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2.lie

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 休憩室に入ると、我が物顔で棚を漁って電気ケトルを取り出している工藤がいた。
「あっ、二人ともきてくれたんだ。なんか飲む? おれ、ココア淹れようとしてたとこ~。各部のマネージャーがお喋りする用に、色々常備してんだってさぁ」
 さっきまでの事件などなかったかのように、不自然なまでにいつも通りだった。
 だが、顔の擦り傷には絆創膏が貼られているし、シャツのボタンが飛んでいるのも変わらない。姿勢もいつもより猫背に見える。髪も解いたままなので、雰囲気はどこか弱々しく感じた。
「おまえ、大人しくしてなくていいのかよ」
「いやぁ、身体の節々ちょー痛ぇよ? あと腹。人生で初めて腹パンされたし。しかも同じとこ蹴ってくんの! ド畜生だよあいっ……、いてててっ」
 声を荒げたのが腹に響いたらしい。馬鹿じゃないのかこいつ。
 工藤から電気ケトルを取り上げ、棚からココアの粉を取り出す。その隙に園田が工藤を簡易ベッドに座らせてくれた。
「うっぷ……腹ってダメージでかいんだなぁ」
「よく病院連れていかれなかったね」
「時間が時間だし、明日でいいかと思って。シロちゃんせんせ、骨とか内臓はだいじょぶそうって診てくれたから」
 シロちゃんとは養護教諭のことだろうか。そういえば名前を知らないな。
「それよか、ねーちゃん来てたんだって? 囮しようとしたのバレてたとか、帰ったらちょー怒られそう。でもこれで立川冤罪問題は解決だろぉ? いやー、怪我した甲斐があるってもんよ。勲章ってヤツ? 感謝しなねぇ」
 けらけらと笑って言われ、少しだけ怒りが沸いた。
 この勝手な行動を咎めたかった。しかし、実際助けられている立場の俺には強く言えない。
 だから。
 咎めたのは、園田だった。
「……そんなこと、本気で言ってるの?」
「え……?」
 園田の声色は厳しかった。
 俺に背を向けているため表情は見えないが、真正面にいる工藤は、へらへらとした笑みを崩し硬直している。茶化せないような表情をしているのだ。
 声と背中から、悲しんでいるのを感じる。それと同じくらい、怒っていて、悔しがっている。
 工藤は気まずそうに狼狽し、おずおずと園田の顔を覗き込む。
「や、あの……悪かったとは思ってんよ……? 二人になんも言わんかったし、心配かけたよな。ごめんなぁ……。でも、直接行くの反対されたし、その」
「そんなので誤魔化されると、本気で思ってるのかって聞いてんの!!」
 乾いた空気の中、ビリビリとした怒号が響いた。
 今まで聞いたことのない、怒り任せの叫び声だった。背中側にいた俺ですら、思わず呆気にとられてしまう。
 正面から浴びた工藤は、目を見開いて竦み上がっていた。
 園田は未だ怒りがおさまらないのか肩を震わせている。力任せに握った拳は、指先だけが真っ赤になっていた。
「俺、ちゃんと話して、謝らないとって思って……なのに、そんな態度……っ! 俺だって、ムカつく時はムカつくんだけど!?」
「ひ、ぇ……? な、なに……おれ、そんなヘンなこと、いった……?」
「俺達に何も言わなかったのは、反対されるからとかじゃないくせに!」
「――――ッ!?」
 びくん、と工藤の身体が跳ねた。
 うすら笑いが完全に消え去り、一気に血の気が引いていく。
 しかし、その程度で園田は止まらない。もう遠慮などしないと、捲し立てるように続けた。
「わからないと思ったの!? 薬の現物を押えたいなら、ノコノコ室内に入っていくわけない!」
 ……そうだ。
 それは俺も思ったじゃないか。理解できない行動だって。
 解決して、終わった気になって、忘れていた。
 ふつり、ふつりと。今まで散らばっていた違和感が蘇る。
 今回のことが全て作戦だとして、何故俺達に伝えなかったのか。
 何故、警察と接点がある姉に相談しなかったのか。
 何故、犯人を見抜いた時点で他人を頼らなかったのか。
 何故、カメラの前に姿を現しておいて、部室内に入ったのか。
 その答えに、園田は気づいている。
 気づかれていることを悟った工藤は、かたかたと震えていた。
「その、だ……おれ……」
「あんなの、作戦通りじゃなかったんでしょ? 工藤のお姉さんが、たまたま工藤の嘘を見抜いたから無事だっただけ」
「まって、そのだ、まって」
「俺達も警察も、頼らなかったんじゃない。頼れなかったんだ。だって、工藤の目的は……っ!」
 確保された男は、なんと言っていたのか。
『買いたいと言われたから持ってきてた』
