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31 エピローグ
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『嫌い』とは確かに言えなくなった。しかし、好きと嫌いは遠からず近くにあるものだ。
何故そう思え断言できるのは、目の前で多分好きな筈の奴が、嫌な事をしてくれるからだ。
「貴方、わざとですか。」
「あ?何がだ。」
『何がだ』ではない。堂々と平然と話す帝こと、馬鹿に殺意を覚える。
ーーー俺がこんなにも怒りを感じているのは、怪我をしてから初めての月曜日にことだ。
怪我をしたのが金曜日のお陰で2日休め、痛みはだいぶ引いた。
しかし捻挫した右足が少しだけ動かしずらい。
「本当に大丈夫? 車で送ろうか。」
玄関先で心配そうに見送りをしてくれるのは七海さんであった。起きてからずっと心配されている。
七海さんの中ではあの事件は、落ちそうなった少女をカッコ良く助けたことになっている。中坊には、誤魔化し、嘘という言葉はないらしい。
流石に『さすが、カッコいいわ。』と七海さんに褒められた時は流石の俺でも心が痛んだ。
「大丈夫ですから、歩けないことはないですから。仕事を遅刻させるわけには行かないですし。」
「そうなんだけど、心配になってきた。」
顔に手を当て悩ましそうに溜息を吐く七海さん。お父さんは忙しいしと、呟いて俺をどうにかして安全に送り届けようと考えてくれているらしい。
そんな時、タイミングが良いのか最悪なのか。
俺にとっては最悪であるが、一台の黒い高級車が家の前にゆっくり止まる。
その車はこの辺りでは中々出会えない車種で、通行人がチラチラと目に入れるほど目立っていた。
「あら、何かしら。」
七海さんは不思議そうに車を見たが、俺は知っているあの黒光りする車が何か、誰が乗っているか。
黒い車から、立派なスーツを着た運転手が出てくると、後部座席の扉に手をかける。
扉が開くと威風堂々と登場はしたのは、お馴染みの王様であった。
同じはずの学校制服がスーツのように見えるほど忌々しい風格を醸し出し。恐怖が近づいて来る。
「まぁ、随分男前な人。知り合い?」
輝いた目、七海さんが純粋無垢に尋ねてくる。他人だと言いたい。
「誰なんでしょうね。家でも間違えてるですかね。」
見苦しい言い訳だと分かっていても、神々しく醜く光るアレが同じ息を吸っているとは、七海さんに思われたくない。
「家は間違っていない。元気がいいな弟切。」
地獄耳は健在らしく、小声で言ったことは筒抜け。
到底この状況を誤魔化すことは出来ないので、開き直り。
俺は当て付けにわざとらしく大きく溜息を吐いた。
「貴方、わざとでしょう。」
「あ、何がだ。」
そして冒頭に戻る。
「何をグダグダ考えている。」
いつも通りの不機嫌そうな顔。朝からこちらの地雷を踏まれたのだから、頭を悩ませるのは仕方ない。
七海さんといるところに帝は、非常に最悪である。
すると、横にいた七海さんは嬉しそう両手を合わせ、明るく自己紹介を始めた。
「やっぱり、お友達さんだったのね。初めまして母の七海です。いつもお世話になってます。」
『母』は深々と頭を下げ、家族の1人として、そう言われると気恥ずかしかった。
礼をされた、帝は普段見せる太々しい態度ではなく、別人のように口角上げる。
「いえ、此方こそお世話になってます。七海さん、初めまして帝と言います。弟切さんとは、これからも長く仲良くさせてもらいます。」
驚いた。この人に礼儀といものが、存在していないと思っていた。
しかし、作った満面の笑みとスラスラ言葉が出てくるのは完全に慣れている。
何気に、長く仲良くと言った際には俺と目を合わせ、鋭く睨まれ黙れと言われた気がした。いや、言っていた。
釘を刺されので、そのネタで遊ぶことすら出来なくなった。
「帝くん? もしかして、ジャージ貸しくださった方ですか。」
「あー……はい、そうですね。」
「そうなんですね!その時はどうもありがとうございました。これからも息子をお願いしますね。」
名前が刺繍されたあのジャージを自分で洗えば良かったと、今頃になって後悔した。確実に七海さんの中で、帝の好感度が大きく上昇している。
