雨に薫る

はなの*ゆき

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2.Yellow star jasmine

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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「で、昨日の対戦は?」
「一勝二敗…ボケてるくせに強すぎなんだよ。」

 と、桂馬が悔しそうに言う。それでも、記念すべき1勝目に、二人で拳を付き合わせた。



 桂馬は1~2週間おきのペースで、老人ホームにいる祖父のところに行って、将棋を指している。
 認知症を患っていて、もう桂馬が誰か分かってないらしいが、行って誘うと嬉しがるらしい。そして言うのだそうだ。

「うちの孫なぁ、将棋教えちゃろううたのに、全然きかんで、ホンマつまらんのよ。」

 あんたが相手してくれるけぇ、まぁええけど―――と。
 そして桂馬はいつも、「いや、俺が孫だって」と、心の中でツッコミをいれてるらしい。



 瀬戸桂馬とは、3年になって初めて同じクラスになった。

 出席番号で最初の席の後ろに座っていたのが桂馬だったのだが、ある日、後ろ手にプリントを渡そうとしたら、全く受け取る気配が無かった。
 あれ?と思い振り向くと、桂馬は行儀悪く肘をついて体を横向きにし、いかにもつまらなさそうに将棋の本を読んでいた。

「おい、瀬戸」

 呼びかけるとハッとしてこっちを見た。

「あ、ゴメン。」
「…お前、“桂馬”ならちゃんと前向いとけよ。」

 前にしか進むことの出来ない駒を引き合いに、何の気なしに言ったのだが、なぜか桂馬は自分の言葉に食い付いてきた。

「え、進藤、将棋やるの?」
「いや。」

 即答だった。実際、将棋そのものをやったことは無かったから。ただ、昔、山くずしという駒を使った遊びをしていて、その時に、色々説明してくれた人がいたのだ。
 もう少し大きくなったら、勝負しよう、と。
 小学校に上がって野球を始めてしまったから、自分はその約束をすっかり忘れて。
 そしてそのまま、かずさんは死んでしまった。


 そうだった、約束、してたんだった…


 なぜだかその時、不意に。
 初めて、かずさんが死んだことを実感した。
 とても穏やかで、優しい人だった事を思い出して。



 そんな自分の話を聞いて、桂馬がため息をついた。

「あーあ、やっぱ勉強しないとダメか…何かもー、訳分からん」

 そう言って、桂馬は本をバサリと机に置いた。

「俺の名前さ、じいちゃんが付けたんだよ。」
「うん。」
「昔っから、将棋しよう、しよう、うるさかったんだけど…」
「死んだのか?」
「いや、まだ生きてるよ!…けど、去年ばあちゃん死んでから認知になっちゃって。」

 将棋って、認知症にいいんだってさ…と桂馬が呟き、でも結構面倒くさいから、自分に教えてもらえないかと思ったのだと言った。
 もちろん、教えられる訳などなかったのだが、それ以来話をするようになり、何故か心を入れ替えて、必死で将棋を覚えた桂馬と一緒に、じいさん対策を練ったりするようになっていた。





「もう4時だけどいいのか?今日は雨降ってる・・・・・けど。」
「ああ、うん。何か、友達と約束あるって言ってたから。」
「へー、振られたんだ。」

 ゴッと額に拳を打つ。
 無言で悶える桂馬を放置しながら、さて、そろそろ帰るか―――と、席を立ったところに、

「あ、いたーっっ」
「進藤君~っっ」

 所謂、きゃぴきゃぴ―――という表現がぴったりな雰囲気の女子3人が、桂馬と2人だけになっていた教室へ入ってきた。
 げ―――と言うのがこれまたぴったりな空気が、桂馬との間に流れる。桂馬もこういうタイプが苦手だった。
 早く行こう、と無言で目配せして促し、通学バッグを袈裟懸けにして教室を出ようとしたら、囲まれるように絡まれた。

「え、待ってよ~」
「ねえねえ、進藤君、今日部活休みなんでしょ~?」
「一緒にカラオケ行かない~?」

 何言ってんだ、コイツら。

 思わず半眼で見返す。そもそも、やたら親しげに話しかけてくる割に、顔に全く見覚えが無かった。
 そんなヤツらと何でカラオケ?―――無いわ。

「ちょ、退いて」

 つい声が低くなるのはしょうがないと思う。だが、敵も然る者、待ってよ~と言いながらついてくる。
 一体何なんだ?! 段々苛ついてくるのが、自分でもわかった。

「ねぇ、じゃさ、ID交換しよ?」

 はあ?―――と、声には出さなかったけれど。もう限界とばかりに口を開こうとした、その時。
 ブブブブブ―――という、所謂バイブ音が、廊下に鳴り響いた。
 首を廻らせると、近くの教室の掃除道具入れの前に、スマートフォンが落ちている。
 近寄って拾い上げると、「えー、汚いよ~?進藤君~」という声が上がった。

 大丈夫、お前のじゃないから・・・・・・・・・、汚くない。

 画面に“家”と出ているから、帰ってから気付いてかけてきたんだろう。だが、出ようとして、やり方が分からない事に気が付いた。実はまだ持っていなかったから。
 察した桂馬が出ようとして手に取ったのと、切れるのが同時だった。
 そして、パッとホーム画面に変わったのを見て、息を呑んだ。

 そこに、体操服を着たスミが映っていたのだ。


「え、何?どしたの?」

 女共が覗き込もうとするのを、睨んで牽制する。

「…この写真って、消せるか?」
「え…、いやロック掛かってるし…」

 じゃあ仕方ない。
 持っていたそれ・・を床に叩き付けるべく振りかざすと、桂馬が慌てて腕を掴んだ。

「わーっっ!待て待て!何考えてんだよ⁈」

 桂馬が言いながらスマートフォンを取り上げる。

「ちょっと待てよ、これは虹彩認証だから…えーと、とりあえず機種で検索して、初期設定のままだったらラッキー…」

 何やら呟きながらシリコンカバーを外した桂馬が、あ、と声を上げる。覗き込むと、カバーの内側に四文字の数字が書いてあった。
 桂馬が、はは…と白けた笑い声を出しながらロックを外す。やや躊躇いながらアプリを立ち上げると、今度は息を呑んだ。

 覗き込んだ瞬間、ざわり、と身体中の毛が逆立つような何かが、身体を駆け抜けた。

 画面一杯に広がった―――スミの姿。

「ち、ちょっと、待って、消すから!待てって!落ち着けっっ!」

 桂馬が指で画面を操作する。

「ほらっ、消した―――」

 焦った様に言いながら桂馬がかざして見せたそれ・・をむしり取る。思い切り腕を振り上げて、バンッッ―――と、床に叩き付けた。

 ひっという微かな悲鳴があがっていたが、どうでもいい。

 塩ビタイルの床を跳ね返って壁に当てり、クルクルと回って止まる。それをつかつかと歩み寄って拾い上げ―――ちっ…と舌打ちした。
 ヒビも入ってねぇ。あれか、落としても大丈夫ってヤツか?

「お、おいっ、進藤っっ」

 桂馬の声をスルーして、もう一度叩き付ける。そして今度はガンッッと上から踵を落とした。

 ―――バキッッ

 さすがに今度はうまくいった。拾い上げると、機器が少しくの字気味になって曲がり、画面は完全にひび割れていた。

「…進藤…お前、…どーすんだよ、それ。」
「職員室に持って行く。」
「へ?」

 間の抜けた声をだした桂馬を置いて歩き出す。

「うっかり踏んづけて壊しちまったからな。弁償するには持ち主を探してもらわないと。」
「~いやいやいや、お前、それ絶対違うだろっっ」

 何も違わない。
 徹底的にやらないと、コイツはまた同じ事を繰り返すに決まっている。

 呆れ顔の桂馬とはそこで別れ、職員室に向かった。
 受け取った教員に同様の旨を伝えると、何だか微妙な顔をしていたが、それでも、持ち主が分かったら教えてもらえるよう頼んで学校を出る。

 外はだいぶ薄暗くなっていた。

 妙な胸騒ぎを感じて、小降りになっていた雨の中を、傘を差さずに足早に急いだ。
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