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3.disguise
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事が動いたのは、あの電話から十日ほど経った日のことだ。
真壁はついに、校内で気を失って倒れてしまった。移動教室のため席を立った時のことだった。
呼びかけても反応がなかったため、担いで保健室へ連れていく。一人だとキツかったので、補助を園田に頼んだ。工藤も来たそうにしていたが、お前は授業に出た方がいいだろうと止めた。
養護教諭の対応は早かった。ここ最近の真壁の様子は佐藤先生から伝わっていたようだ。「聞く限りではストレス性の不調だろう」と、非接触の体温計を向けた。測定結果は三十九度。とても学校に来られる状態じゃない。
すぐには意識が戻らなかったので、俺達は授業に戻された。休み時間に交代で様子を見に行ったが、起きている姿を見ることはなかった。養護教諭に様子を聞くと、一度だけ授業中に目を覚まし、解熱剤を飲んで再度眠りについたらしい。
放課後になる頃には、荒かった息もだいぶ落ち着いていた。
養護教諭は用事があると席を外し、保健室には俺達四人だけになる。
真壁が目を覚ましたのは、十六時頃だった。
ゆっくりと瞼が上がるのを、授業が終わってからずっと側で付き添っていた園田がのぞき込む。
「目、覚めた? 身体はどう?」
「……その、だ?」
呼び捨て。それを聞いただけで、期待に似た感情が込み上げた。
真壁はふらつきながら身体を起こす。まだ意識はハッキリしていないようで、園田がそっと横から支えた。
「ここは……?」
「保健室。教室で倒れたの、覚えてない?」
「教室……オレ、学校行って……?」
仮面のない時の口調。数週間聞いていないだけだったが、とても懐かしく感じた。もう聞けないのではないかと思っていたから。
真壁はしばらく頭に手を当てて考え込んだ後、はっとした様子で園田に食い掛った。
「いま、いつだ!?」
「も、もう放課後。十六時ちょっと過ぎ」
「違う、日付! 何日!?」
「に、にじゅうはち、だけど……」
何故そんなことを聞かれるのか分からないまま、園田が答える。真壁は両目を手で覆い、俯く。何かを思い出そうとするように。
「真壁、まさか何日も記憶飛んでるの……?」
「……最近、おかしいんだ。気が付いたら、数日経ってて。夜中だったのが、昼になったり、時間の感覚なんか全然なくて」
「学校にいる時は、そんな風には見えなかったのに」
「学校なんてずっと……いや、来てた。ユウリで行ってたのは、わかる。わかるのに……記憶がない。なんだ、これ」
「考えるの難しいなら、無理しないで」
真壁はあれだけ調子を崩しながらも、学校を欠席することはなかった。辛そうではあったが、校内で声をかければ、どんなに面倒でも受け答えは必ずした。拒絶されていたが、会話は成立していた。
あれが無意識というのは、さすがにありえない。俺の窃盗とはわけが違う。
聞く限りでは、記憶喪失とも違いそうだ。
記憶がないのではない。今の真壁は、仮面をつけている時の自分を認識できていないんだ。
「最近」と言うのだから、倒れたことによる一時的な混乱ではないだろう。
「無理はしてほしくないけど、答えられたら、教えてほしい。一体いつから、そうなったの?」
「……テスト、返ってきた日」
空気が変わる。園田の表情と声色は穏やかだが、纏っている雰囲気は、姉の話題を出した時のようにヒリついていた。
何があったのか。そう尋ねると、真壁はぽつぽつと語り始める。俺達に伝えるためというより、自分の記憶を整理するように。
「結果、やっぱ悪くて。暗記系が軒並み……とくに現社と語学系が酷くて。進路、文系だから、すげぇ怒られた」
そこまでは、おおよそ想像していた通りだった。
今これだけ記憶が保てないのは、なにも突然そうなったわけではない。おそらく、だいぶ前から予兆はあった。少しずつ、少しずつ悪化し、それがテスト順位に表れていたんだ。