 それが本当に演技や作戦なら、室内に入る前に警察や教師を呼べばいい。工藤なら、わざわざ現物を目視確認する必要はない。所持させた時点で勝ちが確定している。カメラの前から逃がす理由がない。
 でも、呼ばなかった。頼らなかった。
 そこで相手が捕まってしまったら、困るから。
 つまり、相手に薬物を所持させるだけでは、達成できない目的があった。
「囮をしながら、できるなら入手しようって思ってたんじゃないの……?」
 園田はその言葉を、ハッキリと、工藤にぶつけた。
 怯える工藤を捉えるその眼差しが、曖昧な言い逃れなど許さないと語っていた。
 工藤はしばらく黙っていたが、しばらくすると諦めたように両手を上げた。
 茶化した声色で「降参、こーさん」と言う。ふざけているのは言葉だけで、瞳は悲しげに曇り今にも泣きだしそうだ。
「…………なんで、園田にばれちゃうかなぁ」
「工藤、どうして……」
「興味あったから。それだけだよ」
「でも、結局いらないって言ったんだよね?」
「拒否したうえで無理矢理飲まされるのが理想だった。そしたら被害者ぶれるじゃん? 調査メインで棚ぼた狙ってた感じかなぁ。ま、それで煽ってボコられたんだけど」
 口元だけが、へらりと笑う。
 俺は、以前間違って盗ってしまった工藤のノートを思い出していた。
 あれは単純に、薬物そのものに興味を持ったから調べていたのか。
「丸くおさまりそうだったんだから、気づかないフリしててくれりゃーよかったのに」
「できるわけ、ない……! こんなの、黙ってられないよ!」
「……まぁ、できるわけないのは、おれもわかるかなぁ」
 ぱたりと。掲げられていた工藤の両手が、力なくベッドに落ちた。
 その目は園田を見上げているようで、どこも見ていない。
 すべてを諦めきったような、絶望すら感じる表情だった。
「おれも、できなかったから……。園田が倒れた時の嘘、立川に喋った」
「……なんとなく、そうかなとは思ってた」
「勝手に見抜いて、勝手に喋って……それが知られたくなくて、立川にも嘘つかせた」
 園田の嘘は、知らなかったフリをすることで対処した。
 知らなかったと、俺は嘘をついた。
 正直、今言われるまで、嘘だという自覚はあまりなかった。
 工藤の助言で、俺を気遣ってくれた園田に、余計な負担をかけないため――
「あ……」
 そうか。
 この嘘は、園田の「大丈夫」と同じなのか。
 あのとき、発案は工藤だった。俺も工藤も、それが一番の方法だと思った。
 騙しているような心地悪さを感じながらも。
「おれは、それが……」
 工藤の目から、つっと涙が伝う。
 一度落ちたら、ぱたぱたと、壊れたかのようにあふれ出した。
「それが……っ、いや、だった……! あんなうそ、わかりたく、ない……っ!」
 あの時――
 園田の嘘をどう扱えばいいのかわからなくて、工藤は子供のように俺に縋った。
 だから俺は、同じ罪をかぶればいいと思った。園田にバレないように、と。
 俺がついたその嘘すらも、工藤にはのしかかってしまう。
 人が嘘をつく時、そこにあるのは悪意だけではない。
 世の中には、知らない方がいいこともある。相手を想って、守りたくて、嘘をつくことはたくさんある。
 知らない方がいいのに、工藤は暴いてしまう。
 気づかないフリができるほど、感情を殺すこともできない。
「でも、今回は工藤のおかげで、話が進展しただろ……?」
「そんなの……っ、それこそ、偶然でしかない! どうにもできないことだったとしても……知らないフリ、できないで、言ってた。隠しごとなんて誰にだってある。それを勝手に暴いて、喋って……ふたりとも、傷つけてたかもしれない。それ、が……っ、う、ううぅっ」
 それは想像でしかないけれど、いつ訪れてもおかしくない未来。
 工藤が嘘を見抜いてしまう限り、起こりえる悪夢。
 だから、工藤はそれを振り払えない。誰よりもそれが身近で、逃れられないと、わかっているから。
「ほ、んとは……っ、そうしたくない、なら……離れたらいいって、わかってる。今まで、みたいに……っ、嘘があったら、はなれて……キョリ、つくって……ずっと、そうしてた、のに」
 親しくなる前、工藤は時々声をかけてくれたけど、今のような懐っこさを見せなかった。
 園田に対しても、姉への感情を見破ったことで遠慮していた。
 何も考えずに楽しく喋っているようで、誰よりも人との距離を気にしている。
 できるだけ、親しくなりすぎないように。苦しい嘘が存在しないように。
 それを、
 俺達が、壊していた。
「ふたり、は……ふたりと離れるのは……いや、だった……! だって、はじめて……嘘のことも、おれのことも、全部言えたの……はじめて、だった。ぜんぶ言えるのが、こんな……っ、居心地よくて、たのし、かったから……」
「工藤……」
 その感情は、痛いほどよくわかる。
 園田にはじめて万引きを止められた時、もう終わりだと思ったのに、終わらせられなかった。
