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第一章 世界の果てに咲く花
黒い剣 9
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「おかえり」
ベッドに横になっていたイリーズが、右手を胸の上に置いた状態のまま言う。
「早かったね」
「頑張ったからね。ほら、これが言ってた剣よね? サラーマとウェンディー……」
彼女はイリーズが横になっているベッドへ駆け寄り、背負っていた剣を見せようとしたが、城へ帰ってきてから感じていた致命的な違和感の正体に気付かされた。
こう言う時に最初に声をかけてくるはずの、赤い髪の妖精がこの場にいない。
その妖精がいるのなら、この部屋は外と同じ様な極寒ではない。もっと暖かく、過ごしやすいはずだった。
「イリーズ、サラーマは?」
イリーズのベッドに来て、彼女は息を飲み、言葉を失った。
イリーズの顔色は生気など皆無であり、異常に白い。目を開こうとせず、顔も動かそうとしないが、それは本人の意図するところではない。動かそうとしないのではなく、もうその動きすらできないのだ。
彼女の声を聞いて、無理にでも答えたのだろう。
そのイリーズだけでも言葉を失う程だったが、それだけでは無かった。
イリーズは右手を胸の上に置いていたのだが、その胸と手の間にウェンディーがいた。小さな妖精だったウェンディーだが、手の平にすっぽりと隠れる様な大きさではない。
「……あ、おかえりなさい。間に合ったんですね」
ウェンディーは目を開くと、虚ろな瞳を彼女に向ける。
青い宝石の様に澄んでいた瞳は濁り、焦点の合わない今のウェンディーには彼女は見えていないだろう。
「お腹空いてますよね? 少し待ってて下さい。すぐにご飯の用意しますからね」
ウェンディーはそう言うが、そのウェンディーもイリーズの手の中から動くことなど出来なかった。
小さなウェンディーが、イリーズの手の平の中に収まっているのは、ウェンディーには下半身が無くなっていたからだ。ウェンディーは下半身だけではなく、左腕も失っていた。
「ご飯って、ウェンディー……」
回復のスペシャリストのはずのウェンディーが、自分の現状を知らないはずはない。食事の準備どころか、日常の生活を送る事すら出来ない事くらいわかっているだろう。
それでもこんな事を言うという事は、それさえも分からなくなっているのだ。痛みも無く、現状の状況を飲み込めず、これまでの日常を繰り返そうとしている。それは彼女の命が尽きていく証拠だった。
「え? ど、どういう事?」
彼女は立っていられなくなり、よろめきながらイリーズが横になるベッドの側にへたり込む。
「こ、これ、黒い剣。コレがあれば治るんだよね? 治せるんだよね? お願い、指示をもらえば私だって何か出来る事があるはずだから」
自分でも驚く程震える手は、彼女の意思を完全に無視して痙攣しているかと思うほど震える。それでも背負った剣を外すと、彼女はまったく力の入らない手でその剣をイリーズに見えるように持ち上げる。
「それはもう、必要無いよ」
だが、イリーズは目を開くことも無くかすれる声で答える。
「必要無いって、治ったの?」
エテュセは有りもしない幻想に縋る。せめてそうであって欲しかった。そんな事など有り得ないのは、誰に言われるまでもなく分かっているはずなのに、甘い希望に縋り付く。
「屍人か。死者の秘法をこの様に使うのは初めて見た。いかな外法とはいえ、使い方によるのだな」
彼女の後ろを付いて来ていた『銀の風』が、イリーズを見て言う。
「この様な事まで出来るようになっていたのだな、ウェウティア」
「お久し振りです、アルジャントリー様」
ウェンディーは視線を彼女の後ろにいる、『銀の風』に向ける。と言っても、やはり焦点は合わず、見えているかも分からない。
「ウェウティア、フーディリウスはどうした」
そう尋ねる『銀の風』に、ウェンディーは何も答えなかった。
「どうしのだ」
「ちゃんと黒い剣を手に入れたんですね。思ってたより早かったですし」
ウェンディーは『銀の風』を無視するように、彼女に言う。
「早かったって、一体何があったの? サラーマは? イリーズはどうなってるの?」
彼女は黒い剣を放り投げると、這う様にベッドに縋り付く。
「あ、そうだ、サラーマを呼ばないと。まったく、いつもご飯に文句ばっかり言うんですよ? 自分で作りもしないくせに」
ウェンディーは微笑を浮かべて言う。
「でも、私は約束を守れたんですよね?」
ウェンディーは彼女を見て微笑むと、ゆっくり目を閉じる。
「お願い! あの剣で何をすれば良いの? どうすればイリーズを助けられるの? 私に出来る事なら何でもするから!」