後悔しても2人の間を阻む事は出来ず。
言い訳や無駄な事を話しても墓穴を掘るので、無言で大人しく立つことにした。
何も話さず2人を見ていると、帝が突然俺の手首を取る。
俺もアイツも平然として、側から見れば普通に握られていると思うがーーー、確実に赤い跡が残るぐらいに強い力で握られていた。
皮膚と骨がヒシヒシと痛む。
ここまでされると、相手から絶対離さないという悪どい意思を感じる。
「弟切の家を丁度通りかかったので、学校まで送ろうと思いまして。」
丁度にしては、時間もタイミングも良い通りすがりである。
計画的な犯行は、朝から容態を心配に来たといことはなく。車に俺を無理矢理乗せることが帝の目的であると、黒色の車が着いた時から予期していた。
「本当ですか! まだ怪我が残ってて。送ってくださるなら是非、お願いします。」
嬉しそうな声は隣から聞こえる。アイツの本性を知らない七海さんは騙されている。
トントンと事が上手く進んで行く。俺としては思い通りに行くのは具合が悪く。
「お二人さん、大丈夫ですよ。歩けっいっ!」
初めて2人の間を割って話に入ろうとした。しかし、遮るように静かに帝が俺の右足を踏んだ。
しっかりと立っていた右足から俺は崩れた。その痛さは、生理的に目に涙を溜めるほど。
足を踏んだ馬鹿を睨むと、俺の腕を離して素知らぬ顔をしていた。
俺とコイツしか分からない、死角が外れた巧妙な技だった。
「やっぱり、我慢していたのね。遠慮せずに乗った方が良いわ。」
だから怪我で俺が崩れたと勘違いした、七海さんは優しく咎める。怪我あってもなくても、誰でも踏まれたら痛い。
意見すら、痛みで固まる俺にはできなかった。
「ほら、ここは甘えないと。」
七海さんは手を差し伸べてくれる。天使のような手は、悪魔の誘いにも見えた。
手を取れば確実に行き場が決まってしまうけれど、この人に諭されると、どうも弱い。
王様が無理矢理なだけで、断る権利は俺にもある。当然逃げる方法もいくつかあるが、どれを選べいいのかが分からない。
迷っていると後ろから、
「いいから乗れよ。朝から迷惑なんだよ。」
玄関の前に立つのは不機嫌第2号、中坊がスポーツバッグを担ぎ上げて悠然と立っていた。
スポーツバッグを見る限り朝練に早く行きたいのだが、俺たちが邪魔で怒っている。
俺もこの状況を直ぐに抜け出したい。
「こら! 明人、口の使い方が悪い。」
「いっっ!」
七海さんに怒られた中坊は両頬を抓られた。
抓り終わると両頬は少し赤くなり、中坊は腫れた所を庇うように両手を当てた。
「すいませんでした。言葉を間違いました。」
中坊は台本を無理矢理読まされたような棒読みの謝罪文であった。
「本当に邪魔なんだよな。」
その後に小言を漏らし。
聞き逃さなかった帝は、座っていた俺の腕を取り。上に引き上げたと、思ったら無理矢理地面に立たされ、足元が少しふらつく。
「明人、心配ない。今からコイツを車に入れる。」
やっぱり、許諾権もなく強制なんですね。手を振り落として逃げたい。
「どうぞ、そうしてください。」
是非と言わんばかりにどうぞ、どうぞ、と手を動かす。ここに味方はいないらしい。
「あれ? 明人も知り合いだったの。」
「何言ってんの母さんこの前言った人だよ。」
「あっ、同じ人だったのね。うーん……。」
何気ない会話を聞きながら、俺は地獄に引きずられて行く。
同じ人というフレーズを聞いて七海さんは何故か静止し、何かを考え始めた。
車の後部座席に突っ込まれそうな直前に、ハッとした顔を見せ、そして、俺に花が咲く程の笑顔で手を振る。
「ーーーくん。よかったね。いってらっしゃい。」
笑顔で振られたら、助けてとは言えず。
「行ってきます。」
虚しい気持ちで手を振り返すと、車の扉は閉まる。
泣く泣く、連行されることになり、俺を乗せて車は淡々と走り出した。
窓を勝手に開け心地いい風に仰がれ、綺麗な家が立ち並ぶ街並みを眺める。
朝焼けに照らされた空は綺麗でも、隣に座る猛獣のせいで台無し。
「なぁ、お前。」
「言いたい事は分かってます。それを言うと貴方でも許しませんから。」
帝の言いたい事は分かっている。だから、あの人と一緒の時は嫌だった。
最後のあの確信は気づいたとしか思えない、最悪だ。最悪だ。
