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其れは連なる環の如く
美女連環の計 9
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すぐに現職復帰となると思われた呂布だったが、一兵卒降格は無くなったものの、自宅待機の期間は意外なほど長引いていた。
董卓の怒りは言うまでもなく一時的なモノだったのだが、ここぞとばかりに董卓の身内が大騒ぎしたせいでもある。
その中心となったのが牛輔である。
董卓の後継者候補として名の挙がる牛輔だが、牛輔と呂布では同じ義理の息子と言っても若干事情が異なる。
董卓は直系の男児を早くに失い、後継者に難を抱えていた。
これまではそこに長女の婿である牛輔が君臨し、その後方に同じく娘婿の李儒が続いていたのだが、董卓が自ら養子とした呂布が入ってきた事によってその地位も安泰ではなくなっていた。
血の繋がりは無いものの、系譜の上では呂布は直系に値する事になる。
しかも武勇による実績は古今無双と評され、本人の人品にもまったく問題ないときているので、董卓本人はともかく周りの一族にとっては大きな問題だった。
そんな折りに見せた、驚く程些細な失点に対して牛輔をはじめとする一族集は大騒ぎして董卓に対し、呂布の危険性を注進していた。
まずなにより呂布には事情があったにせよ、かつての養父丁原を切って董卓の元へやって来たと言う負い目がある。
実際には呂布ではなく董卓の方から養子を提案しているのだが、その事実は董卓と呂布、あの場所にいた李儒と李粛といったごく僅かな人物達しか知らない事であったので、呂布には董卓の資産を狙う野望があると吹聴した。
また、いざ戦う事になった場合、まともに戦ってもまず勝ち目がない事は分かっているので、呂布に兵権を持たせておく事の危険性についても大袈裟に喚き散らした。
普通であれば董卓は聞く耳を持たずに一蹴する事案なのだが、身内に対して甘い董卓はそれらの意見に耳を傾けていた。
李儒や蔡邕などは小人の讒言に耳を傾ける必要などなく、むしろそれによって名将呂布を冷遇する事にこそ大きな問題があるとして、呂布の危険性をことさらあげつらう者達こそが危険であると董卓を諌めた。
この問題に関して何故か王允は無言を貫いていたが、長引いていた問題の事態を大きく変えたのが董卓の母親である悦の意見だった。
悦は今回の事に関してではなく、少なくとも李儒の知略と呂布の武勇無くして今の状況を作れたのかを考えるべきだと言い、それに対して董卓はどう応えるかで自身の器が問われている事を自覚しろ、と伝えてきた。
特に呂布を庇い立てすると言う訳では無かったものの、これによって呂布は現職復帰と自宅待機も解除となった。
その報が伝えられ、呂布は復帰の祝いとして王允邸に呼ばれる事になった。
だが、普段ならともかく、この時の呂布は気乗りしなかった。
娘の蓉が熱を出して寝込んでいるのである。
さすがに王允からの誘いとなれば断れないので足を運んだが、出来れば早々に帰宅するつもりでいた。
「どうされました、将軍。何かこちらの不手際が?」
それを見抜かれているらしく、王允は呂布に向かって心配そうに言う。
「ああ、申し訳ありません。王允殿の手厚い歓迎、不手際なんてあるはずもありません」
と、答えながらも、油断しているとすぐに溜息が口をついてしまう。
普段があまりにも元気過ぎる蓉なので少し具合が悪いくらいが丁度いい、などと初日は思っていたがすでに三日も熱が下がらずにうなされているところを見ると、呂布は自分の無力さを思い知らされる。
母の時もそうだった。
体の弱かった母を守るために強くなろうとしたが、結局母は病で死んでしまった。
今は古今無双の猛将と言う評をもらえるほどになったにも関わらず、病に苦しむ娘を助ける事さえ出来ないでいる。
一体何のために強くなろうとしていたのか。
「将軍、何か深くお悩みのご様子。太師と何かありましたかな?」
王允は心配そうに呂布に尋ねる。
「ああ、いえ、太師とは特に何も。実は娘が病で」
「ほう、あの元気なお嬢様が。それは心配ですね」
