焦がれし星と忘れじの月

ミヅハ

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【七ノ星】勇気を出して

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 名前を呼ばれても振り向けないでいる詩月は、〝なぜ〟と〝どうして〟を頭の中で交互に繰り返す。
 婚約者も出来て、あとは幸せになるだけのはずの人がここにいて詩月の名を呼ぶのか。

「詩月、そのままでいい。少しだけ話を聞いてくれ」
「………」

 話す事なんて何もない。
 まさか、今でも想いを断ち切れないでいる詩月に直接婚約者が出来た事を話すつもりなのか。それはあまりにも酷ではないか?
 詩月は頼んだ手前申し訳ないと思いつつも、椅子から降りようとする。しかしその腕を彩芽に止められて驚いた。

「ごめんね、安純くん。私が彼を呼んだの」
「……え?」
「貴方がお店に来たら知らせて欲しいって、彼に頼まれてたから」
「ど、どうしてそんな事…っ」

 彩芽の事だ、何かしらの事情は知っただろう。詩月が言っていた〝忘れられない人〟が彼の事だというのも気付いたはずだ。
 傍を離れた理由も話したのに、なぜこんな真似をするのか。
 だが彩芽の顔は至って真剣だ。詩月は言葉を詰まらせる。

「安純くん、私ね、安純くんには幸せになって欲しい。部外者が口を出す事じゃないのは分かってるけど、彼の事を話す貴方の目がすごく輝いていて、なんて素敵なんだろうって思ったの。一度も会えなかった人を八年経っても好きなままでいられるなんて凄い事よ」
「でも僕は…」
「傷付けられた事がトラウマみたいになってるのは分かってるわ。でもね、そんな気持ちを抱いたまま一人で生きていくなんて、辛すぎるわ」
「…………」
「話し合いが出来るならするべきよ。……じゃないと、私みたいに、何も出来ずにサヨナラするハメになっちゃうわよ」
「…?」

 何も出来ずにサヨナラ?それはどういう意味だろう。
 彩芽はにこりと笑うと困惑する詩月の頭を撫でた。

「私には大好きな人がいてね、ある日些細な事で喧嘩をしてしまったの。私も彼も頑固だから意地張っちゃって、なかなか仲直り出来なかった。あんな事を言ったあの人が悪いんだから、私から謝る必要ないって………そうしたら、彼は交通事故で帰らぬ人になってしまったわ」
「……!」
「仲直りも、謝罪も出来ないまま死に別れてどれだけ後悔したか。人間なんていつ死ぬか分からないのよ。……安純くんには私みたいな思いして欲しくない。だから、勇気を出して」

 いつも明るくて優しい彩芽にそんな過去があったなんて知らなかった。
 人間いつ死ぬか分からない。
 詩月だって龍惺だって、ふとした拍子に命を落とすかもしれない。
 ある日病気になったり、ある日突然事故にあったり。上から大きな物が落ちてくるかも、転んで打ち所が悪くてそのまま……そこまで想像して、詩月は大きく頭を振った。
 龍惺は何度も話を聞いて欲しいと言っていた。仮にこの場から逃げたしたとして、もしこのまま永遠に龍惺と会えなくなったら……それだけは嫌だ。
 あの時聞いておけば良かった、もっとちゃんと向き合えば良かったなんて、そんな悲しい後悔の仕方、したくない。

「……話、聞きます…」
「…! そう、良かった。それじゃあ玖珂さん、あとはお願いしますね」
「ありがとうございます」

 彩芽はホッとした笑顔を浮かべ龍惺に頭を下げると、詩月が注文したものを用意するため奥へと消えて行った。
 代わりに龍惺が近付き、席を一つ分空けて椅子に腰掛ける。
 そうして大きく息を吸って話し始めた。

「時間ねぇから、今回の騒動の件だけ話す。率直に言えばあれは嘘だ」
「……嘘?」
「ああ。あの会社の会長に娘との見合いを勧められてたのは確かだが、俺はずっと断って来た。ホント、めちゃくちゃ執拗くて何回キレそうになったか……」
「……………」
「で、その娘には付き合ってる奴がいて、先日プロポーズされたらしい。ソイツと結婚したいって話したら、俺との婚約をでっち上げて出版社に持ち込んだ。それが今起こってる事の概要だ」

 説明を聞けば理解出来るが、なら何故ここまでの騒動になっているのか。
 龍惺がすぐにでも声明を出せば揉み消せたのではないか。
 そう聞けば、物凄くバツの悪そうな声で返してきた。

「忙しすぎてメディア気にする余裕なかったっつーか、元々見るタイプでもねぇっつーか……いやでも、まさかこんな事されるとは普通思わねぇだろ? 娘の方が頭下げに来るまで気付かなかったんだよ」
「…でも、どうして玖珂、さんを? バレたら……っていうか、絶対にバレて大変な事になるのに……」
「どうしても玖珂との繋がりを強めたかったんだろうな。高崎会長、仕事が出来ねぇ訳じゃねぇんだが、ここ最近社内でのパワハラやブラックっぷりが表に出始めて業績も落ちてたんだよ。こっちとしても主要取引先の一つだから気にはしてたんだが…」
「……そうまでしたいほど自分の会社を愛してた…?」
「どうだろうな。こうなった以上は契約解除だし、高崎製薬も終わりだろ」

 会社にはそれぞれ、その会社にしか分からない事情がある。大きければ大きいほど抱えるものも増えるし、守らなければならないものも増える。
 会社員として働いた事もなければ企業のトップに立った事もない詩月には到底理解出来ないが、やはりそれなりの苦難や苦悩があるのだろう。
 何だか悲しいなと思っていると、龍惺の方で振動音がした。
 確認した龍惺がスマホを見せて来たから頷きで返す。

「……何だ。……ああ。いいよもう、飛び込みだろうとちゃんと事実だけ書いてくれんなら。…………あ? そこは会長が話持ってったとこだろ、断れ。……ああ、分かった分かった。今から戻る」

 最後の方はやや投げ遣りに言って電話を切った龍惺は、溜め息をつきながらスマホを胸ポケットにしまい詩月の方へ視線を移した。それが視界の端で見えて慌てて目を伏せる。

「悪い、もう戻んねぇと」
「…はい」
「明後日記者会見を開く。中継も入るから時間あったら見て。そんで、八年前の話も聞いてくれる気になったら連絡してくれ」
「………」
「もう、お前に嘘はつかねぇから」

 そう言って、俯いたままの詩月の髪を一房掬って指から滑らせたあと、龍惺は席を立ち退店していった。
 触れられた毛束が熱く感じる。

「安純くん」
「彩芽さん……」
「顔赤いけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」

 自分でも感じていたが、ハッキリ指摘されて更に熱が上がった気がする。
 詩月は慌てて首を振り無意味に毛先を梳くと彩芽に向かって頭を下げた。

「ありがとうございました。……あと、辛い話をさせてごめんなさい」
「いいのよ、もう吹っ切れたから。時々思い出す事はあっても泣く事もなくなったし、私も前に進めてるのよ」
「新しい恋はされないんですか?」
「そのうちとは思うんだけど、私のお眼鏡に適ういい男がいないのよ」
「それは大変ですね」
「もし安純くんの周りにいたら教えてね」
「分かりました」

 おどけたように返してくれる彩芽に救われた詩月は、ウィンクしながらそんな事をおねだりする姿に笑って快諾した。
 自分のためにも、龍惺のためにも、怖がっていないで前に進まなくては。
 詩月はそう決意し、目の前に置かれたカフェオレと新作ケーキに、少しだけ晴れやかな気持ちで舌鼓を打つのだった。
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