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side:ローレンス
しおりを挟むオレを買ったのは、馬鹿そうな男だった。店側にまんまと騙されて、魔族を3000万以上で競り落とした。
どれほど此処に居るか、分からない。オレは、数ヵ月以上売れ残っていた。その数ヵ月でオレの顔を見て、オレを買ったやつは何人かいる。その度に逃げるため、飼い主に歯向かってきた。差し出された汚い根を噛みちぎり、主の首を掻っ切り、眼球を潰して、逃げた。だが、オレはいつだって最終的に奴隷商に戻される。戻るたびに扱いは酷くなる。ろくな食い物なんて与えられず、鞭で打たれ、ナイフで傷を付けられた。奴隷紋まで着けられた。それでも魔族であるこの身では、死ぬことはない。何をされても反抗するのをやめられない。うんざりするほどの生命力に嫌気が差す。苦痛が永遠と繰り返される日々。こんな身に落とされた日から、オレは復讐のためだけに生きている。
オレを買った男は、馬券が当たったとかいう馬鹿。貴族ではない男ははじめてだった。大人しくしていれば、今度こそ上手く逃げられるかもしれない。だから取り敢えず、コイツに買われてやろうと思った。
やたらと身長が高いが、線は細い。奴隷のオレと同じくらい痩せ細った男。くすんだような黒髪とうざったい前髪。前髪からチラリと見えた目も細くて、ずっとニヤニヤしているみたいな目。でもその目が時折、スッと開いてオレを見る。ジッっと見られている感覚、前髪と細い目の隙間から見える真っ黒な瞳。正直、はじめて言いようのない恐ろしさを感じた。
「では、指を鳴らすことはできますか?」
奴隷商の男にそう言われ、糸目の男は、躊躇なく指を鳴らした。
パチンッ!
「ぅぁ゙ああッ!!」
途端に痛みが走り、うずくまる。
まだ取引の最中だというのに、はじめから強い躾だった。
「えっ…? ぁ、わ、大丈夫か?」
だが糸目の男は、心配そうにオレに声を掛ける。自分で痛めつけておいて優しく声かけるなんて…。オレは今までで一番狂気的な人間に買われてしまったのだと絶望した。
「使い方は以上。これで契約は完了です。奴隷紋はあなたの付属になりました。枷を外します。」
重たい枷を外され、乱暴に引き渡される。オレの身体は、少し押されただけで情けなくヨロヨロと倒れ込んだ。けれど、その身体は硬い地面に打つかることなく、温かいが柔らかくはない胸に受け止められる。
「おっと…。おい、客に売った商品を雑に扱うな!」
男の低い声が、胸を伝って耳に入る。
「ふっ、厄介払いできて良かったですよ。」
厄介払いと言われ、苛立つ。
(こんな所、二度と来るかよ)
カサついた喉では声が出なくて、胸の中で叫ぶしかない。
「こんな所、二度と来るか!」
すると、糸目の男がオレの思っていたことを叫んで、不覚にも胸がすっとした。
奴隷商を出て久々の外を歩く。だが、足元がおぼつかない。足を動かしているというのに、前に進もうとしているつもりなのに、進まない。
「なぁ、こんなんじゃ日が暮れるぞ。」
「………。」
「なぁ、返事くらいしろ…」
うるさいくらいでかい声。
聞こえている、でもだんだん意識が遠のいて、身体が重くなって…。
「あ? おい、大丈夫か? どうした?」
「……ッ、は……はぁ……っ」
「ヤバいな、すごい熱だ。あの腐れ眼鏡…!」
不良品を高値で売られたって、怒っているかもしれない…。
本当、馬鹿な野郎だ……。
目が覚めると古くて汚い天井があった。
オレは、石畳の冷たい床ではなくベッドの上に居た。
目が覚めたオレを覗き込んだのは、鬱陶しいくらい前髪の長い男。
一瞬、何が何だかわからなかった。
「高い奴隷にベッドまで返上か…。これじゃあ、お前の方が偉いじゃねぇか。」
男は独りごちると、徐ろにスープを啜り始めた。
そう言えば、美味しそうな匂いがずっと鼻腔をくすぐっている。
ふーふー、ずずずっ…、ごくんっ。
「はふぅ…、うめぇ~。こんなうめぇの久々…ぅっ、ぐすっ。」
何故か泣きながら食べている。
なんだ、こいつ、頭がおかしい。
情緒不安定すぎるだろう。
「ほら、お前も食え。」
突然、眼の前に男が食べているのと同じスープを渡されて困惑した。
何が入っているか分からないスープに警戒する。
黙っていると、あろうことか無理やり口に突っ込まれた。
「死ぬなよ。お前、高いんだからな。しっかり働いて貰わないと困る。」
「んっ、ぐ……、コクッ…」
「どうだ?美味いか?美味いだろ?」
しつこく聞いてくるおかしな男。
口の中には、出汁の効いたあたたかなミルクの味が広がった。
久しぶりのちゃんとした食事。
久しぶりに味のある食事。
具の入ったスープの皿を見て、オレはコクリと喉を鳴らした。
