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第一話 果断
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事の発端は、久々に渋谷へショッピングにでも行こうと思い当たったのが全てのきっかけだった。
在宅でのサーバ管理及びプログラミングという、半ば引きこもりにも近い仕事を生業とする、しがない23歳の若者である。俺の名は須藤達也。そんな下請けプログラマーの端くれだ。
時は西暦2160年、世界はたった一つを除いて、革新的な進化を遂げぬまま、巨大複合企業同士が政権と利権を貪る退廃的な社会を形成していた。
良い面だけを見るならば、そのたった一つの進化とは、脳に直結した光ファイバー素子を体内に埋め込む、脳拡張という手術が大衆化したことにある。これにより老若男女問わず、PCと直結してのネット通販から、特殊なプログラミングまでを高速に処理できる、オプトネットという情報通信網が整いつつあった。
この手術を受けた者には左手の甲に、シリコンで形成された入力端子が装着される。ここへPCから伸びたオプティカルケーブルを差し込む事により、その恩恵に預かれる事となる。無論俺の左手の甲にも穴が空いている。
本社より頼まれた仕事の修正作業が終わった俺は、徹夜明けの熱いシャワーを浴びた。体の隅々まで洗い、リフレッシュした事で意識が鮮明になり、今日が3月25日である事を思い出した。つまりは給料日である。
「あー...そうだったそうだった」
そんな独り言を言いながら体を流し終わり、バスルームを出る。バスタオルで体を拭き終わり、化粧台に写った自分の姿を見た。週に3.4回ジムに通っているとはいえ、基本家から動かないせいか中肉中背。唯一の救いは、体重の上下が顔に出ない事くらいか。そんな事を思いながら、半袖のシャツにトランクスを履き、ベランダの窓を開け放って外気を取り入れた。
極度の大気汚染のせいで、お世辞にもいい空気とは言えないが、高層マンションの25階にしては空気を入れ替えるのに十分である。人工過密な上に大気汚染除去のためのマイクロマシンも散布されている為、見渡す限りの高層ビル郡が霞んで見える。最早見飽きた光景だった。
春特有の生ぬるい風が吹いている。乾きたての洗濯物を室内に取り入れ、緑と黒のチェックに染まったワイシャツに袖を通し、ブラックジーンズを履いた。洗濯物をクローゼットに収めながら、春にしては厚手のシャツだという事に気づき、久々の外出という行為に思い至ったのである。
無論ネットで注文する事も出来た。何より家賃と食費、光熱費以外に使い道のない給料だ。おまけにPCのパーツ以外に物欲の無いせいで、貯金も人並み以上にはある。そうして考えをまとめていく内に、たまには外で買い物でもしながら、豪勢に過ごそうという気になったのだ。要は完全な気まぐれである。
ドライヤーで髪を乾かし、汚染防止用のスキンクリームを肌に塗って準備は整った。駅に向かう途中で銀行に寄り、現金を多目に引き出した。マンションのある芝浦ふ頭からゆりかもめに乗り、そこから新橋駅で銀座線に乗り換えて渋谷へ向かう。腕時計を見ると12時53分。ショッピングを楽しむには十分な時間だ。
13時05分に渋谷へ到着した俺は、予定通りファイヤー通りから下へ下りつつ、各通りに点在する服屋を回っていく作戦を実行に移した。平日とはいえ人通りは多いが、特に気にはならない。
目ぼしい春物の服を試着して回り、厳選したにも関わらず結構な荷物の量になってきた。一休みする為、裏通りにある純喫茶に入り、アイスコーヒーと共にミントタブレットを口に放り込む。その泥のように濃いキンキンに冷えたアイスコーヒーが、ミントの旨さを更に引き立てていた。
