の青空が晴れ渡っている中、先輩の部屋にむかって歩いている。そんな最中、昨夜、電話越しにいわれた言葉を思い出す。

「やっとコーヨーとデートできるな」

 デート。青葉先輩と、デート。

 その単語の羅列が自分の身に起きることだと、いまだに思えなかった。
 恋人、という立場になってから先輩の家に行ったこともあるし、キス、だとか、それ以上のことだってしている。
 
 それでも、外に、二人で出かけるというのは。
 しかもそれが夏祭りとか。
 なんか、そんな、明らかに恋人、みたいな、こと。

 そんな風に現実味のないまま、先輩の部屋を訪れて。

「花火はじまるまで結構時間あるな。なんかする?」

 先輩に問われても、いまだに意識は現実に戻ってきていなくて。ふわふわした気分で「なんでもいいですよ」と答えて。「そういえば、教えてもらったゲームでわかんないとこあったんだよな」というから、先輩のスマホを借りて画面を見ながら教えることになって。
 そこまでは、いいんだけど。

「あーここ、こっから先のとこわかんなくって」

 ベッドの上で、先輩は枕にもたれるように座っている。何でベッドの上なのかと思うけど、まだそこはいい。
 ただ、僕はその足の間に後ろ向きに座らされている。
 先輩は背後から手元のスマホをのぞきこみながら、手は僕のお腹に回している。背後から抱きしめられているみたいな形で、背中に先輩の体温が布越しに伝わってくる。

 ものすごく自然に誘導されてこの格好になったけど。ベッドの上で、後ろ向きと言えども、ほとんど抱きしめられるようにくっついて座っているこの状態。なんでこんなことになったんだ、と疑問が浮かんで、正直ゲームどころじゃない。
 だけど今更、なんでこんな格好してるんですか、と指摘するタイミングでもなくて。
 先輩はいつも通りの自然な声音で話しかけてくる。

「これがさー、どうしてもうまくとれなくって」
「えーっと……今の進み具合だと、たしかに、難しいかもしれません、ね」
「まじか。どうしたらいい?」
「先に、別のエリアのところをクリアして……」

 ぐるぐるした頭で、ゲームを操作する指を動かす。背中の体温と、耳元の声と吐息に惑わされて、その指の動きはひどく不器用だった。
 後ろから先輩がのぞき込むせいで、肩に先輩の顎が乗っかっている。首に先輩の髪が触れてくすぐったい。

 いままでの人生で、ゲームをしている時、こんなに緊張したことがあったろうか。いや、絶対にない。
 上手く言葉を紡げなくて、とりあえずゲームのほうに集中して、緊張を誤魔化そうとする。

 した、のだけど。

 ちゅ、と小さい音が、耳の下で鳴る。

「……っ」

 続けて何度も、ちゅっちゅっと、子どもみたいなキスを、首筋に落とされる。
 特に何も言われていないし、夜には花火大会があるから、必要はないと思いつつ、一応シャワーは浴びてきた。だから汚くはない。
 だとしても、それで、今されていることに安心する理由にはならなくて。

「ぁっ…」

 かぷりと耳たぶを噛まれる。びくっと反応して、思わずスマホを落としそうになる。
 耳たぶを食んだ唇はそのまま、耳朶の輪郭に沿って舌が舐め上げる。ピアスのキャッチを転がすように舐められて、耳裏にキスをされる。

 ぞわぞわと、食まれたところから、熱が侵蝕していく。

 うなじを甘噛みされて、軽く吸われて。はじめはお遊びたいな軽いものだったのに、今は確かに水気を含んだ、湿度の濃い戯れになっている。

 なにより、うなじを噛まれると、まるでスイッチがはいったみたいに、身体の感覚が切り替わる。
 些細な接触すら敏感に感じ取ってしまう。
 その刺激を、先輩に教えられたから。

 前に回っていた手が動く。大きな手が布越しに腹筋から肋骨をなぞって、胸元にある小さくとがっているものをつまむ。

「んっ!」

 もう完全にゲームどころじゃなかった。心臓が早鐘打って、血流が激しくなる。
 指先で布ごと挟むようにつまれて、コリコリといじられてたまらず声が漏れ出た。
 口をおさえたい。けど先輩のスマホだから落とすわけにもいかないし。ぷるぷる震える腕でいまだにスマホを持ったまま、どうしたらいいかわからないで、されるがままになっている。
 つまれた先端をいじられるたびに、弱くて甘い刺激が襲う。それは外側からの刺激なのに、一度身体に教えられたものが内側から呼びおこされて、どんどん敏感になっていく。

