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第78話 その後の2人

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3日前から降り続く雨は、今日になっても止む気配がない。
少し外の様子を見て来るとユイに断り、私は宿の外に出た。

セラータ王国の南端に位置する漁港の街に、私とユイは2人で来ていた。
海に面した宿に泊まっていたので、目の前には係留した船と荒れ狂う波が見える。
この分だと今日もここで足止めだ。私達の目的地は、この海の先だから。

フッと、宿の中から軽やかな笛の音が聞こえてきた。
おそらくユイが他の宿泊客に請われて吹いているのだろう。
彼は弦楽器は苦手だと言っていたが、管楽器の方が性に合っていたらしい。

2年程前にレヴリ爺さんが手遊びに作ったものを、ユイにくれたのだ。
最初の一月ほどはピーピー鳴らしているだけだったが、次第にちゃんとした音になり、やがて妙なる調べに変わるまでに、そう時間は掛からなかった。

私に技巧の良し悪しは分からないが、それでもユイの笛の音は特別だと感じる。
多分その感覚は、私だけが感じているものではないだろう。


———この街に来る前に私達はドゥエル王国で、アーベント王とユキさん——今はユキ王妃だが——の結婚式に出席した。
『歌姫救出作戦』からは、もう3年の月日が流れている。
当時、私の目から見てもユイ以上に幼かった彼女は、今や立派な淑女に成長した。

ドゥエル王国内では、ユキさんを王妃とする事を快く思わない輩も一部いたようだが、そもそも彼女の功績は、『歌姫』だった時に起こした奇跡一回でお釣りが来る代物だ。
それなのに、さらに自らの力で王妃たる資格を証明していった。
具体的には、以前ユキさんが力説したように国内の福祉に尽力した。

貴族の領主達の中には、弱者は切って当然という思想の持ち主もいた。
孤児院の建設運営など、成果が出るのに時間がかるものでは特に顕著だ。
それでも彼女の『未来の王妃として、弱者であろうと国民は守る』という姿勢は、民衆に広く支持された。
加えて福祉以外にも、凶作による飢饉対策を講じたのが、決定打になった。
保存食の開発や、天候不順に強い野菜の栽培への転換等で、ドゥエル王国は確実に豊かになっている。

また、今までは領主の裁量で行われていた裁判を、独立した機関を作るよう促したのもユキさんだ。
これは貴族達から孤児院どころではない反発を生んだが、横暴な領主を訴える事が出来ると、これまた民衆の支持が圧倒的で、反対の声はすぐに掻き消された。
ちょうど1年前、新しく設置された司法機関で、アドルト先王の初めての裁判が行われる筈だった。
けれども裁判の3日前に彼は息を引き取ったそうだ。
玉座を追われてから2年間、彼は弟である現国王がかつて幽閉されていた北の塔に閉じ込められていた。
その2年の間に、先王はまるで人が変わったように生気が無くなり、たまに訪れる弟以外とは口もきかなかったと言う。
彼がユイやユキさんにした事を思えば、私も複雑だが、その末路は少しだけ哀れだと感じる………。

こうして、ユキさんは今や名実ともにドゥエル王国の王妃になったのだ。
彼女の実績もさる事ながら、アーベント王のはたから見ても分かる溺愛ぶりに、もはや文句を言う者はいないだろう。


———そう、その結婚式の余興でユイが笛を吹き、出席者全員を魅了した。
「はー、ユイさんがフリーなら絶対宮廷楽師に引き抜いてましたよ!」と、ユキ王妃がチラチラこちらを見ながら打診されたので、ユイに代わり私の方から丁重にお断りさせていただいた。

そして現在も彼の笛に惹きつけられたものが1人———

「何かユイにご用ですか? 精霊の王よ」
気配も無く、いつの間にか隣りに佇む王に、私は声をかけた。

「用など無い。ただ笛の音に誘われただけだ。炎に惹かれる羽虫のようにな」
最強の王が自分の事を最弱の虫で例えるなど、冗談が過ぎる。
「ユイは精霊の国にはやりませんよ」
彼にとって私の言葉など何の威力も無いとしても、一応牽制しておかなくては。