一服しながら次に回る店を考えていたが、小さな店は殆ど回り尽くしていた事を受けて、次はデパートのセレクトショップを回ろうと考えた。喫茶店を後にして一通りデパートを回り、お目当てのタイトなブラックジーンズを手に入れて店を出た頃には、すっかり夕方になっていた。
しかし時刻は16時30分で、帰るにはまだ早い。服の選定に夢中で昼食を摂り忘れていた事を思い出し、スマートフォンを左手のオプトネットに接続して、瞬時に店舗を検索するよう意識した。すると道玄坂沿いに、美味いと評判のイタリアンレストランがヒットした。ホットなパスタが食べたいと思っていたので早速その店に向かい、大盛りのピリッと辛いペンネ・アラビアータを堪能した。
一人で来ている客は少なく、他は皆カップルや家族での客が大半を締めていたが、特に気に病むこともなかった。言い忘れていたが、俺に家族と呼べる者は居ない。当然恋人もだ。友人はネットを介してなら何人かいるが、たまにオフ会で会う程度で深い付き合いもない。強いて言えば、中学からの幼馴染が一人いるが、互いの仕事のせいでこれも会う回数は少ない。
それに対して感傷に浸る事などない。何より今日のように、一人で自由に行動できるメリットの方が上回っているからだ。時間にも状況にも縛られたくないという俺のわがままな姿勢が、今の生活の根幹と言ってもいい。
食後に赤ワインをニ杯飲みレストランを出たが、全席禁煙だったため無性にミントタブレットが食べたくなった。禁煙してから3年が経とうとしていたが、このタブレットでタバコを吸いたいと思う気持ちを静めている。店を出て通りの斜向かいに映画館があり、その下に小さな喫煙スペースが設けられていた。横断歩道を渡り、気分だけでもと、映画館の入口横にある喫煙所でミントタブレットを口に放り込んだ。
(これ食ったら、そろそろ帰るか...)と心の中で思い、また明日からの仕事を考えると気が重くなっていたが、ふと目を上げて壁際を見ると、現在上映中の映画ポスターが目に入った。
(光の魔女ピオリム)
(ウォークライムス)
(キリング・サイコ)
(セイクリッド・ソルジャー)
といったラインナップで、どれも観賞したいと思うほどピンとくるものがなかった。手提げ袋を持ち上げて帰ろうと入り口に差し掛かった時、一つの立て看板が目に入った。
■セルフ・ディフェンス・フォース ─自衛隊─
期間限定特別公開中!!
この映画のタイトルは見覚えがある。一年程前、あまりに過激な内容故に、公開一週間を待たずして放映自粛となり、以前よりネットで話題に上っていた(VRオプトシネマ)だ。しかも完全なシアター仕様の為に、サンプル品を含めごく少数しか家庭用ソフトが出回っていないという、いわくつきの映画だ。
VRオプトシネマとは、映画館の椅子に設置されたオプティカルケーブルを左手の甲に差し、オプトネットを介して脳から視神経と聴覚に直接信号を送ることで、スクリーンに頼る事なく、あたかもその場にいるかのような臨場感とサウンドを実現した、映像規格の一つである。
またその性質上、脳全体を使用したVRオプトシネマとしても活用可能で、主に体感型VRMMOや多人数参加型アミューズメント施設では、実際に肉体を動かすのと何ら遜色ない感覚でキャラを操作出来ることから、現在でも高い人気を誇っている規格だ。
そしてあろうことか、セルフ・ディフェンス・フォースは映画であるにも関わらず、相互体感型VRMMOとしての性質まで盛り込んでしまった、非常に先鋭的と言わざるを得ない作品として今日まで語り継がれてきた、いわゆる問題作なのである。
俺は息を呑んだ。まさかここで今、この映画を見れる機会が来ようとは。しかも全席指定となっている。早くしなければ、次回分に間に合わないどころか、売り切れる可能性だってある。しかし俺は二の足を踏んだ。踏まざるを得なかった。何故ならば、この映画にはもう一つのある噂があるからだ。
1. 【セルフ・ディフェンス・フォースを映画館上映で見た客の幾人かが、その後完全に消息不明となっている】
2.【映画の主演男優である不破 樹も同様に、映画の公開後消息を絶っている】
