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叙章 アガルタの記憶に徒花を
叙の七 見捨てられた街に桜の便りを ①
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’三六年〇五月〇五日(約束の日まで、あと一九〇日)
「世間じゃあ、異常気象だなんだって騒いでるっつーのに……ここはいつ来ても、ちーっとも変わらねーなぁ」
北の大地は東部の港町、『神威市』――その空の玄関口である『神威空港』に降り立つなり、男は開口一番でそうぼやいた。
(さすがは“亜瑠坐瑠の街”……といったところか?)
痩身で細面。冴えない風貌の中年男、御神影恣は暗褐色のトレンチコートに袖を通すと、辺りを見回した。その糸のように細い目は、視線の先を……そして感情すらも想像させない。
『中部国際空港』から『新千歳空港』を経由して、ようやく辿り着いた辺境の地。内地とを繋ぐ(貨物以外の)直行便も#現在___#はなく、この日の空港利用者は彼のほか、一名きり。かつての北海道時代――その中でも有数の観光地であった頃の面影など、今はどこにも見当たらなかった。
(確かに、人目を避けるには打ってつけかもしれねーが……俺には、“見捨てられた街”にしか見えねーんだけどなぁ)
春の大型連休が終盤を迎える中、わざわざこんな僻地へと訪れる者など、皆無であっても当然か……男にそう、思わせるほどの閑散ぶり。
五年前の東北海道大震災を機に、かつて『道東』と呼ばれた地域は北海道から分離された。地名も『北の大地』と新たに命名され、それを皮切りに地方分権の先駆けとして『行政特区』に制定されてからというもの、人の往来は日を追うごとに減少の一途を辿っている。
国の委任から完全に独立、分離された『特定特区自治法』が施行されると、市内に入るだけでも多くの手続きを履まなければならなくなり、許可が下りるまで数日間を要する――そんな街の実状が、人の足を遠ざけている主な要因であろう。
だが、それらはすべて仕組まれた“仮の姿”……先住民族『亜瑠坐瑠』の保護を目的に再編されたこの地域は、日本の中にありながら、すでに日本とは呼べない場所になっていた。
街の中心部から車でおよそ四十分。神威市郊外の山間に建てられた簡素な空港は、間もなく初夏とは思えないほど冷たい空気で満たされていた。
「やっぱりよー、なんか一枚、上に羽織ってきた方がよかったんじゃねーのか?」
エントランスを出た中年男の背後では、あまりの寒さに身を縮めた制服姿の女子高生が一人、ブルブルと震えながら立ち竦んでいる。
その様子を鼻で笑う影恣は、それみたことか……と言わんばかりのドヤ顔を披露してやった。
「うー……」
「なんだよ……俺を睨んだってどーにもならねーだろーが? この季節にそんな格好で来るのが間違いなんだっつーの。北の大地ナメんなよ! カッカカカ」
「よ、よくもそんなことが言えるよね? ボクだってなにも好きこのんでこんな……こんな馴れない格好で来たわけじゃないし」
そう言ってむくれる少女の名は御神唯姫――両腕で自分自身を抱える彼女は、恨めし顔で影恣を睨むとその場で地団駄を踏んだ。そんな唯姫の服装といえば、臙脂色のセーラーブレザーにプリーツの利いたチェックの膝上スカート、といった出で立ちで……この時期の最高気温が、十度前後までしか上がらない土地柄にあっては、やはり“軽装”というより外ならない。
「だいたい、ボクの服なんて父さんが勝手に纏めて、無断で全部送っちゃったじゃないか!」
「ふん、そーだっけか? てんで覚えがねーなー」
“超”がつくほどの内弁慶――少女の性格など当然のように熟知している中年男は、いつものように適当な態度ではぐらかした。それは、影恣が唯姫を言いくるめる際の常套手段である。
「この制服が届かなかったら、今日だって着る服がなにもなかったんだよね! いい大人が子供じみた真似してさ、全然笑えないし……」
