18 / 40
2.lie
2.lie_11
しおりを挟む
休憩室に入ると、我が物顔で棚を漁って電気ケトルを取り出している工藤がいた。
「あっ、二人ともきてくれたんだ。なんか飲む? おれ、ココア淹れようとしてたとこ~。各部のマネージャーがお喋りする用に、色々常備してんだってさぁ」
さっきまでの事件などなかったかのように、不自然なまでにいつも通りだった。
だが、顔の擦り傷には絆創膏が貼られているし、シャツのボタンが飛んでいるのも変わらない。姿勢もいつもより猫背に見える。髪も解いたままなので、雰囲気はどこか弱々しく感じた。
「おまえ、大人しくしてなくていいのかよ」
「いやぁ、身体の節々ちょー痛ぇよ? あと腹。人生で初めて腹パンされたし。しかも同じとこ蹴ってくんの! ド畜生だよあいっ……、いてててっ」
声を荒げたのが腹に響いたらしい。馬鹿じゃないのかこいつ。
工藤から電気ケトルを取り上げ、棚からココアの粉を取り出す。その隙に園田が工藤を簡易ベッドに座らせてくれた。
「うっぷ……腹ってダメージでかいんだなぁ」
「よく病院連れていかれなかったね」
「時間が時間だし、明日でいいかと思って。シロちゃんせんせ、骨とか内臓はだいじょぶそうって診てくれたから」
シロちゃんとは養護教諭のことだろうか。そういえば名前を知らないな。
「それよか、ねーちゃん来てたんだって? 囮しようとしたのバレてたとか、帰ったらちょー怒られそう。でもこれで立川冤罪問題は解決だろぉ? いやー、怪我した甲斐があるってもんよ。勲章ってヤツ? 感謝しなねぇ」
けらけらと笑って言われ、少しだけ怒りが沸いた。
この勝手な行動を咎めたかった。しかし、実際助けられている立場の俺には強く言えない。
だから。
咎めたのは、園田だった。
「……そんなこと、本気で言ってるの?」
「え……?」
園田の声色は厳しかった。
俺に背を向けているため表情は見えないが、真正面にいる工藤は、へらへらとした笑みを崩し硬直している。茶化せないような表情をしているのだ。
声と背中から、悲しんでいるのを感じる。それと同じくらい、怒っていて、悔しがっている。
工藤は気まずそうに狼狽し、おずおずと園田の顔を覗き込む。
「や、あの……悪かったとは思ってんよ……? 二人になんも言わんかったし、心配かけたよな。ごめんなぁ……。でも、直接行くの反対されたし、その」
「そんなので誤魔化されると、本気で思ってるのかって聞いてんの!!」
乾いた空気の中、ビリビリとした怒号が響いた。
今まで聞いたことのない、怒り任せの叫び声だった。背中側にいた俺ですら、思わず呆気にとられてしまう。
正面から浴びた工藤は、目を見開いて竦み上がっていた。
園田は未だ怒りがおさまらないのか肩を震わせている。力任せに握った拳は、指先だけが真っ赤になっていた。
「俺、ちゃんと話して、謝らないとって思って……なのに、そんな態度……っ! 俺だって、ムカつく時はムカつくんだけど!?」
「ひ、ぇ……? な、なに……おれ、そんなヘンなこと、いった……?」
「俺達に何も言わなかったのは、反対されるからとかじゃないくせに!」
「――――ッ!?」
びくん、と工藤の身体が跳ねた。
うすら笑いが完全に消え去り、一気に血の気が引いていく。
しかし、その程度で園田は止まらない。もう遠慮などしないと、捲し立てるように続けた。
「わからないと思ったの!? 薬の現物を押えたいなら、ノコノコ室内に入っていくわけない!」
……そうだ。
それは俺も思ったじゃないか。理解できない行動だって。
解決して、終わった気になって、忘れていた。
ふつり、ふつりと。今まで散らばっていた違和感が蘇る。
今回のことが全て作戦だとして、何故俺達に伝えなかったのか。
何故、警察と接点がある姉に相談しなかったのか。
何故、犯人を見抜いた時点で他人を頼らなかったのか。
何故、カメラの前に姿を現しておいて、部室内に入ったのか。
その答えに、園田は気づいている。
気づかれていることを悟った工藤は、かたかたと震えていた。
「その、だ……おれ……」
「あんなの、作戦通りじゃなかったんでしょ? 工藤のお姉さんが、たまたま工藤の嘘を見抜いたから無事だっただけ」
「まって、そのだ、まって」
「俺達も警察も、頼らなかったんじゃない。頼れなかったんだ。だって、工藤の目的は……っ!」
確保された男は、なんと言っていたのか。
『買いたいと言われたから持ってきてた』
それが本当に演技や作戦なら、室内に入る前に警察や教師を呼べばいい。工藤なら、わざわざ現物を目視確認する必要はない。所持させた時点で勝ちが確定している。カメラの前から逃がす理由がない。
