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第3章 学術都市

42話 解呪

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 あまり広くはない部屋に通された俺達は、茶とかいう薬湯の入った湯呑みを前に人を待っていた。
「本当にカルロの毛並み、柔らかくなったね」
「へへへ」
 隣りに座ったレーテに頭を撫でられ、嬉しそうに笑うカルロ。
「拭くのは大変って話じゃなかったけどな。まさか、二人がかりであんなに掛かるとは思わなかったぞ」
 ダネルと二人がかりでカルロを拭いて乾かして、をヤッたことを思い出す。いや、ありゃあちょっとした労働ってやつだ。
「全身毛だらけだと、ああ言う時大変だってのはわかった」
「おれは風呂入れてよかったけどな。楽しかったし」
「へえ、何がそんなに楽しかったのかね」
 何にせよ、カルロがそう言ってくれるんなら良かった。
「オッサンと一緒に行ったニイちゃんさ、二人共脇腹触ると」
「ちょっと待て! 何話し始めてんだオメェは!」
「オッサンの場合、こう、ぐにぃってやるとスッゲエおもしろい声が出る話」
「へえ、脇腹でね。スキがあったら私もやってみようかね。面白そうだ」
「面白そうだで人の体で遊ぼうとするんじゃねえ!」
 ったく、今度から何の心配もしてやらねえぞ。まあ、そうやって笑ってくれてるんならいいけどな。
 部屋の扉が数回叩かれる音が聞こえる。
「お待たせしました、こちらがルクレツィア教授になります」
 ダネルが斑毛の猫種の女を連れてきた。
 背丈はレーテより少し高いくらいか。猫種は顔立ちで年が分かりにくいから、年を取ってるのか若いのかがいまいちわからない。
 胸にダネルと同じ模様の刺繍が入った服を着ている。
「始めまして諸君。君たちがレオナルドの紹介状に書かれていたお客さんかな?」
「ああ、この二人の胸に刻まれた印を消して欲しくてね」
「レオナルドの紹介状だから、どんな面倒かと思ったらその程度か。いいとも、空き実習室を一つ押さえておこう。ダネル、解呪は任せるよ 」
「僕がですか、教授?!」
「ダネルの修学力なら大抵の呪いは解呪できるだろ。部屋の準備は私がしておくから、私の部屋に鍵を取りに来てこの人達を案内してあげな」
 言いたいことを言い終えたのだろう。猫種の女はさっさと部屋から出ていこうとする。
「そうだ、この場にいる女が君だけということは、君がレーテか?」
「たしかに私がレーテだけれど、何か用かね」
「レオナルドから送られた物、調べたのは私なんだ。君の時間があるなら、君自身を詳しく調べさせてくれ」
 手を軽く振り、猫は去っていった。
「結局、僕がやることになるのか」
「何だよ、問題でもあんのか?」
「僕が勉強する時間がなくなる。もうすぐ定期考査もあるというのに」
 特大のため息を一つ吐くダネル。
「やりましょう。これも勉強のうち、自分の学んだものの実践です」
「よぉし、じゃあパパっと頼むぜ」
「そんなすぐにやれるか。今教授が部屋の用意をしているところだ、茶でも飲んで少し待て」
 そう言うとダネルも部屋から出ていこうとする。
「どこ行くんだよ」
「教授の部屋へ鍵を受け取りに行く。鍵を取ったらこの部屋に戻ってくるから、他へは行くなよ。迷子になっても探してやらないからな」
 オレを指差す。
「誰が迷子なるかってんだ」
「じゃあ皆さん、お茶だけで申し訳ないですが、ここでしばらくお待ち下さい」
 ダネルも部屋から出ていく。
「行ってしまったね」
 レーテが茶を口に運ぶ。
「なあネエちゃん、あの猫種の人と知り合いなのか?」
「どうしてそう思ったのかね?」
「ネエちゃんのこと調べたいって言ってたから、会ったことあるのかなって」
「いや、私は面識はないね。多分、レオナルドが調べたいと言ったから、その時に渡した爪と毒のことだと思うんだけどね」
 茶に砂糖を溶かしながら、レーテの話に耳を傾ける。
 お、ちょうどいい感じの甘さだ。
「爪と毒? なんだよそれ」
