すれ違い

坂田火魯志

文字の大きさ
上 下
4 / 4

第四章

しおりを挟む
「ウィーンは嫌いだけれどチョコレートはいい」
 「それはいいんだな」
 「いいさ。じゃあ急ごう」
  足を速めさえするのだった。そしてその頃スターリンもまた。
 「この街にまた我々が来ることはあるかな」
 「さてな」
  アターニフはこうスターリンに返していた。
 「それはわからない。だが」
 「だが?」
 「そうなるように努力しよう」
  こう彼に言うのだった。その石畳の上を歩きながら。
 「ここも解放してな」
 「そうだな。それを目指すか」
  スターリンはこう言って同志の言葉に頷いたのだった。
 「我々がな」
 「この街はブルジョワ階級の巣窟だ」
  アターニフは忌々しげに言い捨てた。
 「まさにその象徴だ」
 「そしてそのブルジョワ階級を打倒し」
 「我等ポルシェビキの世界を作り上げるのだ」
  周りに警官達がいないのを見てからの言葉だった。共産主義者はウィーンにおいても危険分子もみなされていたからである。
 「それを目指すとしよう」
 「うむ」
 「その場所はまずロシアになるか」
  ここでアターニフはあることをわざと忘れていた。
  それはマルクスの言葉だ。彼は共産主義は高度に発達した資本主義から発すると説いていたのだ。だがロシアはそこまで至っていない。それを都合よく忘れていたのである。
 「ではその為にだ」
 「ロシアに戻るとしよう」
  スターリンもその言葉に頷いた。そのうえでさらに前に進む。そうしてだった。
  一人の男とすれ違った。彼と同じ口髭を生やした若い男にだ。その男は彼よりも十センチは高く青い目をしている男であった。画家の道具を持っている。
  そしてヒトラーもだ。口髭を生やしたみすぼらしい服の男にである。彼とすれ違ったのだ。
 「んっ!?」
 「おや!?」
  ヒトラーとスターリンはお互いを振り返った。しかしその時にはもうすれ違った後だった。お互いの背中を見ただけに終わってしまったのだった。
  オスカーはその彼を見てだ。問うたのであった。
 「どうしたんだい?」
 「いや、さっきの男は」
  その男のことを思い出しながらの言葉だ。
 「何かまた会う気がするな」
 「また会う?」
 「アジア系か」
  そのこともすぐにわかった彼だった。
 「あの男は」
 「そりゃウィーンだ。アジア人もいるだろう」
  こうヒトラーに返すオスカーだった。
 「色々な人間が集まる街だからな」
 「そうじゃない。何ていうか」
 「何だい?」
 「僕とあの男は将来何かある」
  ヒトラーは真剣に考える顔で言うのだった。
 「きっとな。やがて何かある気がする」
 「何かかい」
 「その何かはわからないけれど」
  このことについては首を捻る彼だった。
 「何かな、一体」
 「それはわからないのかい」
 「ちょっとね。けれど何かがあるね」
  それは勘で感じ取っていたのであった。
 「これからね」
  こう言うのだった。そしてそのまま喫茶店に向かった。
  スターリンもだった。彼の背中が消えていくのを目で見てからだ。言うのだった。
 「あの画家は」
 「どうしたんだい?同志」
 「いや、何かあるな」
  鋭い目での言葉だった。
 「いづれは」
 「いづれはかい」
 「あの男と私は同じなのかも知れない」
  こんなことも言うのだった。
 「同じだから将来何かがある」
 「同じっていうと共産主義者かい?」
  アターニフはそれかと思ったのだった。
 「それなのかい?ひょっとして」
 「いや、この街にいる同志達は全員知っている」
  スターリンの記憶は確かだった。それこそ相当なものである。ありとあらゆることも細部まで何時までも覚えている程であるのだ。
 「しかしああした人間はいないな」
 「じゃあ誰なのだ?」
 「それはわからない」
  そこまではスターリンにもわからなかった。
 「だが」
 「だが?」
 「あの男と私は同じだ」
  また言うスターリンだった。
 「やがて何かが起こる」
 「そうなのか」
 「さて、同志よ」
  アターニフへの言葉だった。
 「行くとしよう」
 「そうだな。同志達が待っている」
 「革命の為に」
  こう言って街中に消えるスターリンだった。
  これは公にはされていないがヒトラーとスターリンは同時期にウィーンにいた。若しかすると両者はすれ違っていたのかも知れない。二人の独裁者が互いの顔をお互いが知らないうちに見ていたのかも知れない、これもまた歴史の神の悪戯であろうか。


すれ違い   完


                 2009・11・29
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

楠乃小玉
2018.03.23 楠乃小玉

これはむっちゃおもしろい!
ヒットラーの若い頃のエピソードは貴重です。
お話もおもしろい。

解除

あなたにおすすめの小説

空蝉

横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。 二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

姫様、江戸を斬る 黒猫玉の御家騒動記

あこや(亜胡夜カイ)
歴史・時代
旧題:黒猫・玉、江戸を駆ける。~美弥姫初恋顛末~ つやつやの毛並みと緑の目がご自慢の黒猫・玉の飼い主は大名家の美弥姫様。この姫様、見目麗しいのにとんだはねかえりで新陰流・免許皆伝の腕前を誇る変わり者。その姫様が恋をしたらしい。もうすぐお輿入れだというのに。──男装の美弥姫が江戸の町を徘徊中、出会った二人の若侍、律と若。二人のお家騒動に自ら首を突っ込んだ姫の身に危険が迫る。そして初恋の行方は── 花のお江戸で美猫と姫様が大活躍!外題は~みやひめはつこいのてんまつ~ 第6回歴史・時代小説大賞で大賞を頂きました!皆さまよりの応援、お励ましに心より御礼申し上げます。 有難うございました。 ~お知らせ~現在、書籍化進行中でございます。21/9/16をもちまして、非公開とさせて頂きます。書籍化に関わる詳細は、以降近況ボードでご報告予定です。どうぞよろしくお願い致します。

女の首を所望いたす

陸 理明
歴史・時代
織田信長亡きあと、天下を狙う秀吉と家康の激突がついに始まろうとしていた。 その先兵となった鬼武蔵こと森長可は三河への中入りを目論み、大軍を率いて丹羽家の居城である岩崎城の傍を通り抜けようとしていた。 「敵の軍を素通りさせて武士といえるのか!」 若き城代・丹羽氏重は死を覚悟する!

ハーケンクロイツ

ジャック
歴史・時代
第二次世界大戦でナチスが勝った世界線の話です。 最初の方に世界大戦の前の話があります この作品はナチスが行ったことを推進、容認する物ではございません

豊家軽業夜話

黒坂 わかな
歴史・時代
猿楽小屋や市で賑わう京の寺院にて、軽業師の竹早は日の本一の技を見せる。そこに、参詣に訪れていた豊臣秀吉の側室・松の丸殿が通りがかり、竹早は伏見城へ行くことに。やがて竹早は秀頼と出会い…。

妻の献身~「鬼と天狗」 Spin Off~

篠川翠
歴史・時代
長編の次作である「鬼と天狗」の習作として、書き下ろしてみました。 舞台は幕末の二本松藩。まだ戦火が遠くにあった頃、少しひねくれたところのある武士、大谷鳴海の日常の一コマです。 尚、鳴海は拙作「直違の紋に誓って」でも、主役の剛介を会津に導くナビゲーター役を務めています。

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。 猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。