「いつもは、オレは出来が悪いから、もっと勉強しなさいで終わるんだ。だけど、あのとき……は、ぅ……っ」
真壁は頭を押さえてうずくまり、声にならないうめき声を漏らした。園田が落ち着かせるように背中をさする。冷静になろうとしてか、ふーふーと無理矢理整えたような呼吸音がした。
「あの、とき……飯行ったの、バレてて……でも、それ自体は悪くなくて……」
「なにが、悪いって言われたの?」
「し、しゃべりかた……。ちゃんと、できてなかった、から。そとで、乱暴な言葉、つかって……だから、オレが、わるくて。ユウリなら、ちゃんとするのに。ごめんなさ、あ、ちが、もうしわけ、ございませ……っ」
「大丈夫、ここに怒る人はいないから。話しやすいように喋っていいから」
園田が子供をあやすように言う。声色は優しいが、緊張した空気は変わらない。
しかし、どういうことだ。何故真壁の親が、レストランでの口調なんて知っている。
あの日の真壁はショッピングモール内でしか仮面を外していない。まさか、偶然親が居合わせたとでもいうのか。いくらなんでも考え辛い。意図的でも難しいだろう。あの外食は当日に突発的に決まったもので、真壁も店まで伝えなかったはずだ。
ただでさえ腑に落ちないというのに、続く言葉に、さらに心を乱される。
「オレが悪かったで、終われ、なくて……。悪い人付き合い、してるって……園田たちのせい、みたいになって。それが、どうしても……ダメ、だった」
「だめ、って……」
「あんな態度とってたオレを誘ってくれてさぁ。馬鹿みたいにはしゃいで、楽しくて。そういうの諦めてたから、嬉しかったんだ。なのに、それが悪いなんて……。口が悪いのは、自分のせいで。お前らに押し付けたり、できな、くて」
その場しのぎで俺達に罪を擦り付けられたなら、ここまで悪化しなかったのかもしれない。
それが、真壁にはできなかった。
どんな喋り方の時でも、根が真面目なのは変わらない。あの時伝えてくれた感謝と謝罪は紛れもなく本心だった。だから、それに背くことができなかったんだ。
結果、すべて自分が悪かったと、自己の半分を否定することになろうと。
しかし、納得できない。真壁は言葉遣いについて、過剰なほど気を配っていた。だからこその仮面だった。あれは自分自身と俺達に対してだけ見せていた姿だ。どこで盗み見たのか知らないが、それすらも許されないというのか。
元々自分を使い分けることでバランスを保っていたのだから、片方が否定されてしまえば、簡単に崩れ落ちてしまう。
そんな精神状態で睡眠時間を削り、常に監視されているような生活を送れば、限界がきて当然だ。
「それから、もう頭ぐちゃぐちゃで……気が付いたら、夜中とかで。目の前に、解かなきゃいけない課題とかがあると、全然考えらんねぇのに、放り出したりもできなくて」
「それで、寝た時間すら覚えてなかったのか……」
「そんな状態で、よくここまで頑張ったね。本当に、すごいと思うよ」
「だって、ユウリならできる。オレじゃなければ、できるから」
「違うよ。どっちも真壁なんだから、今辛かったらそう言っていい。それに、学校に来てる時も辛そうだった。今日だって倒れてるんだ。どっちも、辛いでいいんだよ」
「つらいとか関係ねぇよ。そんなこと言ったって、何も……」
「そんなことない。俺もね、家は地獄だった。酷いことをされる場所で、そこに帰らなきゃいけないのが辛かった。そういうのは、わかるんだ」
園田が俺たちにしか言えなかった傷を晒す。姉からの虐待と、庇ってくれていた兄のこと。
同じ家庭の問題を抱えつつも、二人の境遇は全く違う。
命の危機すらあったが、一時的でも助けを求める相手がいた園田。
身体的な苦痛はなくとも、誰も頼れず束縛の中で自己を歪めた真壁。
「俺はずーっと、助けてくれる人に縋ってたよ。もうやだ、怖い、助けてって、ずっと泣きついてた。迷惑かけたけど、そうしないと無理だった。辛いことを辛いって言えないのも、地獄だよ」
