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叙章 アガルタの記憶に徒花を
叙の四 ボディガードに濡れ落ち葉を ③
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☆
内閣官房長官の畠山薫は、民和党本部の自室でその電話を取っていた。
「――それにしても、あのニュース映像には正直驚きましたな。事前になんのご連絡もありませんでしたから……現在、総理官邸はてんてこ舞いの大騒ぎになっていますよ」
サヲリは、猫足のバスタブへと浸かりながら電話を掛けていた。楓華といえば、サヲリの生まれたままの姿をまともに見ることができずに、湯船の端で縮こまっている。
「そうですわね……でも、こちらとしては“チャンス”を作って差し上げたつもりでしてよ? 矢口総理には責任を取っていただいて内閣は解散……。総選挙を機に、諸々の首を挿げ替えるにはいい口実ではなくって?」
「そうですなぁ……まぁ、私共としましても、一気に解散総選挙へ持っていきたいのは吝かではないんですがね。野党も色めきだって不信任決議案を提出してくるでしょうし、総選挙ともなれば……うちの台所事情もご存知でしょう? 選挙資金の問題ですよ」
どこまでも狡猾な畠山は、ここぞとばかりに交換条件を振ってきた。
「前回の参院選で歴史的大敗を喫した我が党には、もう大手の銀行は見向きもしません……真に情けないことですがね。これまでなら献金と相殺していたものですが……恥ずかしながら、今となっては担保がないと金策も儘ならないのが現状でして……」
「わかりました、その件はこちらで手を貸しましょう。でも、くれぐれもご内密にお願いしますわ。の国が、実は“JKの逆援助”で成り立っていました……なんてことが、公になりませんように」
「うちとしましては、願ってもないことですよ。おそらく週明けには、総理の了解も取り付けることができるでしょう」
畠山は、私設秘書の巽圭介に目配せして、二つ折りにした小さなメモを手渡す。そのメモには、『小笠原へ連絡を』との文字が書き込まれていた。
(いつまでも、こんな娘っ子に好き勝手される『民和党』ではないわ。地盤のない頃や派閥発足時にはそれなりに世話になったが、そろそろ付き合い方も考え直さなければならん時期……先代が行方知れずになったのも、単なる偶然ではないのかもしれんな。まぁ、潰してしまうのは簡単だが、その前にたっぷりと搾り取ってやらねば……)
そう思いつつ、畠山薫は黒く微笑んだ。
☆
サヲリはバスローブに着替えると、足早に浴室を後にする。
「あのセクハラオヤジ、今度食事でもどう? ですって……本当、気持ち悪いったらないわ!」
「お疲れ様でございました」
力なく、そう言って首を垂れる。初めてサヲリと湯船を共にした楓華は、別な意味で疲れていた。
「もうこんなことさせないで。もう少し、気を引き締めて行動して欲しいものだわ……艦長も、あなたも。それと――」
サヲリは思い立ったようにリビングへ向かう足を止め、腰に手を当てると振り返って楓華を指差す。
「楓華……明日、あの女を連れて来て」
「あの女……とは?」
「厚岸の水産研究所よ。池神静教授……回りくどいやり方は、やっぱり私の性に合わないわ」
「厚岸の水産研究所よ。池神准教授……回りくどいやり方は、やっぱり私の性に合わないわ」
「拉致……してこい、と?」
北都大学准教授の池神静は戸籍上、池神織子の“養母”となっていた。間諜活動や交渉、工作といった仕事は、楓華のもっとも得意とする分野である。サヲリは当事者たちを集めて、直接事情を説明させる腹積りなのだ。
「手段は選びません。でも、なるべくなら穏便に……そして、必ず連れてくるのよ。こうなった以上、すべてを話してでも協力を仰いだ方が確実ではなくって? それに、彼女には別件でやってもらいたいこともあるのよ」
様々な思惑を乗せて、花冷えの夜は更けてゆく――漆黒の闇は所々不穏な動きを見せ始め、夜の帳にその影を落とした。それが天巫女の特性なのか……自ずと、そんな空気を感じ取っていたサヲリは、ようやく行動を開始する。
そのためにはまず、あの『ネコ娘』の生い立ちを、今一度確認する所から始めなければ……と、そう考えての指示であった。
☆
’三六年〇四月一八日(約束の日まで、あと二〇七日)
それは、あまりにも唐突な出来事――あくる日、彼は遥夏たちの教室へ堂々とやって来た。
「あー、彼は京都からの転校生で……」
担任である土方歳三の紹介を待たずして、その男子生徒はチョークを手にすると、黒板の端から端までを使って大きく自分の名を刻んだ。『倉田鞍馬』……それが彼の名だった。
「カッパくん、キター!」
「うっさい! 関係ない‼」
廣瀬遥夏と池神織子の周囲だけが、異常なほどの盛り上がりをみせている。鞍馬は終始無言で名前を書き終えると、直ぐさま自分の目的を実行に移していった。
気づくと遥夏のとなりの席へ――野球部の武山悟に、無言で詰め寄っている。半ば、強引過ぎる彼の行為に……または、あえて平然とやってのけるその態度に、クラス中が拍手喝さいを送った。
「え……? あ、ああ……はいはい」
するとなぜか、武山の方も妙に納得した様子で、自分の席をすんなりと明け渡いていく。ただ一人、納得できない遥夏だけを取り残し、いつの間にかクラス全体がひとつに纏まっていた。
(いったい、なんなのよ……コイツは?)