「爪は言葉のとおり爪さね。毒はほら……私の歯は牙が長いだろう。この牙が毒があるのさね。レオナルドが興味を持ってね、毒を採ってどこかで調べて貰うと言っていたけど、ここだったのだね」
「毒を調べるねえ、何すんだよそんなコトして」
「さあ? 解毒剤でも作るのか、同じ毒でも作るのか、私は何も聞かされていないからね」
 カルロが信じられないと言った顔で、レーテを見ていた。
 そうだよな、毒がある人間なんて普通は信じられないよな。
「ネエちゃんさ、言われたら何でもホイホイやっちゃう人? ダメだぞ、そういうの。騙されたりするんだぞ」
 毒のことじゃねえのかよ。
「そうだね、言われてみたらあまり深く物を考えることはないかも知れないね」
「牙が長いことはどうでもいいのか」
「牙だったらおれも長いし、オッサンも凄いじゃん。だから気にすることじゃないかなって。それに毒があるって言われても、なんか信じられないっていうか、さ」
 噛まれたことなけりゃ、そう言うもんか。
「とにかくさ、言われたからって何でもやってたら、騙されたりすることもあるんだから、二人共気を付けてくれよ」
「おい、カルロ。オレがそんなに騙されやすそうに見えるか?」
「見える。オッサン、意外と単純そうだし。口の上手いやつとかいたら、騙されてスカンピンにされそうに見える。」
 んなっ!
「そう言わないでやっておくれね。ゴーヴァンの場合はどちらかと言えば、純粋とか純朴とかそう言うのだろうからね」
「だからって、いい年してそれはどうかと思うぞ……ところでオッサン、いくつなんだ?」
「知らね。年なんざ数えられる状況にいなかったからな」
 二人は信じられなさそうな顔をしているが、本当のことだ。
 あの牢に入れられてたクソッタレな間は、正直どのくらいの期間だったのかすら数えていない。日も当たらないような場所に長く入れられたこともあったから、闘技場に出されるようになるまで、昼夜すらわかない時もあったくらいだ。
「一応カルロよりは年上……だと思うけどな」
「いや、オッサンのその見た目でおれと同じか下ってありえないだろ」
「他の竜種と比べて体も大きいから、外見から年が判断しにくいしね」
「やっぱ、三十歳くらい?」
「案外二十歳にもなっていないかも知れないね」
 ヒマだったんだろう、レーテとカルロがオレの年齢当てを始める。
 オレも答えなんか知らねえぞ。
 甘くした茶を飲みながら、二人の答えのない会話を聞く。カルロのやつ、なんでオレをオッサン呼びするのかと思ってたが、結構年上に見られてたのか。
 二人の会話を聞きながら茶を飲んでいると、部屋のドアを叩く音が聞こえた。
「すいません、お待たせしました」
 ダネルが部屋に戻ってきた。首から一本の鍵を下げている。
「部屋を一つ、使えるようにしました。ついて来てください」
 ダネルに連れられ、部屋からでる。長い通路を歩いていくと、通路に沿って開けた場所が見える。
 日に照らされ、青々とした下生えの草が眩しいくらいに青々としている。
 レーテがフードを深くかぶり直し、オレの影に入るよう立つ場所を変える。
「ダネルと同じような服着たやつが随分いるな」
「この辺りからは学院の施設だからな。殆どはここの学生だ」
「おや、ダネルも学生だったのかね。私達の案内をしてくれたりしているものだから、てっきりそう言う仕事なのだと思っていたのだけどね」
 短く笑った後、ため息を吐く。
「何故か僕はルクレツィア教授に気に入れられてまして、教授の研究の手伝いから雑用までやっているんです。本来は専攻が違うから関わることはないはずなんですが」
 首から下げた鍵を指先で遊ぶようにいじりながら、言葉を続けて行く。
「他の学生に声をかければいいようなことも、どうしてか僕に言い渡してくるんです。わざわざですよ。そのせいで専攻学科の勉強が疎かになるし、なのにルクレツィア教授はうちの教授に何を言っているのか受講免除されてるから断るに断れなくて」
 グチだな、こりゃただのグチだ。
 時々ため息を交えたダネルのグチを聞かされる。
 とは言えそんな物聞かされてるだけじゃつまらないから、周りを見回す。
