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2.lie

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「こんな機会でもないとできないので、第一回身の上話してもいいですか」
 工藤にココアを渡し、自分用に紅茶を淹れていたところで、そろりと園田が手を上げてそんなことを言った。
 眉間はしわまみれで、全然話したそうに見えない。
「顔、すげぇよ? 言いたくないんなら無理せんでも……」
「いや、今回俺ホント反省してるから。俺が嘘ついたのは、二人の前であんな吐き方したうえ、俺のせいで立川が疑われたってショックからで。事前に自分のこと話してたら、もっと落ち着けてたかもしれない。あの場面で俺が抱え込んだって、なんにも解決してなかった。だから話す。話します」
「お、おう。そこまで心決まってんなら聞くけどよ」
「ただ……けっこう、その……ドン引きするかも、だから。あと下手したらまた吐くかもだから、覚悟してください」
 聞く側に覚悟を求めてきた。どんだけヤバイ話するんだ。
 とりあえず空いている椅子に座り、どうぞと促す。
 園田は深く深呼吸をし、水筒のコップに注いだ白湯をぐいっと煽る。
「この前錯乱したとき察したかもだけど、ペットボトルがダメなんだ。普段は平気だけど、苦しい時とか、息切れしてると飲めない。中身こぼすだけでダメなのは、実はこの前初めて知った」
 そこまでは察していた。だから水筒なのだろう、と。
「例の姉が関係してんのか、とは思ってた。そこまでしか想像できてないけど」
「その通りなんだけど……。小さい頃から、虐待っていうか、拷問みたいなことしてくるヤツだった。傷が残らないように、巧妙に」
「拷問」
 思わず復唱してしまった。
 おおよそ日常では馴染みがなく、フィクションか歴史でしか聞かない言葉だ。
 パッと思いつくのは石抱や、中世ヨーロッパの魔女狩りだろうか。血生臭い器具を使ったものは頭に浮かぶが、傷が残らないとなるとイメージすらできない。
 対して工藤は少し想像ができているのか、はたまた嘘がないことにビビっているのか。血の気の引いた顔で、すでに冷め切っているココアに息を吹きかけていた。
「ダメなものは色々あるけど……ペットボトルに関しては、水責め、みたいなこと、されて。目が覚めた時に、結束バンドで手を後ろで縛られて、空の浴槽に寝かされてるんだけど」
 具体的な話に入り、おそらくまだ冒頭なのに、ぞわりとした悪寒が走った。
 今更ながら、これは本当に聞いていい話なのかという焦りが湧き上がる。
「髪を掴まれて首だけ持ち上げられて、ペットボトルの水をひたすら飲まされる。口をこじ開けられて注がれたり、飲み口を突っ込まれて鼻をつままれたり。飲み切っては、また水道の水を注いで飲まされての繰り返し。何回も、何回も何回も。もう無理って泣いても」
 最初、拷問という単語を大げさに感じたことを全力で恥じる。聞いているだけで吐き気が込み上げた。
 ただ水を飲まされるだけの行為が、こんなにもおぞましいものなのか。
「最初は抵抗するんだけど、そうすると水道の水を浴槽に注がれて、顔を底に押し付けられる。溺れるか飲むかを選ばされる。息ができないと、頭なんか回らないから。すぐに抵抗なんてできなくなる」
 それは拷問なのだから、殺すつもりの行為ではないのだろう。外傷の残りにくい方法を選んでいることからも、露見しないようにという狡猾さがわかる。しかし、死なないからといって、苦痛に耐えられるものではない。
 身動きのとれない状態で浴槽に水を溜められて、冷静でいられる方がおかしい。しかもこれは過去の話。中学生か、さらに下の年齢だったはずだ。幼少期から繰り返されていたのなら、学習性無力感もあっただろう。力で勝つ、というのも難しかったに違いない。
「水って、飲みすぎると毒なんだって。だから次は吐かされる。飲まされて、喉に指を突っ込まれて無理矢理吐かされて……それを繰り返していくと、さらに浴槽に水が溜まる。体力はどんどん奪われるのに、倒れたら、溺れるから。必死で意識を保って、馬鹿みたいに謝った。何もしてないんだから、それで止まるわけもないのに」
「何もしてないって、なんだよ。それ、何のために……その行為の終わりって、なんなんだ?」
「あいつの一番おかしいところは、その目的。俺を苦しめたいわけでも、自分が楽しんでいたわけでもない。あいつは……幼馴染の気を惹きたくて、そういうことをしてた」
「はぁ……!? どういう思考回路だよ、それ」