「いきなりやるねー、カッパくん!」
「カッパ……? なんだそりゃ?」
いつでもマイペースを貫く織子といえば、早速、二人のツーショットをカメラに収めていく。雑然となった教室内を見回した担任の土方歳三は、取り敢えずこの場は適当にあしらっておこうと思った。
「あー、落ちついたか? まあ、仲良くやってくれ。それと廣瀬、ホームルームが終わったら、昨日のバットとヘルメット……職員室まで取りに来いよ」
「あ、それ武山くんのですから。私のじゃありません」
「そうなのか、武山? 名前くらいきちんと書いておけよ」
「え……?」
絶句して固まる武山悟には眼もくれず、鞍馬はいつのまにか遥夏のとなりの席に落ち着いている。思えば、この日が廣瀬遥夏にとって、苦行とも思える受難の始まりであった。
件の転校生、倉田鞍馬は授業中のみならず、常に遥夏の傍にくっついて回るようになった。果ては女子トイレの中まで入って来ようとした所を、遥夏の飛び蹴りで撃退されるまでである。彼の行動は、異常なまでに広瀬遥夏に固執していた。ついには織子までもが、見るにみかねて苦言を呈していく。
「ねぇ、カッパくん。そういうのを『ストーカー行為』って言うんだってさ。前に私も同じことやって、遥夏にこっぴどく怒られたんだ」
「俺は、カッパじゃねー! カッパ、カッパ、言うな……ぶっ!」
いつの間にか鞍馬の背後に立っていた遥夏が、すかさず彼の頭を拳で殴る。
「なに、女子トイレの前で大声張り上げてんのよ! 恥ずかしい!」
「気配もなく、俺の背後を取った……だとっ⁉」
「織子! あんたも、この変態に懐いてんじゃないわよ」
なぜか、やれやれという面持ちで、鞍馬は再び彼女たちの後をついて行く。ただ、その背中越しに神矢サヲリの視線だけはしっかりと認識していた。
諄々とした彼らのそんなやり取りは、放課後まで続いていた。
「もう勘弁してよ……」
泣き言など、これまで発したことのない遥夏から出てきたその台詞は、実によく彼女の心境を言い表している。
「でも、遥夏の初恋相手なんだよね? あのカッパくん」
「ぜんぜん違うから! 織子、勘違いにもほどほどにしてよね」
(織子も頭痛の種には違いないな、絶対)
そう遥夏が思ったいつもの帰り道。やはり例の転校生は、五メートルほどの距離を保ちつつ、二人の後をついて来ていた。
「――じゃあ、遥夏。今日はここでバイバイね」
そう言うと、織子は鞍馬に向かって駆け寄っていく。
「えっ? なにそれ……嘘でしょう?」
この状況下で、てっきり織子は家まで一緒に来てくれるものだと思っていた。浅はか過ぎた遥夏の思惑は、 そんなことなど気にも留めない織子の一言によって、完全に打ち砕かれてしまう。
鞍馬の直ぐとなりにまでやって来ると、織子は無防備にも――または馴れ馴れしく、彼の肩へと腕を回す。
「私は遥夏の親友やってる池神オリコ。気軽に『オリリン』って呼んでね!」
「俺は――」
「知ってる、御庭番の鞍馬くん! 遥夏のこと、これからもよろしく頼んますねー」
そう言葉を掛けると、織子は彼の背中をパンッと軽く叩いた。
「ちょ、ちょっと、織子! どこに行くのよー⁉」
「ん? 再来週あたりから、ちょうどゴールデンウィークだべ? オリコは、ちょこっと早めに小旅行に行ってくるべさっ。まあ、里帰り……っていうのかニャ?」
その場に遥夏ひとりを残して、織子は手を振りながら駆け出していく。
「……もう嘘でしょう? 誰か助けてよー」
遥夏は項垂れつつ、家とは別の方向――神威駅方面に向かって走り去る織子を、ただ黙って見送ることしかできなかった。
内閣官房長官の畠山薫は、民和党本部の自室でその電話を取っていた。
「――それにしても、あのニュース映像には正直驚きましたな。事前になんのご連絡もありませんでしたから……現在、総理官邸はてんてこ舞いの大騒ぎになっていますよ」
サヲリは、猫足のバスタブへと浸かりながら電話を掛けていた。楓華といえば、サヲリの生まれたままの姿をまともに見ることができずに、湯船の端で縮こまっている。
「そうですわね……でも、こちらとしては“チャンス”を作って差し上げたつもりでしてよ? 矢口総理には責任を取っていただいて内閣は解散……。総選挙を機に、諸々の首を挿げ替えるにはいい口実ではなくって?」