でも、呼ばなかった。頼らなかった。
そこで相手が捕まってしまったら、困るから。
つまり、相手に薬物を所持させるだけでは、達成できない目的があった。
「囮をしながら、できるなら入手しようって思ってたんじゃないの……?」
園田はその言葉を、ハッキリと、工藤にぶつけた。
怯える工藤を捉えるその眼差しが、曖昧な言い逃れなど許さないと語っていた。
工藤はしばらく黙っていたが、しばらくすると諦めたように両手を上げた。
茶化した声色で「降参、こーさん」と言う。ふざけているのは言葉だけで、瞳は悲しげに曇り今にも泣きだしそうだ。
「…………なんで、園田にばれちゃうかなぁ」
「工藤、どうして……」
「興味あったから。それだけだよ」
「でも、結局いらないって言ったんだよね?」
「拒否したうえで無理矢理飲まされるのが理想だった。そしたら被害者ぶれるじゃん? 調査メインで棚ぼた狙ってた感じかなぁ。ま、それで煽ってボコられたんだけど」
口元だけが、へらりと笑う。
俺は、以前間違って盗ってしまった工藤のノートを思い出していた。
あれは単純に、薬物そのものに興味を持ったから調べていたのか。
「丸くおさまりそうだったんだから、気づかないフリしててくれりゃーよかったのに」
「できるわけ、ない……! こんなの、黙ってられないよ!」
「……まぁ、できるわけないのは、おれもわかるかなぁ」
ぱたりと。掲げられていた工藤の両手が、力なくベッドに落ちた。
その目は園田を見上げているようで、どこも見ていない。
すべてを諦めきったような、絶望すら感じる表情だった。
「おれも、できなかったから……。園田が倒れた時の嘘、立川に喋った」
「……なんとなく、そうかなとは思ってた」
「勝手に見抜いて、勝手に喋って……それが知られたくなくて、立川にも嘘つかせた」
園田の嘘は、知らなかったフリをすることで対処した。
知らなかったと、俺は嘘をついた。
正直、今言われるまで、嘘だという自覚はあまりなかった。
工藤の助言で、俺を気遣ってくれた園田に、余計な負担をかけないため――
「あ……」
そうか。
この嘘は、園田の「大丈夫」と同じなのか。
あのとき、発案は工藤だった。俺も工藤も、それが一番の方法だと思った。
騙しているような心地悪さを感じながらも。
「おれは、それが……」
工藤の目から、つっと涙が伝う。
一度落ちたら、ぱたぱたと、壊れたかのようにあふれ出した。
「それが……っ、いや、だった……! あんなうそ、わかりたく、ない……っ!」
あの時――
園田の嘘をどう扱えばいいのかわからなくて、工藤は子供のように俺に縋った。
だから俺は、同じ罪をかぶればいいと思った。園田にバレないように、と。
俺がついたその嘘すらも、工藤にはのしかかってしまう。
人が嘘をつく時、そこにあるのは悪意だけではない。
世の中には、知らない方がいいこともある。相手を想って、守りたくて、嘘をつくことはたくさんある。
知らない方がいいのに、工藤は暴いてしまう。
気づかないフリができるほど、感情を殺すこともできない。
「でも、今回は工藤のおかげで、話が進展しただろ……?」
「そんなの……っ、それこそ、偶然でしかない! どうにもできないことだったとしても……知らないフリ、できないで、言ってた。隠しごとなんて誰にだってある。それを勝手に暴いて、喋って……ふたりとも、傷つけてたかもしれない。それ、が……っ、う、ううぅっ」
それは想像でしかないけれど、いつ訪れてもおかしくない未来。
工藤が嘘を見抜いてしまう限り、起こりえる悪夢。
だから、工藤はそれを振り払えない。誰よりもそれが身近で、逃れられないと、わかっているから。
「ほ、んとは……っ、そうしたくない、なら……離れたらいいって、わかってる。今まで、みたいに……っ、嘘があったら、はなれて……キョリ、つくって……ずっと、そうしてた、のに」
親しくなる前、工藤は時々声をかけてくれたけど、今のような懐っこさを見せなかった。
園田に対しても、姉への感情を見破ったことで遠慮していた。
何も考えずに楽しく喋っているようで、誰よりも人との距離を気にしている。
できるだけ、親しくなりすぎないように。苦しい嘘が存在しないように。
それを、
俺達が、壊していた。
「ふたり、は……ふたりと離れるのは……いや、だった……! だって、はじめて……嘘のことも、おれのことも、全部言えたの……はじめて、だった。ぜんぶ言えるのが、こんな……っ、居心地よくて、たのし、かったから……」
