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セミの声と、夏の約束
しおりを挟む「おーい! 山澄! 遊ぼーぜー!」
同じクラスの佐藤が、窓の外から俺を呼ぶ。
自室の机に夏休みの宿題を広げ、『さぁ、やるか』と意気込んだ瞬間のことだった。
氷水の入ったグラスもまだほとんど汗をかいてない。向こう数時間は耐久するつもりでいたが、佐藤のためを思えばまぁ仕方がない。立ち上がって机の上を片付けながら、返事をした。
「分かった、ちょっと待っててくれよー!」
*
佐藤と並んで並木道を歩く。交差点にはいくつか立て看板が立っている。
8月初日の天気は、気温も高く清々しいほどの快晴だった。無数のセミが鳴き喚き、その死骸が2つ3つと道に落ちていた。
「やー、あっちーなーーー」
佐藤はそんなことを言うが、暑さに堪えた様子は全くない。キラキラした歯を覗かせて、かなり機嫌が良さそうだった。
「ホントだよ。その上でよくキャッチボールなんぞに誘ってくれたよね」
「おっ、嫌味か? ここまで来て裏切りか?」
「冗談だよ冗談。約束した通り、佐藤には初の夏休みをうんと楽しんでもらいたいからな!」
――クラスにあった、ずっと空っぽの席が埋まったのは、四年生の冬の初めのことだった。
その席の主――佐藤は体質上の問題から病院生活を余儀なくされて、その年でようやく小学校に通う許可を得られたらしい。
病名など詳しいことは知らないし、無理に聞こうとも思わない。
勉強は病院にいる間、俺たちの受ける授業に置いて行かれない程度にはこなしていたそうだ。
俺はすぐに仲良くなった。そして俺はこいつに、今までを挽回する勢いで小学校の楽しさを味わわせてやりたかったのだ。
「ははっ、嬉しいねー! 言ったからには連日付き合ってもらうからなー!」
「限度はあるぞ、限度は! 宿題だってあるんだからな!」
並木道を歩く。セミの死骸が5つ6つと落ちている。
グラウンドに着くと、俺たちはセミの大合唱を背景にキャッチボールを楽しんだ。
*
「おーい! 山澄! 遊ぼーぜー!」
8月後半、佐藤は相も変わらず元気だ。病院暮らしがウソに思えてしまうほど、炎天下を走り回っても有り余る体力を持っていた。
無理のない程度の自主トレをしているとは聞いてたが、こいつもまた初めての夏休みを、ずっと楽しみにしてたんだろうな、と思った。
並木道を歩く。セミの声は幾分かマシになっていた。連日の酷暑にセミが負けてるようだと思った。
「――と、佐藤。今日は何も持ってきてないんだな。何して遊ぼうか?」
「今日は――おわ、すまん。俺、今日は用事があるんだった!」
「おっと、そうなのか。じゃあまた今度だな!」
「すまん! じゃーなー!」
佐藤は茶目っ気に謝りながら、並木道を外れて走っていった。
地面に落ちてるセミを器用に避けて、俺も来た道を引き返す。
気づけば夏休みも終盤だ。せっかく1日空いたし、残ってる宿題を今日で片づけてしまうのもアリかもしれないな、と思った。
その日以降、佐藤は俺の家に来なかった。
*
佐藤が交通事故で死んだ。
登校日。それを先生から聞いたとき、俺は現実感が全くついてこなかった。
だって、ウソだろ。あんなに元気になったのに。ずっと病院で寂しい思いをしてきた分を、これからやっと取り戻していくところだったのに。
空席が当たり前だった机が、また空席になっていた。
原因は佐藤の赤信号での飛び出し。誰が見たって佐藤が悪い。だけど幼少期から病院にいた佐藤は、道路事情や交通ルールに慣れていないままだったのだ。
先生の言葉が、あまり頭に入ってこない。俺はただぼんやりと、外で淡々と鳴いているセミの声を聞き流し続けていた。
――あいつ。セミみたいだよな。
生まれてずっと地中にいたと思ったら、外に出られたとたんに全力で羽ばたいて。1年経たず、あっという間に死んでしまった。
俺は、あいつに、この夏を充分に楽しませてやれただろうか。
そんなワケない。一生分というにはあまりに短い。あんまりじゃないか。あんまりだ。なんであいつばっかりが、こんな。
頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。
気づけば、机の上が涙で水浸しになっていた。
*
帰り道。ふと目に留まったのは、事故の目撃情報を求める立て看板だった。
「7月29日、自動車と歩行者の……」
佐藤が死んだところにも、こうした立て看板があるのかな。
そんなことを考えながら歩き、家に着いた。
何もやる気が起きず、部屋で持って帰ってきたプリントを眺める。佐藤の名前があった。命日、7月30日、と書かれていた。
「あれ?」
なんか……なんかおかしい。
だって夏休みに入ってすぐじゃんか。つい何日か前まで、俺は、確かにあいつと遊んでいたはずで……。
「おーーい! 山澄!」
びくり、と体が震えた。窓の外から、俺を呼ぶ佐藤の声がした。
おかしい。おかしいおかしいおかしい。
体が動かない。悲鳴を上げそうになってぐっと堪える。
息を震わせていると、再び外から声がした。
「夏休みあと4日、うんと楽しませてくれよー! 約束してくれたよな?」
セミの声が騒がしい。夕暮れが自室の机を染めている。
俺は何も、返事をすることができないでいた。
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