王允は何度も頷いて言う。
「将軍は医師に知り合いがいないのですか?」
「はあ、残念ながら呪い師の類には疎いモノで」
呂布は困ったように言う。
この時代の医術は占いなどと同類とみなされ、その社会的地位も占い師より下に見られていた。
純粋な武人の呂布は、そう言う類のモノを信じていなかったと言うのも大きく、その為に医師などに知り合いもいない。
妻である厳氏に基礎的な薬学の知識があったので、それに任せきりだったと言う事も医師の知り合いを作ってこなかった原因とも言える。
「王允殿には、どなたか知り合いが? 情けない上に厚かましい限りなのですが、紹介していただけないでしょうか?」
「そうですな、名医の吉平は現在都を離れていますので……。貂蝉。貂蝉はおらぬか?」
「はい、義父上」
貂蝉が料理の大盆を持って、すり足でやって来ながら答える。
何かと手一杯に荷物を持ちたがる少女である。
「将軍、この娘は私の養女である貂蝉と言うのですが……」
「呂布将軍、こんばんは」
貂蝉は料理の大盆を呂布の前において、頭を下げる。
「どんどん持ってきますから、たくさん食べて下さいね」
「いや、こんなには食えないよ」
満面の笑顔の貂蝉に、呂布は苦笑いする。
「おや、将軍はこの娘と面識がありましたか」
「はあ、この前ちょっと」
「その節はお世話になりました」
王允は親しげに話す貂蝉と呂布を、交互に見る。
「二人が知り合いなら、話は早い。この娘には妓楼の技を教え込んでおりまして、医術に関しては名医と名高い吉平からも筋が良いと褒められております。もしかするとこの娘が何か将軍のお役に立てるかもしれません」
「ふえ? 何事ですか?」
ここまでの会話の流れを知らないままの貂蝉は、突然自分に話題が及んだ事に驚いている。
「実はのう、貂蝉。呂布将軍のご息女が病なのらしいのだ」
「え? 蓉様が?」
貂蝉はただでさえ大きな目を見開いている。
貂蝉は蓉を様付けで呼んでいるが、本来であればこちらの方が貂蝉を様付けで呼ばないといけない立場である。
が、蓉は貂蝉の事を『姉ちゃん』と呼んでいた。
貂蝉にしても蓉を妹のように可愛がっているので、そう呼ばれる事を受け入れている。
貂蝉は自分が王允の実子では無い事を気にしていて、自分を身分卑しい者と強く自覚しているようにも見えた。
呂布は娘の症状を貂蝉に伝えると、貂蝉は難しい表情をする。
「義父上、私が呂布将軍のお宅へ伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。将軍、よろしいでしょうか?」
「願ってもない事です。むしろこちらからよろしくお願いしたいくらいです」
呂布はそう言って、貂蝉や王允に頭を下げる。
まだ正式に将軍位を受け取ったわけではないので呂布の立場は一兵卒の身であるのだが、それでも呂布と言えば長安の誰もが知る猛将の中の猛将である。
通常であれば三公の司徒王允に対しても不遜な態度を取る事も少なくないのだが、呂布はその養女である貂蝉にまで頭を下げている。
それは異様とさえ言える光景で、王允は言葉を失っていた。
さっそく呂布は貂蝉を連れて自宅へ戻ると、厳氏や高順が看病している蓉のところへ向かう。
「奉先、もう帰ってきたのか? 随分と早いな」
高順が帰ってきた呂布に向かって言う。
「娘の事が気になって、せっかくの王允殿が用意してくれたご馳走の味も分からなかった」
「……その割には、新しい女を連れてきてるじゃないか。何者だ?」
高順は呂布の後ろに続く貂蝉を睨む様に見る。
強面の高順に睨まれたら普通の年頃の少女であれば怯えるところだが、貂蝉は生真面目に頭を下げる。
「貂蝉と申します。よろしくお願いします」
「お? あ、お、おう」
機先を制された形になった高順は、つられて頭を下げる。
「高順、失礼な事はするなよ。このお方は王允殿の養女殿だ」
「そんな良いとこの娘さんが、こんな夜分に何の用事があってこんなところに? 側室でももらうつもりか?」
「蓉の様態を診てもらうために、来てもらったんだ。貂蝉殿は医術の心得もあると、王允殿のお墨付きだ」