「工藤……」
その感情は、痛いほどよくわかる。
園田にはじめて万引きを止められた時、もう終わりだと思ったのに、終わらせられなかった。
目の前にあるそれを捨てる事なんてできない。
目尻が熱くなる。今苦しんでいるのは工藤なのに、自分のことのように泣き出しそうだった。
「離れたくないのが、つらくて。たのしいのに、こわくて。なんでおれ、こんななんだろう……って。こうじゃなかったらいいのにって、そう思ったら……」
ぼろぼろと泣き続ける工藤を、園田が正面から抱き寄せる。子供をあやすようにトントンと背を叩くと、工藤は縋りつくように、園田の肩に顔を埋めた。
「そっか、それで……。ダメだって分かってても、縋りたくなっちゃったんだね」
「うそがわかんのは、意識してないだけで、頭が判断してる、から」
「うん。だから薬だったんだよね。工藤のノート見た時……違和感はあったんだ」
「薬がダメでも、殴られたり、頭打つでも……なんでもよかった。どうにかなりたいって、それだけで。最初は二人のためだったのに、段々……おかしく、なって……」
「工藤にとっては、それくらい辛かったんだよね。わかる、なんて、言ってあげられない、けど……っ」
「う、あぁ……っ! ぇ、っく……、うあ、あぁぁぁっ」
こぼれる嗚咽が、耳を塞ぎたくなるほど痛ましい。
工藤の苦悩を想像することはできても、わかってやれることはない。
工藤は時折自分のことを化物と称する。そんな言葉が出てくるのは、自分が理解できない存在であるという意識の表れだ。
今回、あれだけ心を寄せている姉にすら、頼っていない。
工藤は姉のことを完全無欠と讃えていた。工藤にとってこの悩みは、自分だけが抱える『不完全さ』なんだ。
人に近づくこともできず、化物としても欠けている。
誰が、それを理解できるというのか。
理解されるなんて到底思えないから、壊れることを望んだというのに。
「見捨ててくれて、よかった……。だって、おれ、わざと……」
「それができないのは、みんな同じだよ。俺も、立川も」
「……っ、あぁ、そうだよ。俺、全然気づいてやれてなかった。それが今、死ぬほど悔しい。こんなの……二度と、御免だ」
「っく、うぅ……っ、ごめ、……っ、園田のこと、勝手に喋って、立川にも嘘つかせたくせに……自分のこと、だまってて……」
「俺も、変だって思った時に言えばよかった。下手な嘘に逃げずに、話せてたら……っ」
園田の声に、涙が混じる。
ここにいる全員、近しい似た者同士なのに、ずっと遠かった。
何も隠さずに生きることは無理でも、傷つかない方法を探ることはきっとできた。
ほんの少し距離を縮めるだけで、変えられることがあったはずなのに。
そんなことにも気づけないほど、遠かったんだ。
「あの時、俺が大丈夫なんて嘘言ったから、工藤を苦しませて……気づいてたのに、二人の嘘に、甘えてた。ほんとうに、ごめん」
「俺も……結局お前らの何も、見えてなかったのかもしれない。もっと、向き合えばよかったんだ」
「そんな、こと……ふたりは……」
「「でも工藤っ!」」
「ひぇっ!?」
俺と園田の声が重なり、工藤は涙を零しながら小さく悲鳴を漏らした。
「それはそれとして、あの自暴自棄は本当に反省して! 次やったら許さないから!」
「その通りだ! こっちはお前のこと散々頼ったんだから、今度からはお前も頼れ! とにかく危険は避けろ!」
工藤はぽかんと呆けた顔で俺達を見上げる。先ほどまでの心悲しさが、少しだけ薄れていた。
「……そこ、そんな怒んの? だっておれ、わざと……」
「わざとやったから怒ってんの! カメラから工藤が消えたとき、ほんっとうに怖かったんだからね!?」
「俺なんか部室棟に走りながら、どうやっても運動部に勝てないしどうしようって考えてたんだぞ!」
「ど、どーするつもりだったん……?」
「初手目つぶしからの金的」
「ぶはっ」
俺の勝算のない奇襲計画がお気に召したようで、だらしなく口元を緩ませて吹き出した。その拍子に腹筋に力が入ったのか「いでででで」と叫びながら腹を抱えてうずくまる。
そこまで笑わなくてもと思い視線をそらしたら、その先にいた園田もうっすら笑っていた。ひでぇ。
工藤は涙を拭い、顔を上げた。
「かなわないなぁ、もぉ。おれ、ホントに終わってもいい気持ちだったのに。普通に笑ったし」
涙はまだ止まっておらず、拭ったあとからもこぼれ落ちる。けれど、無理に止めることもないだろう。
ぐちゃぐちゃな顔で、いつものように、にへらと笑う。
「ありがと、二人とも。おれのこと、気づいてくれて」