それは今朝方のこと……唯姫が起きた時には部屋中のあらゆる物が跡形もなく消えていて、彼女は呆然としたまま暫くは動くことができなかった。
“ガラン……”とした六畳間に“ポツン……”と布団だけが敷かれた状態――そのことを思い返すたび、多分……いや、絶対にワザと起こさないよう、こっそりと運び出したであろう父親の手際のよさが、無性に腹立たしくなって仕方がない。
「それも、“女子の制服”だなんて、ボクはなんにも聞いてなかったし! 寒いし、恥ずいし……もう、ほんと信じられないんだよねっ!」
「あーそーですかい? それは大変スマンこって」
その返答に反省の色は感じられず、唯姫の抗議などまったく気にも留めていない。そんな影恣の態度が、余計に彼女の怒りを煽り立てた。
とある事情により、高校二年までを『男の子』として生活してきた唯姫にとって、こんなに短いスカートを穿く機会はこれまで殆どなかった。加えて、微風が吹いただけでもひるがえる裾が気になって、まともに歩くことさえ儘ならない……その動揺たるや、平常心でいられるレベルを遥かに超えるものであった。
それでもどうにか勇気を振り絞り、一歩ずつ足を踏み出していく。空っぽも同然となったスーツケースを引き連れた唯姫は、怒りを露わに影恣を追い抜くと、市内に向かうバス乗り場へと直行していくのだった。
「そもそもは、いつまでも荷造りしねーで、今日の今日まで放ったらかしにしていたお前が悪いんじゃねーか。俺に当たること自体、筋違いじゃねぇーのか?」
「うっ……」
影恣の台詞に動揺しつつも、怒りの冷めやらない唯姫はそれを無視して歩を進める。
「代わりに纏めてやれば逆ギレで、挙げ句の果てに文句まで言う始末ってか……? 自分の子供ながら、まったく恐れ入ったぜ」
少女の怯んだ隙を見逃さなかった父親は、ここぞとばかりに追い討ちを掛けていく。
「それにお前、出掛けに倉田の爺いから『餞別』だ、つって五万も……俺に内緒で、こっそり貰ってただろ? 陰でコソコソしてたって、こっちは全部お見通しなんだっつーの」
「うー……」
痛い所を次々と指摘された唯姫は、脳内をフル回転させて反論の糸口を探った。
「あ、あれは母さんへのお土産とか? お土産とか……後はほら、お土産とか、さ……」
「どんだけ土産好きだよ⁉」
先刻までの威勢のよさはどこへやら……形勢を逆転された途端に歯切れも悪くなり、唯姫はオロオロと視線を泳がせる。
「……ったく、そんな余裕があるんなら、途中でなんか買って着替えて来りゃあよかったじゃねーか。誰に似たんだか、マジでケチくせーヤツな?」
嫌みを含んだ影恣の説教が続く中、必死に言い返そうとするも何も思いつかず……結局、最後には口篭もって俯いてしまう。言い訳ひとつ満足にできない唯姫は、父さんほどじゃないし……と、負け惜しみを唱えるのがやっとであった。
(こいつ……こんなんで、ほんと大丈夫か?)
整理整頓や家事全般が大の苦手で、貯金だけが心の支え。コミュ力にも相当欠けた、“残念女子”としての将来像しか思い浮かばない――そんな吾が子の後ろ姿を、影恣は理由もなくなんとはなしに眺めていた。
彼の目に映る少女のシルエットは、ショートボブにスレンダーな体型が相俟って、実に快活そうな……そしてなにより、立派な『高校生』に見える。これまで、想像すらしたことのないひとり娘の“女子高生姿”を前に、御神影恣は意外にも感慨に耽っていた。
「ふん……案外似合ってるじゃねーか」
思いがけない父親の台詞に、え……? と足を止めて振り返る唯姫。それと同時に、ある女性の姿がフィードバックしていく。
その時――少女を見つめる影恣の脳内は、時間が巻き戻っていく感覚に捕らわれるのだった。
「世間じゃあ、異常気象だなんだって騒いでるっつーのに……ここはいつ来ても、ちーっとも変わらねーなぁ」
北の大地は東部の港町、『神威市』――その空の玄関口である『神威空港』に降り立つなり、男は開口一番でそうぼやいた。
(さすがは“亜瑠坐瑠の街”……といったところか?)
