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其れは連なる環の如く
美女連環の計 5
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郿塢城近辺に集まっていた敵軍を蹴散らし、多数の捕虜を捕えての凱旋となった呂布軍は数日後に祝勝の宴を開かれた。
そこに呼ばれたのは呂布や張遼、皇甫酈といった戦勝武将達だけに留まらず、皇甫嵩や張温と言った漢の宿将、王允と言った重臣など文武百官も集められていた。
たかが賊軍を追い払ったにしては、あまりにも大仰な宴の規模に呂布は眉を寄せる。
「……何事だと思う?」
呂布は張遼に尋ねる。
「皇甫酈将軍が晴れて武勲を挙げた事を祝う……にしてはちょっと大袈裟ですよね」
「嫌な予感しかしないんだが」
「俺もです」
二人が不安がっているところに、皇甫酈がやって来る。
しかし、皇甫酈は似合わない鎧姿ではなく朝服でやって来た。
「あれ? 皇甫酈将軍、どうしたんです?」
お調子者で傲慢なところも見えていた皇甫酈にしては奇妙な姿だったので、張遼は首を傾げて尋ねる。
「いや、今回の事でさすがに僕も嫌と言うほど分かったよ。僕には呂布将軍はもちろん、文遠ほどにも軍才は無いって事が。まあ、僕に才能が無いと言うわけではないのだけど」
その口調から、いつもの皇甫酈らしさも伺える。
「ただ、才覚に乏しい者が栄達するべきではないのは僕にもわかる。そう言う意味では呂布将軍だけでなく文遠にも劣る僕は、ただ家柄だけで出世していく事になる。それがなんだか惨めに感じてね」
皇甫酈の言葉に、呂布も張遼も驚いていた。
漢で出世するには、まず何をおいても後ろ盾であり、その次には財力がモノを言う。能力の高さはさらにその後ろに回される事は、誰もが知っている。
だからこそ呂布は董卓軍最強の名声があったとしても、その将軍位では未だ中の下程度の地位であり、張遼も並外れた軍才を持ち年齢の割には考えられないほどの武勲と実績を持っているにも関わらず末席である。
武の名門中の名門、皇甫の一族でありながら皇甫酈はその名声では無く、自らの実力を持って将軍位に就こうとしていたのだ。
「それじゃ、軍師を目指すんですか?」
張遼が尋ねると、皇甫酈は眉を寄せる。
「いや、文官風情に身を落とすつもりはないよ。前線は呂布将軍や文遠に任せて、僕は首都防衛に務める」
そこは変わってないのか、と呂布は苦笑いする。
皇甫酈の中で先の戦いは呂布や張遼の戦い方が優れていたとは思っていても、そこにハメた賈詡の手腕は評価に値しないものらしい。
武官として譲れないところがある、とかそう言う事かもしれない。
しかし李傕や郭汜が敗れたほどとはいえ、先の戦いはただ集まっていた賊を追い払ったと言うだけの、兵数は多かったがここまで大々的に賞賛するようなモノでもない。
それが皇甫嵩の甥だと言う事が理由、と言うだけでは弱いのではないか。
「ふむ、よう集まったの」
例によって董卓が、李儒や皇帝を伴ってやって来る。
やはり例によって李儒の表情は冴えず、皇帝の劉協はいつも通りの無表情で玉座に座る。
特に変化らしい変化も無く、呂布と張遼、皇甫酈の三人は武勲を賞賛され報奨を得た。
多少なりとも違うところを探すとすると、張遼や皇甫酈と言う若い武将が育ってきた事は喜ばしい事であるとか、そう言う董相国からの有難いお言葉が増えた程度である。
滞りなく終了かと思ったが、もちろんそんなはずもなかった。