俺達に、この笑顔の真意を見極めることはできないかもしれない。
けれど、信じようと思う。
心から笑ってくれていることを。
心から笑い合える関係を、築いていけることを。
「あっ、二人ともきてくれたんだ。なんか飲む? おれ、ココア淹れようとしてたとこ~。各部のマネージャーがお喋りする用に、色々常備してんだってさぁ」
さっきまでの事件などなかったかのように、不自然なまでにいつも通りだった。
だが、顔の擦り傷には絆創膏が貼られているし、シャツのボタンが飛んでいるのも変わらない。姿勢もいつもより猫背に見える。髪も解いたままなので、雰囲気はどこか弱々しく感じた。
「おまえ、大人しくしてなくていいのかよ」
「いやぁ、身体の節々ちょー痛ぇよ? あと腹。人生で初めて腹パンされたし。しかも同じとこ蹴ってくんの! ド畜生だよあいっ……、いてててっ」
声を荒げたのが腹に響いたらしい。馬鹿じゃないのかこいつ。
工藤から電気ケトルを取り上げ、棚からココアの粉を取り出す。その隙に園田が工藤を簡易ベッドに座らせてくれた。
「うっぷ……腹ってダメージでかいんだなぁ」
「よく病院連れていかれなかったね」
「時間が時間だし、明日でいいかと思って。シロちゃんせんせ、骨とか内臓はだいじょぶそうって診てくれたから」
シロちゃんとは養護教諭のことだろうか。そういえば名前を知らないな。
「それよか、ねーちゃん来てたんだって? 囮しようとしたのバレてたとか、帰ったらちょー怒られそう。でもこれで立川冤罪問題は解決だろぉ? いやー、怪我した甲斐があるってもんよ。勲章ってヤツ? 感謝しなねぇ」
けらけらと笑って言われ、少しだけ怒りが沸いた。
この勝手な行動を咎めたかった。しかし、実際助けられている立場の俺には強く言えない。
だから。
咎めたのは、園田だった。
「……そんなこと、本気で言ってるの?」
「え……?」
園田の声色は厳しかった。
俺に背を向けているため表情は見えないが、真正面にいる工藤は、へらへらとした笑みを崩し硬直している。茶化せないような表情をしているのだ。
声と背中から、悲しんでいるのを感じる。それと同じくらい、怒っていて、悔しがっている。
工藤は気まずそうに狼狽し、おずおずと園田の顔を覗き込む。
「や、あの……悪かったとは思ってんよ……? 二人になんも言わんかったし、心配かけたよな。ごめんなぁ……。でも、直接行くの反対されたし、その」
「そんなので誤魔化されると、本気で思ってるのかって聞いてんの!!」
乾いた空気の中、ビリビリとした怒号が響いた。
今まで聞いたことのない、怒り任せの叫び声だった。背中側にいた俺ですら、思わず呆気にとられてしまう。
正面から浴びた工藤は、目を見開いて竦み上がっていた。
園田は未だ怒りがおさまらないのか肩を震わせている。力任せに握った拳は、指先だけが真っ赤になっていた。
「俺、ちゃんと話して、謝らないとって思って……なのに、そんな態度……っ! 俺だって、ムカつく時はムカつくんだけど!?」
「ひ、ぇ……? な、なに……おれ、そんなヘンなこと、いった……?」
「俺達に何も言わなかったのは、反対されるからとかじゃないくせに!」
「――――ッ!?」
びくん、と工藤の身体が跳ねた。
うすら笑いが完全に消え去り、一気に血の気が引いていく。
しかし、その程度で園田は止まらない。もう遠慮などしないと、捲し立てるように続けた。
「わからないと思ったの!? 薬の現物を押えたいなら、ノコノコ室内に入っていくわけない!」
……そうだ。
それは俺も思ったじゃないか。理解できない行動だって。
解決して、終わった気になって、忘れていた。
ふつり、ふつりと。今まで散らばっていた違和感が蘇る。
今回のことが全て作戦だとして、何故俺達に伝えなかったのか。
何故、警察と接点がある姉に相談しなかったのか。
何故、犯人を見抜いた時点で他人を頼らなかったのか。
何故、カメラの前に姿を現しておいて、部室内に入ったのか。
その答えに、園田は気づいている。
気づかれていることを悟った工藤は、かたかたと震えていた。
「その、だ……おれ……」
「あんなの、作戦通りじゃなかったんでしょ? 工藤のお姉さんが、たまたま工藤の嘘を見抜いたから無事だっただけ」
「まって、そのだ、まって」
「俺達も警察も、頼らなかったんじゃない。頼れなかったんだ。だって、工藤の目的は……っ!」
確保された男は、なんと言っていたのか。
『買いたいと言われたから持ってきてた』