 種族も性別もバラバラだが、ダネルが着ている服に刺繍されている模様と同じ模様を刺繍した服を全員着て、本とかいうやつを持ってるのがチラホラ見える。
「本って言ったっけか、ここの奴らがやたら持ってるやつ。何なんだ、ありゃ?」
「学問に関している知識が書かれた紙を特定の分野でまとめたものだ」
「街中に本を売っている店が随分とあったね」
「殆どは中古の本を売っている店ですよ。本は消して安いものではありませんからね、過去に発行された内容の古い物でも需要があるんですよ。達ない部分や内容が変わっている部分は、自分で修正していくんです」
 ここでまた、ため息を一つ。
「本当なら魔術士組合から受けられる仕事の一つも受けたいところなんですが、その時間もとれていませんからね」
「ニイちゃん、仕事なんてやってんのかよ? どんな仕事なんだ?」
 仕事と聞いてカルロが飛びつく。そういやコイツ、いい仕事があればこの街で働きたいとか言っていたっけ。
「就学期間や専攻学科で受けられるものは変わりますが、調薬、占術、身辺警護、都市整備補助、そして今回の解呪などです。内容は本当に多岐にわたります。」
 日の当たる通路を歩き終え、建物の中へと入っていく。ここはさっきまでの明るさとは違って、明かり取りの窓すらなく、昼だと言うのに薄暗く感じる場所だった。天井や壁にところどころ、光を発する球体が取り付けられている。
 所々に扉があるが、全部閉まっていて中に何があるのかは見ることが出来なかった。
「ここは学院の教職員や生徒が使う実習室棟です。本来は学院の関係者以外は入れない場所なので警備に見つかると面倒ですから、僕からはぐれないようにしてください」
 オレたちに言っているのかと思ったが、視線はオレにだけ向けられていた。
 こんな真っ直ぐな場所で、誰がはぐれるかってんだ。
「時々いるんだ。学院の中を興味本位で調べようとして迷った挙げ句に事故を起こす大馬鹿が」
「オレを馬鹿と一緒にするんじゃねえ!」
 どうだか、と一言だけ返し一つの扉の前で立ち止まる。
 胸に下げた鍵と扉を見比べ、軽く頷くとオレたちを見回す。
「これから解呪を行いますが、その前に注意をします」
 部屋の扉を指差し、ダネルは言葉を続ける。
「この部屋の中は立体式魔法陣、と呼ばれるものがあります。魔術に使う専用の文字を壁や部屋の中の物に刻んでいますが、高さ、傾き、その全てが一致しなくては使用できない魔術を使用するための特別な部屋です」
 オレに対して言ってるような気がするのは気のせいか?
「部屋の中にあるものの場所が動かされたりするだけで、解呪が失敗します。部屋に入ったら解呪を行う人以外は、僕の指示する場所で待機してください」
 鍵を扉に刺し、回す。カチリという乾いた音が、やけに大きく耳に聞こえた。
「では、どちらから解呪を行いますか?」
 オレとカルロを交互に見る。
 カルロと視線が合う。不安そうな目で、オレを見ている。尾まであんなにたれちまってる。
「じゃあ、俺から頼む」
「わかった。部屋に入ったら周りのものには一切さわらず、床の上に赤い印が書いてある場所があるからそこまで進んで待ってろ」
 ダネルが扉を開け、俺に中に入るよう促す。
 奇妙な部屋だった。
 木張りの床、机の上に椅子が重ねておいてあったり、壺に巻が立てかけてあったりで散らかった部屋か物置のようにも見えるが、それにしては適当に置かれた感じがしない。
「いいか、何にも触るなよ。大人しく赤い印のところまで行くんだぞ」
「わかってるよ。赤い印ってのは、アレのことでいいんだよな」
 部屋の真ん中より少し奥へ行った所の床の上、カクカクとした妙な形が赤で描かれている。
「そう、そこだ。そこまで行ったら上半身だけ服を脱いで座ってじっとしてろ。二人はこちらへ」
 言われたとおり、赤い印の場所まで行き、上だけ抜いで床の上に座る。胸のコイツともようやくオサラバか。
 これから何をするのかという緊張で、心臓が大きく音をたてている気がする。
「よし、後は尾を振り回して周りにぶつけるなよ。始めるぞ」
 ダネルが膝を付き、右手を床につく。
「清らなる白河、雲間より照らす光、それらが如く穢れを祓う」