「そう言う事か。それは有難い。貂蝉殿、大変失礼致した。どうか、姫をよろしくお願い申し上げる」
高順は身を正して、正式に頭を下げる。
「私も見習いの身ですが、出来うる限りの力を尽くす所存です」
貂蝉の身分もはっきりした事により、高順と呂布は貂蝉を伴って蓉のところへ向かう。
普通であれば蓉の面倒を見るのは家人の役割なのだが、とにかくやんちゃな蓉なので家人の手に余ると言う事もあり、基本的には蓉が頭の上がらない母親の厳氏や腕力で上回る高順、時々しかいないものの張遼にだけは言われた事を素直に聞き入れるのでこの三人が蓉の面倒を見ている。
ここ最近は呂布もこの中に加わっていたのだが、これまでは多忙だったのでどうしても後回しになってきた。
「香、今帰った」
「お帰りなさいませ、将軍」
「お帰り、父ちゃん」
普段早寝早起きな厳氏や蓉がこの時間まで起きている事も珍しいが、本来の出迎えであれば蓉が飛びかかってくるところだ。
それが今は弱々しく声をかけるだけに留まっている。
「こんばんは」
呂布の後ろから、貂蝉が顔を出す。
「……あれ? 姉ちゃん?」
「こんばんは。お見舞いに来たよ」
貂蝉は笑顔で言うと、厳氏に向かって深々と頭を下げる。
「私、貂蝉と申します。些かではありますが医術の心得がありまして、お嬢様の回復の為に出来る事があるかと思い、本日お邪魔させていただきました」
「え、あ、これはどうもご丁寧に」
厳氏はつられる様に頭を下げる。
「奥方様も随分とお疲れのご様子。どうか、ゆっくりお休み下さい。奥方様まで倒れられてしまっては大変ですから」
貂蝉は丁寧に言う。
「随分と育ちの良いお嬢さんだな」
高順は貂蝉を見ながら言う。
「まあ、王允様の養女なわけだから」
呂布はそう答えながら、テキパキと動く貂蝉を見ていた。
基本的に両手一杯に持ってすり足で動いている印象しかない貂蝉だったが、意外な事に必ずしも効率が悪いと言うわけではないらしい。
「将軍、お帰りなさい。ところで何事ですか?」
張遼が蓉の部屋から追い出された呂布と厳氏、高順を見つけて尋ねる。
「ああ、文遠か。都の名医見習いに娘を診てもらっているんだが、どうやら俺達はジャマみたいでな」
「はぁ? 何ですか、その失礼な奴は! 将軍を邪魔者扱いですか? しかも両親揃って部屋から追い出すってどう言う事ですか? 俺、ちょっと言ってやりますよ」
「え? いやいやいや、張遼将軍、ちょっと待って」
今にも剣を抜こうとする張遼を、厳氏が必死に引き止める。
「失礼とか、そういうのじゃなくて、こういう事は専門家にお任せするとか、そう言う事ですから」
「いや、でも妓楼の分際で将軍とその奥方に対する非礼は許せません。身の程を教えてやらないと」
「待て待て、文遠。身の程を知るべきはお前だ」
呂布が熱くなっている張遼を止める。
「お見えになられているのは、あの三公であらせられる王允様のご養女であらせられるぞ。頭が高い。控えおろう」
「高さん、何か悪いものでも拾い食いしました? この際、呂姫の病気も丸ごと貰って下さい。誰も迷惑しないですから」
「おま、言うねぇ」
高順は呆れながら張遼に言う。
しばらくして貂蝉が蓉の部屋から出てくる。
「うわっ、皆さん、ここで何してるんですか?」
「貂蝉さん、娘の様子は?」
厳氏が貂蝉の手を握って尋ねる。
「あ、は、はい。今は眠ってます」
貂蝉は目を白黒させて答える。
「何かわかりましたか? 重病だとか、そう言う事は?」
呂布も貂蝉に尋ねる。
さらに強面の高順や、いかにも将軍と言う雰囲気の張遼まで増えているので、貂蝉も困っているようだった。
「重病と言う事はありませんよ。ただの風邪で、後二日もすると熱も下がると思います。奥方様の看病の適切さもありまして、私などが出しゃばる必要もありませんでした」
貂蝉が厳氏を安心させる様に言うと、全員が安心した様に深々と息をつく。
「あ、でも、お嬢様はとにかく元気で体力もありますから、完全に治る前に動き出すかもしれませんから。そうすると、せっかく治りかけてもさらに悪化する恐れもありますから、その点だけは注意して下さい」
「それは文遠の役割だな」
高順が腕を組んで頷いている。
