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第三話 契約

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 意識を飛ばした晧生の身支度をして、起きた時に食事を用意したほうがいいだろうと、紺の着物を身に着けて、冬人は離れを出る。
 離れと母屋を結ぶ廊下の境界に立っている人物を見て、冬人はさっと頭を下げた。

「――儀式は無事に終えたのかい?」
「はい、つつがなく。晧生様はお疲れになって眠っております」

 そこにいたのは次期当主である晧生の姉の春日。その後ろには春日の従者――相の方を務める黒雉家の男。冬人にとっては叔父にあたる。
 現当主は春日と晧生の母親であるが、体調を崩しずっと臥せっている。だから次期当主といえど、白鷺家の実権を握っているのは春日であった。
 春日は凛とした姿勢と眼差しを崩さないまま、懐から扇子を取り出し、くいっと冬人の顎にあてる。

「つつがなく、ねえ。冬人、その包帯をとりなさい」
「――春日様、それは」
「冬人。惣領のお言葉に従いなさい」

 春日の斜め後ろに立っていた叔父が鋭く言い放つ。そもそも、白鷺家の中で当主の言葉は絶対だ。実質的な当主となっている春日の言葉を無視できるわけもない。
 冬人は逆らわず、汗でにじんでいる包帯を取り外した。
 ひらり、と包帯が風に揺れる。
 そこには汗だけではない――血がにじんでいた。

「まあ、ずいぶんとヒドイもんだねえ。よくそんな状態で最後まで儀式を行えたもんだよ」

 呆れているのか嘲笑っているのか。春日は目を細めて、包帯を取り外した冬人の首を見る。

 冬人の首にはぐるりと囲むように、蔓の模様をした魔術印が刻まれている。
 平素ならそれは黒い刺青のようにしか見えない。けれど今は、焼き鏝をあてられたごとく、赤々と火傷のように盛り上がり、破れた皮膚から血が流れている。
 それは、冬人の魔術印がある種、正しく効果を発動しているともいえる。

「あのバカ弟は、本当にガキだね。全く、自分だけが苦しいと思い込んでいる」
「春日様、このことはどうか晧生様には……」
「まあ、まだ言わないでやるけどねえ。――契約で失神しそうな痛みに襲われながら、それに耐えてまで相の方を最後までつとめあげるアンタの忍耐に免じてね」

 ぽんぽんと呆れたように春日は扇子で肩を叩く。冬人は黙って礼をした。

 晧生は知らないことだが、黒雉家に刻まれる魔術印の効果は、白鷺家の魔力不足と暴走への抑制剤となること以外の効果がある。

 ひとつめは、いついかなるときでも白鷺の――契約した主人が望めば、精を出せること。ようは求めれれば、どんな状態であろうと勃起して、精を注げられるようになっている。また、これに付随して、無駄な精を放つことのないよう、常に主人の求めに答えられるように、主人以外のものには遂情することはない。つまり、主人以外には、たたない。

 ふたつめは、白鷺の誰かに仕えることが決まった黒雉の魔術印には主人が誰かを定められる。これはひとつめと関わっていて、ただ白鷺家の人間の求めに応じるものではなく、魔術印に刻まれた主人――冬人であれば晧生にしか勃起することも、射精することもできない縛りとなっている。

 そしてみっつめは、契約で定められた主人と性交するとき、主人が拒めば魔術印を通して、戒めの痛みが与えられる。これは主人以外と欲を果たせることがないからと、まかり間違って主人の意に沿わぬ性交を起こさないようにするための戒めだ。言葉の拒絶だけではなく、粘膜がふれあった時に主人が拒む意思が魔術印に伝わるようにできている。
 冬人の場合は魔術印が首にあるから、その魔術印が働くと、皮膚を焼く痛みと同時に、首が締められるような苦しみが襲ってくる。

 そして今、冬人の魔術印は燃えるように浮き上がり、血を垂れ流している。これは契約の戒めが働いたという、何物にも代えられない証だ。
 つまり――晧生は冬人との儀式を、性交を拒んでいる、ということの。

 普段は自らの意見を言わず、春日の後ろに控えている叔父が痛まし気な顔をする。同じ黒雉家のものとして見過ごせなかったのだろう。

「だが……そこまではっきりと証が出てるからには、お前にとっても苦痛だろう。晧生様はお前を厭うているのではなく、儀式を嫌がっておられるから戒めが働くのだろうが……冬人、もしもお前がこの勤めを望まないというならば――」
「いいえ、叔父上。私は晧生様が望まない限り、晧生様の相の方を辞するつもりはございません」

 ハッキリと叔父の言葉を拒絶して、冬人はしっかりと顔をあげ二人を見据える。

「私は晧生様の従者です。このような戒めが働いている身で、言えたことではないかもしれませんが……ですが、まことに、心から私を晧生様が厭うているなら、私は儀式を最後まで遂行できることはございませんでしょう」