「これにて終了とするところだったが、今日はちょっと変わった趣向がある。ちと外に付き合ってもらえるか? 客人を待たせてある」
董卓がそんな事を言い出す。
前の時にそれで現れたのは蔡邕だったが、今回はそれどころではなかった。
宮殿の外にはいつ用意したのか、巨大な大釜が三つとその下には大量の薪によって生み出される炎。
その後ろには髠刑に処され、裸にされた男たちが並んでいる。
おそらく、郿塢城近辺の戦いによって捕らえられた捕虜達と思われる。
さらにその男達を徐栄とその部隊の者達が、槍を向けて包囲していた。
「この者達は、おろかにもこの儂に歯向い、儂の新居建設の妨害を企てた無謀な賊共である。だが、儂はこの者達がただの賊だとは思えぬ。何故か分かる者はおるか?」
董卓は文官、武官を見回す。
「なんだ、これだけの数がおって誰も何も分からぬと申すか? そなたらの頭は飾りか」
分かる分からない以前に、誰もが董卓を恐れて口を開けないでいるのだ。
「されば、閣下の新居城建設地はこの長安の者しか知らぬはず。そこへ兵を展開出来たのは、ひとえにその情報を得たから、いえ、その情報を流した者が手配した者達がそこいらの賊であるはずもなく、近辺の諸将の兵である事は明白。そう言う事でございましょうか」
そう董卓に向かって言ったのは、皇甫酈だった。
似たような事を賈詡が言っていたのだが、それをまるで自分の考えであるかのように堂々と董卓に伝える。
「うむ、正しくその通りである。皇甫の家は安泰のようだのう、義真よ」
董卓は皇甫嵩に向かって言う。
「この董卓に弓引く愚か者共よ。誰の手の者であり、誰の手引きかを答えよ。さすれば命は助けてやらんでもないぞ?」
董卓はよく通る声で、捕虜達に向かって言う。
「黙れ、逆賊董卓! 貴様の悪逆非道許すまじ! 我ら義によって貴様を成敗しようとしたにすぎぬ!」
捕虜の一人が、董卓や後ろに控える徐栄の部隊を恐れる事なく怒鳴る。
「はっはっは! よくぞ申した、気に入ったぞ」
董卓は手を叩いて笑う。
「徐栄よ、その男を取り押さえよ。そしてその男の両側十名ずつを釜に落とせぃ」
「御意に」
徐栄は董卓の命令に従い、捕虜の一人を槍で押さえつけるとその両側に立っていた者達を大釜の中へ叩き落とす。
釜の中には沸き立つ熱湯が入れてあったらしく、既に人が入れる様なものではないほどに煮えたぎっていた。
そこへ左右十人ずつ、合計二十人もの捕虜が叩き落とされ、断末魔の悲鳴を上げる。
その酷い仕打ちに捕虜達は暴れ始めたが、徐栄の部隊は捕虜達を叩き伏せる。
「暴れる奴に遠慮はいらん。釜に落としてやれぃ」
「董卓! 悪逆非道の畜生めが! いずれ地獄に落ちようぞ!」
「はっはっは、良いぞ良いぞ。もっと吠えて見せろ! 徐栄、さらに十人ずつ落とせぃ」
董卓は大喜びで手を叩く。
まるで気の利いた余興を楽しんでいるかのようだった。
そしてそれは、董卓の指示を受けて捕虜を大釜の中に突き落としていく徐栄にも同じ事が言えた。
「ん? なんじゃ、もう終いか? 最初の威勢はどうした?」
「殺せ! 俺を殺せ!」
槍で押さえつけられた捕虜は、血を吐く様な声で叫ぶ。
「貴様は殺さぬ。死にたければ自分で飛び込むが良い。徐栄、右端から五十人釜に落とせ」
董卓はそうやって次々と捕虜を煮えたぎる大釜の中へ落とす様に命じる。
「と、董相国、いささか酷うございませんか?」
王允が董卓に向かって言う。
「おお、そうであった」
董卓はそう言うと、大釜の方から文武官の方に向き直る。