「そうですなぁ……まぁ、私共としましても、一気に解散総選挙へ持っていきたいのは吝かではないんですがね。野党も色めきだって不信任決議案を提出してくるでしょうし、総選挙ともなれば……うちの台所事情もご存知でしょう? 選挙資金の問題ですよ」
どこまでも狡猾な畠山は、ここぞとばかりに交換条件を振ってきた。
「前回の参院選で歴史的大敗を喫した我が党には、もう大手の銀行は見向きもしません……真に情けないことですがね。これまでなら献金と相殺していたものですが……恥ずかしながら、今となっては担保がないと金策も儘ならないのが現状でして……」
「わかりました、その件はこちらで手を貸しましょう。でも、くれぐれもご内密にお願いしますわ。の国が、実は“JKの逆援助”で成り立っていました……なんてことが、公になりませんように」
「うちとしましては、願ってもないことですよ。おそらく週明けには、総理の了解も取り付けることができるでしょう」
畠山は、私設秘書の巽圭介に目配せして、二つ折りにした小さなメモを手渡す。そのメモには、『小笠原へ連絡を』との文字が書き込まれていた。
(いつまでも、こんな娘っ子に好き勝手される『民和党』ではないわ。地盤のない頃や派閥発足時にはそれなりに世話になったが、そろそろ付き合い方も考え直さなければならん時期……先代が行方知れずになったのも、単なる偶然ではないのかもしれんな。まぁ、潰してしまうのは簡単だが、その前にたっぷりと搾り取ってやらねば……)
そう思いつつ、畠山薫は黒く微笑んだ。
☆
サヲリはバスローブに着替えると、足早に浴室を後にする。
「あのセクハラオヤジ、今度食事でもどう? ですって……本当、気持ち悪いったらないわ!」
「お疲れ様でございました」
力なく、そう言って首を垂れる。初めてサヲリと湯船を共にした楓華は、別な意味で疲れていた。
「もうこんなことさせないで。もう少し、気を引き締めて行動して欲しいものだわ……艦長も、あなたも。それと――」
サヲリは思い立ったようにリビングへ向かう足を止め、腰に手を当てると振り返って楓華を指差す。
「楓華……明日、あの女を連れて来て」
「あの女……とは?」
「厚岸の水産研究所よ。池神静教授……回りくどいやり方は、やっぱり私の性に合わないわ」
「厚岸の水産研究所よ。池神准教授……回りくどいやり方は、やっぱり私の性に合わないわ」
「拉致……してこい、と?」
北都大学准教授の池神静は戸籍上、池神織子の“養母”となっていた。間諜活動や交渉、工作といった仕事は、楓華のもっとも得意とする分野である。サヲリは当事者たちを集めて、直接事情を説明させる腹積りなのだ。
「手段は選びません。でも、なるべくなら穏便に……そして、必ず連れてくるのよ。こうなった以上、すべてを話してでも協力を仰いだ方が確実ではなくって? それに、彼女には別件でやってもらいたいこともあるのよ」
様々な思惑を乗せて、花冷えの夜は更けてゆく――漆黒の闇は所々不穏な動きを見せ始め、夜の帳にその影を落とした。それが天巫女の特性なのか……自ずと、そんな空気を感じ取っていたサヲリは、ようやく行動を開始する。
そのためにはまず、あの『ネコ娘』の生い立ちを、今一度確認する所から始めなければ……と、そう考えての指示であった。
☆
’三六年〇四月一八日(約束の日まで、あと二〇七日)
それは、あまりにも唐突な出来事――あくる日、彼は遥夏たちの教室へ堂々とやって来た。
「あー、彼は京都からの転校生で……」
担任である土方歳三の紹介を待たずして、その男子生徒はチョークを手にすると、黒板の端から端までを使って大きく自分の名を刻んだ。『倉田鞍馬』……それが彼の名だった。
「カッパくん、キター!」
「うっさい! 関係ない‼」
廣瀬遥夏と池神織子の周囲だけが、異常なほどの盛り上がりをみせている。鞍馬は終始無言で名前を書き終えると、直ぐさま自分の目的を実行に移していった。
気づくと遥夏のとなりの席へ――野球部の武山悟に、無言で詰め寄っている。半ば、強引過ぎる彼の行為に……または、あえて平然とやってのけるその態度に、クラス中が拍手喝さいを送った。
「え……? あ、ああ……はいはい」
するとなぜか、武山の方も妙に納得した様子で、自分の席をすんなりと明け渡いていく。ただ一人、納得できない遥夏だけを取り残し、いつの間にかクラス全体がひとつに纏まっていた。
(いったい、なんなのよ……コイツは?)
