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 季節は初夏。侍女のメアリーをはじめ料理長や料理人の面々との関係は良好だ。南端塔の庭師にも気軽に花の質問ができるくらいになった。春先とは大違いだ。だんだんと人付き合いというものに慣れ始めていた。これで僕の騎士から「警戒心丸出しの子猫ちゃん」とからかわれることもないだろう。
 わかってるよ。ヴィクトは僕の努力だと言ってくれたけど、本当はヴィクトのおかげだ。この奇跡をもたらしたのは彼だ。
 そして僕は今日、もうひとつの奇跡に気づいてしまった。
「ま、ま、魔力が……溜まってる」
 このところずっと体内を巡る熱が消えないものだから、風邪でも引いたのかと思っていた。とんだ勘違いだった。
 僕は魔導書を抱えて部屋を飛び出すと、階段を駆け下りて庭に出る。
「ここは円形で内側には六芒星……こんな感じ? ここの紋はこれで合ってる?」
 雑草の少ない地肌部分にガリガリと魔法陣を描いていく。慎重な作業だ。この構築過程が正しくいかなければいくら魔力を流したところで意味がない。
「んんんっ、くあー、まただめだ」
 通算百回くらいは失敗したのではないだろうか。僕は手にしていた木の枝をぽいっと投げ捨て、地べたに寝そべった。気の抜けた声が出る。休憩しよう。何がいけないんだろう? 
 そこに小さなお客様がぴょこっとやってきた。
「きゅ?」
「うわぁーんなぁ聞いてくれよぉ。どこが変なんだと思う?」
 きゅいきゅいと鳴きながら野うさぎが魔法陣の周りを一周した。丸っこい尻尾が非常に可愛らしい。
「うんうん。お前もそう思う? 僕もそこが怪しいなぁと思ってたところなんだ」
「きゅいっ、きゅいっ」
「確かにさ、線がガタガタなんだよなぁ」
「そうか? 俺には綺麗に描けてるように見えるけど」
「ひぇ、わっ!」
 大きなお客様の登場だ。野うさぎがピューンと姿を消した。
「びっくりしただろ! 驚かすなよな」
「ははっ。ごめんごめん。ユアン様、魔法陣の練習?」
「練習っていうか……、そうだヴィクト! 僕ね!」
 肺を空気で一杯にする。自然と笑顔になった。
「魔力が溜まり始めたみたいなんだ!」
「なんだって!」
 赤橙色が大きく見開かれる。彼は即座にしゃがみこみ、こちらに目線を合わせてきた。
「まだまだちょっとずつだけど、でももし魔法陣が使えたら、きっと僕でも役に立てると思うんだ」
「本当か! それで魔法陣を……なるほど」
 ヴィクトは見るからに浮足立っていた。
「あ、でも、一つ困ってて」
「ん? 何? 言ってみて」
「実は」
 喜ぶヴィクトに水を差したくはなかったが、おそるおそる事実を打ち明けた。構築、発動の順序において、いまだ構築段階で詰んでいることを。
「んー、だったらあいつのとこ突撃してみるか」
「あいつ?」
「おう。行くぞ、魔の巣窟に」
「え、わ、ちょっ」
 ぐっと抱き起こされる。空色の長髪がはらりと僕の頬にかかってくすぐったかった。
 ちらと視線をやればヴィクトには全く気落ちした様子がない。力強い二の腕に、ここのところ何度抱いたかわからない感情が押し寄せた。
 頼もしいな。
 逞しい腕も、ぴんと伸びた背すじも、きりりとした横顔も、全てが頼もしかった。僕はそれをぼうっと見つめながら、後ろをついて目的地を目指す。
「よぉ。邪魔するぜ。誰かいるか?」
「あらまぁ! ヴィクトじゃないの」
「丁度良かった。会いたかったんだ。元気かよ、セレン」
 黒のローブに身を包んだ魔導士が、小首を傾げて嬉しそうな声色で「元気よ。あなたは?」と笑った。
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