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洛陽動乱

陽人の戦い ~汜水関~ 4

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「呂布将軍は、あまりにも悪意や嫉妬に対して無警戒過ぎるな」

 華雄は高順に向かって言う。

「それは長らく言い続けている事なんだが」

「だろうな」

 華雄と高順は、お互いに溜息をつく。

 武人であれば、呂布奉先の近くにいると嫌でも嫉妬してしまう。

 この際その恵まれた外見の事は置くにしても、卓越した戦闘技術、驚異的な集中力から放たれる閃光の如き弓術、別の生き物を乗りこなしていると言う次元の話ではない馬術など、どれか一つでも十分なはずのところを全て持ち合わせているのだ。

 その代わりと言ってはなんだが、技術や身体能力は徹底的に猛将であるにも関わらず、考え方や内面は絶望的なほど欠落してしまっている。

 あまりにも戦う事に対する意識が低すぎるのだ。

 それは人として考えればまっとうなのだが、武将である以上短所でしかない。

 まして人並み外れた実力者であるせいか、呂布は他者から見た自分と言うモノをまったく意識していない。

 そのせいで嫉妬に対して無頓着なのだが、それは以前黄巾の乱の際に妻である厳氏さえも危険に晒す事になった。

 呂布はその事を忘れてしまったのか、考えていないのか、相変わらずの無頓着振りである。

 ついでに言えば厳氏もそう言う事に無頓着なせいで、二人して都では嫉妬の渦の中にいると言うのにのほほんと毎日を過ごしている。

「アレは欠点なんだよな、呂布将軍の」

「いや、それは俺も分かっているんだが、本人がそれを意識していないから治しようがないんだ」

「まぁ、そうだろうな」

 高順が苦笑いして答えたのに対し、華雄も同じように苦笑いする。

 言葉で言って改善されるのなら、呂布奉先の名は今以上に鳴り響いているだろう。

 場合によっては今の董卓の世も、呂布の天下になっていたかもしれない。

 が、そうはなっていない。

 それどころか、呂布の性格が温厚に過ぎる為、どうしても警戒と言う面では緩くなってしまう。

 華雄も高順もその事を知っているので、今回の様な警戒は自分達の役割だと思っている。

 本来であれば胡軫の役割なのだが、胡軫は呂布とは真逆で嫉妬心の塊の様な人物なので、ぶっちゃけ役に立たない。

 李儒は何を考えてこんな人選にしたのか華雄などには疑問なのだが、高順や張遼からすると呂布が指揮を取るのであれば、周りの人物は誰でも一緒だと思っていた。

「確かにそりゃそうか」

 華雄は笑って言うが、その後に表情を引き締めて高順を見る。

「だが、それではダメだ。特に呂布将軍は損得勘定に無関心過ぎる。丁原如きに扱える武将じゃ無い事は俺もわかるが、だが親殺しは呂布将軍が背負うべきではない悪名だった。本来であれば、お前達のところで止めるべきだった」

「それは耳が痛いな。もっと前に俺が丁原を切っておくべきだったんだが」

「いやいや、それは極端だ。仮にも漢の武将で太守であった丁原をぶった切るには、それ相応の理由が必要だろう」

 華雄はそう言った後、大きく溜息じみた息を吐く。

「呂布将軍を戦場で討ち取る事など不可能だろう。だが、それでも呂布将軍には致命的な弱点がある。高順はそれを守っているんだよな」

 高順が説明するまでもなく、華雄はわかっていた。

 若き武神や飛将軍と称される呂布は、その異名と比べて何ら遜色の無い脅威的な戦闘能力を持っている。

 しかも胡軫の様に一騎討ちの、個の力に限った事ではない。

 呂布が率いれば子供や老人の様な非戦闘員であったとしても、精強を誇る董卓軍を蹂躙する事も出来ると思われるほど、集団戦にも強い。

 本人が天下最強の武将を名乗ったとしても、戦場の彼を知る者であればそれを否定する者はいない。

 そんな呂布には、驚く程分かり易い弱点がいくつかある。

 まずはその温厚でお人好しな性格は、騙されやすい事この上ない。戦場であれば天変地異並の策でもない限り、呂布は力で策を粉砕出来るのだが、戦場から離れると善良な一市民である。

