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その大地、徐州

国を割る国 9

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「十万の軍か。反董卓連合軍の時もそうだったはずだが、今の方が壮観に見えるのは率いている兵が少ないからかな?」

「装備の違いでしょう」

 呂布は笑いながら言うが、陳宮は至って冷静に答える。

 呂布の前には袁術軍十万が布陣を済ませていた。

 それに対抗する為に呂布が率いているのは、僅か三千。

 呂布や軍師であり優れた武人でもある陳宮の他、戻ってきた副将張遼や魏続と侯成もいる。

 魏続は兵が少なすぎると文句を言っていたが、陳宮はまったく相手にせずに率いる兵を増やそうとはしなかった。

 これには陳宮の必殺の策の為にも必要な手順の一つだったのだが、その事を知っているのはこの陣の中には呂布しかいない。

 秘密主義の陳宮は策の全貌を張遼にも知らせていなかったが、張遼の報告を受けてからはこれで勝利は確定したとだけは伝えている。

 もちろん、それだけの情報で全てが理解出来るはずもなく、張遼は不思議そうな表情を浮かべていたが、魏続の様に余計な事を言って時間を取らせる様な事はしなかった。

「十数年前にこう唱えた者達がいた。『蒼天、既に死す』と。まさにその通り。新たな歴史の流れに逆らう愚か者共よ、どの濁流に飲まれ翻弄される前に助け舟を出してやろうではないか。今すぐ投降するのであれば、新皇帝にも寛容さを求めてやってもいいぞ」

 十万の大軍を率いる総大将の張勲が、中々に通る声で呂布軍に向かって演説する。

「面白い演説だ。どう返す?」

「私が返答しましょうか?」

「それも面白そうだが、俺が出た方が効果ありそうだろう?」

「では、お願いします」

 呂布が三千の兵しか率いて来なかったのも、実際のところは戦力を集められなかったと言う訳でもなく、挑発の意味合いが強い。

 その挑発をさらに重ねる事が重要なのだ。

「その言葉なら知っている。そうして立ち上がった者達がどれほどの数であったかも知っている。だが、その結果『蒼天』は死に絶えたか? 以前、諸侯が立ち上がり漢帝国を打倒しようとした。その結果、諸侯達は望んだ結果を得られたか? 袁術軍の将兵よ。君らはその時より遥かに少ない数で、同じ暴挙に出ようとしている。本当に勝てると思って国賊になるつもりか」

 呂布が軍の前に出て、張勲の言葉に対して答える。

 常人を超える長身に真紅の巨馬、さらには黄金の鎧に方天戟と言うその姿は味方にするとこれ以上は無い程頼りになる武神の姿に、これから敵対する者にとっては恐るべき鬼神の姿に映る事だろう。

 呂布の勇姿と言葉によって、早くも袁術軍に揺らぎが見え始める。

「古今無双の豪傑である英傑呂布。その実力は一騎当千と評するに値する。だが、その武勇で当たれるのは千まで。他の者達まで込で十万を相手に戦えるとでも思うのか? 呂布軍の将兵よ! 今降ればその地位を確約するが、敵対するのであれば一人残らず殲滅する! 死にたくなければ、新帝の元へ降れ!」

「我ら呂布軍は常に十倍する敵と戦い、それらに全て勝利してきた。あの戦上手の曹操の軍勢さえも焼き払ってきた。もし漢の敵となり、この呂布に弓引くと言うのであれば一切の容赦はしない。ここで死んでも君らは英雄などではなく、国賊となる。恐れるのであれば、俺ではなく漢に背く事の末路を恐れるがいい!」

 張勲と呂布は一歩も譲らず、お互いに自陣に戻る。

「こんなモノで良かったのか?」

「充分です」

 陳宮が答えると、張遼や侯成も大きく頷いている。

「しかし、本当に三千で十万の兵に勝てると思っているのですか? ここには小沛の時の様に兵を焼き払える様な仕掛けも無く、呂布将軍であれば千人を相手にしても戦えるでしょうが、他の兵全てにその武勇を求める事はあまりに酷」

