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若き武神

魔王の到来 3

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「あの二人が誰か知っていますか?」

 李儒は、皇帝の世話などをしている女官に尋ねる。

 と言っても、彼女は宮廷の人物ではなく、十常侍から皇帝を救出した時に近くの農村から一緒に来てもらった女性である。

 宮廷の女官と比べると洗練されているとは言えないが、身の回りの世話と市井の噂に関しては宮廷の女官を上回る事も多い。

「どちらの方ですか?」

 董卓軍中で最も粗暴さの薄い李儒なので、女官も安心感を覚えているらしく、態度も固くない。

「あの、赤い鎧の男と、その隣の背の高い色男の二人」

「あ、私が知ってますよ」

 と、別の女官が話に参加してくる。

 今の李儒は皇帝の馬車の後方で、董卓からも少し離れている。

 目立ちたがりの董卓軍の武将は前方で功を誇る者が多く、後方の重要性をよく知っている華雄がいるくらいだ。

 華雄も見た目には人間離れしているので怖いのだが、戦場でもない限り暴れる事は無いので、皇帝の面倒を見ている女官達も都に戻って来た事もあって、安心しているみたいだ。

「あの赤い鎧の人が、曹操孟徳様ですよ。西園八校尉にも任じられた方です。でも、もう一人の将軍は分かりません。あれだけ良い男だと、宮廷でも話には上がってるはずだったんですけど」