スッと王の瞳が細められる。
「ユイの声を戻してやると言ってもか?」

私はふうと息を吐く。
王は恐ろしい存在だ。『歌姫』と同等。いや、それ以上に。
しかし存在の格が違うと言っても、慣れはある。
彼はユイが声を失ってから、たびたび今日のようにフラリと我々の前に姿を現した。

王がその気になれば、ユイを精霊の国に攫うことなど実に容易い。
それをしないのは、ひとえにユイに嫌われたくないからだ。
対処法が分かっていれば、無駄に恐れる必要は無い。
そして、何より今の私には自信がある。

「ユイが私以外を選ぶことはあり得ません」

少しばかり挑発的に言ってやれば、王はつまらなそうな顔をして私から視線を外し、ぽつりと言った。

「………2人同時に連れて行く事も出来るのだがな」

私は王の言葉を聞かないふりをして海を見る。
ここは軒先で、宿自体が風除けになっているので、私達の立つ場所に雨が届くことは無い。
雨は今も降り続け、風はビュウビュウと勢いを増す。
風の音に邪魔されながらも、ユイの笛は優しく私の耳に届いている。

「島に行くのか」

唐突に精霊の王が尋ねた。
隠す意味もないので「はい」と頷く。

———南のエルフの森の訪問に始まり、この3年の間に私とユイは『お使い』と称して色んな場所を旅した。
ドゥエル王国やゼルドナ王国はもちろん、今滞在しているセラータ王国も今回で10回目の訪問だ。タルデ王国にも何回か立ち寄った。
大陸全土に張り巡らされたサイクロプス専用道路のお陰で、移動時間はかなり短縮された。
道中、盗賊に襲われたりと危険な目にも遭ったが、弓さえあればヒト族の悪党など私達の敵では無い。
ユイの弓の腕前も威力こそ無いけれど、精度はかなり上がった。
間違っても危地にユイを1人にすることはないが、万が一そういう事態に陥ったとしても、今の彼なら難なく窮地を脱するだろうと予想する。

「何が目当てだ」
「あの島で、父を見かけたという情報を得たので」
「…………ほう」


———それは数ヶ月前の事だ。
私とユイは一つの問題に直面していた。
私達はエテルノ大陸をくまなくと言わないまでも、主要な街はあらかた『お使い』で回ってしまった。

次にどこに行くか——が、全く決まっていなかったのだ。

エルフの森の皆は私達を『客人』だと区別しながらも、長期間の滞在を喜んでいるのを隠しもしない。
『客人』用だと言われて与えられた家は、いつ森に帰っても他に貸してる様子がない。

私の後任の族長として、モルソの無鉄砲さはいささか心配だったが、世が平和な事もあり、ミィナが手綱を握って上手い具合に回している。
そして、ユイが森にいる事で一番喜んでいるのは、彼の親友であるスコラだ。
この3年間で身長も伸び、弓の腕前も上達した。
「ボクがもっと大きくなったら、一緒に旅に連れてってね!」と、ユイにせがんでいたが、彼の成長ぶりをみると、あながちそれは遠い未来の話では無いだろう。

——そして先程の問題に戻る。
私達は地図を見て、次の目的地を決めかねていたが、情報は思わぬところからもたらされた。

「セラータ王国の南端の街から、船で行ける島にエルフの冒険者がいるらしい」と。

それは森に立ち寄ったヒト族の商人から聞いた話だ。
彼はセラータ王国民で彼が言うには、その話自体、数十年前の事だそうだ。

私の父は冒険者だ。
幼い頃は父の語る、私の知らない場所や、そこに住む他種族や魔物の話をワクワクしながら聞いたものだ。
しかし母が亡くなり、父が冒険者として森を出てから、消息がつかめないでいた。
唯一の親族だ。もちろん気になってはいたが、頑強な父の事だからと、便りがなくてもそこまで心配はしていなかった。