 魏続だけが不満と不安を隠そうとせずに、呂布と陳宮に向かって言う。

「魏続の言う事ももっともだ。だが、ここからは俺達の武勇ではなく、天下の名軍師である陳宮の腕の見せどころだ。その指示に従おうじゃないか」

 呂布はそう言うとそれぞれを配置につかせる。

 袁術軍の動きは陳宮の予想した通りだった。

 当初袁術軍の先鋒を務めるのは楊奉と韓暹だったはずなのだが、迎撃に現れた呂布軍の規模が向こうの予想を遥かに下回っていた事から、張勲は武将の配置を変換した。

 呂布と言う最大級の武功を、わざわざ他の者に譲る事が惜しくなったのである。

 それによって当初先鋒予定だった楊奉と韓暹を後方に下げて予備戦力として、自ら武功を上げるべく配下の雷薄と共に前線に出て来た。

 この時張勲は楊奉と韓暹がすでに呂布軍と内通していると言う事は知らないのだが、ここまで露骨な扱いを受けてはもし楊奉と韓暹にその意志が無かったとしても、場合によっては今この瞬間に交渉するだけで呂布軍についたかもしれない。

 何も袁術軍に限った事ではなく、漢が抱える大きな問題でもあった。

 漢正規軍でも黄巾党からの投降者に対する差別や迫害はあったのだが、袁術が起こそうとしている国ではすでにそれは根付いてしまっているらしく、投降者である楊奉と韓暹の扱いの雑さがそれを物語っている。

 陳宮はその不協和音に早くから気付き、陳珪は楊奉と韓暹を寝返らせる事に成功した。

 余裕を見せる袁術軍だが、陳宮の見立てでは袁術軍、特に張勲にはまったく時間的余裕は無い。

 一つには本隊である袁術が先に許昌を落としてしまった場合、張勲は主君の援護に遅れた援軍と言う事になり、せっかくの武功が逆に汚点になりかねない。

 同じように、小沛を攻めている紀霊の軍が先に小沛を陥落させてしまうと、紀霊より多くの兵を率いながら、より少ない相手であったにも関わらず協力がなければ勝利出来なかった無能と言う事になる。