 宮中の女官が言っている通り、評価の高い人物や評判の良い人物、見栄えする人物などは女官達にとっても死活問題になり得る情報なので、活発に噂が飛び交っている。

 大人物に早くに目を掛けられる事こそ、彼女達の戦いと言えるのだ。

 その彼女らが知らないと言う事は、今回の何進の呼びかけに応じて都に来た人物かもしれない、と李儒は考えたが、すぐに首を振る。

 そんな外様が都の将軍である曹操と警備をしているだろうか。

 もし都の武将であれば、今回の騒ぎに外部の人間を参加させたくはないはずだ。李儒であれば内々に処理したいと思う。

 そうでなければ、今回の董卓軍のように手柄をかっさらっていく者が現れてしまう。

 李儒は警備の指揮官と思われる武将を見る。

 野心家である李儒は、都で知己を得ようと短期間だったが活動した事もある。

 現在の司徒である王允と知り合ったのもその時だが、指揮官と思われる人物の中に李儒も知っている武将を見つける事が出来た。

 黄巾の乱以降、何進の右腕として出世していった袁紹本初である。

 若手武将の中でも極めて有能と言われる、曹操孟徳の名前も聞いている。

 その二人が出張ってきたと言う事は、そうせざるを得ない何かが起きて、十常侍に誘拐された皇帝を探索する事にも遅れを取るほどの何かが起きたのだろう。

 例えば、大将軍暗殺。

 十常侍と大将軍の権力闘争は知らない者がいないくらいだ。

 何進を暗殺に成功した十常侍だったが、その護衛である袁紹と曹操の説得に失敗。その二人の率いる近衛隊が殺到してくる前に、幼い皇帝を連れて宮廷を脱出した。

 そう考えれば、董卓軍が皇帝を確保した時の状況にも説明は付く。

 だとすると、女官達が知らないと言っていたのは本来の警備兵を率いる立場の者かもしれないが、それこそ宮廷の人物がその警備責任者の事を知らないのは納得出来ない。

 いや、そうとも言い切れないか、と李儒は考え直す。

 十常侍にしても何進にしても、能力の優劣ではなく人の好き嫌いを優先して官位を与える傾向が非常に強い。

 その為役職であっても簡単に変えられるし、気に入った人材がいなかった場合には重職であったとしても空位になる事は、さほど珍しい事ではない。

 つまり、女官達が知らなかった将は、新任の可能性がある。

 何進か十常侍にかは知らないが、とりあえず気に入られたか、無視出来ない武功を上げたかのどちらかを最近になって評価された、と言うところだろう。

 そんな者がいれば、だが。

 そう思って李儒は女官に、別の方向から切り込む事にした。

 それは新任者の情報である。

 女官達にとって将来有望な武将の情報が重要かつ有用なので、新任者の情報の速さなどは軍師達でも舌を巻くほどだ。

 が、さすがにその深さや重要さは軍師のそれとは違うので、情報が廃れるのも著しく早い。

「新任者と言えば、つい最近誰か来たと聞きましたけど。確か南の荊州から……」

「荊州?」

 李儒は女官の話に、一人思い浮かぶ人物がいた。

 黄巾の乱のおり、嫌でも名前が上がり聞き及ぶ名が三人いた。

 一人は黄巾の大軍と兵糧基地を漢軍ごと焼き払ったと言われ、黄巾軍に致命的一撃を加えた曹操孟徳。

 一人は義勇兵を率い、各地を転戦。戦線崩壊間際だった漢軍を支え、黄巾の三将軍の一人、地公将軍張宝を討ち取ったと言う劉備りゅうび玄徳げんとく

 そしてもう一人が、本来漢軍との激戦に参加するはずだった十万の黄巾軍の足を止め、黄巾の連携を寸断する事に成功させた荊州の若き武神、呂布奉先である。

 曹操だけは正しく武功を評価されているが、義勇軍であり正規軍で無かった劉備はその武勲に見合わない小さな官職を与えられただけであり、呂布に至ってはそんな戦闘など無かった事にされていた。

 しかし、人の口に戸は立てられないものだ。

 陰ながらであっても、それだけの事をやったと言われる呂布を無視できなかった上役達は、荊州太守丁原を中央に呼び、新任の執金吾に命じたと言う。

 しかし、丁原自身は何進派の人間で、しかも無骨者。十常侍とは折り合いがつかず、執金吾就任にあたって十常侍と一悶着あり、朱儁や皇甫嵩といった将軍がとりなした為大事には至らなかったものの、その後に警備兵をまとめる時に混乱を招き、結局董卓軍に介入を許すハメになった。