イライラとし当たる事出来ない状況に、更に怒りは増し、抑える為に足を上下に俺は揺らす。
「随分、人らしいな。」
帝は何とは言わなかったけれど、『あの人の前だと』と付け加えらているだろう。
「うるさいですね。」
耳障りな雑音は無視をする。
携帯の電源ボタンをカチカチと鳴らし何度も押しても、手震えと焦りは止まらず、憤り。
思考回路が乱雑し、状況の整理出来ないと余計に冷静に戻る事は出来ず。
「おい。」
奮闘しているところに突然呼ばれたので、怒り任せて返事を返す。
「何ですか……。」
振り向けば、帝の顔が直ぐ横にまできていた。
険しい顔は距離を詰め、お互いの吐息がかかるほど、近づいてきた。俺は脅えて、助けを求めるように手を窓の端をかける。
逃げるように後ろに後退した。
ーーー無言の威圧で端まで追いやられ、そして最後には頭突きをかまされた。
意思の堅い頭の衝撃は、悩んでいたことをすべて無に帰すほどの威力であった。額の悶える痛さで俺は頭を抱えた。
同じ衝撃を受けたはずの相手は平然としているのが、憎らしい。
「先輩、一日一回にまでにしませんか。」
是非ともこの提案を受け入れてほしい。
「お前は落ち着く事を覚えろ。」
不服そうに元の席に戻る帝。不徳の致すことで言い返すことはしなかった。
目の前がクルクルと回り、頭をシェイクしてくれたお陰で考えていたことが真っ新。落ち着くという選択しか選ぶしか無くなった。
「お陰様で落ち着きましたよ。」
「前もそんな事で、崖から落ちたな。」
嫌味たらしく笑う帝。
俺が崖から落ちた事は過去一回しかなく、完全にその時の話をしている。
確かに、帝の通り冷静になれず足を滑らし底に落ちた。
涙が出るような思い詰めた過去を、自然と気軽に掘り返すところが鬼畜と言いたい。
しかし、落ちたのは俺のせいだけではない。
当時愛らしかった帝が、言ってはいけない禁句の一言で、混乱を招いたのだから。
「先輩、ご存知ですか。ストーカーに、ストーカーに言ってはいけないこと。」
「そんなものは知らないな。俺はそのまま言っただけだ。他人の戯言に、惑うぐらいなら潔く良く認めろ」
トラブルメーカーというものもご存知のないようだ。
本人は特に策略も、計算もなく、ただ何も思わず、何気ない言葉で人をどん底まで突き落として殺すタイプだと思う。
実際に体感しているの外れてはいない。良く言えば、彼は純粋で真っ直ぐな心をお持ちのようだ。
「ストーカーって自分の過ちに分かってないらしいですよ。」
「お前は何が言いたい。」
「いいえ、なにも。」
問い詰めてくることは無かったが、ストーカーは此方を怪訝そうに睨む。
「今は平気なのか。」
もう睨む目はなく街をを眺める帝は、静かな声で呟いた。
外を見ていて表情は確認できない。きっと真面目な顔をしている。
ずっと、気になっていた事だろうから。
平気かと問われれば、もうどうでもいい。
今、その事で責められようが、馬鹿にされようが、何も思わない。
思えないの方があっている。
昔は寂しいと思え、今は面白くないと思える。それを寂しいというかは知らない。
随分前に腐り切った物は、その物の元が何だったのかを忘れてしまった。
随分と昔に面倒だと知ってしまった。だから、物を持つことを諦めるしか無かった。
「さて、どうなんですかね。平気だと思いますよ。」
「ハッ、自分のことが、自分で分からないのか。大分、狂ったな。」
「貴方だけには言われなくない。どうなったら、アレからこうなるんですか。」
「諦めただけだ。」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声が出る。
諦める。プライドが尖りに尖った彼から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
何一つ譲らない帝が妥協するって、余程恐ろしい事があったに違いない。
「なんだ、その反応はどういう意味だ。」
「いえー、貴方にもそんなことあるんだなと思いまして。」
「フッ。まぁ、健気でいても何も変わらなかったと、だけ言ってやろう。」
鼻で笑い上から物をいう帝、健気な昔の面影は無い。
諦めて変わったのか、変わったから諦めたのか、ミカドに聞き返す事はなかった。
