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第38話 「コーヨーと一緒なら、どこだっていいけど」

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 合宿3日目。
 今まで接点がなかったナツメさんと話すきっかけは簡単だった。

「ナツメさん、ゾンビ映画も好きだったんですね」
「映研の人にいえるほどじゃないけど、わりと観てるほうかな」
「オレはそんな詳しくないけど、コーヨーも結構観てるよな、前におすすめしてくれたやつなんだっけ」

 撮影準備の合間、飲み物を差し入れるついでの軽い世間話。青葉先輩が適度に相槌を打ちながら会話のパスをくれるので、和やかに会話が続く。

 昨日、男除けとして僕と青葉先輩の二人がナツメさんとなるべく一緒にいよう、という話にはなっていたけど、いきなり下級生の僕がナツメさんと親しくし過ぎたら不自然だ。
 けれども、もともと青葉先輩と僕は仲のいい先輩と後輩として周りから思われている。それこそ古着を譲ったりツケの貸し借りを冗談交じりで言える程度には。
 だから青葉先輩と一緒にいる――そこにケイタさんもいるわけだけれど――ナツメさんと話すことは、青葉先輩を介せばあっさり叶った。

 青葉先輩が協力的なのもある。今朝、念のためナツメさんの男除け役をやることは本当に大丈夫か、と確認したら「二人きりじゃないのは残念だけど、コーヨーと堂々と一緒にいられるのは嬉しいし」とサラリと言われた。恥ずかしかったので、軽く背中を小突いておいた。

 ケイタさんは僕とナツメさんが仲良くなることは予想しいなかったようで、先程からどうやって会話に混ざろうかを図っているようだ。
 ケイタさんには申し訳ないけれど、そういう役目を請け負っているのだから仕方ない。これがケイタさんも本気でナツメさんに恋をしているというのならば悩んだけれど、青葉先輩が「あれはアイドルのミーハーみたいなもんだから大丈夫」と断言してくれたので、役目に徹せられる。あと、一応この話題はナツメさんにもきっと有益だ。

「そこまでじゃないですよ。あと、なんだかんだ僕はロメロのゾンビが一番好きですね」
「私も同じ! やっぱりロメロのゾンビがゾンビなんだなって思うんだよね。新しいのも観るけど…」
「あっ! そうだナツメさん、俺も最近ゾンビ映画見たんですよ! 新作のランナーズゾンビGってやつなんですけど、走るゾンビの迫力がすごくって……」

 そういって会話に参加してきたのはケイタさんだ。その映画は僕も見た。だから正直内心で「あっ」と思ってしまった。
 その映画自体はB級映画だけど面白かった。ただ、この話の流れで出すのはあまり似合わない。
 しかしここで僕から言ってしまったら角が立つ。どうしようか、と悩んでいたらナツメさんが苦笑いを浮かべて、ケイタさんに向きなおる。

「その映画、私も観たわ。面白かったけど……でも」

 小首をかしげて、少し茶目っ気のある笑顔を浮かべる。

「ゾンビは走らないのよ」
「ゾンビは走らないぞ!」

 ナツメさんの言葉と、もう一人の声が重なった。
 あれ、とそちらを見やれば、髪をひっ詰めてなにかのケーブルを首からかけて、台本をポケットに入れた女性――猫柳監督だった。
 自分のセリフとまるっきり被ったナツメさんが目を丸くしている。対して猫柳さんは上機嫌でナツメさんに話しかける。

「おお、さすがナツメちゃん! ゾンビのことをよくわかってるね!」
「……ええ、その、走るゾンビはロメロのゾンビとは別物の存在だと思いますので……」
「うんうん。もちろんロメロリスペクトの走るゾンビもたくさんあるんだがね! ギミックとして走るべき理由がゾンビもいてさ」

 猫柳さんは実に楽しそうに話している。ナツメさんもにこやかにそれに応えている。白い肌がほんの少しだけ紅潮しているように見えるのは、きっと気のせいじゃないだろう。
 その様子を見てほっとする。監督はゾンビ映画が大好きで、何時間だって語ることのできるひとだ。だからこそ話題に選んだ。猫柳さんの好きな映画を教えますね、と約束していたから。
 その目的はうまくいったようだ。ケイタさんはもちろん、ガチ班でもなければ口をはさめないような、猫柳さんの止まらない映画論を、ナツメさんはとても嬉しそうに聞いている。

 邪魔にならないようにそっと二人から距離をとる。
 一瞬だけナツメさんがこちらを見て、声は出さずに口だけを動かして、すぐに猫柳さんの会話に戻った。「ありがとう」と言っているように見えたのは多分間違いではない。

「やるじゃん」

 ふと至近距離から、僕にだけ聞こえるように抑えられた声で話しかけられる。
 同じように二人から離れた青葉先輩が、真横に立っていた。

「……ただのお節介ですけど」
「ん-、でも楽しそうだし、いいお節介なんじゃないか?」
「いいお節介ってなんですか」

 そうは言っても、確かに目の前の女性二人はとても楽しそうだ。
 もちろん、猫柳さんは単純に自分の趣味を話をして、理解してもらえるのが嬉しいのだろう。映画が大好きで、映画作りにひたむきな猫柳さんらしい裏表が何もないまっすぐな気持ち。