「お前の都合はわかんねぇけど……オレのは、たいしたことないんだ。覚えるまで書き取りするとか、こまめに連絡するとか、誰でもできることばっかで。そんなことで、辛いなんて……」
「たくさん水を飲むとか、暑いのを我慢するとか、言葉だとたいしたことない内容も、やり方次第で拷問だったよ」
「なんだ、それ。こわ」
「真壁が言ってること、俺も怖いって思う。俺のはせいぜい年数回だったけど、真壁は毎日でしょ」
「数回拷問されてたってなんだよ。やばすぎ」
「アレに、何もしないから毎日連絡しろって言われたら、俺には耐えられないな。いくら安全を保障されても」
「……ほんとうか?」
「想像しただけで吐きそう」
「…………っ」
ぐっと、
真壁は顔から手を下ろし、ベッドのシーツを握りしめた。
泣きはらしたような顔をしているのに、涙を流してはいない。涙すら、許されていないかのように。
震える口を開く。声は消えそうなくらいかすれて、でも、しっかり届いた。
「もう、つらい……」
「うん」
「時間が飛ぶのは怖い。自分でいられないのも、覚えていられないのも、ぜんぶ、つらい」
「うん」
「頑張ればいいのに……頑張れないのが、つらい。ひとりじゃ、もう……っ」
明確ではないが、救いを求める言葉。
助けが必要なのだと、ようやく自覚してくれた証。
この記憶は、また仮面をつけてしまったとき、思い出せなくなるのかもしれない。
それでも、はっきりと俺達に届いた。もう疑うことはない。
園田は、纏っていた怒りの空気をそのままにして笑った。
「大丈夫、任せて」
「まかせてって……そんな、簡単に」
「だって、これだけ症状があって、連絡の履歴なんかも残ってる。やりようはあるよ。そういう抗い方は昔いっぱい考えたからね」
なんとも恐ろしく、頼もしい言葉だった。
それから、園田に気圧されていた俺と工藤も会話に混ざり、心配したぞと横やりを入れる。特に俺は最近あしらわれ続けていたので、それなりに傷ついたアピールをしておいた。真壁は記憶になくとも「あしらった」という状況は理解できるようで、困ったように笑いながら謝っていた。
真壁はついに、校内で気を失って倒れてしまった。移動教室のため席を立った時のことだった。
呼びかけても反応がなかったため、担いで保健室へ連れていく。一人だとキツかったので、補助を園田に頼んだ。工藤も来たそうにしていたが、お前は授業に出た方がいいだろうと止めた。
養護教諭の対応は早かった。ここ最近の真壁の様子は佐藤先生から伝わっていたようだ。「聞く限りではストレス性の不調だろう」と、非接触の体温計を向けた。測定結果は三十九度。とても学校に来られる状態じゃない。
すぐには意識が戻らなかったので、俺達は授業に戻された。休み時間に交代で様子を見に行ったが、起きている姿を見ることはなかった。養護教諭に様子を聞くと、一度だけ授業中に目を覚まし、解熱剤を飲んで再度眠りについたらしい。
放課後になる頃には、荒かった息もだいぶ落ち着いていた。
養護教諭は用事があると席を外し、保健室には俺達四人だけになる。
真壁が目を覚ましたのは、十六時頃だった。
ゆっくりと瞼が上がるのを、授業が終わってからずっと側で付き添っていた園田がのぞき込む。
「目、覚めた? 身体はどう?」
「……その、だ?」
呼び捨て。それを聞いただけで、期待に似た感情が込み上げた。
真壁はふらつきながら身体を起こす。まだ意識はハッキリしていないようで、園田がそっと横から支えた。
「ここは……?」
「保健室。教室で倒れたの、覚えてない?」
「教室……オレ、学校行って……?」
仮面のない時の口調。数週間聞いていないだけだったが、とても懐かしく感じた。もう聞けないのではないかと思っていたから。
真壁はしばらく頭に手を当てて考え込んだ後、はっとした様子で園田に食い掛った。
「いま、いつだ!?」
「も、もう放課後。十六時ちょっと過ぎ」
「違う、日付! 何日!?」
「に、にじゅうはち、だけど……」