健気でいても何も変わらないは、否定はしないし、寧ろ称賛できる。
あの頃、何も出来なく変えられなかった俺がいたからこそ、肯定しよう。
「そう思いますけど、アレをしていればとかは、あまり考えたくないですけどね。」
「そうだな。」
珍しく納得してくれたようだ。
ーーー、それから、お互い「何も喋る事はなかった。
高級車の椅子は、クッションが柔ら過ぎず身体に沿うような丁度いい弾力性がある。クッションに体を沈め、肩の力を抜く。
前から思っていたが、お互い趣味が合う訳でもなく、話すことと言えば世間話ぐらいしかない、それか無言を突き通すか。
楽しい会話というものを、一度たりともしたことがない気がする。
昔のように会話が無用な外で遊び回るのは、理由がどうあろうと嫌である。
相手も嫌だと思う。
だからと言って、会話をして欲しい訳ではない。それ程、この人と静かに居る事は、落ち着けるし苦痛だとは思ったことがないからだ。
喋ってる方が無慈悲な暴力を振るわれるので、静かな方が平和である。
静かに走る車。やる事がない車内、頭も考える事がない。
頭を空っぽにした時は、眠る時だ。隣に丁度いい頭置きがあったので、そっちに体を傾ける。
「人の肩を使うな。」
仕方ない、隣にいるから仕方ない。
頭を帝の肩に乗せ、目を瞑る。何時もなら、この朝の時間帯は電車に揺られて寝ている。
車だろうと、電車だろうと、場所が変わっても、体が睡眠が欲しいと言っているから、仕方ない。
「いいでしょ先輩。俺に好かれた特権ですよ。」
「そんな特権いるか。どけ。」
「そんな事言わないでくださいよ。乙女心が傷付きますよ。」
「誰が乙女だ。おい、寝るな。」
外の音、車の音、落ち着いた低い声、聞こえていた音……全てが遠くなっていく。
その後、まだ文句を言っていた気がする。眠気に誘われて覚えていない。
彼の言葉を聞き入れず。夢の中か現実か分からない境目には入り込んだ時には、深く深く眠っていた。
「ずっと側にいて欲しかった。なんて言うと、きっとお前は笑うだろうね。」
夢の中で幼い帝は、満面な笑顔でそう呟いた。
終わり
何故そう思え断言できるのは、目の前で多分好きな筈の奴が、嫌な事をしてくれるからだ。
「貴方、わざとですか。」
「あ?何がだ。」
『何がだ』ではない。堂々と平然と話す帝こと、馬鹿に殺意を覚える。
ーーー俺がこんなにも怒りを感じているのは、怪我をしてから初めての月曜日にことだ。
怪我をしたのが金曜日のお陰で2日休め、痛みはだいぶ引いた。
しかし捻挫した右足が少しだけ動かしずらい。
「本当に大丈夫? 車で送ろうか。」
玄関先で心配そうに見送りをしてくれるのは七海さんであった。起きてからずっと心配されている。
七海さんの中ではあの事件は、落ちそうなった少女をカッコ良く助けたことになっている。中坊には、誤魔化し、嘘という言葉はないらしい。
流石に『さすが、カッコいいわ。』と七海さんに褒められた時は流石の俺でも心が痛んだ。
「大丈夫ですから、歩けないことはないですから。仕事を遅刻させるわけには行かないですし。」
「そうなんだけど、心配になってきた。」
顔に手を当て悩ましそうに溜息を吐く七海さん。お父さんは忙しいしと、呟いて俺をどうにかして安全に送り届けようと考えてくれているらしい。
そんな時、タイミングが良いのか最悪なのか。
俺にとっては最悪であるが、一台の黒い高級車が家の前にゆっくり止まる。
その車はこの辺りでは中々出会えない車種で、通行人がチラチラと目に入れるほど目立っていた。
「あら、何かしら。」
七海さんは不思議そうに車を見たが、俺は知っているあの黒光りする車が何か、誰が乗っているか。
黒い車から、立派なスーツを着た運転手が出てくると、後部座席の扉に手をかける。
扉が開くと威風堂々と登場はしたのは、お馴染みの王様であった。
同じはずの学校制服がスーツのように見えるほど忌々しい風格を醸し出し。恐怖が近づいて来る。
「まぁ、随分男前な人。知り合い?」
輝いた目、七海さんが純粋無垢に尋ねてくる。他人だと言いたい。
「誰なんでしょうね。家でも間違えてるですかね。」
見苦しい言い訳だと分かっていても、神々しく醜く光るアレが同じ息を吸っているとは、七海さんに思われたくない。