痩身で細面。冴えない風貌の中年男、御神影恣は暗褐色のトレンチコートに袖を通すと、辺りを見回した。その糸のように細い目は、視線の先を……そして感情すらも想像させない。
『中部国際空港』から『新千歳空港』を経由して、ようやく辿り着いた辺境の地。内地とを繋ぐ(貨物以外の)直行便も#現在___#はなく、この日の空港利用者は彼のほか、一名きり。かつての北海道時代――その中でも有数の観光地であった頃の面影など、今はどこにも見当たらなかった。
(確かに、人目を避けるには打ってつけかもしれねーが……俺には、“見捨てられた街”にしか見えねーんだけどなぁ)
春の大型連休が終盤を迎える中、わざわざこんな僻地へと訪れる者など、皆無であっても当然か……男にそう、思わせるほどの閑散ぶり。
五年前の東北海道大震災を機に、かつて『道東』と呼ばれた地域は北海道から分離された。地名も『北の大地』と新たに命名され、それを皮切りに地方分権の先駆けとして『行政特区』に制定されてからというもの、人の往来は日を追うごとに減少の一途を辿っている。
国の委任から完全に独立、分離された『特定特区自治法』が施行されると、市内に入るだけでも多くの手続きを履まなければならなくなり、許可が下りるまで数日間を要する――そんな街の実状が、人の足を遠ざけている主な要因であろう。
だが、それらはすべて仕組まれた“仮の姿”……先住民族『亜瑠坐瑠』の保護を目的に再編されたこの地域は、日本の中にありながら、すでに日本とは呼べない場所になっていた。
街の中心部から車でおよそ四十分。神威市郊外の山間に建てられた簡素な空港は、間もなく初夏とは思えないほど冷たい空気で満たされていた。
「やっぱりよー、なんか一枚、上に羽織ってきた方がよかったんじゃねーのか?」
エントランスを出た中年男の背後では、あまりの寒さに身を縮めた制服姿の女子高生が一人、ブルブルと震えながら立ち竦んでいる。
その様子を鼻で笑う影恣は、それみたことか……と言わんばかりのドヤ顔を披露してやった。
「うー……」
「なんだよ……俺を睨んだってどーにもならねーだろーが? この季節にそんな格好で来るのが間違いなんだっつーの。北の大地ナメんなよ! カッカカカ」
「よ、よくもそんなことが言えるよね? ボクだってなにも好きこのんでこんな……こんな馴れない格好で来たわけじゃないし」
そう言ってむくれる少女の名は御神唯姫――両腕で自分自身を抱える彼女は、恨めし顔で影恣を睨むとその場で地団駄を踏んだ。そんな唯姫の服装といえば、臙脂色のセーラーブレザーにプリーツの利いたチェックの膝上スカート、といった出で立ちで……この時期の最高気温が、十度前後までしか上がらない土地柄にあっては、やはり“軽装”というより外ならない。
「だいたい、ボクの服なんて父さんが勝手に纏めて、無断で全部送っちゃったじゃないか!」
「ふん、そーだっけか? てんで覚えがねーなー」
“超”がつくほどの内弁慶――少女の性格など当然のように熟知している中年男は、いつものように適当な態度ではぐらかした。それは、影恣が唯姫を言いくるめる際の常套手段である。
「この制服が届かなかったら、今日だって着る服がなにもなかったんだよね! いい大人が子供じみた真似してさ、全然笑えないし……」
それは今朝方のこと……唯姫が起きた時には部屋中のあらゆる物が跡形もなく消えていて、彼女は呆然としたまま暫くは動くことができなかった。
