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3.disguise

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 テスト期間に入る前日。俺は放課後、園田と工藤を呼び出した。
 真壁はテスト期間中父親宅に居候することを決めたらしく、今日はその調整と荷物運びのために帰った。聞かれたくない話をするのには好都合だ。
 園田が怪訝な顔をして「どうしたの?」と聞く。工藤はへらへらしているが、妙な嘘を言おうものなら容赦しないと目で語っていた。
「まず最初に懺悔します」
「な、なにが?」
「真壁の所持品を盗ってしまいました」
「いや、それは真壁に謝りなよ」
 ごもっともなことを言われる。俺はそれに「わざとやってしまった」と告白を重ねながら、以前盗ったものを二人に見せる。
「これは……」
「なぁるほど。こりゃー真壁のだろうけど、どしたん?」
「初めてうちに泊めた日、園田達が持ってきた荷物の中にあった」
「ああ、あの時色々まとめて持ってっちゃったから。こんなの混ざってたんだ」
 二人はそれを見て、盗った理由をなんとなく察し始めていた。
「もちろん返すつもりだけど、『現物』もつけられないかと思って」
「でも今の真壁には……」
「荒療治感あっけど、試しにやってみんのはアリじゃね? これ、すっげー楽しみにしてたっしょ」
「まぁ、そうだろうね。目に浮かぶよ」
 二人は顔を合わせ、くすくすと笑った。
「こーゆーのはさ、やっぱサプライズっしょ! いつにする? テスト終わった日?」
「できれば前がいい。考えたくねーけど、期末の結果次第じゃ機会すら作れなくなるかもしれない」
「そうだね、テストの前の金曜日にしようよ。テストに響かないよう、やり方には気をつけて」
「今の真壁けっこー安定してっし、上手くやりゃいける気がする」
「決定だな。あとはどうやって買うかだけど……学校終わってからだと間に合わなさそうで」
「こーゆーのって当日買うもんだよなぁ。金曜はねーちゃん忙しいから頼れんし」
「じゃあ俺、兄ちゃんとバイト先の人とか当たってみるよ。お金は一旦立て替えとくけど、三人で割り勘でいい?」
「助かる」
「これ全員分買うよなぁ? えー、おれ何にしよっかなぁー。ちょー迷う。ホームページとか見たら他のも載ってっかなぁ」
 サクサクと作戦が決まり、各々乗っかって好きな商品を選ぶ。
 今の状況を鑑みたら、失敗する可能性の方が高いサプライズだ。
 それでも、やるからには成功させる。そのくらいの意気込みでいなければ。
 発案者が信じていなければ、成功するものもしなくなるというものだ。


 テスト前の金曜。工藤と二人で、真壁を理科室に誘導した。
「また飴ですか? 好きですね」
「今日は違うんだよねぇ。ま、悪いようにはしないって」
 まるで悪役のようなセリフを胡散臭い笑みで言う。真壁は少し訝しんだが、いつものことかと思い直した様子で着いてきてくれた。
 理科室に入り、真壁を正面に座らせる。
「まず俺から謝ることがある」
「な、なんですか改まって」
 深刻な空気にしてしまったので、真壁が身をすくませた。横から工藤に「顔がこえーんだよ立川は」と小突かれ、少し緊張が解けた。
 俺はごめんと謝りながら、以前盗ってしまった真壁の私物をそっと机に置く。
 真壁はそれを、最初は不思議そうに見ていた。
「これは……?」
「覚え、ないか? お前のだと思うんだけど」
「…………あ」
 思い出せたようで、少し目を丸くする。それだけでもかなり嬉しい。一ヵ月前であれば、難しかっただろうから。
 それは地域で配布されるフリーマガジンだった。
 付箋が張ってあるページを開くと、一月オープンのケーキ屋が紹介されている。
「真壁の荷物から見つけて、勝手に拝借してた。申し訳ない」
「いえ、そんな、構いません。無料で手に入るものですし」
「それでもさ」
 店舗の情報と合わせて、高校生にとっては割高な商品も紹介されている。一番の売りであろう、大きく紹介されているショートケーキには、値段の横に丸印とチェックマークが書かれていた。他の商品にもいくつか丸印があり、悩んだ様子がうかがえる。ページにも開き癖がついていた。
「これのこと、今、わかるか?」
 冊子の発行日と今までの経緯から考えると、印が書かれたのは三学期が始まる前だ。その時の記憶が今の真壁に引き出せるか。それを問うと、真壁は切なげに目を伏せた。
「……知って、います」
「やっぱコレ、次息抜きで行こうとしてた店か?」
「そうだったと思います」
「詳しく聞いてもいいか?」
 好きだったもの。楽しみだったこと。そこにあった強い感情は、封じ込めても簡単には消えないだろう。
 元々仮面の有無で記憶を隔てることはなかった。人格をたがえているわけではない。今の真壁でも、覚えているはずなんだ。