「家は間違っていない。元気がいいな弟切。」
地獄耳は健在らしく、小声で言ったことは筒抜け。
到底この状況を誤魔化すことは出来ないので、開き直り。
俺は当て付けにわざとらしく大きく溜息を吐いた。
「貴方、わざとでしょう。」
「あ、何がだ。」
そして冒頭に戻る。
「何をグダグダ考えている。」
いつも通りの不機嫌そうな顔。朝からこちらの地雷を踏まれたのだから、頭を悩ませるのは仕方ない。
七海さんといるところに帝は、非常に最悪である。
すると、横にいた七海さんは嬉しそう両手を合わせ、明るく自己紹介を始めた。
「やっぱり、お友達さんだったのね。初めまして母の七海です。いつもお世話になってます。」
『母』は深々と頭を下げ、家族の1人として、そう言われると気恥ずかしかった。
礼をされた、帝は普段見せる太々しい態度ではなく、別人のように口角上げる。
「いえ、此方こそお世話になってます。七海さん、初めまして帝と言います。弟切さんとは、これからも長く仲良くさせてもらいます。」
驚いた。この人に礼儀といものが、存在していないと思っていた。
しかし、作った満面の笑みとスラスラ言葉が出てくるのは完全に慣れている。
何気に、長く仲良くと言った際には俺と目を合わせ、鋭く睨まれ黙れと言われた気がした。いや、言っていた。
釘を刺されので、そのネタで遊ぶことすら出来なくなった。
「帝くん? もしかして、ジャージ貸しくださった方ですか。」
「あー……はい、そうですね。」
「そうなんですね!その時はどうもありがとうございました。これからも息子をお願いしますね。」
名前が刺繍されたあのジャージを自分で洗えば良かったと、今頃になって後悔した。確実に七海さんの中で、帝の好感度が大きく上昇している。
後悔しても2人の間を阻む事は出来ず。
言い訳や無駄な事を話しても墓穴を掘るので、無言で大人しく立つことにした。
何も話さず2人を見ていると、帝が突然俺の手首を取る。
俺もアイツも平然として、側から見れば普通に握られていると思うがーーー、確実に赤い跡が残るぐらいに強い力で握られていた。
皮膚と骨がヒシヒシと痛む。
ここまでされると、相手から絶対離さないという悪どい意思を感じる。
「弟切の家を丁度通りかかったので、学校まで送ろうと思いまして。」
丁度にしては、時間もタイミングも良い通りすがりである。
計画的な犯行は、朝から容態を心配に来たといことはなく。車に俺を無理矢理乗せることが帝の目的であると、黒色の車が着いた時から予期していた。
「本当ですか! まだ怪我が残ってて。送ってくださるなら是非、お願いします。」
嬉しそうな声は隣から聞こえる。アイツの本性を知らない七海さんは騙されている。
トントンと事が上手く進んで行く。俺としては思い通りに行くのは具合が悪く。
「お二人さん、大丈夫ですよ。歩けっいっ!」
初めて2人の間を割って話に入ろうとした。しかし、遮るように静かに帝が俺の右足を踏んだ。
しっかりと立っていた右足から俺は崩れた。その痛さは、生理的に目に涙を溜めるほど。
足を踏んだ馬鹿を睨むと、俺の腕を離して素知らぬ顔をしていた。
俺とコイツしか分からない、死角が外れた巧妙な技だった。
「やっぱり、我慢していたのね。遠慮せずに乗った方が良いわ。」
だから怪我で俺が崩れたと勘違いした、七海さんは優しく咎める。怪我あってもなくても、誰でも踏まれたら痛い。
意見すら、痛みで固まる俺にはできなかった。
「ほら、ここは甘えないと。」
七海さんは手を差し伸べてくれる。天使のような手は、悪魔の誘いにも見えた。
手を取れば確実に行き場が決まってしまうけれど、この人に諭されると、どうも弱い。
王様が無理矢理なだけで、断る権利は俺にもある。当然逃げる方法もいくつかあるが、どれを選べいいのかが分からない。
迷っていると後ろから、
「いいから乗れよ。朝から迷惑なんだよ。」
玄関の前に立つのは不機嫌第2号、中坊がスポーツバッグを担ぎ上げて悠然と立っていた。
スポーツバッグを見る限り朝練に早く行きたいのだが、俺たちが邪魔で怒っている。
俺もこの状況を直ぐに抜け出したい。
「こら! 明人、口の使い方が悪い。」
「いっっ!」
七海さんに怒られた中坊は両頬を抓られた。