この二点だ。特に前者に関しては、某掲示板にも家族承認のもとに、行方不明となった者達の個人情報が大々的に公開され、且つ警察にも捜索願を出していたことから一連のブームとなったが、個人情報保護という名目でそのスレッドは削除され、警察の捜査も進展が見られなかったという。
それならばと有志たちが、今度はダークウェブ上にある掲示板でその個人情報を公開し、ダークウェブに住まうハッカーやクラッカー達にまで協力を仰いだが、結局彼らの力を持ってしても行方知れずのまま、事件は風化してしまった。今ではその事件そのものがフェイクなのではないかと言われている有様だ。
かく言う俺も、仕事柄ダークウェブ上でこの事件を知った一人だった。興味を持った俺は、映画配給元であるゼルガ・エンターテインメントのサーバにクラッキングし、深層部にある情報を探ったが、結局提示された個人情報と照合できる要素は何一つなく、諦めたクチだ。
だがしかし、2つ目の(不破 樹 失踪事件)に関しては話が別だ。フェイクも何も、現役のアクターが消息を絶っているのだ。ハリウッドにも進出していた彼を、俺は正直リスペクトしていた。平たく言えばファンだった。
彼の足取りを追えば、行方不明となった客の安否も確認できるのではないかと思った俺は、関連企業を含め洗いざらい足跡を追った。しかしそれも徒労に終わった。恐らく他のハッカー達も同様だろう。
だからこそ二の足を踏んだのだ。当時あれだけ世間を騒がせた事件の源が、今目の前にある。しかも俺自身も控えめに言って、この事件の異常性という氷山の一角を熟知している。果たして飛び込むべきか?二重遭難という可能性はないか?
腕時計を見た。18時30分ジャスト。次回放映が18時45分。考えられる猶予はあと15分だ。俺は覚悟を決め、深呼吸するように息を深く吸い込んだ。
この世に未練はあるか? いや特にない。
友人に知らせなくてもいいか? 幼馴染にだけ一言メールして伝えておこう。
痛みに耐えられるか? 恐らく可能だ。
何が起きても動じないか? それも恐らく可能だ。
最後に言い残すことはあるか? 言う相手が居ない。
そう自問自答する内に、心の中がスッと楽になった。逆に燃え立つものがあった。(真実を見極めてやる)この一心に俺は集約された。
受付で1900円の切符を買い、一階のコインロッカーに買ってきた衣服を収めて、俺は二階のエスカレーターに足をかけた。
─────────────
■用語解説
VRMMO
VRMMOとは、仮想現実大規模多人数オンライン(Virtual Reality Massively Multiplayer Online)の略称。2160年現在、主にゲームや映画・遊園地等のアミューズメント施設等で採用され、仮想空間を通し現実の体を動かすようにしてプレイ出来る事から、現在でも高い人気を誇っている。
脳拡張(ブレイン・エクスパンジョン)
情報を司る大脳皮質(前頭葉・頭頂葉・側頭葉・後頭葉)それぞれに、脳の負担を軽減する特殊なチップを埋め込み、それらを互いに光ファイバー素子で接続する事により、PCの出力データやプログラムを高速で処理可能とする為の脳外科手術名称。尚その手術の際、PCやスマホといった外部機器と脳を接続する為の入力端子として、脳から左手にかけて光ファイバー素子が延長され、左手の甲にシリコン形成の入力端子が装着される。
オプトネット
(オプティカル・ネット=光通信網)の略称。脳拡張手術により埋め込まれたチップにインストールされる、統合型制御装置の名称・または規格。世界共通の規格として開発され、これを脳にインストールする事によりインターネット回線やオプトネット規格のVRサイトへ高速にアクセスできるようになる。尚その際視覚に直接映像が投影されるため、外部モニターは特に不要となる。オプトネット規格の分野は幅広く、主にネットショッピングやVR体感型ゲーム・映画・遊園地といったアミューズメント施設での商業利用から、ソフト開発・医療・建築・軍事に至るまでその応用範囲は多岐に渡る。また犯罪面での悪用も懸念されており、オプトネットを利用した企業へのハッキングやクラッキングと言った情報テロ行為にも頻繁に使用され、その対策に向けて政府・企業が一丸となりセキュリティ対策を講じている。
