雨に薫る

はなの*ゆき

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2.Yellow star jasmine

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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「…それ、どうしたんですか?」

 監督の手の甲が2倍近く膨れ上がっている。
 ムカデだよ―――と忌々しそうに言いながら、監督が手を裏表に返して握り込み、「ちょっとこれでノックは難しいな…」と、ため息をついた。





「これを井口に渡しといてくれ」

 日課になっているランニング途中で、待っていたと覚しき監督に呼び止められた。
 夜寝ている時にムカデに刺されるとか、こんな住宅地でそんな事があるのか…とにわかには信じられないが、まあかなり腫れてるのは確かだし。
 間に合うとは思うが…と前置きをした上で、病院に行ってくると告げられ、渡されたのはクラブハウスと道具倉庫の鍵だった。

「鍵は常に監督が?」
「ああ、クラブハウスは練習中施錠しとかないと、特に最近はスマホやら貴重品があるだろ」

 昔は無かったのかと思ったのが顔に出たのか、監督が苦笑した。

「俺の時は、ポケベルすらねぇ時代だったからな」
「ポケベル…?」

 途端に監督が脱力した。いやだって知らねぇし。

「まあ、いい…。とりあえずインターバルとダッシュの後、ティー(バッティング)やっとけって伝えてくれ」
「わかりました」
「トスは渡瀬と吉岡に任せて、お前と風間もやれよ」

 その言葉に一瞬、瞠目した。

「渡瀬先輩と吉岡先輩…ですか?」
「ああ。2人にはもう言ってある。練習試合も近いし、レギュラー・・・・・中心でいくから」

 それって…と口を開くより早く、監督が手を上げて制した。

「話はそんだけだ、…遅刻するぞ」

 そう言って踵を返した背中を、見送るしかなかった。







 キィン―――ッッ

 硬質な音を響かせて、球が鋭くネットに突き刺さった。
 グラウンドだったらホームランだな…と思いながら後ろ頭を掻く。キャップを取って、トスを上げている先輩に近付いた。

「吉岡先輩」

 普通に話しかけたつもりなのに、ビクッと怯えたように肩を震わせて、先輩が・・・振り向いた。

「あ…何?」
「トス、代わります」

 1年なんで、お互いに投げっこしますよ―――と愛想良く告げると、わかった…と呟くように言いながら、コクコクと頷いた先輩に場を譲られる。彼が離れたのを見計らってから、風間に向き直った。
 前回、わざとなのかと思ったが、どうやら違ったみたいだな…というのが、風間にも伝わった様だ。
 吉岡先輩と渡瀬先輩は、唯一残った二年生だ。どうも辞めた連中とは合わなかった・・・・・・みたいで、特にリーダー格の富崎からはパシリとして使われていた。
 元々推薦で入るぐらいだから、下手では無かっただろうに、やけにオドオドとした態度で、練習にも消極的なのが気になっていたが、まあ、先輩相手にどうこう出来るわけじゃないし、ほっとくしかないだろう。

 とりあえず練習だ。合図もせず、ポイッと球を軽く投げると、風間がブンッと勢いよく空振りする。

「振るなよ」
「振るだろっ!!」

 ティーバッテングなんだから!―――まあ確かに。試合ならボール球だけど。真剣味を帯びた眼差しを認めて、立ち位置を風間の真横に変えた。
 少し強めに投げた球が、ガッと音を立てて弾かれる。

「ファール」

 と言うと、悔しそうに眉を顰めた。風間のような強打者パワーヒッターに対して、ど真ん中のストレートを投げる投手バカはいない。攻めるなら内角だ。
 横から投げるティーはその練習。
 続けて強弱を付けながら何度も投げ込んだ。
 風間も顔を真っ赤にして、汗を飛ばしながらバットを振り続ける。キィンッといい音がしたところで、今度は後ろから投げる事にした。これは変化球の練習。

「しっかり見て、ポイントに来るまで待てよ」
「…了解」

 額の汗を拭って構えると、後ろからの球にタイミングを計って振る。何球目かで、高々と舞い上がった。

「センターフライってとこか」
「いやいや、ネット超えだろ」

 息を切らしている風間にちょっと休憩してなと言って、練習場から飛び出した球を拾いに行く。探すまでもなくちょっと離れた場所に、ボールを手に持った女子生徒が立っていた。

 ―――女子生徒、と分かったのは制服がスカートだったからだ。結構背が高いな…と思ったのと、ソイツが徐に足を上げて、大きく振りかぶるのが同時だった。

「―――っ?!」

 胸元に鋭く投げ込まれた投球を、すんでの所で躱す。かなり離れた場所なのに、何だ、コイツ。
 球はそのまま練習場に飛び込んだらしく、後ろでおわっっという声が上がった。まさか当たってねぇだろうな…

「なぁんで避けんの?」

 女子生徒が腰に手を置いて、拗ねたように言うのを睨みつけた。
 バカ言うな。硬球であのスピードで、素手で手ぇ出したら折れるだろ?!
 なのにソイツは知らぬ顔でスタスタと勢いよく歩いてくる。


「久しぶりだね~、“すなおっち”」

 そう言ってニヤリと笑う顔に覚えが無かった。

「―――誰だ?」
「え~、忘れたの?ハクジョーだなぁ。“カオル”だよ、遠山薫!!」

 遠山―――…

 その瞬間、大柄で日に焼けた満面の笑顔が目の前の顔に重なった。

「…キンシロー…」

 の、呟きに、繰り出されたパンチを反射的に避ける。

「なんでそだけ覚えてんだよっっ?!」

 今度は顔を真っ赤にして怒っている“遠山の金さん”に、忙しいヤツだな…と思いながら、視線を上から下へと走らせた。
 170位だろうか?成陵の制服―――チャコールグレーでチェックのスカート・・・・をはいた、スラリとした筋肉質な体をつくづくと見つめながら、思わず言ってしまう。

「…お前、女だったんだな」

 その言葉に、今度こそしっかり、鳩尾へ拳がめり込んだ。




 それが、遠山金四郎―――もとい、遠山薫との再会だった。
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