 きゅっとつままれて、あわせるようにうなじに吸いつかれる。
 もう、ゲームをしているという体裁など吹き飛んで、力が抜けて前に倒れそうになる。
 それを阻止したのは先輩の腕で、ゆっくり丁寧に僕を抱き留める。
 そのまま先輩の手は、ひょいっと僕のシャツの襟もとをつかんだ。

「ん-……やっぱ薄まってるな」

 襟ぐりの広いシャツなんて、着てこなければよかった。
 肩越しにシャツの隙間から胸元をのぞかれている。

 薄くなっている、というのは、先輩が合宿でつけたあと――キスマークのこと、だろう。

 あの時は深い赤だったけれど、数日たった今でほんのりその痕跡を残しているだけだ。何も知らなければ、そこにキスマークなんてあったかなどわからないくらい。

「つけなおしても、いい?」

 耳に、低くて、かすれた声を吹き込まれる。
 声と息だけで、なんでこんなに心臓が高鳴ってしまうのだろう。先輩の声にはきっと、麻薬みたいな成分があるに違いない。

「あ、それとオレもつけなおしてほしいんだよね」

 すっと目の前にさらされたのは、先輩の左手首の内側。
 そこはもうまっさらで、流れですることになったキスマークの名残はなにひとつない。

「……合宿なら誤魔化せましたけど、そんなとこにつけたら、さすがに周りに変に思われますよ」

 合宿は一応アウトドア活動だったし、虫に刺されたといえば誤魔化せた。
 けれども、終わった今、前と同じ虫刺されの位置にご丁寧に他の虫が刺す確率はかなり低い。さすがにおかしいと、思われてしまうだろう。
 先輩は「うーん、どうすっかな」とうなりながらも触れる動きは止めない。首から肩にかけたラインをかぷかぷと甘噛みして、キスをする。

 悩みながらそんなことするななんて器用だな、と思っても、口にできない。だって先輩の唇が触れたところから、じくじくと熱が生まれて、頭が侵されていく。

 そうやって、先輩は僕の理性の皮を、一枚ずつはいでいく。

 幾重もの層で作られたミルフィーユを、外側から丁寧に、一枚ずつフォークを切りいれていくように。渾身の力をこめて、中を知られないように、必死に何枚も何枚も重ねて作ったのに、外側から一枚ずつ綺麗にはがされて、食べられていく。
 乱暴でも、強引でもない。なんだったら、それは砂糖みたいに甘くて、クリームみたいに優しい。
 だけど、逃す気はないというように綺麗な銀色のフォークを構えられているのがわかってしまう。
 そしてそのフォークに対抗する術は、いまだに僕の手元にないのだ。

「あ、じゃあさ」
「……えっ?」

 悩んでいるのか悩んでいないのか。首や髪のつけ根にキスをしていた先輩は、急に明るい声でそういうと、ぱっと自分のシャツを脱いでしまった。
 思わず後ろを振り返ってそれを見てしまった僕は、間抜けな声を出して驚きで固まる。
 陽が沈んでいない部屋は明るくて。先輩の均整の取れた上半身があらわになる。

「コーヨーと同じところに、つけてよ」

 そんな驚いている僕をよそに、とんとん、と先輩は胸の真ん中あたりを叩く。
 それは。僕がキスマークをつけられたのと同じところに、僕が、そこにキスマークをつけろと。そういうことを言われているのだろうか。
 だけど聞くまでもなく、まるで大型犬がおもちゃを前にしたときのように嬉しそうにしているから、つまりそういうことを言われているんだと理解した。

「え、そこに、ですか」
「そうそう。ここなら周りから見えないだろ?」
「それはそうです、けど」
「ほら、早く」

 くるっと僕の身体を反転させて、先輩と向かい合う形で座り直される。
 真正面に先輩の、何の色もついていない胸が広がっている。

 そもそもなんでキスマークをつけなきゃいけないのか、とかそんなことを言いたいのに青葉先輩はわくわくした顔で待っている。
 そんな顔までされて。それに合宿で慈しむように手首にキスをしているのを思い出して。
 本当に嬉しそうだから、文句も言えない。
 第一、青葉先輩がこんなに嬉しそうに望んでいるなら。求めているなら。周りに気づかれるわけでもないなら、反対をする理由は、なくて。
 あるとしたら、僕の捨てきることのできない恥ずかしさ。それだけで。