オプティカルケーブル
オプトネット専用規格の光デジタルケーブル。直径3.5mm程の細長いケーブルで、光ファイバー素子を束ねた上からラバー等で被覆が施されている。長さは50センチから500メートルまで延長でき、主にPCショップや電化製品を取り扱う店舗で安価に売られている。非常に弾性があり、捻れや折れ曲がりに強く撥水性も兼ね備えている。ケーブルの先端は抗菌性プラスチックまたはステンレスで出来ており、これを左手の甲にある入力端子に接続する事によって、PCやその他通信機器との連携が取れるようになる。ケーブルの特徴としては光データ通信の為非常に高速であり、このケーブル一本で映像や音声・その他プログラムと言った大容量のデータを転送できるため、オプトネットを使用する為には必須のケーブルとなっている。
VRオプトシネマ
オプトネットを利用した視聴覚デバイス規格の一つ。主に映画やゲーム・VRMMOと言ったアミューズメント施設向けに開発されたもので、映像と音声を直接脳の視覚と聴覚に送る事で、あたかも仮想現実空間の中にいるかのような臨場感を提供するシステムの名称。中には視覚・聴覚の他に、嗅覚・味覚・触覚といった、五感をフルに使用する映像作品やゲームもあるが、そうした作品はフルダイブ型VRオプトシネマという形式に分類される。業務用回線の為、家庭用の再生機器とは比較にならない程の情報量があり、現実と錯覚する程の臨場感を観客達に与えるものとなる。その為VRオプトシネマの創成期には、現実の肉体に戻れなくなるといった未帰還者と呼ばれる事故が相次いだ。しかし現在では緊急遮断装置が強化された事により、事故の頻度は減少している。
在宅でのサーバ管理及びプログラミングという、半ば引きこもりにも近い仕事を生業とする、しがない23歳の若者である。俺の名は須藤達也。そんな下請けプログラマーの端くれだ。
時は西暦2160年、世界はたった一つを除いて、革新的な進化を遂げぬまま、巨大複合企業同士が政権と利権を貪る退廃的な社会を形成していた。
良い面だけを見るならば、そのたった一つの進化とは、脳に直結した光ファイバー素子を体内に埋め込む、脳拡張という手術が大衆化したことにある。これにより老若男女問わず、PCと直結してのネット通販から、特殊なプログラミングまでを高速に処理できる、オプトネットという情報通信網が整いつつあった。
この手術を受けた者には左手の甲に、シリコンで形成された入力端子が装着される。ここへPCから伸びたオプティカルケーブルを差し込む事により、その恩恵に預かれる事となる。無論俺の左手の甲にも穴が空いている。
本社より頼まれた仕事の修正作業が終わった俺は、徹夜明けの熱いシャワーを浴びた。体の隅々まで洗い、リフレッシュした事で意識が鮮明になり、今日が3月25日である事を思い出した。つまりは給料日である。
「あー...そうだったそうだった」
そんな独り言を言いながら体を流し終わり、バスルームを出る。バスタオルで体を拭き終わり、化粧台に写った自分の姿を見た。週に3.4回ジムに通っているとはいえ、基本家から動かないせいか中肉中背。唯一の救いは、体重の上下が顔に出ない事くらいか。そんな事を思いながら、半袖のシャツにトランクスを履き、ベランダの窓を開け放って外気を取り入れた。
極度の大気汚染のせいで、お世辞にもいい空気とは言えないが、高層マンションの25階にしては空気を入れ替えるのに十分である。人工過密な上に大気汚染除去のためのマイクロマシンも散布されている為、見渡す限りの高層ビル郡が霞んで見える。最早見飽きた光景だった。