そこに父らしきエルフの情報である。
私よりもユイの方が反応が早かった。

『君のお父さんに会いに行こう』

それで行き先が決定した———


「あの島についてどこまで知っている」

精霊の王の声が、私を回想から現実に引き戻した。
私は王の様子を注意深く見る。

実のところ、これから行く島について詳細は分かっていない。
島から一番近いこの街ですら、情報はなかなか得られなかった。
そもそも島に近付くのが難しい。
島の付近は海流が複雑で、よほど海が穏やかな日でないと行けない場所らしい。
さらに島には見た事も無い危険な魔物が潜んでいると伝えられていて、現地のヒトはまず近付かない。
実際、島行きの船を出してくれる漁師を探すのに苦労した。

一度入ったら出られない『帰らずの島』などと言われているそうだが、その唯一の生還者がエルフの冒険者だったそうだ。
しかし彼は一度はこの街に戻ってきたものの、再び島に行き、以降帰ってこないと言う———

「島の中に、深い深い地下迷宮が存在するそうですね」
それがエルフの冒険者がもたらした島の情報だ。

「ああ、一度入ったら出られぬかもしれぬな」
そう言う精霊の王の顔は、少し面白そうだ。
「…………危険だと言いたいのですか?」

ユイと一緒に行く以上、命までは賭けない。
未知の場所を探る興奮は無いとは言えないが、彼を危険に晒してまで冒険する意味はない。
もし危険だと分かった時点で、たとえ父らしき冒険者に会えなくても、すぐに引き返すつもりだ。

「あそこは私の領分だ。まだな」
「まだ」の意味は分からないが、精霊の王の影響が及ぶ範疇なら、そこまでの危険はないと私は判断した。
「なら、行きます。ユイと一緒に」
「そうだな。じきに雨も止み、波もおさまる。出発の支度をすると良いだろう」

王の言うとおり、いつの間にか雨は小雨程度になり、雲間から光が溢れていた。
波も係留していた船を激しく揺らしていたのが、ゆらゆらと揺れ幅が小さくなっている。
ユイに知らせようと振り返ると、今までそこにいた精霊の王の姿が忽然と消えていた。
相変わらず神出鬼没なお方だ。

宿の扉に手を掛けると、中から勢い良く開いた。
笛の音が止んだのに気付いていたが、ユイも天気が回復してきたのを察知し、表に出て来たのだろう。
危うくぶつかり掛けたところを抱き止めると、照れ臭そうに彼が笑う。
ここが公衆の場でなければ、抱きしめて深く口付けたくなる愛らしさだ。

ユイに「可愛い」と言うと恥じらう一方で、何故か微妙な顔をされるが、彼と知り合い過ごして来た時間の中で私の中の彼への想いは、いや増すばかりだ。
『顔が弛んできた』とか『白髪が増えた』とか、この頃ユイは愚痴をこぼすようになったが、私にとって容姿の変化は大した事ではない。
問題があるとすれば、私達2人に残された時間は確実に減っていると言う事だ。

そう、今この瞬間だって———

ツンツンと、腕の中のユイが私の腕を突つく。
彼の顔を見ると、その視線は私ではなく海の方に向いていた。
視線を追って私も海面に目を向けると———

「ああ………」

目の前に広がる光景に、思わず感嘆の溜息が溢れた。

今や雨はすっかり上がり、穏やかな海面に天空から差し込む光がキラキラと反射している。
それだけなら、天気が良ければ見られる光景だろう。

しかし今そこに大量の精霊達の光が、緩やかな波と戯れるようにキラキラと乱舞している。
水辺に精霊が姿を現すのは珍しい事ではないが、ここまでたくさん集まるのは、私も見た事がない。
その光は陽の光よりも眩く、水面を発光させていた。

宿の宿泊客達も外の様子に気付いたのだろう、扉や窓から顔を覗かせ、奇跡のような光景に見入っている。
この光景を演出した犯人は、言わずもがな、精霊の王だろう。
よく見ると、精霊達は遥か沖合いまで一本の道のように続き、精霊の道の先には件の島がある。
ユイの笑顔があの王の手柄というのが少しばかり癪に触るが、そのはなむけだけは受け取っておこう。

眩しい光に目を細めながら、私は腕の中にある大切な存在を、いっそう強く抱きしめた。
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