「幼馴染……今一緒に住んでる兄ちゃんなんだけど。いい人だから、俺のことを庇ってくれてた。ようするに、脅しの材料にされてたんだ。一緒にいてくれないと俺を拷問するぞ、見捨てていいのかって」
「うげぇ、ガチもんのサイコパス……」
 ドン引きを隠さずに工藤が言った。悲しきかな、完全に同意だった。
「効果覿面だったよ。兄ちゃんは俺のために、死ぬほど嫌いな女に従った。ずっと守ってくれてた。俺はダメだと思いながらも、ずるずると甘え続けた。そうするしか、できなかった」
「そりゃ過保護にもなるだろうな」
「色々あって、結果的に兄ちゃんがぜんぶ解決してくれた。自分の家族も友達も、大事な人も犠牲にして助けてくれた。おかげで今はこうして実家からもアレからも離れられてる。でも、そう簡単に忘れられるものじゃない。地獄、だったから」
 園田はさっき「ダメなものは色々ある」と言った。この話は、園田がいた地獄のごく一部でしかない。
 家庭内に、自分にはどうしようもない理由で痛めつけてくる人間がいる。その恐ろしさは計り知れない。助けを求めようにも、そこが地獄であることを証明できない。証拠がない。
 今の話を信じられる人間がどれだけいるのだろうか。俺ですら、疑ってはいないものの、そんな悪魔が存在することを信じ切れない。信じたくないと、心のどこかが拒否している感覚だ。
 親は止めなかったのかと思ったが、実際止められなかったから、地獄だったのだろう。
「というドン引き経緯がありまして、今に至ります」
 そう締めくくるように言うと、園田はふぅと一息ついて、少しスッキリした顔になった。
 対して俺と工藤は、今の重たすぎる話を消化できず、胃もたれのような気持ち悪さに襲われていた。
「自分の境遇を打ち明けたことはあるけど、されたことを具体的に言ったの、兄ちゃん以外だと初めて」
「そりゃ言えねーだろうな、そんなの」
「言ったところでどうしようもないし、理解されるわけもない。というか、理解できるなんて言われる方が耐えられない。同じ目にあってから言えって思う」
 だから言わないし、言いたくない。もっともな話だ。
 そんな経験をしたうえで、普通に高校生活を送っているなんて、同じ立場だったらできるだろうか。
 出会ったばかりの頃に聞いた「普通の人間に俺のことは理解できない」という言葉を思い出す。
 本当に、何の比喩もなく、その通りだったんだ。
「はー、意外と喋れた。また吐くの覚悟してたけど大丈夫っぽい。なんかちょっと楽になった気もするし。相手が立川と工藤だからかな」
「信用されてんのは嬉しいけど、けっこう引いてるからな?」
「ちゅーか、ヤバすぎて言葉が出てこん」
「でも聞いてくれた。普通の人には話せないから、こんなこと」
 面と向かって「普通じゃない」宣言をされてしまった。
 自分のことを普通だなんて口が裂けても言えないから、反論はできないが。
 二人ほどの苦労はないかもしれないが、俺の人生だってそれなりに厄介だ。その厄介さは、やはり俺にしかわかるまい。
「全員どっかおかしい人間の集まりかぁ。あは、山羊集会だねぇ」
「あ、また山羊。どういう意味なの?」
「前に立川と、おれらって羊のフリした山羊じゃんねって話してて。悪魔の象徴だったり、生贄だったり。それを頑張って隠してんの。それっぽくね?」
「そういう意味なんだ。てっきり、手紙が何か関係してるのかと」
「あー、そっちはおれの個人的な話。山羊の郵便の歌だと、読まずに食べちゃうじゃん? おれもそうなれたらいいのにって。ほら、おれ読む前に中身暴いちゃうから。知らないままって羨ましいなーとか」
 それで薬物のメモと一緒に落書きがあったのか。
 あの落書きといい、やたら上機嫌な鼻歌といい、工藤の精神状態がかなり悪かったのだと今なら分かる。
「園田、お湯おかわり注いだげる。乾杯しよ」
「え、なに? 乾杯?」
「いーから、ほらほら。立川はおかわりいる?」
「俺まだ全然残ってっから」
 工藤がケトルを持ち、注ぎ口を園田に向ける。園田がコップを突き出すと、トクトクと半分ほど注いだ。
 ケトルを置き、ココアの入ったマグカップを俺達に向ける。
「羊の群れの中、山羊同士出会えた奇跡にかんぱい♪ってね」
「絶妙にだせぇセリフだな」
「あはは、俺はわりと好き」
「はい立川ダウト~。半分うそ~。ちょっと好きと思ってるツンデレ~」
「この野郎っ」
「あだっ!? やめろおれ怪我人なんだからっ」
「自業自得だろうがよ……ったく」
「これだけ元気なら、大丈夫そうだけどね」
 カチン、と
 三者三様のカップがぶつかる少し歪な音と、笑い声が、夜の休憩室に響いた。
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