「実はのう、先の論功の際、尚父の位階を咎められてのう。だが、儂も武勲を上げた事は事実。そこで儂は相国から太師の位に就いておる。皇帝陛下の承認も得ておる。こやつらは相国に対する反逆者ではなく、太師に対する反逆である。その罪は死罪以外に無い」
董卓は事も無げにそんな事をいう。
もしあの時に相国ではなく太師になっていたのであれば、当然新居城建築の任に当てられている賈詡も知っていたはずなのだが、賈詡はまだ董卓を相国と呼んでいた。
太師の位階に就いたと言うのも、ごくつい最近、場合によっては今この瞬間なのかもしれない。
いかに皇帝劉協であっても、董卓から脅される様に言われては気丈に振る舞う事は難しい。どれほど聡明であったとしても劉協はまだ幼く、董卓と真っ向から戦う事は出来ないのだ。
しかし、どれほど胡散臭い手段であったとしても、就いた位階はそれとして機能するものであり、ただでさえ相国の上には事実上皇帝しか無かったというのに相国の上の位に当たる太師に対する逆意をあれば、確かに死罪以外の罪科は無い。
「どうじゃ。誰の手によるものか、言いとうなってきたのではないか?」
阿鼻叫喚の地獄の中で、董卓の声だけが異様に響く。
それは轟雷の如き怒声ではなく、至って日常的な語り口であったにも関わらず、その声は全員の耳に届くほどによく通った。
「わ、我々は袁術軍だ!」
捕虜の一人がそう叫ぶ。
「ほう、袁術とな。先ほど言った者、ここへ参れ」
捕虜の一人は他の捕虜達の罵声と呪詛の言葉を浴びせられながらも、急いで董卓の元へ行く。
「徐栄、左から半分はもういらんから、釜に落としてしまえ」
ぞんざいな手つきで董卓は指示すると、徐栄は捕虜を次々と釜に落としていく。
「はっはっは! 釜から溢れるか。槍で突いて沈めてしまえぃ」
あまりの惨劇に文官の中には嘔吐する者もいる中、董卓一人がさも楽しげである。
そんな中、自らが袁術の手の者だと告白した捕虜の一人が董卓の前に跪く。
「太師」
「うむ、よくぞ勇気を持って教えてくれた。礼を言おうかのう」
「は。勿体無きお言葉」
「では、誰が袁術にこの話を持ってきたかは分かるか?」
董卓の質問に、捕虜の男は頭を下げたまま答える。
「申し訳ございません。我々はただ、言われるがままに太師の軍と戦わされました」
「よいよい。情報と言うモノはそうでなくてはならんからのう」
董卓は大きく頷く。
「ほれ、面を上げい」
董卓は捕虜の男に言う。
捕虜の男が顔を上げた時、董卓は腰に下げた七星剣を抜いて捕虜の頭に振り下ろす。
まさに一刀両断と言わんばかりに、捕虜だった男は真っ二つに切り裂かれ、男は自分の身に何が起きたのかも分からないままに絶命する。
「褒美として、苦しまずに済むようにしてやろう。太師自らの寛大な処置、有り難く思うが良い」
董卓はそう言うと、七星剣を抜いたまま文武官の方に向き直る。
「実を言うと、誰が袁術に手引きした内通者なのかは、もう知っておる。わざわざこの様な余興を見せたのは、自分達から名乗り出る事を促しておるのだ。どうだ? 自分から名乗り出てこぬか? のう、張温?」
董卓に言われ、張温は驚く。
「何をおっしゃいますやら。この私に他意があると?」
「何をうろたえておるか。何やら後暗い事でもあるのかのう?」
「とんでもない! 謂れ無き嫌疑をかけられた事に驚いているのです」
「ほほう。しばらく見ぬ内に、弁が立つようになったのう、張温よ。儂が貴様の部下だった頃は、弁舌ではなく拳でモノを言う様な猛将であったと言うのに」