彼女は矢継ぎ早に質問するが、ウェンディーは答えようとしない。
「ねえ、お願いだから、私にも分かるように説明してよ!」
声が震えるのが分かる。
ウェンディーが答えない理由も、頭では分かる。だが、認められないのだ。
ここでウェンディーの命の炎が尽きてしまった、など、目の前で起きている事でも正しく認識出来ない。
「よせ。もう死んでいる」
後ろから『銀の風』に言われるが、彼女は『銀の風』を睨みつける。
「あんた、一体何なのよ! 黙ってて!」
彼女は噛み付くように『銀の風』に叫ぶ。
頭の中の冷静な部分では、『銀の風』の言う事が正しい事は分かっている。しかし、正しい事は理解出来ていても、それを正しく認識出来ないのだ。
本来なら冷徹な頭脳の持ち主のはずの彼女が、今はその働きを失い、感情のコントロールも意識から外れてしまっている。
「来客ですか。何のお構いも出来ないで、申し訳ありません」
イリーズは目を閉じたまま言う。
「君がイリーズか。ウェウティア、フーディリウスが世話になったようだ」
「貴女は? 僕の知り合いでは無いみたいですか」
「名は、そうだな。『銀の風』と呼ばれる事が多い」
「監視者、ですか。お名前を伺った事はあります。ですが、貴女が言われた方々の名前は聞き覚えがありません。お役には立てなかったみたいですね」
「私の事は好きに呼んでくれ。しかし、ウェウティア、フーディリウスとは無関係だったか。騒がせてすまない」
イリーズは目を開かずに話している。
「そうだ! あんた、回復魔術は使えないの? だって『銀の風』と言えば神の使いなんでしょう?」
彼女は後ろを振り返って、『銀の風』に尋ねる。
「ああ、治癒、再生共に使えるが、それがどうした?」
「使えるの? だったら、イリーズとウェンディーを回復させてよ!」
「回復?」
視線をイリーズとウェンディーに向けた後、『銀の風』は首を振る。
「私の魔術では死者を蘇らせる事など出来ない。残念だが、役には立てない」
「じゃ、ウェンディーは諦める。諦めるしかないんでしょ? それならイリーズだけでも、お願いだからイリーズだけでも助けて!」
彼女は立ち上がって、『銀の風』に掴みかかる。
「言った通りだ。私の術では死者を蘇らせる事は出来ない」
「生きてるじゃない!」
「生きてないんだよ」
イリーズが呟く。
表情が少し和らいで見えるが、苦笑いなのかも知れない。
ベッドに横になっていたイリーズが、右手を胸の上に置いた状態のまま言う。
「早かったね」
「頑張ったからね。ほら、これが言ってた剣よね? サラーマとウェンディー……」
彼女はイリーズが横になっているベッドへ駆け寄り、背負っていた剣を見せようとしたが、城へ帰ってきてから感じていた致命的な違和感の正体に気付かされた。
こう言う時に最初に声をかけてくるはずの、赤い髪の妖精がこの場にいない。
その妖精がいるのなら、この部屋は外と同じ様な極寒ではない。もっと暖かく、過ごしやすいはずだった。
「イリーズ、サラーマは?」
イリーズのベッドに来て、彼女は息を飲み、言葉を失った。
イリーズの顔色は生気など皆無であり、異常に白い。目を開こうとせず、顔も動かそうとしないが、それは本人の意図するところではない。動かそうとしないのではなく、もうその動きすらできないのだ。
彼女の声を聞いて、無理にでも答えたのだろう。
そのイリーズだけでも言葉を失う程だったが、それだけでは無かった。
イリーズは右手を胸の上に置いていたのだが、その胸と手の間にウェンディーがいた。小さな妖精だったウェンディーだが、手の平にすっぽりと隠れる様な大きさではない。
「……あ、おかえりなさい。間に合ったんですね」
ウェンディーは目を開くと、虚ろな瞳を彼女に向ける。
青い宝石の様に澄んでいた瞳は濁り、焦点の合わない今のウェンディーには彼女は見えていないだろう。
「お腹空いてますよね? 少し待ってて下さい。すぐにご飯の用意しますからね」
ウェンディーはそう言うが、そのウェンディーもイリーズの手の中から動くことなど出来なかった。
小さなウェンディーが、イリーズの手の平の中に収まっているのは、ウェンディーには下半身が無くなっていたからだ。ウェンディーは下半身だけではなく、左腕も失っていた。
「ご飯って、ウェンディー……」
回復のスペシャリストのはずのウェンディーが、自分の現状を知らないはずはない。食事の準備どころか、日常の生活を送る事すら出来ない事くらいわかっているだろう。
それでもこんな事を言うという事は、それさえも分からなくなっているのだ。痛みも無く、現状の状況を飲み込めず、これまでの日常を繰り返そうとしている。それは彼女の命が尽きていく証拠だった。
「え? ど、どういう事?」