 綺麗についた筋肉に、なめらかで、健康的な色をした肌。
 今からそこに、僕が、あとをつける。

 どくどくと血流が身体を巡っていく。触られているわけじゃないのに、熱が高まっていってしまう。
 きっと顔が赤い。それを見られないように、俯くようにして、先輩の胸元に顔を近づける。

 胸の真ん中。心臓がわずかにかかるところ。唇が当たって、おそるおそる歯を立てる。

 く、と少しだけ力を入れる。いまだにどれくらい力をこめたらいいかわからなくて、歯が肌に食い込んでいく感触が段々怖くなる。
 ぎゅっと肌に吸いついて、唇を離す。

 健康的な肌の上に、ほのかに赤いあとが残っていた。

「もっと強くやってもいいのに」
「いや、勘弁してください」

 今自分でつけたキスマークよりも赤い顔を見られたくなくて背ける。
 先輩は上機嫌な声で僕を抱き寄せて、かすめるようにキスをする。

「じゃあ練習がわりに、他のところにもっとつける?」
「そんなの他の人に見られたら、困るじゃないですか」
「簡単に他のヤツらに肌見せることなんてないって。ま、ひとつだけでもコーヨーがつけてくれたんだし、心の中だけで自慢しとこ」

 僕がつけたキスマークのどこに自慢する要素があるのか。
 でも先輩は嬉しそうに胸元についたばかりの、かすかな赤いところを撫でている。わざわざそんなことされて、こっちのほうが恥ずかしい。

「そんじゃ次はオレの番な」
「えっ?」

 にやっと笑った先輩が、さらりと僕のシャツを脱がしてしまう。
 シャツを丁寧にたたんで横においてから、上半身だけ裸になった僕の腰をつかむ。あまりにもあっさり脱がされてしまって抵抗する暇もなかった。
 そしてだいぶ薄くなった、合宿でつけられたキスマークの上に、上書きするように唇を押し当てて、歯を立てた。

「っ…!」

 歯を立てながらぎゅうっと強く吸われる。ほんの少し痛みを覚えるけれど、それ以上に心臓のところに熱が集まっていく。
 しばらく吸い上げたあと、歯を離して仕上げのようにもう一度吸って、軽く口づける。そうしてから、やっと先輩は口を離した。

「ん、綺麗についた」

 満足そうに僕の胸元を見る視線につられて、たった今吸われていたところに目を向ける。
 深くて、赤い、すこし紫がかったキスマークがくっきりとついていた。

「また消えそうになったらつけ直すから、言えよ」
「……イヤです、はずかしいです」
「えー、なんでだよ。オレにつけてもらったのも薄くなったら上書きしてくれな」
「うわがき」
「ああ、けど。これでキスマークの場所もおそろいだな?」

 ふっとからかい混じりの笑みなのに、優しくて、嬉しそうな表情でそんなことを言う。
 それにおそろいだとか、そんなことを言われたら、なんか、もう、あからさまに首筋とか、鎖骨とか、そういうところにキスマークをつけるよりもなんだかよっぽど恥ずかしいことに思えて。
 かぁぁっ、と顔から身体が熱くなる。

 これ以上、このことをつっこんだら自爆する気がして、もう何も言わないことに決めた。
 とりあえずさっき脱がされたシャツを着てしまおうと、向かい合った体勢からズレようとする。が、先輩の手がそれを阻む。

 腰にあった手が下へ移って、布越しにやんわりと臀部の形を撫でる。そして先程つけたばかりのキスマークのところにまた口づける。
 ぞくりという感覚が走る。そのまま先輩は、さっき触ってまだ固くなっている胸の先端をぺろりと舐めて、食む。

「あっ、えっ、せんぱ、い」

 たわむれじゃない、『そういうこと』の気配の強い行動に驚く。キスマークをつけて、終わり、じゃなかったのか。
 色づいているところを舐められて、とがっているそこをコロコロと舌で転がされて、びくりと体が反応してしまう。
 臀部を触っている手もやまず、むしろ谷間のほうへうつって、布の上からつうっと割れ目を撫でられる。
 この流れは、まさか、と緊張する。
 だってこの後、一緒に花火大会に行くから、出かける予定があって。

 心臓が、うるさいくらいに鳴っている。

「……青葉、せんぱい、花火大会、は」
「うん。花火大会あるから……」

 濡れた舌で肩から首にかけてのラインを舐められて。

「さわるだけ、な?」

 艶やかな声でささやかれる。
 花火大会がはじまるには、まだ、外は明るすぎた。




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