董卓の言いがかりに対し、張温は腸が煮えくり返る思いなのが一目で分かるほど怒りの形相を浮かべ、手の平に爪が食い込み血も流れるほどに拳を握り締めている。
董卓は張温に擦り寄ると、張温にだけ聞こえるように囁く。
「六十前にして、若く美しい嫁をもらったそうだのう、張温。安心せい。貴様が反逆罪で死んでも、儂がその嫁を存分に飽きるまで検分してやるわい。その後、反逆者の妻であるのだから死罪にしてやるが、その前に我が将兵達にも充分に堪能させてやるとしよう。何事も独り占めはいかんからの」
「董卓! この匹夫めが!」
張温は怒りに任せて董卓に掴みかかろうとするが、董卓はその肥満体からは考えられない軽い動きでそれを躱し、さらに七星剣を振って張温の右腕を切り落とす。
「反逆者、張温。ついにその正体を現しおったか」
「黙れ、下衆め! この張温、嘘偽りなく潔白! 貴様が人の女房に目移りしてでっち上げた罪状ではないか!」
「はっはっは! これは愉快な事を言う。猛将張温と言われたお人が、事もあろうにそのような戯言をぬかすとは。これでは賊をあしらう事も出来ぬ弱小軍に成り下がると言うものよ。のう、朱儁よ」
突然自分の方に飛び火して来た為、朱儁は慌てて平伏する。
「董卓! 貴様の鬼畜の如き所業、すぐに崩壊するであろう! この世に悪の栄えた試しなし! いずれ貴様も地獄の業火に焼かれようぞ!」
「吠えろ吠えろ、無能者め。自らの無能を悔いながら死ぬがいい」
董卓はそう言うと、張温の頭を掴み、その腹部を七星剣で貫く。
「その傷ではもう助からぬが、死ぬまでにはまだまだ時を要するであろう。その無念さに免じて、この儂を罵倒する時間をくれてやる。死ぬまで罵倒し続けるが良いわ」
董卓はそう言うと、張温を投げ捨てるように放り投げる。
「董卓、末代まで呪ってくれる! 貴様だけではない、貴様の親も、子も、その一族全てを根絶やしにしてくれようぞ!」
「ふむ。それは面白い。まずは張温、貴様の親、子、親族に至るまで根絶やしにしてくれよう。儂にやろうとした事なのだから、同じ事をされても仕方があるまい?」
董卓は張温にそう言うと、両手を広げる。
「皆の者! この太師董卓の前に跪けぃ!」
轟雷の様な董卓の声に、集まった文武百官は慌てて跪く。
ただ一人、皇甫嵩だけが董卓を見たまま立ち尽くしていた。
「義真、どうした? 跪かぬのか?」
董卓は不思議そうに動こうとしない皇甫嵩に向かって尋ねるが、皇甫嵩は弱々しくうめき声を上げる張温を見下ろして溜息をつく。
「張温将軍ほどのお方が、袁術如きと手を結び、あまつさえこの新都ではなく新居城建設地などを狙うのでしょうか? とてもそうは思えないのですが」
皇甫嵩は誰に言うでもなく、そう呟く。
「義真、まだかの?」
董卓に催促され、皇甫嵩は少し考えた後に跪く。
「この皇甫嵩、齢を重ねいささか耳も遠くなりました。本日この場を持って隠居させていただきたく思います。どうか太師にはご承認の程を」
「むう。儂はその方の将器を認めておるのだが、そう言う事ならば仕方あるまい。だが、義真よ。お前の息子や甥は優秀であるのだ。安心して隠居するがよい」
董卓はそう言うと、残った捕虜の方を見る。
「徐栄よ、残りの者達は新兵の弓の訓練の的として使ってやれ。見事頭を射抜いた者にはこの儂から金一封を与えよう」
「御意に。して、この男はいかがしましょう?」
徐栄は最初からずっと取り押さえている男の処遇を尋ねる。
「その者には楽しませてもらったからのう。後日、猛牛と戦わせてみようではないか。さぞ見物になるであろう。それまで牢に入れておけ。そこで死んだら、それはそれで構わん。その時には犬の餌にしてやれ」