“ガラン……”とした六畳間に“ポツン……”と布団だけが敷かれた状態――そのことを思い返すたび、多分……いや、絶対にワザと起こさないよう、こっそりと運び出したであろう父親の手際のよさが、無性に腹立たしくなって仕方がない。
「それも、“女子の制服”だなんて、ボクはなんにも聞いてなかったし! 寒いし、恥ずいし……もう、ほんと信じられないんだよねっ!」
「あーそーですかい? それは大変スマンこって」
その返答に反省の色は感じられず、唯姫の抗議などまったく気にも留めていない。そんな影恣の態度が、余計に彼女の怒りを煽り立てた。
とある事情により、高校二年までを『男の子』として生活してきた唯姫にとって、こんなに短いスカートを穿く機会はこれまで殆どなかった。加えて、微風が吹いただけでもひるがえる裾が気になって、まともに歩くことさえ儘ならない……その動揺たるや、平常心でいられるレベルを遥かに超えるものであった。
それでもどうにか勇気を振り絞り、一歩ずつ足を踏み出していく。空っぽも同然となったスーツケースを引き連れた唯姫は、怒りを露わに影恣を追い抜くと、市内に向かうバス乗り場へと直行していくのだった。
「そもそもは、いつまでも荷造りしねーで、今日の今日まで放ったらかしにしていたお前が悪いんじゃねーか。俺に当たること自体、筋違いじゃねぇーのか?」
「うっ……」
影恣の台詞に動揺しつつも、怒りの冷めやらない唯姫はそれを無視して歩を進める。
「代わりに纏めてやれば逆ギレで、挙げ句の果てに文句まで言う始末ってか……? 自分の子供ながら、まったく恐れ入ったぜ」
少女の怯んだ隙を見逃さなかった父親は、ここぞとばかりに追い討ちを掛けていく。
「それにお前、出掛けに倉田の爺いから『餞別』だ、つって五万も……俺に内緒で、こっそり貰ってただろ? 陰でコソコソしてたって、こっちは全部お見通しなんだっつーの」
「うー……」
痛い所を次々と指摘された唯姫は、脳内をフル回転させて反論の糸口を探った。
「あ、あれは母さんへのお土産とか? お土産とか……後はほら、お土産とか、さ……」
「どんだけ土産好きだよ⁉」
先刻までの威勢のよさはどこへやら……形勢を逆転された途端に歯切れも悪くなり、唯姫はオロオロと視線を泳がせる。
「……ったく、そんな余裕があるんなら、途中でなんか買って着替えて来りゃあよかったじゃねーか。誰に似たんだか、マジでケチくせーヤツな?」
嫌みを含んだ影恣の説教が続く中、必死に言い返そうとするも何も思いつかず……結局、最後には口篭もって俯いてしまう。言い訳ひとつ満足にできない唯姫は、父さんほどじゃないし……と、負け惜しみを唱えるのがやっとであった。
(こいつ……こんなんで、ほんと大丈夫か?)
整理整頓や家事全般が大の苦手で、貯金だけが心の支え。コミュ力にも相当欠けた、“残念女子”としての将来像しか思い浮かばない――そんな吾が子の後ろ姿を、影恣は理由もなくなんとはなしに眺めていた。
彼の目に映る少女のシルエットは、ショートボブにスレンダーな体型が相俟って、実に快活そうな……そしてなにより、立派な『高校生』に見える。これまで、想像すらしたことのないひとり娘の“女子高生姿”を前に、御神影恣は意外にも感慨に耽っていた。
「ふん……案外似合ってるじゃねーか」
思いがけない父親の台詞に、え……? と足を止めて振り返る唯姫。それと同時に、ある女性の姿がフィードバックしていく。
その時――少女を見つめる影恣の脳内は、時間が巻き戻っていく感覚に捕らわれるのだった。
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