 裏表がなさすぎて、そこにはきっと恋とか愛とか、そんなものは存在しない。
 そのことはナツメさんのほうがわかっているだろう。どれだけ会話が弾んも、距離が縮まっても、埋まらない一線があることをつきつけられる。

 それでも。だけど。
 猫柳さんの大げさに動く手も、ハキハキと動く口元も、キラキラ輝かせる目も、全てを眩しそうに微笑むナツメさんの気持ちは、よくわかる。
 周りに聞こえないように、けど青葉先輩には聞こえるくらいの音量で呟く。

「好きなものの話を聞いたり、笑顔を見られるのは……嬉しいと思う、ので」

 思い出そうとしなくても、簡単に頭に浮かぶ。
 冗談を言うときの意地悪気な笑いかたも、大したことをしていないのに満面の笑みを向けられるのも、僕の名前を呼ぶときに口の端を緩める微笑みも。
 気持ちを隠している頃は辛かったけれど、それ以上に自分に向けられる笑顔は眩しくて嬉しくて。

 だから、ナツメさんにとってもいいお節介になってくれればいいな、と願う。

 そんなことを思いながら二人を見ていたら、隣があまりにも静かだった。
 不思議に思って真横の青葉先輩をうかがう。
 先輩は腕を組みながら、なにか考えるように片手を顎に当ててうつむいていた。

「先輩? どうしたんですかか?」

 そんな変なことを言っただろうか。

「あー……いや、なんでもない。いや、なんでもなくはないんだけど……うーん」

 頭をガシガシとかきながら、珍しく先輩は言葉を濁す。言いたくないというよりかはふさわしい言葉が見つからない。そんな感じだった。
 口元を手でおおいながら、先輩はじっと僕を見つめる。

「……コーヨーは」
「はい?」
「……や、なんでもない。大丈夫。気にしないで」

 誤魔化すように頭をぽん、と撫でられる。
 いまいち納得いかなかったけれどガチ班が「そろそろ撮影はじめるぞー」とアナウンスしたので、それ以上は深く追求できなかった。
 機材を運ぶ準備に向かう道すがら、ぽつりと青葉先輩が呟く。

「そういや、明日花火するんだってさ」
「そうなんですか。……打ち上げ花火30個とか用意してそうですね」
「20個くらいじゃないか? コーヨーはさ、花火、好き?」
「そうですね、花火大会とかも好きですし、自分達でやるのも好きですよ。線香花火、得意なんですよ。かなり長くできます」
「わ、すげえな。オレ、線香花火、じわじわ燃えだした辺りで落としちゃうんだよな」
「コツがあるんですよ。教えましょうか」
「お、是非お願いします。コーヨー大明神!」
「なんで線香花火で大明神なんですか」

 久しぶりに言われた呼び名に、おかしくなって、つい笑ってしまう。
 何言っているんですか、と青葉先輩のほうを見上げて、不意に心臓が引き絞られたみたいにぎゅうっと鳴る。

「本気だって。苦手だけど、オレも線香花火――好きだし」

 目を細めて、緩めた口元の端をあげて。初夏を告げる優しい風とやわらかい青空みたいな微笑みで。
 今までの、遠いところまで全てを青に染め上げるものとは違う。もっと近くて、触れてもいいと許さるような。そんな、光の透き通った、青空。
 先輩のほうから、自分の領域に僕を迎えてくれるような、そんな無防備な笑い方。
 やわらかい表情で、先輩は繰り返す。

「オレも好きだよ」

 見てるだけで心臓がきゅうきゅうして、溶けてしまいそうになるのに。

 すき、なんて。

 わざわざ、そんなことばを。

「今度、どっかの花火大会にでも行くか」

 触られているわけでもないのに。近すぎるわけじゃないのに。ただ隣を歩いているだけなのに。
 耳に吹き込まれたように錯覚するささやきは、ピアスのあたりがぞくぞくした。

「オレ、花火大会もお祭りも、好き。コーヨーは?」

 胸がきゅうきゅう高鳴って。耳がぞわぞわ熱を持って。
 なんで。ただの言葉と、ただ、笑いかけられてるだけなのに。
 何を聞かれたんだっけ。何を答えなきゃいけないんだっけ。

「僕も、すき、です」

 髪で隠しながら、左耳のピアスを握りしめる。じんじんとそこが熱い。

「……花火大会とか、お祭り、が、ですけど」
「ふーん。でも、二人で一緒に好きなところに行けるのは、楽しみだな?」

 無邪気に無防備に。だけどどこか確信めいた瞳で先輩は笑う。
 その瞳を見て、ワザとだ、と確信した。
 うう、と声にならないうなり声をあげてそっぽを向く。からかう先輩の笑い声がかけられる。