何故そんなことを聞かれるのか分からないまま、園田が答える。真壁は両目を手で覆い、俯く。何かを思い出そうとするように。
「真壁、まさか何日も記憶飛んでるの……?」
「……最近、おかしいんだ。気が付いたら、数日経ってて。夜中だったのが、昼になったり、時間の感覚なんか全然なくて」
「学校にいる時は、そんな風には見えなかったのに」
「学校なんてずっと……いや、来てた。ユウリで行ってたのは、わかる。わかるのに……記憶がない。なんだ、これ」
「考えるの難しいなら、無理しないで」
真壁はあれだけ調子を崩しながらも、学校を欠席することはなかった。辛そうではあったが、校内で声をかければ、どんなに面倒でも受け答えは必ずした。拒絶されていたが、会話は成立していた。
あれが無意識というのは、さすがにありえない。俺の窃盗とはわけが違う。
聞く限りでは、記憶喪失とも違いそうだ。
記憶がないのではない。今の真壁は、仮面をつけている時の自分を認識できていないんだ。
「最近」と言うのだから、倒れたことによる一時的な混乱ではないだろう。
「無理はしてほしくないけど、答えられたら、教えてほしい。一体いつから、そうなったの?」
「……テスト、返ってきた日」
空気が変わる。園田の表情と声色は穏やかだが、纏っている雰囲気は、姉の話題を出した時のようにヒリついていた。
何があったのか。そう尋ねると、真壁はぽつぽつと語り始める。俺達に伝えるためというより、自分の記憶を整理するように。
「結果、やっぱ悪くて。暗記系が軒並み……とくに現社と語学系が酷くて。進路、文系だから、すげぇ怒られた」
そこまでは、おおよそ想像していた通りだった。
今これだけ記憶が保てないのは、なにも突然そうなったわけではない。おそらく、だいぶ前から予兆はあった。少しずつ、少しずつ悪化し、それがテスト順位に表れていたんだ。
「いつもは、オレは出来が悪いから、もっと勉強しなさいで終わるんだ。だけど、あのとき……は、ぅ……っ」
真壁は頭を押さえてうずくまり、声にならないうめき声を漏らした。園田が落ち着かせるように背中をさする。冷静になろうとしてか、ふーふーと無理矢理整えたような呼吸音がした。
「あの、とき……飯行ったの、バレてて……でも、それ自体は悪くなくて……」
「なにが、悪いって言われたの?」
「し、しゃべりかた……。ちゃんと、できてなかった、から。そとで、乱暴な言葉、つかって……だから、オレが、わるくて。ユウリなら、ちゃんとするのに。ごめんなさ、あ、ちが、もうしわけ、ございませ……っ」
「大丈夫、ここに怒る人はいないから。話しやすいように喋っていいから」
園田が子供をあやすように言う。声色は優しいが、緊張した空気は変わらない。
しかし、どういうことだ。何故真壁の親が、レストランでの口調なんて知っている。
あの日の真壁はショッピングモール内でしか仮面を外していない。まさか、偶然親が居合わせたとでもいうのか。いくらなんでも考え辛い。意図的でも難しいだろう。あの外食は当日に突発的に決まったもので、真壁も店まで伝えなかったはずだ。
ただでさえ腑に落ちないというのに、続く言葉に、さらに心を乱される。
「オレが悪かったで、終われ、なくて……。悪い人付き合い、してるって……園田たちのせい、みたいになって。それが、どうしても……ダメ、だった」
「だめ、って……」
「あんな態度とってたオレを誘ってくれてさぁ。馬鹿みたいにはしゃいで、楽しくて。そういうの諦めてたから、嬉しかったんだ。なのに、それが悪いなんて……。口が悪いのは、自分のせいで。お前らに押し付けたり、できな、くて」
その場しのぎで俺達に罪を擦り付けられたなら、ここまで悪化しなかったのかもしれない。
それが、真壁にはできなかった。
どんな喋り方の時でも、根が真面目なのは変わらない。あの時伝えてくれた感謝と謝罪は紛れもなく本心だった。だから、それに背くことができなかったんだ。
結果、すべて自分が悪かったと、自己の半分を否定することになろうと。