それが本当に演技や作戦なら、室内に入る前に警察や教師を呼べばいい。工藤なら、わざわざ現物を目視確認する必要はない。所持させた時点で勝ちが確定している。カメラの前から逃がす理由がない。
でも、呼ばなかった。頼らなかった。
そこで相手が捕まってしまったら、困るから。
つまり、相手に薬物を所持させるだけでは、達成できない目的があった。
「囮をしながら、できるなら入手しようって思ってたんじゃないの……?」
園田はその言葉を、ハッキリと、工藤にぶつけた。
怯える工藤を捉えるその眼差しが、曖昧な言い逃れなど許さないと語っていた。
工藤はしばらく黙っていたが、しばらくすると諦めたように両手を上げた。
茶化した声色で「降参、こーさん」と言う。ふざけているのは言葉だけで、瞳は悲しげに曇り今にも泣きだしそうだ。
「…………なんで、園田にばれちゃうかなぁ」
「工藤、どうして……」
「興味あったから。それだけだよ」
「でも、結局いらないって言ったんだよね?」
「拒否したうえで無理矢理飲まされるのが理想だった。そしたら被害者ぶれるじゃん? 調査メインで棚ぼた狙ってた感じかなぁ。ま、それで煽ってボコられたんだけど」
口元だけが、へらりと笑う。
俺は、以前間違って盗ってしまった工藤のノートを思い出していた。
あれは単純に、薬物そのものに興味を持ったから調べていたのか。
「丸くおさまりそうだったんだから、気づかないフリしててくれりゃーよかったのに」
「できるわけ、ない……! こんなの、黙ってられないよ!」
「……まぁ、できるわけないのは、おれもわかるかなぁ」
ぱたりと。掲げられていた工藤の両手が、力なくベッドに落ちた。
その目は園田を見上げているようで、どこも見ていない。
すべてを諦めきったような、絶望すら感じる表情だった。
「おれも、できなかったから……。園田が倒れた時の嘘、立川に喋った」
「……なんとなく、そうかなとは思ってた」
「勝手に見抜いて、勝手に喋って……それが知られたくなくて、立川にも嘘つかせた」
園田の嘘は、知らなかったフリをすることで対処した。
知らなかったと、俺は嘘をついた。
正直、今言われるまで、嘘だという自覚はあまりなかった。
工藤の助言で、俺を気遣ってくれた園田に、余計な負担をかけないため――
「あ……」
そうか。
この嘘は、園田の「大丈夫」と同じなのか。
あのとき、発案は工藤だった。俺も工藤も、それが一番の方法だと思った。
騙しているような心地悪さを感じながらも。
「おれは、それが……」
工藤の目から、つっと涙が伝う。
一度落ちたら、ぱたぱたと、壊れたかのようにあふれ出した。
「それが……っ、いや、だった……! あんなうそ、わかりたく、ない……っ!」
あの時――
園田の嘘をどう扱えばいいのかわからなくて、工藤は子供のように俺に縋った。
だから俺は、同じ罪をかぶればいいと思った。園田にバレないように、と。
俺がついたその嘘すらも、工藤にはのしかかってしまう。
人が嘘をつく時、そこにあるのは悪意だけではない。
世の中には、知らない方がいいこともある。相手を想って、守りたくて、嘘をつくことはたくさんある。
知らない方がいいのに、工藤は暴いてしまう。
気づかないフリができるほど、感情を殺すこともできない。
「でも、今回は工藤のおかげで、話が進展しただろ……?」
「そんなの……っ、それこそ、偶然でしかない! どうにもできないことだったとしても……知らないフリ、できないで、言ってた。隠しごとなんて誰にだってある。それを勝手に暴いて、喋って……ふたりとも、傷つけてたかもしれない。それ、が……っ、う、ううぅっ」
それは想像でしかないけれど、いつ訪れてもおかしくない未来。
工藤が嘘を見抜いてしまう限り、起こりえる悪夢。
だから、工藤はそれを振り払えない。誰よりもそれが身近で、逃れられないと、わかっているから。
「ほ、んとは……っ、そうしたくない、なら……離れたらいいって、わかってる。今まで、みたいに……っ、嘘があったら、はなれて……キョリ、つくって……ずっと、そうしてた、のに」
親しくなる前、工藤は時々声をかけてくれたけど、今のような懐っこさを見せなかった。
園田に対しても、姉への感情を見破ったことで遠慮していた。
何も考えずに楽しく喋っているようで、誰よりも人との距離を気にしている。
できるだけ、親しくなりすぎないように。苦しい嘘が存在しないように。
それを、
俺達が、壊していた。
「ふたり、は……ふたりと離れるのは……いや、だった……! だって、はじめて……嘘のことも、おれのことも、全部言えたの……はじめて、だった。ぜんぶ言えるのが、こんな……っ、居心地よくて、たのし、かったから……」