抓り終わると両頬は少し赤くなり、中坊は腫れた所を庇うように両手を当てた。
「すいませんでした。言葉を間違いました。」
中坊は台本を無理矢理読まされたような棒読みの謝罪文であった。
「本当に邪魔なんだよな。」
その後に小言を漏らし。
聞き逃さなかった帝は、座っていた俺の腕を取り。上に引き上げたと、思ったら無理矢理地面に立たされ、足元が少しふらつく。
「明人、心配ない。今からコイツを車に入れる。」
やっぱり、許諾権もなく強制なんですね。手を振り落として逃げたい。
「どうぞ、そうしてください。」
是非と言わんばかりにどうぞ、どうぞ、と手を動かす。ここに味方はいないらしい。
「あれ? 明人も知り合いだったの。」
「何言ってんの母さんこの前言った人だよ。」
「あっ、同じ人だったのね。うーん……。」
何気ない会話を聞きながら、俺は地獄に引きずられて行く。
同じ人というフレーズを聞いて七海さんは何故か静止し、何かを考え始めた。
車の後部座席に突っ込まれそうな直前に、ハッとした顔を見せ、そして、俺に花が咲く程の笑顔で手を振る。
「ーーーくん。よかったね。いってらっしゃい。」
笑顔で振られたら、助けてとは言えず。
「行ってきます。」
虚しい気持ちで手を振り返すと、車の扉は閉まる。
泣く泣く、連行されることになり、俺を乗せて車は淡々と走り出した。
窓を勝手に開け心地いい風に仰がれ、綺麗な家が立ち並ぶ街並みを眺める。
朝焼けに照らされた空は綺麗でも、隣に座る猛獣のせいで台無し。
「なぁ、お前。」
「言いたい事は分かってます。それを言うと貴方でも許しませんから。」
帝の言いたい事は分かっている。だから、あの人と一緒の時は嫌だった。
最後のあの確信は気づいたとしか思えない、最悪だ。最悪だ。
イライラとし当たる事出来ない状況に、更に怒りは増し、抑える為に足を上下に俺は揺らす。
「随分、人らしいな。」
帝は何とは言わなかったけれど、『あの人の前だと』と付け加えらているだろう。
「うるさいですね。」
耳障りな雑音は無視をする。
携帯の電源ボタンをカチカチと鳴らし何度も押しても、手震えと焦りは止まらず、憤り。
思考回路が乱雑し、状況の整理出来ないと余計に冷静に戻る事は出来ず。
「おい。」
奮闘しているところに突然呼ばれたので、怒り任せて返事を返す。
「何ですか……。」
振り向けば、帝の顔が直ぐ横にまできていた。
険しい顔は距離を詰め、お互いの吐息がかかるほど、近づいてきた。俺は脅えて、助けを求めるように手を窓の端をかける。
逃げるように後ろに後退した。
ーーー無言の威圧で端まで追いやられ、そして最後には頭突きをかまされた。
意思の堅い頭の衝撃は、悩んでいたことをすべて無に帰すほどの威力であった。額の悶える痛さで俺は頭を抱えた。
同じ衝撃を受けたはずの相手は平然としているのが、憎らしい。
「先輩、一日一回にまでにしませんか。」
是非ともこの提案を受け入れてほしい。
「お前は落ち着く事を覚えろ。」
不服そうに元の席に戻る帝。不徳の致すことで言い返すことはしなかった。
目の前がクルクルと回り、頭をシェイクしてくれたお陰で考えていたことが真っ新。落ち着くという選択しか選ぶしか無くなった。
「お陰様で落ち着きましたよ。」
「前もそんな事で、崖から落ちたな。」
嫌味たらしく笑う帝。
俺が崖から落ちた事は過去一回しかなく、完全にその時の話をしている。
確かに、帝の通り冷静になれず足を滑らし底に落ちた。
涙が出るような思い詰めた過去を、自然と気軽に掘り返すところが鬼畜と言いたい。
しかし、落ちたのは俺のせいだけではない。
当時愛らしかった帝が、言ってはいけない禁句の一言で、混乱を招いたのだから。
「先輩、ご存知ですか。ストーカーに、ストーカーに言ってはいけないこと。」
「そんなものは知らないな。俺はそのまま言っただけだ。他人の戯言に、惑うぐらいなら潔く良く認めろ」
トラブルメーカーというものもご存知のないようだ。
本人は特に策略も、計算もなく、ただ何も思わず、何気ない言葉で人をどん底まで突き落として殺すタイプだと思う。
実際に体感しているの外れてはいない。良く言えば、彼は純粋で真っ直ぐな心をお持ちのようだ。
「ストーカーって自分の過ちに分かってないらしいですよ。」
