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叙章 アガルタの記憶に徒花を
叙の二 深淵に光の行進曲を ③
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☆
一時間後、彼らと潜水艇は帰港途中にある屈斜路丸の甲板上にあった。優太は休む間もなく、回収に当たったクルーたちと潜水艇のメンテナンスに勤しんでいる。
そんな彼らの様子を、池神は少し離れた場所から眺めていた。嗜好するセブンスターに火を点し、デッキの手擦りに背中をもたれながら、ただぼんやりとそれを見ていた。
「今回はこれで終いかい?」
その声に振り向くと、湯気の立つマグカップを手にした向井が立っている。
「そうね。クライアント次第ってこともあるけど……多分、もう無理ね。私はそういう報告をするつもり」
言いながら、池神は自分たちがつい先刻までいた海域に視線を移す。
「クライアントといえば、それがおかしな話なのよ。発注元は『北方未来開発機構』って、役人の天下り先によくありそうな、独立行政法人の団体なのだけれど……」
そこまで話すと、池神は急に神妙な面持ちになり、向井に近寄ってささめいた。
「でも、直接依頼に来たのは、『カミヤ観光』ってリゾート企業の女役員だったのよ。経産省とJOGMEC(金属鉱物資源機構)の“お墨付き”はあったし、出資者の関連会社かと思ってその時は気にも留めなかったのだけれど……向井君は、開発系のゼネコンとかから?」
「ん? いや、ウチは『小笠原ブランディング』ってコンサル経由だな」
「……それって、なんだかおかしくない?」
急に声を荒げると、周囲の注目を一気に集めた。「痴話喧嘩か?」の声に一瞥くれると、池神は再び声のトーンを落とす。
「――こっちには『海底資源の調査です』なんて言っておきながら、実際に動いているのはリゾート企業にコンサル会社って……なんだか解せない話よね?」
「ウチも下請けだから、あまり詳しいことはわからねぇんだが……」
“あくまでも噂話”と前置きした上で、向井はどこぞで耳かじってきた内部事情を、ぽつぽつと語り始めた。
「今回の旗振りに関しちゃあ、不明な点が多いことは確かだな。
まぁ、こっちとしては、貰う物さえキチンとしてくれれば、どこの仕切りだろうと問題はねぇんだが、ただ……“海底資源の調査”って名目にしろ、その“なんとか機構”って団体にしろ、いろいろ胡散臭いってことには違いないわな?
これは元請けの担当が口滑らせたのを、人伝いに聞いた話なんだが……今回は、まともな入札すらなかったらしいぜ?
せっかくの資源開発計画なのに、どこの商社も絡んでこないっていうのは……まあ、それだけで怪しい限りだけどな?」
「ほかには? たとえば、公共事業を謳った詐欺って可能性はない?」
「それはどうだろうな……単なる詐欺ってんなら、こんな大事にする必要もないだろうし……現に、俺たちはこうして現場に入っているんだ。
ということは、だ……どこかしらか金が出ているってことだろう?
いくら談合を組んでいたにせよ、程度があるってもんだがなぁ。
逆に聞きてぇんだが……実際問題、レアメタルやらレアアースなんて、そんじょそこらにポコポコと埋まってるもんなのかい?」
「そのことなんだけど、稀土類の正確な分布状況って、未だによくわかっていないらしいのよ。低コストで採取するための技術開発も、ここ数年は足踏み状態のままだし……これまでの計画にしたって、採掘が始まっているのはほんのごく一部で、本格的な調査や開発は遅々として進んでいないって感じね」
池神は携帯灰皿に煙草を揉み消すと、手擦りに頬杖をつきながら、これまでの経緯を説明し始めた。
「――埋蔵量に関しても意見は食い違っていて、中には大した調査もしないで、現在の使用量換算で数百年分とか、数千年分なんて言ってる無責任な学者たちもいるくらいで……なんにせよ、どこもかしこも手付かずで放置されたままだから、“わからないことだらけ”っていうのが現状かしらね」
「なるほどな……それが本当なら、“適当に予算だけつけて、実際は裏で誰かがちょろまかしてた”なんてことも、ありえなくはないのかもな?」