「工藤……」
その感情は、痛いほどよくわかる。
園田にはじめて万引きを止められた時、もう終わりだと思ったのに、終わらせられなかった。
目の前にあるそれを捨てる事なんてできない。
目尻が熱くなる。今苦しんでいるのは工藤なのに、自分のことのように泣き出しそうだった。
「離れたくないのが、つらくて。たのしいのに、こわくて。なんでおれ、こんななんだろう……って。こうじゃなかったらいいのにって、そう思ったら……」
ぼろぼろと泣き続ける工藤を、園田が正面から抱き寄せる。子供をあやすようにトントンと背を叩くと、工藤は縋りつくように、園田の肩に顔を埋めた。
「そっか、それで……。ダメだって分かってても、縋りたくなっちゃったんだね」
「うそがわかんのは、意識してないだけで、頭が判断してる、から」
「うん。だから薬だったんだよね。工藤のノート見た時……違和感はあったんだ」
「薬がダメでも、殴られたり、頭打つでも……なんでもよかった。どうにかなりたいって、それだけで。最初は二人のためだったのに、段々……おかしく、なって……」
「工藤にとっては、それくらい辛かったんだよね。わかる、なんて、言ってあげられない、けど……っ」
「う、あぁ……っ! ぇ、っく……、うあ、あぁぁぁっ」
こぼれる嗚咽が、耳を塞ぎたくなるほど痛ましい。
工藤の苦悩を想像することはできても、わかってやれることはない。
工藤は時折自分のことを化物と称する。そんな言葉が出てくるのは、自分が理解できない存在であるという意識の表れだ。
今回、あれだけ心を寄せている姉にすら、頼っていない。
工藤は姉のことを完全無欠と讃えていた。工藤にとってこの悩みは、自分だけが抱える『不完全さ』なんだ。
人に近づくこともできず、化物としても欠けている。
誰が、それを理解できるというのか。
理解されるなんて到底思えないから、壊れることを望んだというのに。
「見捨ててくれて、よかった……。だって、おれ、わざと……」
「それができないのは、みんな同じだよ。俺も、立川も」
「……っ、あぁ、そうだよ。俺、全然気づいてやれてなかった。それが今、死ぬほど悔しい。こんなの……二度と、御免だ」
「っく、うぅ……っ、ごめ、……っ、園田のこと、勝手に喋って、立川にも嘘つかせたくせに……自分のこと、だまってて……」
「俺も、変だって思った時に言えばよかった。下手な嘘に逃げずに、話せてたら……っ」
園田の声に、涙が混じる。
ここにいる全員、近しい似た者同士なのに、ずっと遠かった。
何も隠さずに生きることは無理でも、傷つかない方法を探ることはきっとできた。
ほんの少し距離を縮めるだけで、変えられることがあったはずなのに。
そんなことにも気づけないほど、遠かったんだ。
「あの時、俺が大丈夫なんて嘘言ったから、工藤を苦しませて……気づいてたのに、二人の嘘に、甘えてた。ほんとうに、ごめん」
「俺も……結局お前らの何も、見えてなかったのかもしれない。もっと、向き合えばよかったんだ」
「そんな、こと……ふたりは……」
「「でも工藤っ!」」
「ひぇっ!?」
俺と園田の声が重なり、工藤は涙を零しながら小さく悲鳴を漏らした。
「それはそれとして、あの自暴自棄は本当に反省して! 次やったら許さないから!」
「その通りだ! こっちはお前のこと散々頼ったんだから、今度からはお前も頼れ! とにかく危険は避けろ!」
工藤はぽかんと呆けた顔で俺達を見上げる。先ほどまでの心悲しさが、少しだけ薄れていた。
「……そこ、そんな怒んの? だっておれ、わざと……」
「わざとやったから怒ってんの! カメラから工藤が消えたとき、ほんっとうに怖かったんだからね!?」
「俺なんか部室棟に走りながら、どうやっても運動部に勝てないしどうしようって考えてたんだぞ!」
「ど、どーするつもりだったん……?」
「初手目つぶしからの金的」
「ぶはっ」
俺の勝算のない奇襲計画がお気に召したようで、だらしなく口元を緩ませて吹き出した。その拍子に腹筋に力が入ったのか「いでででで」と叫びながら腹を抱えてうずくまる。
そこまで笑わなくてもと思い視線をそらしたら、その先にいた園田もうっすら笑っていた。ひでぇ。
工藤は涙を拭い、顔を上げた。
「かなわないなぁ、もぉ。おれ、ホントに終わってもいい気持ちだったのに。普通に笑ったし」
涙はまだ止まっておらず、拭ったあとからもこぼれ落ちる。けれど、無理に止めることもないだろう。
ぐちゃぐちゃな顔で、いつものように、にへらと笑う。
「ありがと、二人とも。おれのこと、気づいてくれて」
