召喚者は一家を支える。

RayRim

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第1部

番外編 〈漆黒風塵〉は転機を迎える1

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〈漆黒風塵〉

 かつて私は歴史の裏を往く宿命を背負って生きてきた。親は知らず、名前も持たず、身一つの奴隷上がり。蔑まれはするが、誉められる事などありはしない。それが私の人生だと思っていた。
 貴族の功績のお膳立て、不幸な事故や病死の演出、新興の商家の焼き討ちなど、雨の中、泥の中、砂の中、藪の中、宮殿の中、あらゆる場所で活動した我々に、表に出せる仕事は一つもなかった。
 〈漆黒風塵〉。それが名もない私の二つ名だった。名前もないのに二つ名とはおかしな話だが。
 黒尽くめ、疾風の如く対象を骸に変えていくからという事でそう呼ばれているが、私のような者の特徴が知れ渡るのは困りものだ。

 だが、転機は突然訪れる。
 先王、エディアーナ様の直属の護衛部隊に我々が抜擢されたのだ。
 当然、猛反対されただろう。経歴が経歴なのだ。表に出すべきではないと誰もが言う。我々でさえそう思っていた。我々は我々を信用していないのだから。

 最初の仕事は謁見と任命だ。
 正直、この時の事はよく覚えていない。何もかもが眩しく、一刻も早く立ち去りたいとしか思っていなかった。
 一つだけ覚えているのは、エディアーナ様が頼りにしているぞ、と仰って下さったことくらいか。
 新たな主は、お目に掛かる事すら許されないと思っていた魔王陛下。これ程の転機に私は困惑するしかなかった。


 それからは常に静かな戦いの日々だ。あらゆる場に投入されて来た我々に、様々な嫌がらせが行われてきたがそれは悪手というもの。逆に失態を晒すハメになる騎士、貴族が連日のように現れては政界から消えていく。
 そこで、我々はようやく気付いてしまった。釣る為の餌にされていると。まだ味方の少ない陛下の足場固めに利用されているのだと。
 この豪勢な宮殿で繰り広げられる、稚拙な謀略の数々。痴れ者らの浅はかな政争。こんな連中の為に地獄のような日々を送ってきたのかと思うと笑えてしまう。

 気付いてしまった者はもうダメだった。世を見限って自決する者、人知れず姿を消す者、酒や薬に溺れる者、元雇い主に一矢報い、殺された者。
 こうして七割が隊を離れ、残った我々は、ただの世話役としてしか活動できないところまで人員を減らしていた。 

 そこである日、私は尋ねた。

「エディアーナ様、我々は掃除のための道具に過ぎぬのですか?」

 その場にいた皆が驚いただろう。
 同僚とエディアーナ様、私の声を聞いたことある者は誰一人いなかったのだから。口の聞けぬと思っていた女が皆の疑問をただしたのだ。
 性格は信頼できぬが、腕は信頼できた同僚たちが、あんな形で終わってしまうのは納得がいかない。
 一番、驚いていたのはエディアーナ様であった。私が口を開いたことではなく、その内容にだ。

「そんなつもりは…いや、今までの事を振り返ればそう思われても仕方ないな…」

 度々、取り乱すことはあったが今回は格別だった。
 全く周囲を省みてなかった新王。彼女に一矢報いた事に少し誇らしく感じていた。

「バカ!陛下になんてことを…!」

 殴り付けられ、組伏せられる。
 それだけの事を言ってやったのだ。これで済むとも思っていない。

「やめろ!」

 すぐに止めるよう陛下が叫ぶ。それはもう悲鳴に近い声だった。

「申し訳ない…私の力が、考えが至らなかったのだ…こんなに皆が苦しむ事になるなんて思ってもいなかったのだ…」

 皆の前で膝を突き、深々と頭を下げ、自身の力の無さを詫びる。
 王にあるまじき姿だろう。だが、誰もそれを咎めることはなかった。咎められなかった。

「政策に間違いが無いことに確信は持てるが、反発の影響まで考えが及ばなかった…隊の者がこんな形で離れるなんて認めたくなかったのだ…」
「もう遅いのです。離れた者は二度と戻らない。後ろめたい過去しかない我々にとって、隊を離れるとはそういう覚悟。
 皆が特別な才を持ち、底の底で生き延びる為に磨いてきたのです。それは伝承なんてできない。その才があなたの浅慮で失われたのです。」
「いい加減に…」
「離してやれ。」
「ですが…」
「頼む…」