「そうかもね。まあ、ここいらは千島の火山帯域だから、掘れば温泉くらいは出るでしょうけど?」
「まさか、こんな海のド真ん中で、温泉施設でもおっ建てようって気なのかね?」
ガハハハ……と笑い飛ばす向井とは対照的に、池神は考えれば考えるほど腹が立つ思いがしてならなかった。
「ただでさえ要の知れない仕事させられて、挙句の果てにあんな物まで出てきたんじゃ、危なっかしくて……私としては、これ以上首を突っ込みたくないわね」
空になった煙草の箱を握り潰すと、それをポケットの中へと無造作にねじ込む。あまりにも杜撰でいい加減な計画――安易にも、それに乗っかってしまった自分自身に、池神は腹を立てていた。
(そもそも、地球化学や地質学の専攻でもないこの私に、なぜこの話が直接回ってきたのだろうか? 捜そうと思えば、専門としている学者など、ほかにいくらでもいただろうに……)
疑問は疑念を生み、彼女の脳内を渦巻いていく。池神はこの計画の裏に潜む、なにか陰謀めいたものを感じずにはいられなかった。
「だいたい、私の専門は水産資源の管理――“魚介類の養殖”だっての……」
それを聞いた向井は、飲んでいたコーヒーを思わず噴き出しそうになった。
「そ、それって、一番の問題点なんじゃねぇのか?」
「別に、経歴を詐称したわけじゃないわよ……知っていて頼んできたのは向こうなんだから、特に問題だったってわけでもないんでしょう?」
そう言うと真新しい煙草の封を開き、再び白煙をくゆらせる。
「問題は別の所にあるのよ、きっと……。素人に毛が生えたような私たちに、いったい何をさせたかったのか? この計画、私たちには知らされていない“別の目的”があるのかもしれないわね」
「そうなのかもな。確かに、あんな目に会うのは二度とゴメンだが……今回きりで終わっちまうと、こっちは“奴”の修理費で足が出ちまうぜ」
向井の視線の先には、後部デッキに吊り下げられたEX―マリナー五〇〇〇と、その洗浄作業に精を出す優太の姿があった。
「ほら、丁寧にやんねぇと、サビついちまうぞ!」
向井のその声に、優太は手を挙げて応える。
それでも、こっちにとっちゃ得たものはあったか……と、池神とはまた違った思いを巡らす向井の優太を見る目は、どこか優し気であった。
「……あの子、まだ若いわよね?」
「ああ、俺の甥っ子なんだが、身内なんでな……つい甘やかしちまう」
「素直そうでいい子じゃない。ウチの連中にも、見習って貰いたいものだわ」
フンと鼻を鳴らすと、池神はひとり船内へ戻っていく。そんな池神の背中に、向井は声を掛けた。
「先生は、これからどうするんだい?」
「ん? そうね……厚岸に戻って牡蠣のお世話か、もしくは大学に戻って先生の真似事か、ってところかしらね。ああ、でもそろそろ、“娘”にも会っておかないと――」
「え? なんだよ、先生って結婚してたのか⁉」
「はあ? なにを言っているの、独身に決まってるじゃない? 男となんて、一度だって付き合ったことなんかないわよ」
(言ってることが、さっぱりわからねぇ……やっぱり、大学の教授ってのは、変わり人種が多いのかねぇ? 割と美人なのに……ほんと、もったいねぇ)
「ふーん……ああ、こっちは来週から一ヶ月ほど内地に入るんだが、その後は予定が何も入ってねえんだ。先生の方でなんかあったら、ひと声掛けてくれや」
支離滅裂な彼女の言動を、まったく理解することができない向井だったが、たとえどんな相手であっても、営業活動だけは決して忘れることはなかった。
船内へと入っていく池神は、背を向けたまま手を挙げてそれに応える。その後姿を見送った向井は、冷たい春の海風に思わずドカジャンの襟を立てた。
船尾にはEX―マリナー五〇〇〇の真紅の船体が、夕陽に照らされてキラキラと輝いていた。
洗浄作業を終えた優太が向井の元に駆け寄ってくると、一枚のメモリーカードを徐に差し出す――それを無言で受け取った向井は、ほくそ笑みながら懐へとしまい込んだ。
そんな彼らの頭上を、通報を受けた海上保安庁の哨戒ヘリ『MH755―しまふくろう』がけたたましい音と共に、現場海域へと向かって飛んでいく。ヘリが向かった先の空は暮れかかり、少しだけ欠けた月とベテルギウスの月とが、まるで双子星のように並んでいた。