しかし、納得できない。真壁は言葉遣いについて、過剰なほど気を配っていた。だからこその仮面だった。あれは自分自身と俺達に対してだけ見せていた姿だ。どこで盗み見たのか知らないが、それすらも許されないというのか。
元々自分を使い分けることでバランスを保っていたのだから、片方が否定されてしまえば、簡単に崩れ落ちてしまう。
そんな精神状態で睡眠時間を削り、常に監視されているような生活を送れば、限界がきて当然だ。
「それから、もう頭ぐちゃぐちゃで……気が付いたら、夜中とかで。目の前に、解かなきゃいけない課題とかがあると、全然考えらんねぇのに、放り出したりもできなくて」
「それで、寝た時間すら覚えてなかったのか……」
「そんな状態で、よくここまで頑張ったね。本当に、すごいと思うよ」
「だって、ユウリならできる。オレじゃなければ、できるから」
「違うよ。どっちも真壁なんだから、今辛かったらそう言っていい。それに、学校に来てる時も辛そうだった。今日だって倒れてるんだ。どっちも、辛いでいいんだよ」
「つらいとか関係ねぇよ。そんなこと言ったって、何も……」
「そんなことない。俺もね、家は地獄だった。酷いことをされる場所で、そこに帰らなきゃいけないのが辛かった。そういうのは、わかるんだ」
園田が俺たちにしか言えなかった傷を晒す。姉からの虐待と、庇ってくれていた兄のこと。
同じ家庭の問題を抱えつつも、二人の境遇は全く違う。
命の危機すらあったが、一時的でも助けを求める相手がいた園田。
身体的な苦痛はなくとも、誰も頼れず束縛の中で自己を歪めた真壁。
「俺はずーっと、助けてくれる人に縋ってたよ。もうやだ、怖い、助けてって、ずっと泣きついてた。迷惑かけたけど、そうしないと無理だった。辛いことを辛いって言えないのも、地獄だよ」
「お前の都合はわかんねぇけど……オレのは、たいしたことないんだ。覚えるまで書き取りするとか、こまめに連絡するとか、誰でもできることばっかで。そんなことで、辛いなんて……」
「たくさん水を飲むとか、暑いのを我慢するとか、言葉だとたいしたことない内容も、やり方次第で拷問だったよ」
「なんだ、それ。こわ」
「真壁が言ってること、俺も怖いって思う。俺のはせいぜい年数回だったけど、真壁は毎日でしょ」
「数回拷問されてたってなんだよ。やばすぎ」
「アレに、何もしないから毎日連絡しろって言われたら、俺には耐えられないな。いくら安全を保障されても」
「……ほんとうか?」
「想像しただけで吐きそう」
「…………っ」
ぐっと、
真壁は顔から手を下ろし、ベッドのシーツを握りしめた。
泣きはらしたような顔をしているのに、涙を流してはいない。涙すら、許されていないかのように。
震える口を開く。声は消えそうなくらいかすれて、でも、しっかり届いた。
「もう、つらい……」
「うん」
「時間が飛ぶのは怖い。自分でいられないのも、覚えていられないのも、ぜんぶ、つらい」
「うん」
「頑張ればいいのに……頑張れないのが、つらい。ひとりじゃ、もう……っ」
明確ではないが、救いを求める言葉。
助けが必要なのだと、ようやく自覚してくれた証。
この記憶は、また仮面をつけてしまったとき、思い出せなくなるのかもしれない。
それでも、はっきりと俺達に届いた。もう疑うことはない。
園田は、纏っていた怒りの空気をそのままにして笑った。
「大丈夫、任せて」
「まかせてって……そんな、簡単に」
「だって、これだけ症状があって、連絡の履歴なんかも残ってる。やりようはあるよ。そういう抗い方は昔いっぱい考えたからね」
なんとも恐ろしく、頼もしい言葉だった。
それから、園田に気圧されていた俺と工藤も会話に混ざり、心配したぞと横やりを入れる。特に俺は最近あしらわれ続けていたので、それなりに傷ついたアピールをしておいた。真壁は記憶になくとも「あしらった」という状況は理解できるようで、困ったように笑いながら謝っていた。
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