 口先だけの小物である李粛に良い様に使われていると言うのも、呂布の悪く言えば思慮の浅さによるところだった。

 そして、同じく善良な妻も呂布の弱点になりうる。

 見た目には冷酷無比な美女に見える厳氏だが、実は呂布に輪をかけた純朴な性格で、とことん争い事に向いていない。

 騙されやすいと言うのであれば、それも呂布以上である。

 まだ十歳にもならない娘に両親を守る為に駆け引きを身につけろ、と言うのも無理な話なので、高順が呂布の家族を守っていた。

 その家族にもよるかも知れないが、呂布の最大の弱点はその情の深さである。

 家族に限らず、配下の武将に対しても、兵の一人一人に対してさえその情の深さを見せている。

 人としても魅力ではあったとしても、非情を要求される事のある立場にあって、それは未練であり致命的な弱点になりかねない。

 漢を興した高祖劉邦と、秦を滅ぼした楚の大将である項羽の差としても語られる事がある将としての資質。

 高祖劉邦は傲慢で人を侮る傾向にあり、項羽は深い情愛の人であったと言う。

 しかし、覇王と呼ばれる戦場では無敵の存在だった項羽は、時に非情だった劉邦の前に敗れ去っている。

 もちろん情だけの問題ではないのだが、董卓も身内に対しての情は深い。

 それにも関わらず恨みを抱かれている人物であるのだから、それが呂布の末路であってもおかしくはないのだ。

 そうならないよう、高順は自分の功績より呂布の家族の警護を引き受けている。

 呂布には戦場に集中してもらうのが、もっとも本人の為なのだ。

 それに華雄も気付いているらしい。

「この連合軍を追い散らしたら、俺も呂布軍に編入してもらえるよう軍師には伝えてある。戦場の事はこの華雄が盾になる。俺も呂布将軍が天下に飛翔する姿を見てみたい」

 そう言う華雄に、高順は驚いた。

「華雄将軍なら、董卓軍でも栄達が望めるはず。何ゆえに奉先の下風に立つと?」

「自分より優れた人物が上に立つ。その事の何処に妬む必要がある?」

 華雄は不思議そうに首を傾げる。

 華雄と言う人物は、見た目には魔獣の如きでありとても尋常な人には見えないのだが、その内実も良い意味で獣の様に純粋なところがあった。

 自らの力を知り、それより劣る者には容赦はしないものの、それを上回る者へ頭を垂れる事を厭わない。

 世の中の道理と言うものをよく理解している。

 自らを誇示したがる胡軫や徐栄の様な董卓軍の武将に見られる特徴が薄いので、軍師である李儒も重宝していたのもよく分かる武将であった。

 とはいえ、今の状況は未来の話を楽しく出来る様な気楽な状況ではない。

 反董卓連合は大軍であり、守備側が有利とは言ってもそれだけで楽観出来る様な数量差ではなく、気を抜くと一気に飲み込まれる恐れがある。

「華雄か」

 歩哨に出ていた趙岑が、華雄と高順に気付いて声をかける。

「ちょうど良かった」

「何だ、探していたのか? 何かあったか?」

 趙岑は董卓軍の中では、珍しく細心な男である。

 董卓軍内では『事務屋』などと蔑まれたりもするが、今回は華雄が指名して参加する事になった。

 マメな性格の趙岑は相手の動きに対して敏感で、その都度報告してくれる。

 時に煩わしくもあるのだが、今回の様な戦いでは胡軫の様な腕自慢より重要な配置となる人物でもあった。

「アレを見ろ。どう思う?」

 趙岑が指差す方向には、夜の闇に紛れて動く部隊があった。

「鮑信軍の抜け駆けか。やはり来たな」

「どうするのだ、華雄」

 趙岑は華雄に向かって言う。

 形の上では、趙岑の方が董卓軍では先輩に当たるのだが、いざ戦闘が始まるとさすがに華雄ほどの武勇が無い事は知っている。

「もちろん、迎え撃つ。面倒な事になる前にカタをつける」

「だったら華雄将軍、こちらから打って出よう」

 高順が言うと、華雄も趙岑も高順を疑う様な目で見る。

「夜襲に対して門を開いて迎え撃つのは、あまりにも危険だ。それは賛同出来ない」

「いや、門からは出ない」

 高順はそう言うと、こちらに気付かれているとは知らずに行軍している鮑信軍を指差す。

「我々はあえて気付かないフリをして、敵を引きつける。あの数であれば門を突破する事が目的ではなく、門の破壊が目的じゃないかと思う。おそらくこっそりと城壁に取り付くつもりだろうから、俺と趙岑将軍は上で待ち構える。出来れば趙岑将軍には華雄将軍のフリをしてもらって、いかにも華雄将軍がここにいるように見せて欲しい。その間に華雄将軍には別のところから縄梯子か何かで外に降りてもらって、我らが追い払った鮑信軍の背後から叩きのめす。いかがですか?」

「面白い手だ。さっそくやろう。趙岑、着込んで大きく見せれば俺に見える。来る場所が分かれば守勢の戦いであんたを上回れるのは、そういない。返り討ちにしてやろう」

「言われるまでもない」

 いつもは小心者の趙岑も、華雄に乗せられて気をよくしているようだ。

 少数による奇襲では、見つからない事が絶対条件であり、見つかった場合には万に一つの成功も有り得なくなる。

 見つかった事を知らない鮑信軍は城壁に梯子を掛けると、こっそり登り始める。

 夜目の効く者を集めた部隊らしく、松明などの明かりも持たずにやって来るのだが、その様な者が多いはずもなく、先駆けに多くそう言う能力の者を集め、後続は一般的な兵士であった。

 その先駆けの一隊が登りきったところを見計らって、高順は合図を送り一斉に明かりをつける。

「わざわざ殺されにくるとは、夜分ご苦労な事だ」

 明かりの前に立つ華雄に扮した趙岑は、重々しく言う。

 後光が差しているかのような演出ではあるのだが、こうする事によって趙岑は完全に影になる為、正体がバレにくいのだ。

 完全に苦し紛れの策なのだが、鮑信の奇襲部隊の動揺を見る限りでは大当たりだったらしい。

「やれ、皆殺しだ」

 華雄に扮する趙岑は、それっぽい大刀を振ると隠れていた守備兵達が一斉に姿を現して奇襲部隊に矢を射掛ける。

 一気に混乱の淵に叩き落とすと、そこから立て直す隙を与えず高順率いる抜刀隊が鮑信奇襲部隊に斬りかかる。

 一気に制圧すると、高順達は城壁にかかった梯子を切り離す。

 先遣隊と城壁にかかった梯子を失った以上、奇襲には失敗したと判断した鮑信軍は撤退しようとしていたが、その背後から音もなく近づいていた華雄軍が襲いかかる。

 さらに城壁からも矢を放ち、鮑信軍は三千の兵と鮑信の弟である武将、鮑忠ほうちゅうを失う結果となった。

 この戦いで董卓軍に損害は無く、華雄と趙岑の名を上げる事になり、二人の主将であるはずの胡軫は初戦での武勲を上げる事が出来ず徐栄から散々嫌味を言われた。

 それが胡軫の焦りに繋がったのは、言うまでもない事である。
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