 束縛が解かれた私は立ち上がり、陛下を見下ろす。
 ああ、なんて顔をしているんだこの『娘』は。不安と恐怖で押し潰されそうな顔をしているではないか。
 それは私が、私たちが散々見てきた顔だ。死の足音がすぐ背後に迫った者の顔。
 敵なんて一人もいないこの部屋で、敵を寄せ付ける事などあり得ぬ部屋で、魔王ともあろう者がなんて顔をしているのか。本当に頼れる者がおらず、作れぬまま担ぎ上げられた愚かな娘なのだ。
 この際だ、言いたいことは全て言わせてもらう。

「あなたの行っている政は確かに正しいのでしょう。城下に活気が出てきているのは、城から出る事の許されない私にも感じることができます。
 ですが、城内はその逆。見た目は華やかでも、雰囲気は、我々のかつての雨漏りする宿舎の方が華やいでいたと言っても過言ではありません。」

 変革があまりにも急すぎたのか、その悪影響は貴族や役人に大きくのし掛かっている。制度変更、人事の入れ換え、粛清による人手不足。それは地方貴族も同じ状況だろう。結果を出す前に舵を取る側が疲弊しきっては 、変革は何の意味も持たない。

「あなたはあまりにも人を見ていない。政の成果と同じくらい人を見ていただきたい。」

 流石にこれは言い過ぎだろうか。だが、いつか、誰かが言わなくてはならないことだ。早いに越したことはないだろう。

「どうすればいい…わたしは、これからなにをすればいい…」

 こういう時、なんと言えば良い?
 蹴り飛ばしてオーク野郎とでも罵るのか?いや、違う。そんな関係を私たちは望んでいない。
 遥か遠い記憶を呼び起こし、それを実行する。

「もっと我々はお話をしましょう。我々は我々を知らなさすぎる。」

 抱き締め、やるべき事を伝えた。
 私と変わらぬ背丈だが、貧相で脆い。そんな印象を与える体躯。
 ああ、この方は一人にしてはならないお方だ。

「うっ…うっ…うん。そうだ。そうだな!
 午後の政務は無しだ!みんな、お茶会を開くぞ!」

 涙と鼻水でボロボロの陛下の顔を裾で拭い、立ち上がらせる。
 振り向けば、他の同僚も少し目が潤んでいる。皆、なんて顔をしているんだ。

「こんな茶番、付き合ってられるかよ!」
「美味しいお菓子があるのだけれど、あなたの分はみんなで分けて良いのかしら?」
「…それはダメだ。」

 茶番と言った者の起こした茶番に笑いが起きた。久し振りの笑い声。今、ようやく私たちは信頼し合える仲間となれた気がした。

 これまでに失ったものはあまりにも大きい。
 それは陛下も同じだろう。私たちが失う度に陛下も失っていたのだ。だが、陛下が何かを失っても私たちが失うものはない。上に立つ者の宿命と言えばそこまでだが、この自分や周囲を省みない、危なっかしい娘を私たちは放っておけない。
 互いを知り、名を授かり、陛下を知ることで心新たに忠義を尽くすことを誓ったのだった。
 カトリーナ。それが主から与えられた、私の生まれて初めての人らしい名前である。



〈漆黒風塵カトリーナ〉

 その後も静かな闘いは続くが脱落者は出なかった。
 変革も緩やかになったのか、城内での不満の声も減っている。無くなることはないのだが。
 新たな顔触れが増え、その中にはセバスチャンも居た。私たちと似たような身の上ばかりの中、セバスチャンの経歴はかなり異質と言える。
 少年の頃から宮殿で働いており、日々の仕事の中でエディアーナ様の目に止まったのだ。
 エディアーナ様としては誰でも良かったようだが、威圧的な見た目と完璧な礼儀、隙のない身のこなし。私たちも備えてはいるが、染み付いているセバスチャンから学ぶ事は多かった。
 後に入った者たちは、他所に抜擢されるなどして度々入れ替わることがあったが、初期メンバーとセバスチャンだけは変わらず。その事からも、大きな信頼を置いているのは間違いない。
 魔王戴冠以来のゴタゴタも落ち着き、静かな戦いも終息を迎えた頃、一人の旅人が謁見を求めてきた。

「お忙しい中、お時間をいただき有難うございます。」

 貴族特有の言い回しを全くしない旅人。
 深く被ったフードに仮面と、顔は全くわからない。服装もゆったりしたもので、体型すら把握できず、声で女性だと判断できる程度だ。