「……何で俺なんですか。明らかに高さんの仕事でしょ」
「俺だと言う事を聞かないから言ってるんだよ」
高順の予言はずばり的中し、翌日からやたら元気になった蓉を寝かしつけるのに張遼や貂蝉は悪戦苦闘する事になった。
董卓の怒りは言うまでもなく一時的なモノだったのだが、ここぞとばかりに董卓の身内が大騒ぎしたせいでもある。
その中心となったのが牛輔である。
董卓の後継者候補として名の挙がる牛輔だが、牛輔と呂布では同じ義理の息子と言っても若干事情が異なる。
董卓は直系の男児を早くに失い、後継者に難を抱えていた。
これまではそこに長女の婿である牛輔が君臨し、その後方に同じく娘婿の李儒が続いていたのだが、董卓が自ら養子とした呂布が入ってきた事によってその地位も安泰ではなくなっていた。
血の繋がりは無いものの、系譜の上では呂布は直系に値する事になる。
しかも武勇による実績は古今無双と評され、本人の人品にもまったく問題ないときているので、董卓本人はともかく周りの一族にとっては大きな問題だった。
そんな折りに見せた、驚く程些細な失点に対して牛輔をはじめとする一族集は大騒ぎして董卓に対し、呂布の危険性を注進していた。
まずなにより呂布には事情があったにせよ、かつての養父丁原を切って董卓の元へやって来たと言う負い目がある。
実際には呂布ではなく董卓の方から養子を提案しているのだが、その事実は董卓と呂布、あの場所にいた李儒と李粛といったごく僅かな人物達しか知らない事であったので、呂布には董卓の資産を狙う野望があると吹聴した。
また、いざ戦う事になった場合、まともに戦ってもまず勝ち目がない事は分かっているので、呂布に兵権を持たせておく事の危険性についても大袈裟に喚き散らした。
普通であれば董卓は聞く耳を持たずに一蹴する事案なのだが、身内に対して甘い董卓はそれらの意見に耳を傾けていた。
李儒や蔡邕などは小人の讒言に耳を傾ける必要などなく、むしろそれによって名将呂布を冷遇する事にこそ大きな問題があるとして、呂布の危険性をことさらあげつらう者達こそが危険であると董卓を諌めた。
この問題に関して何故か王允は無言を貫いていたが、長引いていた問題の事態を大きく変えたのが董卓の母親である悦の意見だった。
悦は今回の事に関してではなく、少なくとも李儒の知略と呂布の武勇無くして今の状況を作れたのかを考えるべきだと言い、それに対して董卓はどう応えるかで自身の器が問われている事を自覚しろ、と伝えてきた。
特に呂布を庇い立てすると言う訳では無かったものの、これによって呂布は現職復帰と自宅待機も解除となった。
その報が伝えられ、呂布は復帰の祝いとして王允邸に呼ばれる事になった。
だが、普段ならともかく、この時の呂布は気乗りしなかった。
娘の蓉が熱を出して寝込んでいるのである。
さすがに王允からの誘いとなれば断れないので足を運んだが、出来れば早々に帰宅するつもりでいた。
「どうされました、将軍。何かこちらの不手際が?」
それを見抜かれているらしく、王允は呂布に向かって心配そうに言う。
「ああ、申し訳ありません。王允殿の手厚い歓迎、不手際なんてあるはずもありません」
と、答えながらも、油断しているとすぐに溜息が口をついてしまう。
普段があまりにも元気過ぎる蓉なので少し具合が悪いくらいが丁度いい、などと初日は思っていたがすでに三日も熱が下がらずにうなされているところを見ると、呂布は自分の無力さを思い知らされる。
母の時もそうだった。
体の弱かった母を守るために強くなろうとしたが、結局母は病で死んでしまった。
今は古今無双の猛将と言う評をもらえるほどになったにも関わらず、病に苦しむ娘を助ける事さえ出来ないでいる。
一体何のために強くなろうとしていたのか。
「将軍、何か深くお悩みのご様子。太師と何かありましたかな?」
王允は心配そうに呂布に尋ねる。
「ああ、いえ、太師とは特に何も。実は娘が病で」
「ほう、あの元気なお嬢様が。それは心配ですね」
王允は何度も頷いて言う。
「将軍は医師に知り合いがいないのですか?」
「はあ、残念ながら呪い師の類には疎いモノで」
呂布は困ったように言う。