二つの月を眺めながら、向井は冷め切ったコーヒーを一気に飲み干すのだった。
一時間後、彼らと潜水艇は帰港途中にある屈斜路丸の甲板上にあった。優太は休む間もなく、回収に当たったクルーたちと潜水艇のメンテナンスに勤しんでいる。
そんな彼らの様子を、池神は少し離れた場所から眺めていた。嗜好するセブンスターに火を点し、デッキの手擦りに背中をもたれながら、ただぼんやりとそれを見ていた。
「今回はこれで終いかい?」
その声に振り向くと、湯気の立つマグカップを手にした向井が立っている。
「そうね。クライアント次第ってこともあるけど……多分、もう無理ね。私はそういう報告をするつもり」
言いながら、池神は自分たちがつい先刻までいた海域に視線を移す。
「クライアントといえば、それがおかしな話なのよ。発注元は『北方未来開発機構』って、役人の天下り先によくありそうな、独立行政法人の団体なのだけれど……」
そこまで話すと、池神は急に神妙な面持ちになり、向井に近寄ってささめいた。
「でも、直接依頼に来たのは、『カミヤ観光』ってリゾート企業の女役員だったのよ。経産省とJOGMEC(金属鉱物資源機構)の“お墨付き”はあったし、出資者の関連会社かと思ってその時は気にも留めなかったのだけれど……向井君は、開発系のゼネコンとかから?」
「ん? いや、ウチは『小笠原ブランディング』ってコンサル経由だな」
「……それって、なんだかおかしくない?」
急に声を荒げると、周囲の注目を一気に集めた。「痴話喧嘩か?」の声に一瞥くれると、池神は再び声のトーンを落とす。
「――こっちには『海底資源の調査です』なんて言っておきながら、実際に動いているのはリゾート企業にコンサル会社って……なんだか解せない話よね?」
「ウチも下請けだから、あまり詳しいことはわからねぇんだが……」
“あくまでも噂話”と前置きした上で、向井はどこぞで耳かじってきた内部事情を、ぽつぽつと語り始めた。
「今回の旗振りに関しちゃあ、不明な点が多いことは確かだな。
まぁ、こっちとしては、貰う物さえキチンとしてくれれば、どこの仕切りだろうと問題はねぇんだが、ただ……“海底資源の調査”って名目にしろ、その“なんとか機構”って団体にしろ、いろいろ胡散臭いってことには違いないわな?
これは元請けの担当が口滑らせたのを、人伝いに聞いた話なんだが……今回は、まともな入札すらなかったらしいぜ?
せっかくの資源開発計画なのに、どこの商社も絡んでこないっていうのは……まあ、それだけで怪しい限りだけどな?」
「ほかには? たとえば、公共事業を謳った詐欺って可能性はない?」
「それはどうだろうな……単なる詐欺ってんなら、こんな大事にする必要もないだろうし……現に、俺たちはこうして現場に入っているんだ。
ということは、だ……どこかしらか金が出ているってことだろう?
いくら談合を組んでいたにせよ、程度があるってもんだがなぁ。
逆に聞きてぇんだが……実際問題、レアメタルやらレアアースなんて、そんじょそこらにポコポコと埋まってるもんなのかい?」
「そのことなんだけど、稀土類の正確な分布状況って、未だによくわかっていないらしいのよ。低コストで採取するための技術開発も、ここ数年は足踏み状態のままだし……これまでの計画にしたって、採掘が始まっているのはほんのごく一部で、本格的な調査や開発は遅々として進んでいないって感じね」
池神は携帯灰皿に煙草を揉み消すと、手擦りに頬杖をつきながら、これまでの経緯を説明し始めた。
「――埋蔵量に関しても意見は食い違っていて、中には大した調査もしないで、現在の使用量換算で数百年分とか、数千年分なんて言ってる無責任な学者たちもいるくらいで……なんにせよ、どこもかしこも手付かずで放置されたままだから、“わからないことだらけ”っていうのが現状かしらね」
「なるほどな……それが本当なら、“適当に予算だけつけて、実際は裏で誰かがちょろまかしてた”なんてことも、ありえなくはないのかもな?」
「そうかもね。まあ、ここいらは千島の火山帯域だから、掘れば温泉くらいは出るでしょうけど?」
「まさか、こんな海のド真ん中で、温泉施設でもおっ建てようって気なのかね?」