「お前は何が言いたい。」
「いいえ、なにも。」
問い詰めてくることは無かったが、ストーカーは此方を怪訝そうに睨む。
「今は平気なのか。」
もう睨む目はなく街をを眺める帝は、静かな声で呟いた。
外を見ていて表情は確認できない。きっと真面目な顔をしている。
ずっと、気になっていた事だろうから。
平気かと問われれば、もうどうでもいい。
今、その事で責められようが、馬鹿にされようが、何も思わない。
思えないの方があっている。
昔は寂しいと思え、今は面白くないと思える。それを寂しいというかは知らない。
随分前に腐り切った物は、その物の元が何だったのかを忘れてしまった。
随分と昔に面倒だと知ってしまった。だから、物を持つことを諦めるしか無かった。
「さて、どうなんですかね。平気だと思いますよ。」
「ハッ、自分のことが、自分で分からないのか。大分、狂ったな。」
「貴方だけには言われなくない。どうなったら、アレからこうなるんですか。」
「諦めただけだ。」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声が出る。
諦める。プライドが尖りに尖った彼から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
何一つ譲らない帝が妥協するって、余程恐ろしい事があったに違いない。
「なんだ、その反応はどういう意味だ。」
「いえー、貴方にもそんなことあるんだなと思いまして。」
「フッ。まぁ、健気でいても何も変わらなかったと、だけ言ってやろう。」
鼻で笑い上から物をいう帝、健気な昔の面影は無い。
諦めて変わったのか、変わったから諦めたのか、ミカドに聞き返す事はなかった。
健気でいても何も変わらないは、否定はしないし、寧ろ称賛できる。
あの頃、何も出来なく変えられなかった俺がいたからこそ、肯定しよう。
「そう思いますけど、アレをしていればとかは、あまり考えたくないですけどね。」
「そうだな。」
珍しく納得してくれたようだ。
ーーー、それから、お互い「何も喋る事はなかった。
高級車の椅子は、クッションが柔ら過ぎず身体に沿うような丁度いい弾力性がある。クッションに体を沈め、肩の力を抜く。
前から思っていたが、お互い趣味が合う訳でもなく、話すことと言えば世間話ぐらいしかない、それか無言を突き通すか。
楽しい会話というものを、一度たりともしたことがない気がする。
昔のように会話が無用な外で遊び回るのは、理由がどうあろうと嫌である。
相手も嫌だと思う。
だからと言って、会話をして欲しい訳ではない。それ程、この人と静かに居る事は、落ち着けるし苦痛だとは思ったことがないからだ。
喋ってる方が無慈悲な暴力を振るわれるので、静かな方が平和である。
静かに走る車。やる事がない車内、頭も考える事がない。
頭を空っぽにした時は、眠る時だ。隣に丁度いい頭置きがあったので、そっちに体を傾ける。
「人の肩を使うな。」
仕方ない、隣にいるから仕方ない。
頭を帝の肩に乗せ、目を瞑る。何時もなら、この朝の時間帯は電車に揺られて寝ている。
車だろうと、電車だろうと、場所が変わっても、体が睡眠が欲しいと言っているから、仕方ない。
「いいでしょ先輩。俺に好かれた特権ですよ。」
「そんな特権いるか。どけ。」
「そんな事言わないでくださいよ。乙女心が傷付きますよ。」
「誰が乙女だ。おい、寝るな。」
外の音、車の音、落ち着いた低い声、聞こえていた音……全てが遠くなっていく。
その後、まだ文句を言っていた気がする。眠気に誘われて覚えていない。
彼の言葉を聞き入れず。夢の中か現実か分からない境目には入り込んだ時には、深く深く眠っていた。
「ずっと側にいて欲しかった。なんて言うと、きっとお前は笑うだろうね。」
夢の中で幼い帝は、満面な笑顔でそう呟いた。
終わり
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月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
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