 主人と決められた白鷺のものと性交することは、黒雉の人間にとっても至上の法悦を味わう。他の全ての快楽など、塵芥と同義になるように。
 けれど。だからこそ黒雉のものはより一層自分を律することが求められる。それこそこの戒めが定められているのは、自身の欲求のために主人に無体を働かないようにするためだ。

 それでも主人の意思に反して無体を働いた場合――春日の言った通り、気道と血流が止まり、酸素を吸収できなくなり、失神する。酷い場合は、死にすら繋がることもある。
 確かに晧生に精を放つとき、息苦しさと肌を燃やす痛みに苛まれる。だが、それだけだ。自分で我慢できる範囲でしかない。本気で晧生が嫌がっているならば、今頃自分は離れで倒れているに違いない。

 それでも自分の意識を保ったまま、最後まで、彼の胎に精を放てるということは――。

「ここに私が立っていられるということは、晧生様は私を本気で厭うてはおられない。戒めが働くのは、ひとえに私があのお方の信を預けていただけない、私の力不足です」

 すらすらと口から滑らかな言葉が飛び出てくる。あらかじめ、この質問が来たらこう答えると決めていたように。

「ですので、以前から申しております通り、私は晧生様が必要としないというまで、お傍にいるつもりです」

 そうきっぱりと宣言をし、この家で一番の実力者と、その傍でずっと支えてきている側近へと頭をさげる。
 春日が呆れたと言わんばかりに溜息をついて「おもてを上げよ」と冬人に声をかける。

「ま、お前以外に儀式の相手を変えたなら、それこそ次のモノが離れで腹上死することになりかねん。とりあえずはこのまま様子見しといてやろう」
「ありがたく存じます」
「だが、あまり契約のことを隠しすぎるのも、よくない気はするがな。あのバカ弟は変な風にとらえかねん」

 それについては冬人も同意見だった。特に、魔術印によって主人が定められ――他の人間と性交することができない、という事実は晧生にとって衝撃だろう。
 自分のエゴで冬人を縛れないと、きっと晧生は思い悩むだろう。
 だからこそ、本家の長男であるのに、いまだに晧生には契約の詳細を教えられないのだ。

 もしも晧生がこの契約を知れば――絶対に、冬人を自分から解放しようとするだろうから。

「――晧生様が、私に信を預けてくださったら、いずれはお話いたします」
「ふん。主従揃って頑固ものだな。当面はきちんと家の務めを果たしてくれれば、こちらからは言うことはない。今後も励めよ」
「はっ。寛大なお言葉、まことにありがたく存じます」

 恭しく礼をとる冬人に対して、春日は「ふんっ」と冬人の心づもりを見透かすような冷笑をし、静かにそこを立ち去っていく。もちろん、春日の従者である叔父も。

 二人の足跡が聞こえなくなってから、ようやく顔を上げる。
 不意に手元に包帯を持ったままだったことに気づき、取り急ぎ魔術印を覆い隠そうとする。
 こんな不自然な、血がにじんでいる姿を晧生に見られたら、そこから隠された真実に気づかれるかもしれない。

 包帯を巻きながら、首筋の魔術印に触れる。
 痛みはだいぶ治まっているが、じくじくとした熱はまだある。
 けれど。その熱すら心地いいと感じる自分が、おかしいのだろう。


 先程の儀式での、晧生の姿を思い出す。
 小さな体で威嚇する様は小動物のようであった。
 それでも震えて、肌を傷つけ、唇を噛み締めて、声と嗚咽をこらえる様子。
黒雉の魔力を前にしても、決して自分の誇りを曲げないようにする姿。

 そんな晧生の姿を知っているのは、冬人だけだ。
 そう、白鷺と黒雉の血の契約に従って、魔術印によって定められた冬人だけが。


 先程、「晧生は本気で厭うているわけではない」と言いはしたが、冬人自身詭弁だと思っている。
 あの晧生が、自分に――幼馴染であり、ずっと傍にいる自分を本気で拒むことができるはずがないと、計算高く考えている。


 だからそれを利用して、冬人は今の立場を――相の方の役目を他の誰かに譲るつもりはない。
 例えそれが、幼馴染である自分への情を捨てきられない、優しい晧生につけこむ形だとしても。


 きっと春日にはこの醜い本音など、知られているだろう。
 それでも、どれほど醜かろうとも。
 晧生の傍を離れる選択肢など、冬人にはなかった。


 気持ちを切り替えて、食事の準備をしなければ。
 儀式の後だから、晧生は目覚めたら羞恥と、自分の都合に冬人をつきあわせた罪悪感で混乱するだろう。
 それを少しでも払拭するために、なるべく晧生の好物と、情事の名残を感じさせない新しい衣服を用意しておかなければ。
 そういえば、新しい反物で作った、黒地に椿の模様が入った着物を仕上がっていた。椿は冬の柄だが――おそらく今日一日は離れで過ごすのだから、問題ないだろう。

 晧生に着せる着物を考えながら、熱を孕んだ首に触れる。
 熱と痛みですら、コレが自分と晧生を結ぶ証なのだと思うと、昏い歓びが浮かんだ。


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