彼女は立っていられなくなり、よろめきながらイリーズが横になるベッドの側にへたり込む。
「こ、これ、黒い剣。コレがあれば治るんだよね? 治せるんだよね? お願い、指示をもらえば私だって何か出来る事があるはずだから」
自分でも驚く程震える手は、彼女の意思を完全に無視して痙攣しているかと思うほど震える。それでも背負った剣を外すと、彼女はまったく力の入らない手でその剣をイリーズに見えるように持ち上げる。
「それはもう、必要無いよ」
だが、イリーズは目を開くことも無くかすれる声で答える。
「必要無いって、治ったの?」
エテュセは有りもしない幻想に縋る。せめてそうであって欲しかった。そんな事など有り得ないのは、誰に言われるまでもなく分かっているはずなのに、甘い希望に縋り付く。
「屍人か。死者の秘法をこの様に使うのは初めて見た。いかな外法とはいえ、使い方によるのだな」
彼女の後ろを付いて来ていた『銀の風』が、イリーズを見て言う。
「この様な事まで出来るようになっていたのだな、ウェウティア」
「お久し振りです、アルジャントリー様」
ウェンディーは視線を彼女の後ろにいる、『銀の風』に向ける。と言っても、やはり焦点は合わず、見えているかも分からない。
「ウェウティア、フーディリウスはどうした」
そう尋ねる『銀の風』に、ウェンディーは何も答えなかった。
「どうしのだ」
「ちゃんと黒い剣を手に入れたんですね。思ってたより早かったですし」
ウェンディーは『銀の風』を無視するように、彼女に言う。
「早かったって、一体何があったの? サラーマは? イリーズはどうなってるの?」
彼女は黒い剣を放り投げると、這う様にベッドに縋り付く。
「あ、そうだ、サラーマを呼ばないと。まったく、いつもご飯に文句ばっかり言うんですよ? 自分で作りもしないくせに」
ウェンディーは微笑を浮かべて言う。
「でも、私は約束を守れたんですよね?」
ウェンディーは彼女を見て微笑むと、ゆっくり目を閉じる。
「お願い! あの剣で何をすれば良いの? どうすればイリーズを助けられるの? 私に出来る事なら何でもするから!」
彼女は矢継ぎ早に質問するが、ウェンディーは答えようとしない。
「ねえ、お願いだから、私にも分かるように説明してよ!」
声が震えるのが分かる。
ウェンディーが答えない理由も、頭では分かる。だが、認められないのだ。
ここでウェンディーの命の炎が尽きてしまった、など、目の前で起きている事でも正しく認識出来ない。
「よせ。もう死んでいる」
後ろから『銀の風』に言われるが、彼女は『銀の風』を睨みつける。
「あんた、一体何なのよ! 黙ってて!」
彼女は噛み付くように『銀の風』に叫ぶ。
頭の中の冷静な部分では、『銀の風』の言う事が正しい事は分かっている。しかし、正しい事は理解出来ていても、それを正しく認識出来ないのだ。
本来なら冷徹な頭脳の持ち主のはずの彼女が、今はその働きを失い、感情のコントロールも意識から外れてしまっている。
「来客ですか。何のお構いも出来ないで、申し訳ありません」
イリーズは目を閉じたまま言う。
「君がイリーズか。ウェウティア、フーディリウスが世話になったようだ」
「貴女は? 僕の知り合いでは無いみたいですか」
「名は、そうだな。『銀の風』と呼ばれる事が多い」
「監視者、ですか。お名前を伺った事はあります。ですが、貴女が言われた方々の名前は聞き覚えがありません。お役には立てなかったみたいですね」
「私の事は好きに呼んでくれ。しかし、ウェウティア、フーディリウスとは無関係だったか。騒がせてすまない」
イリーズは目を開かずに話している。
「そうだ! あんた、回復魔術は使えないの? だって『銀の風』と言えば神の使いなんでしょう?」
彼女は後ろを振り返って、『銀の風』に尋ねる。
「ああ、治癒、再生共に使えるが、それがどうした?」
「使えるの? だったら、イリーズとウェンディーを回復させてよ!」
「回復?」
視線をイリーズとウェンディーに向けた後、『銀の風』は首を振る。
「私の魔術では死者を蘇らせる事など出来ない。残念だが、役には立てない」
「じゃ、ウェンディーは諦める。諦めるしかないんでしょ? それならイリーズだけでも、お願いだからイリーズだけでも助けて!」
彼女は立ち上がって、『銀の風』に掴みかかる。
「言った通りだ。私の術では死者を蘇らせる事は出来ない」
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「生きてないんだよ」
イリーズが呟く。
表情が少し和らいで見えるが、苦笑いなのかも知れない。
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