 目の前にあるそれを捨てる事なんてできない。
 目尻が熱くなる。今苦しんでいるのは工藤なのに、自分のことのように泣き出しそうだった。
「離れたくないのが、つらくて。たのしいのに、こわくて。なんでおれ、こんななんだろう……って。こうじゃなかったらいいのにって、そう思ったら……」
 ぼろぼろと泣き続ける工藤を、園田が正面から抱き寄せる。子供をあやすようにトントンと背を叩くと、工藤は縋りつくように、園田の肩に顔を埋めた。
「そっか、それで……。ダメだって分かってても、縋りたくなっちゃったんだね」
「うそがわかんのは、意識してないだけで、頭が判断してる、から」
「うん。だから薬だったんだよね。工藤のノート見た時……違和感はあったんだ」
「薬がダメでも、殴られたり、頭打つでも……なんでもよかった。どうにかなりたいって、それだけで。最初は二人のためだったのに、段々……おかしく、なって……」
「工藤にとっては、それくらい辛かったんだよね。わかる、なんて、言ってあげられない、けど……っ」
「う、あぁ……っ! ぇ、っく……、うあ、あぁぁぁっ」
 こぼれる嗚咽が、耳を塞ぎたくなるほど痛ましい。
 工藤の苦悩を想像することはできても、わかってやれることはない。
 工藤は時折自分のことを化物と称する。そんな言葉が出てくるのは、自分が理解できない存在であるという意識の表れだ。
 今回、あれだけ心を寄せている姉にすら、頼っていない。
 工藤は姉のことを完全無欠と讃えていた。工藤にとってこの悩みは、自分だけが抱える『不完全さ』なんだ。
 人に近づくこともできず、化物としても欠けている。
 誰が、それを理解できるというのか。
 理解されるなんて到底思えないから、壊れることを望んだというのに。
「見捨ててくれて、よかった……。だって、おれ、わざと……」
「それができないのは、みんな同じだよ。俺も、立川も」
「……っ、あぁ、そうだよ。俺、全然気づいてやれてなかった。それが今、死ぬほど悔しい。こんなの……二度と、御免だ」
「っく、うぅ……っ、ごめ、……っ、園田のこと、勝手に喋って、立川にも嘘つかせたくせに……自分のこと、だまってて……」
「俺も、変だって思った時に言えばよかった。下手な嘘に逃げずに、話せてたら……っ」
 園田の声に、涙が混じる。
 ここにいる全員、近しい似た者同士なのに、ずっと遠かった。
 何も隠さずに生きることは無理でも、傷つかない方法を探ることはきっとできた。
 ほんの少し距離を縮めるだけで、変えられることがあったはずなのに。
 そんなことにも気づけないほど、遠かったんだ。
「あの時、俺が大丈夫なんて嘘言ったから、工藤を苦しませて……気づいてたのに、二人の嘘に、甘えてた。ほんとうに、ごめん」
「俺も……結局お前らの何も、見えてなかったのかもしれない。もっと、向き合えばよかったんだ」
「そんな、こと……ふたりは……」
「「でも工藤っ!」」
「ひぇっ!?」
 俺と園田の声が重なり、工藤は涙を零しながら小さく悲鳴を漏らした。
「それはそれとして、あの自暴自棄は本当に反省して! 次やったら許さないから!」
「その通りだ! こっちはお前のこと散々頼ったんだから、今度からはお前も頼れ! とにかく危険は避けろ!」
 工藤はぽかんと呆けた顔で俺達を見上げる。先ほどまでの心悲しさが、少しだけ薄れていた。
「……そこ、そんな怒んの? だっておれ、わざと……」
「わざとやったから怒ってんの! カメラから工藤が消えたとき、ほんっとうに怖かったんだからね!?」
「俺なんか部室棟に走りながら、どうやっても運動部に勝てないしどうしようって考えてたんだぞ!」
「ど、どーするつもりだったん……?」
「初手目つぶしからの金的」
「ぶはっ」
 俺の勝算のない奇襲計画がお気に召したようで、だらしなく口元を緩ませて吹き出した。その拍子に腹筋に力が入ったのか「いでででで」と叫びながら腹を抱えてうずくまる。
 そこまで笑わなくてもと思い視線をそらしたら、その先にいた園田もうっすら笑っていた。ひでぇ。
 工藤は涙を拭い、顔を上げた。
「かなわないなぁ、もぉ。おれ、ホントに終わってもいい気持ちだったのに。普通に笑ったし」
 涙はまだ止まっておらず、拭ったあとからもこぼれ落ちる。けれど、無理に止めることもないだろう。
 ぐちゃぐちゃな顔で、いつものように、にへらと笑う。
「ありがと、二人とも。おれのこと、気づいてくれて」
 俺達に、この笑顔の真意を見極めることはできないかもしれない。
 けれど、信じようと思う。
 心から笑ってくれていることを。
 心から笑い合える関係を、築いていけることを。
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