春特有の生ぬるい風が吹いている。乾きたての洗濯物を室内に取り入れ、緑と黒のチェックに染まったワイシャツに袖を通し、ブラックジーンズを履いた。洗濯物をクローゼットに収めながら、春にしては厚手のシャツだという事に気づき、久々の外出という行為に思い至ったのである。
無論ネットで注文する事も出来た。何より家賃と食費、光熱費以外に使い道のない給料だ。おまけにPCのパーツ以外に物欲の無いせいで、貯金も人並み以上にはある。そうして考えをまとめていく内に、たまには外で買い物でもしながら、豪勢に過ごそうという気になったのだ。要は完全な気まぐれである。
ドライヤーで髪を乾かし、汚染防止用のスキンクリームを肌に塗って準備は整った。駅に向かう途中で銀行に寄り、現金を多目に引き出した。マンションのある芝浦ふ頭からゆりかもめに乗り、そこから新橋駅で銀座線に乗り換えて渋谷へ向かう。腕時計を見ると12時53分。ショッピングを楽しむには十分な時間だ。
13時05分に渋谷へ到着した俺は、予定通りファイヤー通りから下へ下りつつ、各通りに点在する服屋を回っていく作戦を実行に移した。平日とはいえ人通りは多いが、特に気にはならない。
目ぼしい春物の服を試着して回り、厳選したにも関わらず結構な荷物の量になってきた。一休みする為、裏通りにある純喫茶に入り、アイスコーヒーと共にミントタブレットを口に放り込む。その泥のように濃いキンキンに冷えたアイスコーヒーが、ミントの旨さを更に引き立てていた。
一服しながら次に回る店を考えていたが、小さな店は殆ど回り尽くしていた事を受けて、次はデパートのセレクトショップを回ろうと考えた。喫茶店を後にして一通りデパートを回り、お目当てのタイトなブラックジーンズを手に入れて店を出た頃には、すっかり夕方になっていた。
しかし時刻は16時30分で、帰るにはまだ早い。服の選定に夢中で昼食を摂り忘れていた事を思い出し、スマートフォンを左手のオプトネットに接続して、瞬時に店舗を検索するよう意識した。すると道玄坂沿いに、美味いと評判のイタリアンレストランがヒットした。ホットなパスタが食べたいと思っていたので早速その店に向かい、大盛りのピリッと辛いペンネ・アラビアータを堪能した。
一人で来ている客は少なく、他は皆カップルや家族での客が大半を締めていたが、特に気に病むこともなかった。言い忘れていたが、俺に家族と呼べる者は居ない。当然恋人もだ。友人はネットを介してなら何人かいるが、たまにオフ会で会う程度で深い付き合いもない。強いて言えば、中学からの幼馴染が一人いるが、互いの仕事のせいでこれも会う回数は少ない。
それに対して感傷に浸る事などない。何より今日のように、一人で自由に行動できるメリットの方が上回っているからだ。時間にも状況にも縛られたくないという俺のわがままな姿勢が、今の生活の根幹と言ってもいい。
食後に赤ワインをニ杯飲みレストランを出たが、全席禁煙だったため無性にミントタブレットが食べたくなった。禁煙してから3年が経とうとしていたが、このタブレットでタバコを吸いたいと思う気持ちを静めている。店を出て通りの斜向かいに映画館があり、その下に小さな喫煙スペースが設けられていた。横断歩道を渡り、気分だけでもと、映画館の入口横にある喫煙所でミントタブレットを口に放り込んだ。
(これ食ったら、そろそろ帰るか...)と心の中で思い、また明日からの仕事を考えると気が重くなっていたが、ふと目を上げて壁際を見ると、現在上映中の映画ポスターが目に入った。
(光の魔女ピオリム)
(ウォークライムス)
(キリング・サイコ)
(セイクリッド・ソルジャー)
といったラインナップで、どれも観賞したいと思うほどピンとくるものがなかった。手提げ袋を持ち上げて帰ろうと入り口に差し掛かった時、一つの立て看板が目に入った。
■セルフ・ディフェンス・フォース ─自衛隊─
期間限定特別公開中!!