この時代の医術は占いなどと同類とみなされ、その社会的地位も占い師より下に見られていた。
純粋な武人の呂布は、そう言う類のモノを信じていなかったと言うのも大きく、その為に医師などに知り合いもいない。
妻である厳氏に基礎的な薬学の知識があったので、それに任せきりだったと言う事も医師の知り合いを作ってこなかった原因とも言える。
「王允殿には、どなたか知り合いが? 情けない上に厚かましい限りなのですが、紹介していただけないでしょうか?」
「そうですな、名医の吉平は現在都を離れていますので……。貂蝉。貂蝉はおらぬか?」
「はい、義父上」
貂蝉が料理の大盆を持って、すり足でやって来ながら答える。
何かと手一杯に荷物を持ちたがる少女である。
「将軍、この娘は私の養女である貂蝉と言うのですが……」
「呂布将軍、こんばんは」
貂蝉は料理の大盆を呂布の前において、頭を下げる。
「どんどん持ってきますから、たくさん食べて下さいね」
「いや、こんなには食えないよ」
満面の笑顔の貂蝉に、呂布は苦笑いする。
「おや、将軍はこの娘と面識がありましたか」
「はあ、この前ちょっと」
「その節はお世話になりました」
王允は親しげに話す貂蝉と呂布を、交互に見る。
「二人が知り合いなら、話は早い。この娘には妓楼の技を教え込んでおりまして、医術に関しては名医と名高い吉平からも筋が良いと褒められております。もしかするとこの娘が何か将軍のお役に立てるかもしれません」
「ふえ? 何事ですか?」
ここまでの会話の流れを知らないままの貂蝉は、突然自分に話題が及んだ事に驚いている。
「実はのう、貂蝉。呂布将軍のご息女が病なのらしいのだ」
「え? 蓉様が?」
貂蝉はただでさえ大きな目を見開いている。
貂蝉は蓉を様付けで呼んでいるが、本来であればこちらの方が貂蝉を様付けで呼ばないといけない立場である。
が、蓉は貂蝉の事を『姉ちゃん』と呼んでいた。
貂蝉にしても蓉を妹のように可愛がっているので、そう呼ばれる事を受け入れている。
貂蝉は自分が王允の実子では無い事を気にしていて、自分を身分卑しい者と強く自覚しているようにも見えた。
呂布は娘の症状を貂蝉に伝えると、貂蝉は難しい表情をする。
「義父上、私が呂布将軍のお宅へ伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。将軍、よろしいでしょうか?」
「願ってもない事です。むしろこちらからよろしくお願いしたいくらいです」
呂布はそう言って、貂蝉や王允に頭を下げる。
まだ正式に将軍位を受け取ったわけではないので呂布の立場は一兵卒の身であるのだが、それでも呂布と言えば長安の誰もが知る猛将の中の猛将である。
通常であれば三公の司徒王允に対しても不遜な態度を取る事も少なくないのだが、呂布はその養女である貂蝉にまで頭を下げている。
それは異様とさえ言える光景で、王允は言葉を失っていた。
さっそく呂布は貂蝉を連れて自宅へ戻ると、厳氏や高順が看病している蓉のところへ向かう。
「奉先、もう帰ってきたのか? 随分と早いな」
高順が帰ってきた呂布に向かって言う。
「娘の事が気になって、せっかくの王允殿が用意してくれたご馳走の味も分からなかった」
「……その割には、新しい女を連れてきてるじゃないか。何者だ?」
高順は呂布の後ろに続く貂蝉を睨む様に見る。
強面の高順に睨まれたら普通の年頃の少女であれば怯えるところだが、貂蝉は生真面目に頭を下げる。
「貂蝉と申します。よろしくお願いします」
「お? あ、お、おう」
機先を制された形になった高順は、つられて頭を下げる。
「高順、失礼な事はするなよ。このお方は王允殿の養女殿だ」
「そんな良いとこの娘さんが、こんな夜分に何の用事があってこんなところに? 側室でももらうつもりか?」
「蓉の様態を診てもらうために、来てもらったんだ。貂蝉殿は医術の心得もあると、王允殿のお墨付きだ」
「そう言う事か。それは有難い。貂蝉殿、大変失礼致した。どうか、姫をよろしくお願い申し上げる」
高順は身を正して、正式に頭を下げる。
「私も見習いの身ですが、出来うる限りの力を尽くす所存です」
