小指の先に恋願う

ミヅハ

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番外編

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「なーなちゃん、見えてるよ?」

 いつもと同じ時間に登校し席についた七瀬は、同じクラスの宮下 杏奈みやした あんなからいきなりそんな事を言われて首を傾げた。
 見えてるとはなんの事だろう。シャツもちゃんとスラックスの中に入ってるし、ネクタイもジャケットの内側にある。

「えっと……何が見えてるの?」
「ふふ、これだよ。こーれ」

 どれだけ身の回りを確かめても見えてる物が分からない七瀬は困惑して問いかける。宮下はクスクスと笑いながらポケットから手鏡を出して渡すと、男にしては細い首筋を指さした。
 借りた手鏡で、綺麗にネイルされた指の先を見てぎょっとする。

「………な、な…っ…」
(あれほど制服で隠れないとこには付けないでって言ってるのに…!)

 宮下が指差した場所にはくっきりと鬱血痕が残されていて、その生々しい色味に否が応にもその瞬間を思い出してしまう。
 自分の顔が熱を持ち赤くなった事を知った七瀬は恥ずかしさから俯いた。登校中これを見せて歩いていたのかと思うと顔から火が出そうだ。

「愛されてるね、七ちゃん」
「………前から思ってたんだけど、宮下さんも佐々木さんも寛容だよね」
「うん?」
「男同士って気持ち悪い、とかならないの?」
「んー……」

 聞いておいてなんだが、気持ち悪いと言われたらヘコむかもしれない。だけど宮下はほんの数秒考えただけで、至極あっけらかんと「二人にはならないなー」と答えてくれた。

「なんて言うか、七ちゃんと久堂先輩って見た目が良いじゃない? 久堂先輩は顔はともかく身長とか体格もザ・男って感じだけど、七ちゃんは男臭さが全くないんだもん。あ、別に女の子に見えるとかじゃなくてね」
「う、うん…」
「だから、久堂先輩と並んでてもお似合いだなーとしか思わないんだよねぇ。たぶん祐奈ゆうなも同じだと思うよ」
「そっか……ありがとう」

 並んでる姿が〝お似合い〟だなんて、随分と嬉しい事を言ってくれる宮下にはにかんでお礼を言うと、何故か頬を染めて首を振られてしまう。
 どうしたんだろうと首を傾げると、今度は照れたように笑って「何でもないよ」と言われた。

「七ちゃんの無自覚にも困ったものだ…」

 この鬱血痕をどうしようかと悩んでいる七瀬には、宮下のそんな呟きは聞こえなかった。




 昼休み、凌河と入れ替わるようにして今度は茉白と食べるようになった七瀬は、いつも待ち合わせている屋上前の踊り場に来ていた。
 どうやら今日は茉白より早く来れたらしく、まだその姿はない。
 腰壁前に座り寄りかかって待っていると、少しして軽快な足音が聞こえてきた。ひょこっと覗くと茉白が登って来ている。

「あ、七ちゃん!」
「今日は俺が早かったよ」
「残念。でも明日は負けないよ?」
「俺だって」

 別に勝負をしている訳でもないのにそんな事を言い合うのは、ただ単純に楽しいからだ。
 二人は顔を見合わせて笑い、隣に茉白が座ってからお弁当を広げる。おかずの交換も今では当然のようにしていた。

「……あれ? 七ちゃん首どうしたの?」
「え? …あ、えっと……」
「怪我?」
「そうじゃないんだけど……」

 結局隠すために七瀬が考えた苦肉の策は、絆創膏を貼る事だった。これでも目立つし、分かる人が見れば気付かれるためあまり意味はないのだが、鬱血痕自体を見られるよりはマシというのが七瀬の見解だ。
 案の定、茉白は言い淀む七瀬に何かを感じたらしい。

「…もしかして、キスマーク?」
「!」
「へぇ、そうなんだ~。ふ~ん」

 指摘され、一瞬にして真っ赤になった七瀬を揶揄うように生暖かい目を向ける茉白から目を逸らし、七瀬はおかずを食べる。
 対して茉白は、個包装にしたおにぎりを開けながらしみじみと零した。

「それにしても、凌河くんって独占欲強い人だったんだね」
「?」
「だってその位置、あからさまだもん。自分のだって主張しないと不安なんだろうなぁ」
「自分の…」

 茉白の言葉の一部を反芻した七瀬は、絆創膏の上から鬱血痕をなぞるように指を動かしながら神妙な顔をする。その様子に首を傾げ、アスパラのベーコン巻きをピックで刺して七瀬の口に運びながら「どうしたの?」と問い掛ける茉白に眉尻を下げた。

「…俺一回も付けたことなくて……やっぱり付けて欲しかったりするのかな…?」
「七ちゃんには付けて欲しいんじゃない?」
「でも吸うって事しか知らないんだよね」
「吸うのは間違いないけど…上手に出来なかったら凌河くんに聞いたらいいんだよ。手取り足取り教えてくれるんじゃないかな」
(僕が教えてあげてもいいけど、凌河くんに怒られるのは怖いしね)

 顔を赤くしうんうん唸る七瀬は可愛いが、茉白としても我が身は大事だ。七瀬のお弁当から卵焼きを貰いながら、凌河も大変だなと思う茉白だった。



 その日の夜、夕飯の支度をしていた七瀬は玄関の鍵が開く音に気付いて火を止めた。菜箸を置いてスリッパを鳴らしながら出迎えるために行くと、スーツ姿の凌河が中に入って施錠したところだった。
 一ヶ月前に七瀬は元々住んでいたマンションを解約し、あの卒業式の約束であるご褒美を無事にあげる事が出来た。家電以外の少ない荷物を空いている部屋に押し込めて、父と母の写真だけリビングに置かせて貰ったのだが、凌河は毎日二人に挨拶してくれる。
 七瀬はそれを見るたびに心が温かくなって、改めてこの人を好きになって良かったなと思う日々だ。