董卓はそう言うと高々と笑う。
ただ董卓一人が楽しんだ、血の宴だった。
そこに呼ばれたのは呂布や張遼、皇甫酈といった戦勝武将達だけに留まらず、皇甫嵩や張温と言った漢の宿将、王允と言った重臣など文武百官も集められていた。
たかが賊軍を追い払ったにしては、あまりにも大仰な宴の規模に呂布は眉を寄せる。
「……何事だと思う?」
呂布は張遼に尋ねる。
「皇甫酈将軍が晴れて武勲を挙げた事を祝う……にしてはちょっと大袈裟ですよね」
「嫌な予感しかしないんだが」
「俺もです」
二人が不安がっているところに、皇甫酈がやって来る。
しかし、皇甫酈は似合わない鎧姿ではなく朝服でやって来た。
「あれ? 皇甫酈将軍、どうしたんです?」
お調子者で傲慢なところも見えていた皇甫酈にしては奇妙な姿だったので、張遼は首を傾げて尋ねる。
「いや、今回の事でさすがに僕も嫌と言うほど分かったよ。僕には呂布将軍はもちろん、文遠ほどにも軍才は無いって事が。まあ、僕に才能が無いと言うわけではないのだけど」
その口調から、いつもの皇甫酈らしさも伺える。
「ただ、才覚に乏しい者が栄達するべきではないのは僕にもわかる。そう言う意味では呂布将軍だけでなく文遠にも劣る僕は、ただ家柄だけで出世していく事になる。それがなんだか惨めに感じてね」
皇甫酈の言葉に、呂布も張遼も驚いていた。
漢で出世するには、まず何をおいても後ろ盾であり、その次には財力がモノを言う。能力の高さはさらにその後ろに回される事は、誰もが知っている。
だからこそ呂布は董卓軍最強の名声があったとしても、その将軍位では未だ中の下程度の地位であり、張遼も並外れた軍才を持ち年齢の割には考えられないほどの武勲と実績を持っているにも関わらず末席である。
武の名門中の名門、皇甫の一族でありながら皇甫酈はその名声では無く、自らの実力を持って将軍位に就こうとしていたのだ。
「それじゃ、軍師を目指すんですか?」
張遼が尋ねると、皇甫酈は眉を寄せる。
「いや、文官風情に身を落とすつもりはないよ。前線は呂布将軍や文遠に任せて、僕は首都防衛に務める」
そこは変わってないのか、と呂布は苦笑いする。
皇甫酈の中で先の戦いは呂布や張遼の戦い方が優れていたとは思っていても、そこにハメた賈詡の手腕は評価に値しないものらしい。
武官として譲れないところがある、とかそう言う事かもしれない。
しかし李傕や郭汜が敗れたほどとはいえ、先の戦いはただ集まっていた賊を追い払ったと言うだけの、兵数は多かったがここまで大々的に賞賛するようなモノでもない。
それが皇甫嵩の甥だと言う事が理由、と言うだけでは弱いのではないか。
「ふむ、よう集まったの」
例によって董卓が、李儒や皇帝を伴ってやって来る。
やはり例によって李儒の表情は冴えず、皇帝の劉協はいつも通りの無表情で玉座に座る。
特に変化らしい変化も無く、呂布と張遼、皇甫酈の三人は武勲を賞賛され報奨を得た。
多少なりとも違うところを探すとすると、張遼や皇甫酈と言う若い武将が育ってきた事は喜ばしい事であるとか、そう言う董相国からの有難いお言葉が増えた程度である。
滞りなく終了かと思ったが、もちろんそんなはずもなかった。
「これにて終了とするところだったが、今日はちょっと変わった趣向がある。ちと外に付き合ってもらえるか? 客人を待たせてある」
董卓がそんな事を言い出す。
前の時にそれで現れたのは蔡邕だったが、今回はそれどころではなかった。