この映画のタイトルは見覚えがある。一年程前、あまりに過激な内容故に、公開一週間を待たずして放映自粛となり、以前よりネットで話題に上っていた(VRオプトシネマ)だ。しかも完全なシアター仕様の為に、サンプル品を含めごく少数しか家庭用ソフトが出回っていないという、いわくつきの映画だ。
VRオプトシネマとは、映画館の椅子に設置されたオプティカルケーブルを左手の甲に差し、オプトネットを介して脳から視神経と聴覚に直接信号を送ることで、スクリーンに頼る事なく、あたかもその場にいるかのような臨場感とサウンドを実現した、映像規格の一つである。
またその性質上、脳全体を使用したVRオプトシネマとしても活用可能で、主に体感型VRMMOや多人数参加型アミューズメント施設では、実際に肉体を動かすのと何ら遜色ない感覚でキャラを操作出来ることから、現在でも高い人気を誇っている規格だ。
そしてあろうことか、セルフ・ディフェンス・フォースは映画であるにも関わらず、相互体感型VRMMOとしての性質まで盛り込んでしまった、非常に先鋭的と言わざるを得ない作品として今日まで語り継がれてきた、いわゆる問題作なのである。
俺は息を呑んだ。まさかここで今、この映画を見れる機会が来ようとは。しかも全席指定となっている。早くしなければ、次回分に間に合わないどころか、売り切れる可能性だってある。しかし俺は二の足を踏んだ。踏まざるを得なかった。何故ならば、この映画にはもう一つのある噂があるからだ。
1. 【セルフ・ディフェンス・フォースを映画館上映で見た客の幾人かが、その後完全に消息不明となっている】
2.【映画の主演男優である不破 樹も同様に、映画の公開後消息を絶っている】
この二点だ。特に前者に関しては、某掲示板にも家族承認のもとに、行方不明となった者達の個人情報が大々的に公開され、且つ警察にも捜索願を出していたことから一連のブームとなったが、個人情報保護という名目でそのスレッドは削除され、警察の捜査も進展が見られなかったという。
それならばと有志たちが、今度はダークウェブ上にある掲示板でその個人情報を公開し、ダークウェブに住まうハッカーやクラッカー達にまで協力を仰いだが、結局彼らの力を持ってしても行方知れずのまま、事件は風化してしまった。今ではその事件そのものがフェイクなのではないかと言われている有様だ。
かく言う俺も、仕事柄ダークウェブ上でこの事件を知った一人だった。興味を持った俺は、映画配給元であるゼルガ・エンターテインメントのサーバにクラッキングし、深層部にある情報を探ったが、結局提示された個人情報と照合できる要素は何一つなく、諦めたクチだ。
だがしかし、2つ目の(不破 樹 失踪事件)に関しては話が別だ。フェイクも何も、現役のアクターが消息を絶っているのだ。ハリウッドにも進出していた彼を、俺は正直リスペクトしていた。平たく言えばファンだった。
彼の足取りを追えば、行方不明となった客の安否も確認できるのではないかと思った俺は、関連企業を含め洗いざらい足跡を追った。しかしそれも徒労に終わった。恐らく他のハッカー達も同様だろう。
だからこそ二の足を踏んだのだ。当時あれだけ世間を騒がせた事件の源が、今目の前にある。しかも俺自身も控えめに言って、この事件の異常性という氷山の一角を熟知している。果たして飛び込むべきか?二重遭難という可能性はないか?