ガハハハ……と笑い飛ばす向井とは対照的に、池神は考えれば考えるほど腹が立つ思いがしてならなかった。
「ただでさえ要の知れない仕事させられて、挙句の果てにあんな物まで出てきたんじゃ、危なっかしくて……私としては、これ以上首を突っ込みたくないわね」
空になった煙草の箱を握り潰すと、それをポケットの中へと無造作にねじ込む。あまりにも杜撰でいい加減な計画――安易にも、それに乗っかってしまった自分自身に、池神は腹を立てていた。
(そもそも、地球化学や地質学の専攻でもないこの私に、なぜこの話が直接回ってきたのだろうか? 捜そうと思えば、専門としている学者など、ほかにいくらでもいただろうに……)
疑問は疑念を生み、彼女の脳内を渦巻いていく。池神はこの計画の裏に潜む、なにか陰謀めいたものを感じずにはいられなかった。
「だいたい、私の専門は水産資源の管理――“魚介類の養殖”だっての……」
それを聞いた向井は、飲んでいたコーヒーを思わず噴き出しそうになった。
「そ、それって、一番の問題点なんじゃねぇのか?」
「別に、経歴を詐称したわけじゃないわよ……知っていて頼んできたのは向こうなんだから、特に問題だったってわけでもないんでしょう?」
そう言うと真新しい煙草の封を開き、再び白煙をくゆらせる。
「問題は別の所にあるのよ、きっと……。素人に毛が生えたような私たちに、いったい何をさせたかったのか? この計画、私たちには知らされていない“別の目的”があるのかもしれないわね」
「そうなのかもな。確かに、あんな目に会うのは二度とゴメンだが……今回きりで終わっちまうと、こっちは“奴”の修理費で足が出ちまうぜ」
向井の視線の先には、後部デッキに吊り下げられたEX―マリナー五〇〇〇と、その洗浄作業に精を出す優太の姿があった。
「ほら、丁寧にやんねぇと、サビついちまうぞ!」
向井のその声に、優太は手を挙げて応える。
それでも、こっちにとっちゃ得たものはあったか……と、池神とはまた違った思いを巡らす向井の優太を見る目は、どこか優し気であった。
「……あの子、まだ若いわよね?」
「ああ、俺の甥っ子なんだが、身内なんでな……つい甘やかしちまう」
「素直そうでいい子じゃない。ウチの連中にも、見習って貰いたいものだわ」
フンと鼻を鳴らすと、池神はひとり船内へ戻っていく。そんな池神の背中に、向井は声を掛けた。
「先生は、これからどうするんだい?」
「ん? そうね……厚岸に戻って牡蠣のお世話か、もしくは大学に戻って先生の真似事か、ってところかしらね。ああ、でもそろそろ、“娘”にも会っておかないと――」
「え? なんだよ、先生って結婚してたのか⁉」
「はあ? なにを言っているの、独身に決まってるじゃない? 男となんて、一度だって付き合ったことなんかないわよ」
(言ってることが、さっぱりわからねぇ……やっぱり、大学の教授ってのは、変わり人種が多いのかねぇ? 割と美人なのに……ほんと、もったいねぇ)
「ふーん……ああ、こっちは来週から一ヶ月ほど内地に入るんだが、その後は予定が何も入ってねえんだ。先生の方でなんかあったら、ひと声掛けてくれや」
支離滅裂な彼女の言動を、まったく理解することができない向井だったが、たとえどんな相手であっても、営業活動だけは決して忘れることはなかった。
船内へと入っていく池神は、背を向けたまま手を挙げてそれに応える。その後姿を見送った向井は、冷たい春の海風に思わずドカジャンの襟を立てた。
船尾にはEX―マリナー五〇〇〇の真紅の船体が、夕陽に照らされてキラキラと輝いていた。
洗浄作業を終えた優太が向井の元に駆け寄ってくると、一枚のメモリーカードを徐に差し出す――それを無言で受け取った向井は、ほくそ笑みながら懐へとしまい込んだ。
そんな彼らの頭上を、通報を受けた海上保安庁の哨戒ヘリ『MH755―しまふくろう』がけたたましい音と共に、現場海域へと向かって飛んでいく。ヘリが向かった先の空は暮れかかり、少しだけ欠けた月とベテルギウスの月とが、まるで双子星のように並んでいた。
二つの月を眺めながら、向井は冷め切ったコーヒーを一気に飲み干すのだった。
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