「いきなりやるねー、カッパくん!」
「カッパ……? なんだそりゃ?」
いつでもマイペースを貫く織子といえば、早速、二人のツーショットをカメラに収めていく。雑然となった教室内を見回した担任の土方歳三は、取り敢えずこの場は適当にあしらっておこうと思った。
「あー、落ちついたか? まあ、仲良くやってくれ。それと廣瀬、ホームルームが終わったら、昨日のバットとヘルメット……職員室まで取りに来いよ」
「あ、それ武山くんのですから。私のじゃありません」
「そうなのか、武山? 名前くらいきちんと書いておけよ」
「え……?」
絶句して固まる武山悟には眼もくれず、鞍馬はいつのまにか遥夏のとなりの席に落ち着いている。思えば、この日が廣瀬遥夏にとって、苦行とも思える受難の始まりであった。
件の転校生、倉田鞍馬は授業中のみならず、常に遥夏の傍にくっついて回るようになった。果ては女子トイレの中まで入って来ようとした所を、遥夏の飛び蹴りで撃退されるまでである。彼の行動は、異常なまでに広瀬遥夏に固執していた。ついには織子までもが、見るにみかねて苦言を呈していく。
「ねぇ、カッパくん。そういうのを『ストーカー行為』って言うんだってさ。前に私も同じことやって、遥夏にこっぴどく怒られたんだ」
「俺は、カッパじゃねー! カッパ、カッパ、言うな……ぶっ!」
いつの間にか鞍馬の背後に立っていた遥夏が、すかさず彼の頭を拳で殴る。
「なに、女子トイレの前で大声張り上げてんのよ! 恥ずかしい!」
「気配もなく、俺の背後を取った……だとっ⁉」
「織子! あんたも、この変態に懐いてんじゃないわよ」
なぜか、やれやれという面持ちで、鞍馬は再び彼女たちの後をついて行く。ただ、その背中越しに神矢サヲリの視線だけはしっかりと認識していた。
諄々とした彼らのそんなやり取りは、放課後まで続いていた。
「もう勘弁してよ……」
泣き言など、これまで発したことのない遥夏から出てきたその台詞は、実によく彼女の心境を言い表している。
「でも、遥夏の初恋相手なんだよね? あのカッパくん」
「ぜんぜん違うから! 織子、勘違いにもほどほどにしてよね」
(織子も頭痛の種には違いないな、絶対)
そう遥夏が思ったいつもの帰り道。やはり例の転校生は、五メートルほどの距離を保ちつつ、二人の後をついて来ていた。
「――じゃあ、遥夏。今日はここでバイバイね」
そう言うと、織子は鞍馬に向かって駆け寄っていく。
「えっ? なにそれ……嘘でしょう?」
この状況下で、てっきり織子は家まで一緒に来てくれるものだと思っていた。浅はか過ぎた遥夏の思惑は、 そんなことなど気にも留めない織子の一言によって、完全に打ち砕かれてしまう。
鞍馬の直ぐとなりにまでやって来ると、織子は無防備にも――または馴れ馴れしく、彼の肩へと腕を回す。
「私は遥夏の親友やってる池神オリコ。気軽に『オリリン』って呼んでね!」
「俺は――」
「知ってる、御庭番の鞍馬くん! 遥夏のこと、これからもよろしく頼んますねー」
そう言葉を掛けると、織子は彼の背中をパンッと軽く叩いた。
「ちょ、ちょっと、織子! どこに行くのよー⁉」
「ん? 再来週あたりから、ちょうどゴールデンウィークだべ? オリコは、ちょこっと早めに小旅行に行ってくるべさっ。まあ、里帰り……っていうのかニャ?」
その場に遥夏ひとりを残して、織子は手を振りながら駆け出していく。
「……もう嘘でしょう? 誰か助けてよー」
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