 真壁はすっと目を閉じる。奥底に眠る記憶を手繰るために。
「冬休み、三位からだいぶ順位を落としたので、課題の他にも問題集や書き取りの実施を多く計画しました。無理がある量でしたが、減らすことは許されませんでした。机に向かうだけの毎日。はやく休みが終わって、外に出たかった。次のテストが終われば、毎月の映画にも行けるはず。その時に何を観て、何を食べるかを考えるのが娯楽でした」
 冬期講習で、目にクマを作って、計画を立てるのが難しいとぼやいた姿を思い出す。あの時から、すでに無理をしていたんだ。
「スマホの長時間操作はできないので、家に届く地域情報冊子は良い情報源でした。今回は、そのページにすぐ目を付けました。パフェと同じくらいの値段のケーキなんて、普通手が届きませんから。絶対ここに行こうと、何度も見ていました」
 懐かしむように、癖の付いたページをそっと撫でる。
「……結局、行っていませんね。もっと高価な食事に誘っていただきました。休みの間、ずっとこれを見て、楽しみにしていたのに。あっさりと上をいかれてしまいました」
「上、だったんだな。あのビュッフェ」
「はい。上です。ハッキリ言えます。覚えて、いるのですから……」
 あれは真壁が崩れてしまった要因の一つだ。
 仮にあの日がなかったとしても、問題が先送りになるだけで、いずれはこうなっていただろう。それでも、切っ掛けになってしまった以上、良い記憶にはできない。
 だから一度は封じ込め、なかったことにしていた。
 それを、はっきりと上と称してくれた。仮面をつけたままの姿でも。
 不覚にも目尻が熱くなる。まだ本題に入っていないというのに。
「ですから、今となってはこの冊子も必要ありません。お気遣いいただきありがとうございます」
「何言ってんだ。必要ないってことないだろ」
「ですが、今は……」
「楽しみだったんしょ? べつに捨てんくてもいーじゃん。美味しいもんは両取りしたってさ」
 今はまだ味覚が戻っていない。だから無意味だと、俺も最初はそう思った。
 しかし味覚障害も心因性のものだ。戻すのにも、きっかけが必要なのかもしれない。
「そう、ですね。楽しみだったものなら、味が分かるかもしれません。ケーキ屋はいつでも行けますから、今度試してみようかと……」
「それがねぇ、今度にする必要はないんだなぁ~」
 工藤が身を乗り出し、にんまりと笑う。真壁の言葉に嘘がないことを確信したうえで。
 その裏で、俺は席を立って理科室の扉を開け、外で待機していた園田を迎え入れた。
 園田の手には、シンプルな白い箱がある。
「ふっふっふ、これが何かわかるかなぁ~?」
 やたらと演技臭い口調で園田が言った。言葉とテンションは工藤のようなのに、お遊戯会のような愛嬌があるのが不思議だ。
 俺は鞄から紙皿とプラスチックのフォークを出して机に並べていく。その横に、園田が白い箱をそっと添える。真壁はその様子を、ぽかんとした様子で見ていた。
 箱を開けると、高価そうな煌びやかなケーキが四つ顔を出した。
 うち一つは、冊子で印のつけられていたショートケーキだ。
 真壁がごくりと唾をのんだ。箱を開けた園田も、のぞき込んで頬を緩める。
「ひゃー、見るからに美味しそう! 一個千円前後だよ!? こんなの誕生日でも手が出ないよ」
「店入るのも躊躇いそうだな。園田のバイト先の人に感謝しねーと。園田も立て替えサンキューな」
「俺はそこそこ稼いでるからね」
「あっもう箱開けてんの? うっわ、ちょー美味そう! ねね、一緒に頼んでたやつは!?」
 いつのまにか場を離れていた工藤が、戻ってきて目を輝かせる。ケーキのついでに、ちゃっかり焼き菓子を頼んでいたらしい。園田から別で紙袋を受け取り、ぴょんぴょん跳ねて喜んでいた。
「今日は最初から、これが目的だったんですね」
「そーだよ! 驚いたっしょ?」
「色々回りくどくて悪いな。真壁が嫌がったらやめようと思ってたからさ」
「嫌がるなんて、とんでもない。ですが、罪悪感もあります。何の記念でもないのに、こんな……」
「そこはまぁ、テスト前の英気を養う会ってことで」
 ショートケーキを載せた皿を真壁の前に差し出す。
 真壁の表情は不安げだ。けれど、その中にわずかながら期待の色が混じっているように見えた。
「あんま気負わなくていいぞ。下手な鉄砲なんとやらだ。こんなの、一発目でしかないんだからな」
「こんなのが何度もあっては、贅沢が過ぎます」
 そう言って、くすくすと笑った。過度な緊張は防げたようだ。
 祈るように目を閉じる。
 冊子を前に抱いていた期待を、記憶を、脳裏に蘇らせていく。
 やがて、ゆっくりと目を開き、フォークを手に取る。「いただきます」と告げ、小さくケーキを切り取った。
 少しだけ震える手で、口へと運ぶ。
 プレッシャーを与えたくはなかったが、つい全員で見守ってしまった。
「…………」
 どうだったかは聞かなかった。
 口に入れた瞬間、表情が変わらなかったから。
 そこには喜びもなければ、悲観もない。