「なに、コーヨーは行きたくない?」
「……先輩が意地悪するなら、イヤです」
「オレはコーヨーと一緒に行きたいよ」

 屈んだ先輩が、今度こそはっきりと、じわりと熱を持っている左耳にささやく。

「――コーヨーと、二人でデートしたい」

 熱がぶわり、と脳を広がって、スパークする。
 なのに。先輩はそこに追い打ちをかける。

「コーヨーと一緒なら、どこだっていいけど――きっとどこでも、好きだな」

 スパークした脳でフリーズしているうちに、ぱっと先輩は離れて、涼しい顔で機材準備をしているメンバーと合流してしまう。
 置き去りにされた僕は、だんだん恥ずかしさと、わざとあんな風に言われた悔しさで。急ぎ足で合流してからぶっきらぼうに、顔を見ないまま告げた。

「屋台でたくさん奢ってくださいね」
「えー、破産しない程度で勘弁してくれよ。コーヨーは屋台なら何が好き?」
「うーん……焼きそば、とかですかね」
「オレは焼きそばとお好み焼きとフランクフルトと焼き鳥とケバブが好き」
「ちょ、どんだけ食べるんですか」
「そ。だから困るからさ。お祭いったら半分こしよう」
「え?」
「好きなものを二人でわけて食べるのって、よくない?」

 にいっと悪戯っ子のように、だけどさっきみたいな初夏のやわらかさを纏った微笑みに、僕の心臓はいともたやすく溶かされる。

「……先輩の財布の中身からっぽになるくらい、屋台で頼みますね」
「え、それはガチで破産するから、限度決めて」

 わざと素っ気なくそんなことを言ってしまうけれど。
 悔しいとか恥ずかしいとか、それ以上に、嬉しさにゆるんだ顔を見られたくなくて。
 プイっと顔を背けて、唇を尖らせて、二人で祭にいって、同じものを二人で食べるところを想像して、にやついてしまう顔をなんとかしようと、無駄な努力をしていた。





 そんな風に、どことなく浮ついた気分で過ごして、夕方。
 浮ついていたのがまずかったのだろうか。ふわふわして、頭をろくに働かせなかったから、避ける道を用意できなかったのだろうか。
 何を一体調子に乗っているんだと、ガツンと頭をたたかれるような、非常にマズイ事態になった。

「あ、コーヨーさん。今日の留守番役、うちらがやるんで温泉行ってきてください」

 ガチ班以外のメンバーはコテージに戻り、一休みしたころ。
 一年の男子生徒からそう言われて、心の中だけでフリーズした。

「うちら今カードゲーム盛り上がってて、こっち残りたいですし。コーヨーさんまだ温泉行ってないですよね? だから気にせず行ってください」

 男子生徒が指さす方向では、サカイさん一年生たちが真剣な表情でカードを持って囲んでいる。かなり白熱しているらしく、確かに勝負を中断して温泉に行く気にはならないだろう。
 それにこの申し出は後輩からの気遣いであり、断る理由はない。むしろ断るほうが不自然だ。ありがとう、と了承をした。

 けれど。内心ではめちゃくちゃ焦っていた。

 当たり前だけど、温泉組には青葉先輩もいるわけで。
 そして至極当たり前なことに、温泉というのは、裸になるわけで。
 つまり温泉に入れば、どうしようもないほど当たり前な結果、裸の青葉先輩の前で裸を見せるわけで。

 心臓がハチャメチャに暴れているし、この場合どうしたらいいのか脳がぐるぐる稼働している。
 この数日で、心臓と脳を酷使しすぎて寿命が縮まっていそうだ。脳を使い過ぎたら糖分をとったほうがいいと聞くけど、心臓の疲労にはなにを摂取したらいいんだろう。

 いや、そんな馬鹿なことを考えている場合ではない。
 さすがに昨日の今日で、青葉先輩の前であらためて裸を見せるとか、ちょっと、かなりキツイ。もちろん、裸を見せてももう青葉先輩が幻滅することはないとわかってはいても。自分としては、昨夜のことは一大決心だったのだ。昨日見せたんだからもう平気だろうと、開き直れるほど図太くない。

 それになんだかんだ、青葉先輩の全裸なんて見たことない。上半身だけでものぼせそうになるのに、そんなものを他に人がいる前で見て大丈夫だろうか。大丈夫じゃない自信しかない。
 正直、他の人間の裸はどうでもいい。青葉先輩以外の裸なんて「人間の体だなあ」くらいしか感想が出てこない。それじゃあ青葉先輩の裸を見た場合はどんな感想が出るか、なんて、そんなの想像しただけで心臓が飛び跳ねてうるさくなる。

 さらに。今、僕の胸元には、昨日つけられたばかりの、キスマークが、あって。
 昨日よりは薄まっているけれど、いまだに赤く色づいていて。
 きっと見られても、これだけでキスマークだと騒がられることはないだろう。でも、それを大人数の前でわざわざ見せることは別の話だ。

 この危機的状況にどうすべきか。いっそ具合が悪いと嘘をついて残るべきか。そんなことを考えているうちに温泉組はどんどん出発していった。

 焦りと不安と緊張を抱えて、玄関でうだうだしていた時。

「コーヨーくん」

 凛とした声に呼ばれた。

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