「…!」

 私の姿を見て、何か驚いたようだがエディアーナ様は深く追及しない。それはきっと互いにとって不要と判断したのだろう。

「今日は火急の用件と伺っているが?」
「…はい。出来れば人払いを。」
「わかった。」

 全く躊躇う事なく受け入れる。

「陛下、それは」
「大丈夫だ。この者に、私を害する事はできんよ。」

 何か根拠があるのだろう。そうまで言われたら私たちは従うしかない。
 無言で退出し、私たちは外で控える事となる。

「セバスチャン、あの者は?」
「外交先で出会ったそうですが、どうやら陛下と縁のある者のようで、その後も度々あの様にお会いになられているのです。」

 血縁者なのかと思ったが、その線はないだろう。陛下に血の繋がる家族がいない事はわかっている。
 いたとして、公に隠す理由も見当たらない。

「我々が悩むことではありません。必要な時が来れば明かして下さるでしょう。」
「…そうですね。」

 タメ息を吐き、納得するしかなかった。



 その後も度々、女性は出入りする事があり、その度にエディアーナ様は頭を抱え、考え込み、新たな制度や政策を実行する。
 工業、農業、教育、娯楽とその分野は多岐に渡り、内容も我々のレベルでは口出しのしようが無いほどであった。

 名前を頂いて以来、私たちはそれで互いを呼び合ってる。
 それまでは皆、仕事ごとに違う番号だったり、荒々しい二つ名で呼び合っていた事からお互いにむず痒さのようなものはあったが、名前をいただいた事で少し温厚さを身に付けた気がしていた。
 エディアーナ様の視察のお供で町へ同行する事もあるが、その度に発展している町並みにはしゃいでしまう。
 難しい事の分からない私たちだが、『小さな姉』の偉業を多少なりとも支えられているのなら、今の仕事は誇れるものだと皆が実感していた。



 私たちが拾われて20年も経つと、国内は大きく様変わりしている。
 王都を中心に周辺都市も大きく発展し、水産業以外は全て賄えると言っても良い程であった。
 特に教育の与える影響は大きく、それが各分野に大きく作用していると言っても過言ではないだろう。私もこの20年の間で恩恵を受けた一人だ。学友には奇異の目で見られていたことは否めないが、互いを高め合う良い学友たちであった事に間違いはない。

 20年も経つと、隊内にも変化が起きる。小娘揃いだった私たちだったが、結婚をして離れる者も出てきた。あの時、私を殴って組伏せた、お堅いあいつが最初とは誰が想像しただろう。エディアーナ様もとても驚き、そして我が事のように喜んだ。あいつは子供も作り、王都内で幸せに暮らしているそうだ。
 一人出ると、二人、三人と続き、ついに古参は私とセバスチャンだけとなってしまう。そんな気はしていた。
 いつの間にか姉妹のようになっていた彼女たちは、もうここへは戻ってこないだろう。だが、後輩たちをしっかり育て上げて去って行った。全盛期の私たちには及ばないが、それでも十分にお役目を果たせる者たち。今後は彼女たちがエディアーナ様を支えていくことになるだろう。

「ところでセバスチャン。あなた、結婚は?」
「しております。」
「えっ、いつから?」
「もう15年ほどになりますか。子供もおります。」
「知らなかった…」

 この男は本当に喰えない。



 そして、エディアーナ様は譲位を決断なされる。拾われて45年経ち、私たちも今の仕事の方が長くなってしまっていた。
 以前から決めており、私たちにも度々その事について話をして下さっている。
 後身が期待した以上の成長を見せてくれたとのことで、ようやく踏み切れると安堵した様子であった。

 45年、本当に色々あった。
 国内は落ち着いた45年であったが、国際社会は激動の45年であったようだ。
 元々我が国は昇り調子であったが、エディアーナ様の結んだ亜人同盟が大きく発展に寄与し、他国の発展にも大きな影響を与える。
 一人勝ちを是としないエディアーナ様の努力が実った結果だ。まだ、北方のビースト国家群は発展していないが、それも時間の問題だろう。
 『魔王の座から退くと言っても、私たちにのんびりした隠居生活は訪れない。まだまだたくさんやることがある。』と仰り、商会を立ち上げたエディアーナ様に私たちは従うのみ。

「カトリーナ、お願いがある。」
「はい。」
「子守りをして欲しい。」
「はい?」

 それは突然だった。
 子守り?誰の?私が?子守り?
 これほど困惑したのは、人生後にも先にも…後には山ほどあった気はするが、なかった。
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