 発せられた言葉に反応するように、部屋に置かれている物が音を立て揺れ始める。いや、それだけじゃない、床に、壁に、天井に何か模様のようなものが浮かび上がり、ほのかに発行している。
「汚れはあるべき深淵へ、あるべき清浄を残せ。聖炎を我が手に」
 揺れていたガラクタがいつの間にか宙に舞い、部屋のあちこちで浮かび、回ったり揺れたりしている。
 部屋の様子に気を取られていると、ダネルの右手が青白い炎に包まれていた。
 手が燃えてるっていうのに顔色一つ変えず、立ち上がり俺を見据える。
「これから胸の印を消す。自分で戦士だと豪語しているんだ、何があっても動くなよ」
「ぐっ……」
 青い炎に包まれた手が俺の胸にかざされる。手をかざされている場所から、針を刺したような痛みが走る。
「オイっ、ちゃんとこれで消えんだろうな!」
「終わるまで黙ってろ。心臓が焼かれるぞ」
 ダネルの表情からして、洒落や冗談ではないんだろう。とめどなく来る痛みを歯を食いしばって耐えながら、胸に当てられた青い炎を眺める。
 レーテとカルロの方へ視線をやると、カルロはレーテの服を掴んで体を寄せていた。レーテに頭を撫でられてはいるが、不安そうな目で俺を見ている。
「カルロ、別に大したことはねえから安心しろ」
「喋るな。手元が狂うと言ってるだろう」
「おう、さっさとやっちまってくれ」
 少しでも余裕あるように見せるために、笑ってやる。こんなことに意味があるのかと言われたらわからないが、少しでもカルロの不安がなくなればそれでいい。
 あークソッ、まだ終わらねえのかよ。一回一回の痛みは大したことはねえが、後も続けて痛みが来ると痛いの一言も言いたくはなるが、カルロの手前それも我慢我慢だ。
 しかし後どれだけかかるんだ、これ。
「……終わりだ。印は消えた」
 ダネルの手が胸から離れる。
 胸を見下ろすと、言われたとおり印は消えていた。
「ぅおお、本当に消えてんじゃねえか!」
「次はあの子の番だ。さっさとそこからどけ」
 右手に火を灯したまま、カルロの方を見る。
 けどカルロはレーテの服を掴んだまま、オレたちの方を見ているだけだった。
 少しばっかり背中押してやるか。
 カルロの側まで行き、しゃがんでカルロの目の高さに視線を合わせる。
「カルロ、次はオメェの番だ」
「う、うん」
 尾は思いっきりたれてるし、耳は伏せちまってる。不安は不安なんだろうな。
「オレがついててやるから、まずは向こうまで、一緒に行ってみるか?」
「一緒に?」
 カルロはレーテを見上げる。
 レーテは俺を見ると、カルロの頭を撫でる。
「そうだね、不安ならゴーヴァンと一緒に行っておいでね。ゴーヴァンが我慢できたんだ、カルロなら大丈夫さね」
 カルロがオレに向かって手を伸ばす。
 伸ばされた手を取り、ダネルの元へと連れて行く。
 ダネルの右手の炎は青々と燃え盛っている
「さあ、そこの赤い印の上に座ってください」
 オレとダネルを交互に見上げるカルロ。
「なあダネル、俺がここにいても大丈夫か?」
「問題はない。お前が赤い印の上に立ったり座ったりしなければ大丈夫だ。その代わり部屋の中の物を」
「いじるな触るなだろう。わかってる」
 なら、オレがいてやっていいってことか。
 床の赤い印を隠さないように、尾を周りのものに当てないように注意して、足を組んで座る。
「こっちこい、カルロ」
 組んだ足の上にカルロを座らせる。
「なんか、恥ずかしいよ」
「椅子だと思って座ってろ。もし動いちまいそうになったら、オレがちゃんと押さえておいてやるからな」
「う、動かねえし。オッサンが大丈夫だったんだから、おれだって我慢できるし」
「お、言ってくれるじゃねえか。じゃあ、我慢できたら飯食う時にオレがずっと取り分けしててやるよ」
「オッサン、言ったこと忘れるなよ。思いっきりこき使ってやる」
 笑うカルロを見て、ダネルを見る。互いに一つ頷きあった後、ダネルがその場に膝をつく。
「じゃあ始めます。絶対に、動かないでください」
 青い炎に包まれた右手がカルロの胸にかざされた。
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