腕時計を見た。18時30分ジャスト。次回放映が18時45分。考えられる猶予はあと15分だ。俺は覚悟を決め、深呼吸するように息を深く吸い込んだ。
この世に未練はあるか? いや特にない。
友人に知らせなくてもいいか? 幼馴染にだけ一言メールして伝えておこう。
痛みに耐えられるか? 恐らく可能だ。
何が起きても動じないか? それも恐らく可能だ。
最後に言い残すことはあるか? 言う相手が居ない。
そう自問自答する内に、心の中がスッと楽になった。逆に燃え立つものがあった。(真実を見極めてやる)この一心に俺は集約された。
受付で1900円の切符を買い、一階のコインロッカーに買ってきた衣服を収めて、俺は二階のエスカレーターに足をかけた。
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■用語解説
VRMMO
VRMMOとは、仮想現実大規模多人数オンライン(Virtual Reality Massively Multiplayer Online)の略称。2160年現在、主にゲームや映画・遊園地等のアミューズメント施設等で採用され、仮想空間を通し現実の体を動かすようにしてプレイ出来る事から、現在でも高い人気を誇っている。
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情報を司る大脳皮質(前頭葉・頭頂葉・側頭葉・後頭葉)それぞれに、脳の負担を軽減する特殊なチップを埋め込み、それらを互いに光ファイバー素子で接続する事により、PCの出力データやプログラムを高速で処理可能とする為の脳外科手術名称。尚その手術の際、PCやスマホといった外部機器と脳を接続する為の入力端子として、脳から左手にかけて光ファイバー素子が延長され、左手の甲にシリコン形成の入力端子が装着される。
オプトネット
(オプティカル・ネット=光通信網)の略称。脳拡張手術により埋め込まれたチップにインストールされる、統合型制御装置の名称・または規格。世界共通の規格として開発され、これを脳にインストールする事によりインターネット回線やオプトネット規格のVRサイトへ高速にアクセスできるようになる。尚その際視覚に直接映像が投影されるため、外部モニターは特に不要となる。オプトネット規格の分野は幅広く、主にネットショッピングやVR体感型ゲーム・映画・遊園地といったアミューズメント施設での商業利用から、ソフト開発・医療・建築・軍事に至るまでその応用範囲は多岐に渡る。また犯罪面での悪用も懸念されており、オプトネットを利用した企業へのハッキングやクラッキングと言った情報テロ行為にも頻繁に使用され、その対策に向けて政府・企業が一丸となりセキュリティ対策を講じている。
オプティカルケーブル
オプトネット専用規格の光デジタルケーブル。直径3.5mm程の細長いケーブルで、光ファイバー素子を束ねた上からラバー等で被覆が施されている。長さは50センチから500メートルまで延長でき、主にPCショップや電化製品を取り扱う店舗で安価に売られている。非常に弾性があり、捻れや折れ曲がりに強く撥水性も兼ね備えている。ケーブルの先端は抗菌性プラスチックまたはステンレスで出来ており、これを左手の甲にある入力端子に接続する事によって、PCやその他通信機器との連携が取れるようになる。ケーブルの特徴としては光データ通信の為非常に高速であり、このケーブル一本で映像や音声・その他プログラムと言った大容量のデータを転送できるため、オプトネットを使用する為には必須のケーブルとなっている。
VRオプトシネマ
オプトネットを利用した視聴覚デバイス規格の一つ。主に映画やゲーム・VRMMOと言ったアミューズメント施設向けに開発されたもので、映像と音声を直接脳の視覚と聴覚に送る事で、あたかも仮想現実空間の中にいるかのような臨場感を提供するシステムの名称。中には視覚・聴覚の他に、嗅覚・味覚・触覚といった、五感をフルに使用する映像作品やゲームもあるが、そうした作品はフルダイブ型VRオプトシネマという形式に分類される。業務用回線の為、家庭用の再生機器とは比較にならない程の情報量があり、現実と錯覚する程の臨場感を観客達に与えるものとなる。その為VRオプトシネマの創成期には、現実の肉体に戻れなくなるといった未帰還者と呼ばれる事故が相次いだ。しかし現在では緊急遮断装置が強化された事により、事故の頻度は減少している。
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