宮殿の外にはいつ用意したのか、巨大な大釜が三つとその下には大量の薪によって生み出される炎。
その後ろには髠刑に処され、裸にされた男たちが並んでいる。
おそらく、郿塢城近辺の戦いによって捕らえられた捕虜達と思われる。
さらにその男達を徐栄とその部隊の者達が、槍を向けて包囲していた。
「この者達は、おろかにもこの儂に歯向い、儂の新居建設の妨害を企てた無謀な賊共である。だが、儂はこの者達がただの賊だとは思えぬ。何故か分かる者はおるか?」
董卓は文官、武官を見回す。
「なんだ、これだけの数がおって誰も何も分からぬと申すか? そなたらの頭は飾りか」
分かる分からない以前に、誰もが董卓を恐れて口を開けないでいるのだ。
「されば、閣下の新居城建設地はこの長安の者しか知らぬはず。そこへ兵を展開出来たのは、ひとえにその情報を得たから、いえ、その情報を流した者が手配した者達がそこいらの賊であるはずもなく、近辺の諸将の兵である事は明白。そう言う事でございましょうか」
そう董卓に向かって言ったのは、皇甫酈だった。
似たような事を賈詡が言っていたのだが、それをまるで自分の考えであるかのように堂々と董卓に伝える。
「うむ、正しくその通りである。皇甫の家は安泰のようだのう、義真よ」
董卓は皇甫嵩に向かって言う。
「この董卓に弓引く愚か者共よ。誰の手の者であり、誰の手引きかを答えよ。さすれば命は助けてやらんでもないぞ?」
董卓はよく通る声で、捕虜達に向かって言う。
「黙れ、逆賊董卓! 貴様の悪逆非道許すまじ! 我ら義によって貴様を成敗しようとしたにすぎぬ!」
捕虜の一人が、董卓や後ろに控える徐栄の部隊を恐れる事なく怒鳴る。
「はっはっは! よくぞ申した、気に入ったぞ」
董卓は手を叩いて笑う。
「徐栄よ、その男を取り押さえよ。そしてその男の両側十名ずつを釜に落とせぃ」
「御意に」
徐栄は董卓の命令に従い、捕虜の一人を槍で押さえつけるとその両側に立っていた者達を大釜の中へ叩き落とす。
釜の中には沸き立つ熱湯が入れてあったらしく、既に人が入れる様なものではないほどに煮えたぎっていた。
そこへ左右十人ずつ、合計二十人もの捕虜が叩き落とされ、断末魔の悲鳴を上げる。
その酷い仕打ちに捕虜達は暴れ始めたが、徐栄の部隊は捕虜達を叩き伏せる。
「暴れる奴に遠慮はいらん。釜に落としてやれぃ」
「董卓! 悪逆非道の畜生めが! いずれ地獄に落ちようぞ!」
「はっはっは、良いぞ良いぞ。もっと吠えて見せろ! 徐栄、さらに十人ずつ落とせぃ」
董卓は大喜びで手を叩く。
まるで気の利いた余興を楽しんでいるかのようだった。
そしてそれは、董卓の指示を受けて捕虜を大釜の中に突き落としていく徐栄にも同じ事が言えた。
「ん? なんじゃ、もう終いか? 最初の威勢はどうした?」
「殺せ! 俺を殺せ!」
槍で押さえつけられた捕虜は、血を吐く様な声で叫ぶ。
「貴様は殺さぬ。死にたければ自分で飛び込むが良い。徐栄、右端から五十人釜に落とせ」
董卓はそうやって次々と捕虜を煮えたぎる大釜の中へ落とす様に命じる。
「と、董相国、いささか酷うございませんか?」
王允が董卓に向かって言う。
「おお、そうであった」
董卓はそう言うと、大釜の方から文武官の方に向き直る。
「実はのう、先の論功の際、尚父の位階を咎められてのう。だが、儂も武勲を上げた事は事実。そこで儂は相国から太師の位に就いておる。皇帝陛下の承認も得ておる。こやつらは相国に対する反逆者ではなく、太師に対する反逆である。その罪は死罪以外に無い」
董卓は事も無げにそんな事をいう。