「まぁ、食えよ。」
糸目男からスープを奪い取り、一気に掻き込んだ。
そのスープは、今まで食った飯の中で一番美味しかった。
満腹になると、また瞼が落ちてくる。
やっぱり、スープに何か入っていたんじゃないだろうか。
そう、疑わしくなる。
何をされるか分からないのに、眠ってしまったら危険だと思うのに、何故だか心地よい…。
「早く懐いてくれよ~。」
眠る寸前、大きな手に頭を包み込まれ多大な安心感の中、眠りへと落ちていった。
不覚、まる二日もしっかり看病された。
この男は一体何を考えているんだ。
全く予想できない男の行動にオレは気を張ることしかできなかった。
とにかく言われたことに従い、口を閉ざして、隙を見せないように。
朝起きたら、一枚ずつ丁寧に服を脱がされ、湯浴びと称し突然、川に落とされた。久々の大地は、とくに自然に満ちた水は、魔族のオレを満たした。男は、知っていてオレを川に落としたのかもしれない。自然は魔力を得るのに良い場所。魔族にとって自然にある魔力は最も必要な栄養素、いわば主食のようなもの。それがないと魔力はもちろん力も弱まってしまう。オレはそこで急激な魔力回復を行うべく水中に深く潜り込んだ。そうしたら突然、無理矢理に引き上げられた。驚いて、咳き込む。なんだ、魔力を取り込み過ぎるなということか。
「悪い、泳げないとは思わなくて。ほら、足は付くから安心しろ。自力で立てるな?」
オレの傷に触れてみたり、裸を見て顔を赤らめてみたり、オレを泳げないような、か弱いやつだと思っていたり…。本当におかしなやつだ。買われたあの日以来、奴隷紋も使われていないし、とくに酷いこともされていない。むしろ、待遇が良すぎるくらいだ。おまけに変な名を付けようとするものだから、つい、名を言ってしまった。男の戦略だったのだろうか…、いや、きっとただ馬鹿なだけ。それすらも演技だったりして。
男は、とにかくオレに「綺麗」と言った。
少しだけ、ほんの少しだけ、喜びを感じ、オレは慌てて感情をもみ消した。
それから男は、オレの服を何枚も買って、家を買った。本当に馬鹿だ。わけがわからない。熱が出た日にオレが寝ていたあの家は何だったのだろう。男の素性が全くわからない。本当にただ、大金を当てただけの男なのだろうか。綺麗なものが好きだと言っていたし、そういう目的なのだろうか…。そう考えたら、胸にモヤモヤとしたものが充満する。もしそうだとしたら、とても不愉快だ。その時は、コイツを絶対に後悔させてやる。
男の名は、ゼンというらしい。
ソイツがオレに書斎部屋と本棚をくれた。
そうしたら、さっきまでモヤモヤしてた胸が少し温まって、つい尻尾が揺れる。
オレに書斎を押し付けた男は、満足げに部屋を出ていって、台所を掃除しはじめた。
掃除を終えて、また共に飯を食う。
男は一人でベラベラ喋って、うまいうまいと言いながら楽しげにたいらげていく。
オレは森から魔力を得て、満たされた。
ソイツが食えとうるさいので、肉も少し食べた。美味かった。
「さぁ、寝るぞ」
そう言って、オレを一つしかないベッドの前に連れて来た。数日前とは違い、今日はコイツもベッドに入るらしい。
「なんだ、寝ないのか?」
早くベッドに入れと、施される。
腹がズドンッと重くなるような感覚。
黒いモヤが喉を充満する。
やっぱり、性奴隷にでもする気なんだ。
『裏切られた』そんな言葉が頭を掠めた。
はじめから分かっていたはずだ。勝手に期待したのは、オレの方。
それでも、許せなかった。
オレの怒りとともに魔力が集まっていく。
抑えなきゃ、抑えなきゃ。
ここで殺したら、きっとまたあの奴隷商に戻される。
ならば、いっそのこと従えば……、従ってみれば…。
そんな考えもよぎるが、どうしようもなく身体が動かない。
「一人で寝たいならソファーでもいいけど、明日も忙しいぞ。今夜はしっかり寝て疲れを取った方がいい。仕方がないだろう? ベッドが一つしかないんだ。」
「えっ、?」
放たれた言葉が一瞬理解できなくて聞き返した。
「あの書斎は、ローレンスの部屋だから好きに使え。ベッドを置きたいなら、自分で見つけて買ってこいよ。あ!小遣いはやらんからな!」
「…どうやって」
思わず、そう聞く。
だってオレ、金の稼ぎ方なんて知らない。
「えーーと、考えとく。とにかく! 今日はもう疲れた! 寝るぞ! てか、寝ろ!」
糸目男はオレの問いに答えず、うやむやにすると、ガバリと布団を被ってしまった。しばらくしてゼンが静かになったので、オレはそっと布団の中に入り込んだ。広いベッドでは、身体が触れ合うことはない。けれど、隣で誰かが眠る体温はしっかりと感じられた。
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