「……やはり、うまくいかないものですね」
 それは、願いが叶わなかったことを表す言葉。しかし、声色は穏やかだった。
 真壁は顔を上げ、俺達を見て小さく笑った。きっと俺達のほうが、よほど酷い顔をしているに違いない。
「ですが、不思議です。食感というか、くちどけでしょうか。すごく心地が良い。クリームは油脂なので、もっと気になると思っていました。やはり、好きなものは特別のようです」
「……そっか。それが分かっただけでも良かったって、言えるのかな」
「はい」
 好きなものだと自覚できたこと。味でなくとも特別を感じたこと。
 それだけで大きな前進のはずなのに、やはり落胆は拭えなかった。
 できるだけ表に出さないよう意識する。横を見ると、園田が曖昧に笑っていた。きっと俺も似たような顔をしている。
 工藤は一人、うーんと唸って首をかしげていた。
「なーんか、ひっかかんなぁ」
「僕、嘘はついていないと思いますが」
「うん、ついてない。けどさぁ、ちょー楽しみだったもんが食えなくて、そんだけなワケなくね? もっとなんか、こう……」
 上手く言語化できないようだが、なんとなく理解した。期待値が高かったわりに、表に出る感情が薄いと言っているのだろう。
 確かに、この仮面は感情の大部分を隠してしまう。その奥には、もっと複雑な想いが隠されている。
 仮面をつけているから隠すのではない。
 隠さなければならないから、仮面を身に着けたんだ。
「そうだな。真壁、良かったって思ってくれてんのは嬉しいけどさ。それだけなわけ、ないよな。好物の味わかんなくて、それだけなんて……」
「それは……」
 隠しておけるなら、隠したほうがいいのかもしれない。
 そうすれば、穏やかな感謝だけをして、綺麗なままでこの時間を終えられる。
 けれど。
 そうやって作り上げたのが、真壁の傷じゃないだろうか。
 真壁は困ったように、手元のフォークへと視線を落とした。
「もちろん、落胆はあります。しかし、嘆いたところで改善はしないと……」
「そーじゃないって!」
 がっと、工藤が真壁の肩を掴んだ。驚いた真壁が顔を上げると、まっすぐ見据える視線に捉えられる。
「園田言ってた。辛いって言うのも大事だって。おれ、二人に言えなかったことがあったとき……溜め込んでたら、どんどんおかしくなって。結局、めちゃくちゃなことして迷惑かけた。今思うと、すげー馬鹿やった。黒歴史レベル」
「そう、なんですか……?」
「自棄んなって、二人にすげー怒られて、びーびー泣いてぶちまけた。もーホントはっずかしい。けど、おかげで立ち直れたから。真壁はおれと違って、感情のコントロールとか、上手くやってたんだと思う。けど、今は違うじゃん。できないじゃん」
 そうだ。
 今の真壁は、溜め込んだ感情を吐き出す先が、崩れてしまっている。
「工藤の言う通りだな。上手くやれるんなら、隠し事なんて個人の自由だ。けど多分、今は違う。話すだけで楽になれるっていうのは、俺もよくわかるよ。窃盗癖のこと、言える相手がいるだけで、世界が変わった気さえした」
「ここにいる全員、その効果は身に染みてるよね。真壁は人に話すとか慣れてないだろうけど、本当に嫌じゃないなら、俺達で試してみてもいいと思う。ケーキ食べるのと同じように」
「話す、だけ……」
 その行為は、仮面をつけた上で一番の禁忌。
 けれど、外してしまえば、この空間でだけは許される。
 真壁は正面の工藤に対し、すこしだけ申し訳なさそうな顔を向けた。
「先に、謝罪します。不快な思いをさせてしまったら、申し訳ありません」
「いーよ。多分、そういうのは嫌な苦さしないから」
 許しを得て、深呼吸する。
 今はこの仮面を自力で外せない。けれど、外さなければ隠し事は晒せない。
 だから、偽る。
 自分自身を。
「……悲しい、よ。すげえ、悲しい。ここまで手厚くされて、それでもダメだったなんて……受け入れたくないに、決まってる」
 その言葉は、不器用で、たどたどしい。
 無理な演技にしか聞こえない。けれど、まぎれもない本心。
 今の真壁に絞り出せる、精一杯。
「けど、どっちかというと、悔しい。オレのためにしてくれたことに……応え、たかった。あんなに楽しみにしてたのが、食べられなくて、泣きたいくらいなのに……。そんなことより、悔しい、んだ。なんで、できな……っ、ぼく、は……」
「泣きたいなら、泣いたっていーよ」
「すみ、ません。うま、く……できな……。泣き方が、わかり、ませ……」
「そっか。じゃー無理せんとき」
 声には涙が滲んでいて、目元も赤くなっている。けれど涙は浮かんでいない。
 ずっと泣けない生活を続けていて、それすらも、忘れてしまっている。
 けれど、言葉で泣くことはできた。
 それだけでも救いになることは、この場の全員、身をもって知っている。
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