もしあの時に相国ではなく太師になっていたのであれば、当然新居城建築の任に当てられている賈詡も知っていたはずなのだが、賈詡はまだ董卓を相国と呼んでいた。
太師の位階に就いたと言うのも、ごくつい最近、場合によっては今この瞬間なのかもしれない。
いかに皇帝劉協であっても、董卓から脅される様に言われては気丈に振る舞う事は難しい。どれほど聡明であったとしても劉協はまだ幼く、董卓と真っ向から戦う事は出来ないのだ。
しかし、どれほど胡散臭い手段であったとしても、就いた位階はそれとして機能するものであり、ただでさえ相国の上には事実上皇帝しか無かったというのに相国の上の位に当たる太師に対する逆意をあれば、確かに死罪以外の罪科は無い。
「どうじゃ。誰の手によるものか、言いとうなってきたのではないか?」
阿鼻叫喚の地獄の中で、董卓の声だけが異様に響く。
それは轟雷の如き怒声ではなく、至って日常的な語り口であったにも関わらず、その声は全員の耳に届くほどによく通った。
「わ、我々は袁術軍だ!」
捕虜の一人がそう叫ぶ。
「ほう、袁術とな。先ほど言った者、ここへ参れ」
捕虜の一人は他の捕虜達の罵声と呪詛の言葉を浴びせられながらも、急いで董卓の元へ行く。
「徐栄、左から半分はもういらんから、釜に落としてしまえ」
ぞんざいな手つきで董卓は指示すると、徐栄は捕虜を次々と釜に落としていく。
「はっはっは! 釜から溢れるか。槍で突いて沈めてしまえぃ」
あまりの惨劇に文官の中には嘔吐する者もいる中、董卓一人がさも楽しげである。
そんな中、自らが袁術の手の者だと告白した捕虜の一人が董卓の前に跪く。
「太師」
「うむ、よくぞ勇気を持って教えてくれた。礼を言おうかのう」
「は。勿体無きお言葉」
「では、誰が袁術にこの話を持ってきたかは分かるか?」
董卓の質問に、捕虜の男は頭を下げたまま答える。
「申し訳ございません。我々はただ、言われるがままに太師の軍と戦わされました」
「よいよい。情報と言うモノはそうでなくてはならんからのう」
董卓は大きく頷く。
「ほれ、面を上げい」
董卓は捕虜の男に言う。
捕虜の男が顔を上げた時、董卓は腰に下げた七星剣を抜いて捕虜の頭に振り下ろす。
まさに一刀両断と言わんばかりに、捕虜だった男は真っ二つに切り裂かれ、男は自分の身に何が起きたのかも分からないままに絶命する。
「褒美として、苦しまずに済むようにしてやろう。太師自らの寛大な処置、有り難く思うが良い」
董卓はそう言うと、七星剣を抜いたまま文武官の方に向き直る。
「実を言うと、誰が袁術に手引きした内通者なのかは、もう知っておる。わざわざこの様な余興を見せたのは、自分達から名乗り出る事を促しておるのだ。どうだ? 自分から名乗り出てこぬか? のう、張温?」
董卓に言われ、張温は驚く。
「何をおっしゃいますやら。この私に他意があると?」
「何をうろたえておるか。何やら後暗い事でもあるのかのう?」
「とんでもない! 謂れ無き嫌疑をかけられた事に驚いているのです」
「ほほう。しばらく見ぬ内に、弁が立つようになったのう、張温よ。儂が貴様の部下だった頃は、弁舌ではなく拳でモノを言う様な猛将であったと言うのに」
董卓の言いがかりに対し、張温は腸が煮えくり返る思いなのが一目で分かるほど怒りの形相を浮かべ、手の平に爪が食い込み血も流れるほどに拳を握り締めている。
董卓は張温に擦り寄ると、張温にだけ聞こえるように囁く。
「六十前にして、若く美しい嫁をもらったそうだのう、張温。安心せい。貴様が反逆罪で死んでも、儂がその嫁を存分に飽きるまで検分してやるわい。その後、反逆者の妻であるのだから死罪にしてやるが、その前に我が将兵達にも充分に堪能させてやるとしよう。何事も独り占めはいかんからの」
「董卓! この匹夫めが!」
張温は怒りに任せて董卓に掴みかかろうとするが、董卓はその肥満体からは考えられない軽い動きでそれを躱し、さらに七星剣を振って張温の右腕を切り落とす。
「反逆者、張温。ついにその正体を現しおったか」
「黙れ、下衆め! この張温、嘘偽りなく潔白! 貴様が人の女房に目移りしてでっち上げた罪状ではないか!」
「はっはっは! これは愉快な事を言う。猛将張温と言われたお人が、事もあろうにそのような戯言をぬかすとは。これでは賊をあしらう事も出来ぬ弱小軍に成り下がると言うものよ。のう、朱儁よ」
突然自分の方に飛び火して来た為、朱儁は慌てて平伏する。
「董卓! 貴様の鬼畜の如き所業、すぐに崩壊するであろう! この世に悪の栄えた試しなし! いずれ貴様も地獄の業火に焼かれようぞ!」
「吠えろ吠えろ、無能者め。自らの無能を悔いながら死ぬがいい」
董卓はそう言うと、張温の頭を掴み、その腹部を七星剣で貫く。
「その傷ではもう助からぬが、死ぬまでにはまだまだ時を要するであろう。その無念さに免じて、この儂を罵倒する時間をくれてやる。死ぬまで罵倒し続けるが良いわ」
董卓はそう言うと、張温を投げ捨てるように放り投げる。
「董卓、末代まで呪ってくれる! 貴様だけではない、貴様の親も、子も、その一族全てを根絶やしにしてくれようぞ!」
「ふむ。それは面白い。まずは張温、貴様の親、子、親族に至るまで根絶やしにしてくれよう。儂にやろうとした事なのだから、同じ事をされても仕方があるまい?」
董卓は張温にそう言うと、両手を広げる。
「皆の者! この太師董卓の前に跪けぃ!」
轟雷の様な董卓の声に、集まった文武百官は慌てて跪く。
ただ一人、皇甫嵩だけが董卓を見たまま立ち尽くしていた。
「義真、どうした? 跪かぬのか?」
董卓は不思議そうに動こうとしない皇甫嵩に向かって尋ねるが、皇甫嵩は弱々しくうめき声を上げる張温を見下ろして溜息をつく。
「張温将軍ほどのお方が、袁術如きと手を結び、あまつさえこの新都ではなく新居城建設地などを狙うのでしょうか? とてもそうは思えないのですが」
皇甫嵩は誰に言うでもなく、そう呟く。
「義真、まだかの?」
董卓に催促され、皇甫嵩は少し考えた後に跪く。
「この皇甫嵩、齢を重ねいささか耳も遠くなりました。本日この場を持って隠居させていただきたく思います。どうか太師にはご承認の程を」
「むう。儂はその方の将器を認めておるのだが、そう言う事ならば仕方あるまい。だが、義真よ。お前の息子や甥は優秀であるのだ。安心して隠居するがよい」
董卓はそう言うと、残った捕虜の方を見る。
「徐栄よ、残りの者達は新兵の弓の訓練の的として使ってやれ。見事頭を射抜いた者にはこの儂から金一封を与えよう」
「御意に。して、この男はいかがしましょう?」
徐栄は最初からずっと取り押さえている男の処遇を尋ねる。
「その者には楽しませてもらったからのう。後日、猛牛と戦わせてみようではないか。さぞ見物になるであろう。それまで牢に入れておけ。そこで死んだら、それはそれで構わん。その時には犬の餌にしてやれ」
董卓はそう言うと高々と笑う。
ただ董卓一人が楽しんだ、血の宴だった。
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