俺達に、この笑顔の真意を見極めることはできないかもしれない。
けれど、信じようと思う。
心から笑ってくれていることを。
心から笑い合える関係を、築いていけることを。
10
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
【完結】公女が死んだ、その後のこと
杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】
「お母様……」
冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。
古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。
「言いつけを、守ります」
最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。
こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。
そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。
「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」
「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」
「くっ……、な、ならば蘇生させ」
「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」
「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」
「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」
「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」
「まっ、待て!話を」
「嫌ぁ〜!」
「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」
「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」
「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」
「くっ……!」
「なっ、譲位せよだと!?」
「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」
「おのれ、謀りおったか!」
「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」
◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。
◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。
◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった?
◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。
◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。
◆この作品は小説家になろうでも公開します。
◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!
後宮の記録女官は真実を記す
悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】
中華後宮を舞台にしたライトな謎解きものです。全16話。
「──嫌、でございます」
男装の女官・碧燿《へきよう》は、皇帝・藍熾《らんし》の命令を即座に断った。
彼女は後宮の記録を司る彤史《とうし》。何ものにも屈さず真実を記すのが務めだというのに、藍熾はこともあろうに彼女に妃の夜伽の記録を偽れと命じたのだ。職務に忠実に真実を求め、かつ権力者を嫌う碧燿。どこまでも傲慢に強引に我が意を通そうとする藍熾。相性最悪のふたりは反発し合うが──
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる