雨に薫る

はなの*ゆき

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1.Cape jasmine

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 HRが終わると、クラスの空気が一様に変わる。

 直ぐに鞄を手に立ち上がり教室を出て行くもの。
 仲の良い同士で集まって話し出すもの。

 筆記具を片付けながら、今日の晩御飯のメニューを考えているところに声がかかった。

「スミ、今日空いてる?」

 肩までのストレートをさらりと耳にかけながら“リツ”が前の席に腰掛けた。
 
「んー…」
「コウさんの誕プレ買うの付き合ってくんない?」
「誕生日?なんだ、コウさん」
「月末ね」
「ふーん…」

(モヤシ使っとかないとな…あとなんかあったっけ?)

 生返事を返しながら、スマートフォンを出して某有名レシピサイトの特売情報アプリを起動すると、トップページに表示されたのはタイムセールの文字。

(―――駅前のイズミヤで16時から卵88円…マジか?!)

 急いで鞄に詰め込み立ち上がる。

「どしたの?」
「卵がヤバい! ゴメン、また明日!」

 なに言ってんだコイツ?な台詞を残して教室を飛び出した。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





初めて作ったのはカレーだった。

 その頃、眠ることすらまともに出来なかった母の代わりに、隣に住むかなちゃが洗濯も食事も世話をしてくれていた。
 小学三年生という幼さにはがゆさを覚えながらも、自分で出来ることはしようと、まず部屋を片付ける事から始めて、掃除機をかける事や洗濯機の操作を覚えていった。
 そして、「切って、炒めて、煮込むだけよ~」というかなちゃの言葉に励まされながら、生まれて初めて、一人で作ったのが、それ。
 母の手を引いて食卓に座らせてから、いただきます、と手を合わせて。


 一口、食べて
 失敗した、と思った。

 一口、食べて
 母は涙を零した。


 カレーはいつも、父が作っていたから。

 単純に、簡単だから作っていたんだ、と思ったのだ。
 だから、自分でも作れるだろう、と。


 そうじゃなかった。

 カレーだけは・・・・・・、父が作っていたのだ。

 玉ねぎを飴色になるまで丁寧に炒めて、カレールーも幾つか組み合わせて、父独自の隠し味を加えて。
 切って、炒めて、煮込んだだけのカレーは給食のカレー並みに味気なかった。


 そして、次の日。

 母は家にあるだけの睡眠薬を一息に飲んだ。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「…失敗したな…。」

 小さく独り言ちて立ち止まる。
 後頭部で傘を支えながら、右手に持っていたエコバッグを左手に持ち替えた。

『買えた?』

 と、リツが寄越したメッセージには、スーパーを出る前に返信した。

『うん、ゴメン。明日、付き合うよ』
『Thank you!』
『ペコリ』
『bye-bye』

 我ながら終わってる・・・・・…とは思う。

 マンションへの坂道を見上げて、1つため息を吐いてから歩き出す。小学校の頃、ここを走って駆け上がってたなんて嘘みたいだ。

 特売の卵は千円以上お買い上げの方―――となっていたからって、ついでに安くなっていた醤油とキャベツ一玉に味噌まで買ったのが大きな間違いだったと思う。
 エコバッグが、子泣きなんとかのように徐々に重くなっていく気がするのは、この坂道の勾配のキツさに加えて、降り出した雨のせいでもう片方の手が傘で塞がっているからというのもある。


(バカじゃね?)

 呆れたような声でそう言って、エコバッグを奪うように持ってくれていた手はもう無い。
 雨の日だけは、傍にいてくれた
 “ナオ”とはもう、3か月会っていない。




 それで、いいのだ―――たぶん。
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