貂蝉の身分もはっきりした事により、高順と呂布は貂蝉を伴って蓉のところへ向かう。
普通であれば蓉の面倒を見るのは家人の役割なのだが、とにかくやんちゃな蓉なので家人の手に余ると言う事もあり、基本的には蓉が頭の上がらない母親の厳氏や腕力で上回る高順、時々しかいないものの張遼にだけは言われた事を素直に聞き入れるのでこの三人が蓉の面倒を見ている。
ここ最近は呂布もこの中に加わっていたのだが、これまでは多忙だったのでどうしても後回しになってきた。
「香、今帰った」
「お帰りなさいませ、将軍」
「お帰り、父ちゃん」
普段早寝早起きな厳氏や蓉がこの時間まで起きている事も珍しいが、本来の出迎えであれば蓉が飛びかかってくるところだ。
それが今は弱々しく声をかけるだけに留まっている。
「こんばんは」
呂布の後ろから、貂蝉が顔を出す。
「……あれ? 姉ちゃん?」
「こんばんは。お見舞いに来たよ」
貂蝉は笑顔で言うと、厳氏に向かって深々と頭を下げる。
「私、貂蝉と申します。些かではありますが医術の心得がありまして、お嬢様の回復の為に出来る事があるかと思い、本日お邪魔させていただきました」
「え、あ、これはどうもご丁寧に」
厳氏はつられる様に頭を下げる。
「奥方様も随分とお疲れのご様子。どうか、ゆっくりお休み下さい。奥方様まで倒れられてしまっては大変ですから」
貂蝉は丁寧に言う。
「随分と育ちの良いお嬢さんだな」
高順は貂蝉を見ながら言う。
「まあ、王允様の養女なわけだから」
呂布はそう答えながら、テキパキと動く貂蝉を見ていた。
基本的に両手一杯に持ってすり足で動いている印象しかない貂蝉だったが、意外な事に必ずしも効率が悪いと言うわけではないらしい。
「将軍、お帰りなさい。ところで何事ですか?」
張遼が蓉の部屋から追い出された呂布と厳氏、高順を見つけて尋ねる。
「ああ、文遠か。都の名医見習いに娘を診てもらっているんだが、どうやら俺達はジャマみたいでな」
「はぁ? 何ですか、その失礼な奴は! 将軍を邪魔者扱いですか? しかも両親揃って部屋から追い出すってどう言う事ですか? 俺、ちょっと言ってやりますよ」
「え? いやいやいや、張遼将軍、ちょっと待って」
今にも剣を抜こうとする張遼を、厳氏が必死に引き止める。
「失礼とか、そういうのじゃなくて、こういう事は専門家にお任せするとか、そう言う事ですから」
「いや、でも妓楼の分際で将軍とその奥方に対する非礼は許せません。身の程を教えてやらないと」
「待て待て、文遠。身の程を知るべきはお前だ」
呂布が熱くなっている張遼を止める。
「お見えになられているのは、あの三公であらせられる王允様のご養女であらせられるぞ。頭が高い。控えおろう」
「高さん、何か悪いものでも拾い食いしました? この際、呂姫の病気も丸ごと貰って下さい。誰も迷惑しないですから」
「おま、言うねぇ」
高順は呆れながら張遼に言う。
しばらくして貂蝉が蓉の部屋から出てくる。
「うわっ、皆さん、ここで何してるんですか?」
「貂蝉さん、娘の様子は?」
厳氏が貂蝉の手を握って尋ねる。
「あ、は、はい。今は眠ってます」
貂蝉は目を白黒させて答える。
「何かわかりましたか? 重病だとか、そう言う事は?」
呂布も貂蝉に尋ねる。
さらに強面の高順や、いかにも将軍と言う雰囲気の張遼まで増えているので、貂蝉も困っているようだった。
「重病と言う事はありませんよ。ただの風邪で、後二日もすると熱も下がると思います。奥方様の看病の適切さもありまして、私などが出しゃばる必要もありませんでした」
貂蝉が厳氏を安心させる様に言うと、全員が安心した様に深々と息をつく。
「あ、でも、お嬢様はとにかく元気で体力もありますから、完全に治る前に動き出すかもしれませんから。そうすると、せっかく治りかけてもさらに悪化する恐れもありますから、その点だけは注意して下さい」
「それは文遠の役割だな」
高順が腕を組んで頷いている。
「……何で俺なんですか。明らかに高さんの仕事でしょ」
「俺だと言う事を聞かないから言ってるんだよ」
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