 と、言う事を女官からの話で知った李儒は、曹操の隣に立っている若い武将が呂布、袁紹と一緒にいる歳の離れた武将が丁原だろうと予想した。

 恐るべきはここまでの手引きを行った王允だ、と李儒は周りを見ながら思う。

 王允は漢王朝の忠臣であり、三公の司徒でもある重臣である。

 彼は彼なりに漢王朝の行く末を憂いていた。

 特に十常侍と外戚による専横は目にあまり、今回の何進の短慮と十常侍の暴挙は千載一遇の好機であり、それに董卓を選んだ。

 若かりし頃の董卓を知ると言う王允なので、その武勇と機転の早さ、さらには欲深さも充分承知していたが、それを御しやすいと思っていての事だろう。

 だが、王允は自身の優秀さを誇るあまり、他者を過小評価しているところがある。

 それは董卓に対しても、李儒に対しても言える事だ。

 王允が簡単に考えるほど、事態は軽いものではない。

 董卓の率いる西涼軍は漢軍とは違い、飢えた獣である。

 食物に飢え、血に飢え、女に飢えている。

 それを宮中に招き入れたのだから、適当な官職を割り振って小銭を渡して終わりと言うほど簡単にはいかない。

 それに策士王允の事だ。今回の事で皇帝を手中に収めた後は、確実に董卓軍は厄介払いされる事になる。

 李儒は悩みながら、前方の何の悩みもなさそうな満足顔を浮かべている董卓を見る。

 極論すれば、李儒にとって董卓がどうなっても知った事ではないのだが、董卓の失脚はその娘婿に当たる李儒にも当然連座する。

 時として董卓には殺意すら覚える李儒であったが、今の時点で董卓や西涼軍を敵に回すのは美味しくない。

 それに今、天運は確実に董卓に向いている。

 王允よりの情報で、緊急時に十常侍が逃げる方向を教えられていた。

 上手く誘導された十常侍は、皇帝を連れて董卓軍に向かって来たと言う事になる。

 が、董卓軍が知っていたのは方向だけであり、実際に董卓軍が袁紹や曹操の手の者達から見つかる前に、皇帝の一団を見つけた事は奇跡と言っていい偶然だった。

 超の付く名門の英雄袁紹や、都でも随一の切れ者と言われる曹操の精鋭は、正規軍の精鋭さえ凌駕している。

 そんな者達の索敵網に掛からず董卓軍が近付けたのも、王允による情報操作の効果もある。

 もう一つ奇跡としか言いようの無いほど天が董卓に味方した事は、新帝である劉弁と陳留王である劉協の圧倒的な差であった。

 劉弁が皇帝として相応しい才幹の持ち主であれば、新帝を擁立する何一族を除く事は難しく、そうすると外戚による専横は未だ蔓延ることになる。

 しかし周知の通り、劉弁は短絡的で無能者のそしりを受ける何進や権力欲に取り憑かれた嫉妬の権化の何太后の血を濃く受け継ぎ、歳の割に呆れるほど無能である。

 その一方、劉協は利発で聡明、先帝である霊帝も自身の後の皇帝には劉協をと指名した器であると、比べ物にならない差があった。

 董卓軍の権勢を固める為でもあったが、李儒の基本戦略は劉協を新帝として擁立して、劉弁を始め何一族には退場してもらう事になる。

 今のところは王允も同様の考えであるため、全面的に協力してくれている。

 問題は、反勢力がどれだけ出てくるか、である。

 誰が見ても傀儡皇帝でしかない劉弁だが、それでも正式に即位した帝位であり、やましいところも後暗いところがあったとしても、それでも正式な手順に則った漢の皇帝となったのだ。

 しかもまだ若い皇帝に失着などあるはずもなく、何を理由に廃位を迫り、新帝擁立とするかは大きな問題になる。

 李儒の危惧とは関係無く、董卓軍は都へと進軍して行く。

 混乱の収集に当たっていた袁紹と曹操、さらには丁原と思われる武将達も駆けつけて董卓軍を迎えた。

「ご苦労様です」

 真紅の鎧の男、曹操が馬を降りて董卓に向かって一礼する。

 曹操と同じく袁紹ともう一人の若手達は馬から降りて一礼するが、一人董卓と同い年くらいの男は馬上から董卓を睨みつけていた。

「何進大将軍の近衛隊長をしていた袁紹です。皇帝陛下はご無事か?」

 袁紹が隊の先頭を行く董卓に向かって尋ねる。

「無事である。この董卓が責任を持って、宮廷に帰してやる。心配いらん」

「しかし……」

 食い下がろうとする袁紹だったが、それを曹操が止める。

「心配せずとも良い」

 その声は馬車の中からだった。

 馬車の中には二人の少年と数人の女官が乗っていたのだが、その中でも最年少と思える少年が馬車から出て言う。

「董卓将軍に送っていただく。諸将は引き続き都の治安回復、及び維持に務められよ」

 その少年、陳留王劉協は明朗な声で袁紹に向かって言う。

 その後劉協は、馬上にある武将を見る。

「陛下の御前である事は知っておろうが、それでも馬上か?」

 劉協は特に感情的ではなくただの確認と言う感じでの質問であったが、丁原は慌てて馬を降りる。

「貴殿は?」

「丁原建陽と申します。今は亡き何進大将軍の命により、荊州太守より執金吾を任じられました」

「丁原将軍、ご苦労。そちらは?」

「我が義理の息子、呂布奉先にございます」

 丁原の言葉に、李儒は眉を寄せる。

 そうじゃないかと予測はしたものの、それはあくまでも予測に過ぎず、実際の呂布を見るととても信じる事が出来なかったのだ。

 黄巾軍と言えば、その見た目の貧相さや農民上がりの部隊と言う事からは考えられない、破壊的な攻撃力を誇った。

 その大軍、五万とも十万とも言われる数を呂布は手勢三千程度で釘付けにしたと言う。

 見た目から華雄の様な常人離れした豪傑かと思っていたのだが、驚く程暴力の匂いのしない優男だった。

 その印象の違いから信じる事も難しいのだが、丁原が陳留王に対して紹介しているのだから、それは間違いない事なのだろう。

「両将軍共、都の治安回復に尽力していただきたい」

 陳留王劉協の王者の風格を見せつける態度に、これまで噛み付きそうだった丁原もすっかり呑まれた様子だった。

 なにしろ劉協は、見た目にも厳つい猛将董卓に対してさえ一歩も引かなかったほどであり、その時には董卓でさえ呑まれる気迫を見せたのだ。

 李儒は劉協の態度に感服しながらも、警護を取り仕切る四人の将軍を見る。

 袁紹と丁原は、おおよそ評判通りの人物であるみたいだが、曹操と呂布の二人はあまりにも印象と違った。

 都一の切れ者と称され、『治世の能臣、乱世の姦雄』と評される曹操は外見的にはまったくと言っていい程に特徴の無い地味な青年であり、『荊州の若き武神』と恐れられる呂布も戟を手に馬に乗る姿は、とても戦場の者とは思えぬ優雅さと美しさを持っている。

 あの二人の事は調べる必要がありそうだな、と李儒は勘でしかなかったがそう思っていた。

 そして、混乱の中から帝を救出した董卓は、英雄として都に迎え入れられる事になった。
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