 その一方で、張勲が呂布を打ち取る事が出来ればその武功は圧倒的と言わざるを得ない。

 二人の大将軍張勲と橋蕤は並び称される事無く、張勲は一歩先を行く事が出来る。

 その為にも張勲は、なんとしても呂布を討たなければならなかった。

 そこで陳宮は敢えて呂布に少数の兵を率いさせて張勲の前に姿を現し、張勲に討ち取れそうだと考えさせた。

 そして袁術軍と言う大魚は、まんまと釣り針にかかったのだ。

 張勲と雷薄は六万の兵を率いて呂布軍に向かって前進してきた。

 呂布軍はその前進に合わせて後退する。

 猛将と知られる呂布が戦わずして後退した事に気を良くした張勲は、さらに速度を速めて前進する。

「大したモンだ。まさに軍師殿の言う通りだな」

 呂布は後退しながら追撃してくる袁術軍を見ながら、感心して言う。

「感心してばかりもいられないでしょう! 六万の軍が追ってくるんですよ! 俺達、三千しかいないから、戦いようが無いでしょう!」

「まぁ、そう焦るな、魏続。奴らの追撃はもうすぐ止まる。そこから反撃開始だ」

 焦る魏続に対し、呂布は余裕を持って答える。

「間もなく反撃に移ります」

 陳宮の言葉に、呂布と張遼は頷く。

「どう言う事ですか?」

 まだよくわかっていない侯成が、首を傾げている。

「確かに敵軍は六万。現状の俺達は三千。まともにやったら数で押しつぶされる事は疑いない。もちろん軍師殿もそう考えていたからこそ、策を練ったんだよ」

 呂布が侯成に説明していると、追撃してくる張勲の軍が乱れた。

 伏兵として伏せていた高順と成廉の部隊二千が張勲の軍に突撃したのである。

「始まったな。俺達も参戦しよう」

 呂布達は後退を止め、反転して僅かに乱れる張勲軍に挑む。

「え? 楊奉と韓暹を待たないんですか?」

 張遼が呂布に尋ねる。

「もうすぐ動くよ」

 呂布は張遼に言うと、方天戟を振る。

 そのひと振りで張勲軍の騎馬は怯えてその足を止め、歩兵達も足を止める。

「戦うと言うのであれば容赦はしない。逃げなければ死ぬぞ」

 呂布はそう言うと戟を向ける。

「行くぞ!」

 そう言うと呂布は自ら赤兎馬を走らせ、敵軍を貫く。

 そこに張遼と陳宮も続き、さらに侯成と魏続が続く。

 側面から高順と成廉に、正面から呂布達に攻められているとは言え、張勲の率いる兵は大軍であり、勇猛果敢とは言え呂布軍は伏兵まで合わせても五千しかない。

 一時的な混乱から立ち直ると、張勲と雷薄は呂布軍に対して真っ向から対抗し始めた。

 このまま行けば、張勲と雷薄は呂布軍を全滅させる事が出来たかも知れない。

 が、張勲と雷薄にとってはまったく予想外の、呂布軍にとっては待ちに待った事が起きた。

 正面に意識を集中させた張勲と雷薄の完全に隙だらけとなった背後から、楊奉と韓暹の、合わせて四万もの軍が襲いかかってきたのである。

 これで完全に張勲の戦略は瓦解し、同時に指揮系統も崩壊した。

 本来であれば呂布軍の攻勢は張遼が言った通り、楊奉と韓暹が後方から攻めかかった時の方が良かったのだが、陳宮から反対されたのである。

 口約束で内通を約束したものの、戦況次第で楊奉と韓暹は動かずそのまま呂布を売って袁術軍に残る恐れがあると陳宮は心配していた。

 それであれば戦況に対して決定打を与えられる、もっとも美味しいところを譲ってやる一方、もし万が一楊奉と韓暹が動かなくても呂布が独力で張勲を討ち取り袁術軍を崩壊させた場合、言い訳のしようもない状況となってしまい、この戦いの後に呂布に捕らえられて切り捨てられるか裏切り者として袁術に引き渡される恐れすらあった。

 楊奉と韓暹にとってここでの参戦はもっとも武功を立てやすい瞬間でもあり、また内通に応える最後のきっかけでもある事を陳宮は呂布に説明した。

 数の上では呂布軍が伏兵込で五千と楊奉と韓暹の軍が四万。それに対して張勲と雷薄の軍は六万なので、まだ張勲と雷薄の方が多いと言えるのだが、それは戦場に出ていない者の机上の空論でしかない。

 いかに兵数が多少多いとはいえ、張勲は元々圧倒的な数量差によって呂布の武勇を考慮する事なく踏み潰す事を考えて先陣に立ったのである。

 それが味方であるはずの後方の四万が急遽敵となり背後を襲ってきた上に、全体から見ると少数であるとはいえ呂布軍が側面からと正面からとで猛威を振るい、今度は混乱を立て直す余裕を作る事が出来なかった。

 数の上では互角以上であるにも関わらず、すでに勝敗は決したと感じたのか、そこからの袁術軍の兵士達の行動は早かった。

 各々が武器を投げ捨て、蜘蛛の子を散らす様に逃走を始めたのである。

 そのあまりにも唐突かつ無秩序な兵の逃亡は陳宮の予想を超えた錯乱ぶりであり、逆に陳宮は追撃する事が出来なくなってしまった。

 また同じように呂布や張遼も露骨に戦意を失い、声を張り上げて兵を止めようとする武将を押し倒して逃げ惑う兵を前に、どうして良いか戸惑っていた。

 結果として呂布軍は袁術軍の撃退には成功したものの壊滅させるまでには至らず、袁術軍に抵抗出来るだけの兵力を残す事になってしまったのである。
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