「おかえりなさい、凌河さん」
「ただいまー。七瀬ー、疲れたー」
「お疲れ様です。お風呂の準備出来てるけど、先に入る?」

 抱きついてくる凌河の背中を撫でて労いながら問い掛ける。首筋に鼻先を埋めくぐもった声で「んー」と悩む素振りを見せてから、凌河は身体を離した。

「うん、先に入るよ。本当は一緒に入って欲しいんだけど」
「……だって凌河さん、触ってくるから」
「目の前に裸の七瀬がいるんだよ? 触りたくなるに決まってる」
「そこを我慢するのが大人だよ? はい、いいから入ってきて下さい」

 カバンを受け取り、これ以上誘われたら絆されてしまいそうだと慌てて背中を押すと、クスクスと笑いながらも素直に浴室へと移動してくれるあたり半分は冗談だったのだろう。
 扉の前で振り向いた凌河は目を瞬く七瀬に軽く口付け、頭を撫でてから中へと入って行った。

(…もう……)

 鮮やかに唇を奪われた七瀬はしょうがない人だなと微笑み、お風呂上がりに間に合うようにと夕飯の準備を再開した。




 夕飯も、寝る準備も済ませたベッドの上。
 ヘッドボードに背中を預ける凌河の足の間に、割座で向かいあっている七瀬は甘く与えられるキスに身体を震わせていた。
 角度を変えて何度も触れ合う唇が熱い。繋ぎ合った手に力を込めると、凌河が吐息で笑った気配がした。

「七瀬、口開けて」
「ん…」

 初めて抱かれた日からそれなりに回数は重ねているが、今だにキスの最中に目を開ける事が出来ない七瀬はぎゅっと瞑ったまま薄く唇を開ける。
 先程よりも深く口付けられ、肉厚な舌が入ってきた。

「ん…っ…ふ……」

 絡め取られた舌が吸われゾクゾクする。拙いながらもそれに応えているとリップ音と共に唇が離れた。

「可愛い…七瀬」

 自分だけに見せてくれる甘い顔と声に、七瀬はいつもドキドキしてしまう。
 目元から頬、頬から首筋に凌河の唇が触れたところで七瀬はハッとした。肩を押さえ顔を上げた凌河に少しだけ怒った顔をして首筋を指差す。

「凌河さん。これ、どういう事?」
「え? ……あ、えーっと……」
「俺、すごい恥ずかしかったんだからね」
「…ごめん、つい」
「もうしない?」
「しません…」
「次は本当に怒るからね?」
「はい…」

 凌河の反応からわざと見える位置に付けた事が分かった七瀬は幼子に言い聞かせるように釘を刺す。七瀬だって痕を残して貰えるのは嬉しいのだ。ただ場所だけ考えて欲しい。

「約束?」
「ん、約束。……触ってもいい?」
「あ、待って、その前に…あの……」
「?」

 指の背で頬を撫でられた七瀬は両手を胸の前に出して一度制し、少しだけ口ごもってから視線だけで凌河を見上げ距離を詰めた。
 不思議そうな顔をする凌河の鎖骨に触れるとピクリと反応する。

「…俺も、凌河さんに付けたいなって…」
「……七瀬…」

 父親の会社で仕事をしているため人の目に触れる部分には絶対に付けられないが、鎖骨なら多少襟元を緩めても見えないだろう。なぞるように指を動かせば凌河が困った顔をする。

「いいけど……そうすると俺、手加減出来なくなるよ?」
「え?」
「さすがに抱き潰すまではしないようにするけど…」

 七瀬が痕を残す事と、凌河が手加減出来なくなる理由がイコールする事が分からない七瀬だったが、それでも付けたい気持ちに変わりはなかった。
 頷いて自分の手よりも大きな手を握ると、仕方ないなと笑った凌河がシャツを脱ぎ七瀬の腰元を引き寄せる。

「どうぞ」
「し、失礼します…」
「はは、何それ」

 凌河とはたくさんの初めてを経験してきたけれど、〝こういう事〟での初めてはやはりいつでも緊張してしまう。
 ごくりと唾を飲んだ七瀬は恐る恐る鎖骨の下へ唇を付け吸ってみた。ほんの少し赤くはなったが、凌河ほどくっきりとは付かない。
 もう一度、今度は痛くないか気にしながらも強めに吸うと先程よりは赤みが増した。だけどまだまだだ。

「もっと強めに吸ってみて」
「うん」

 上手く出来なくて首を傾げていると凌河からそんなアドバイスを受ける。ならば今度こそ思いっきりと覚悟して吸い付くと、少しだけ紫がかった痣が出来た。くっきりと残った鬱血痕に嬉しくなった七瀬は、満面の笑顔で凌河を見上げる。

「出来た…付いたよ凌河さん」
「うん、ありがと」
「〝俺の〟って印……嬉しい」
「…………」
「凌河さん?」
「七瀬はほんっと、俺を煽るのが上手いよね」
「え?」

 肩を押され視界が反転する。瞬きする間に身体がベッドに沈み、色気を纏った笑みを浮かべた凌河が覆い被さってきた。熱を持ち普段より濃くなった青い瞳が七瀬を見下ろす。

「明日学校行けなかったらごめんね」
「え、あの…」

 首筋に触れる唇が熱い。鎖骨近くにチクリとした痛みを感じながら、七瀬は諦めて凌河の首へと腕を回して目を閉じた。



 凌河の言葉通り鳴かされまくった七瀬は翌日起き上がる事が出来ず、恥ずかしい思いをしながら学校へと欠席連絡をしたのだった。




 FIN
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