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若き武神

荊州の若き武神 5

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「高順、そろそろ観念してウチの将位につけよ」

「断る!」

 高順は頑なな態度で答える。

 まだ若いのだが、それでも張遼も一軍の将である。

 現時点では呂布に次ぐ猛将の高順なので、張遼も再三説得しているのだが、高順は決して首を縦に振る事はない。

 ついに本格化した黄巾の乱制圧のため、都である洛陽では何進が大将軍に任じられ、黄巾討伐軍を出陣させた。

 何進とは、元は肉屋をやっていたと言う人物だが、美しい妹と自身の政治的感覚によって上り詰めた人物であり、丁原も直臣だった事もある。

 しかし軍才に優れる訳でも、特別な武功や軍功のある人物ではなく皇后にまでなった妹の鶴の一声なので、実際の戦闘は朱儁しゅしゅん盧植ろしょく皇甫嵩こうほすうと言った面々が中心になるのは疑いない。

 荊州では丁原がその任に当たる。

「まあ、大将軍が最前線に出て戦闘指揮をとる必要もありませんから。朱儁将軍や皇甫嵩将軍がしっかりしているので、まあ、黄巾軍ではさすがに厳しいでしょうね」

 張遼はそう分析しているが、高順は違った。

「黄巾は士気が高い上に、今の官軍には恨み骨髄だ。いくら大将が優れていたとしても、実際に戦うのは下っ端だ。それを動かせない限り、いかに官軍でも苦戦は免れないだろう」

「だったら尚更高順、ウチの武将になってくれ。お前だったら下っ端の扱いも上手いし」

「いーやーだ」

 と言う事で話はふりだしに戻る。

「俺はそれでも官軍有利だと思ってますけどね。装備が違いますし、実戦経験も違いますからね。精鋭が出てくれば、おそらく黄巾軍では厳しい戦いになるはずです」

「武将じゃない何進が虎の子を出せるかねぇ。俺の読みでは黄巾が若干有利なんだか、奉先はどうだ?」

「互角かなぁ。漢軍には他にも名のある武将は何人もいるし、文遠が言うように装備の違いは圧倒的だから、簡単に負ける事は無いだろう。だが、黄巾軍は民そのものだ。それに勝つとなると、徹底的にぶっ潰すしかないかもしれないが、それも現実的じゃないんだよな。こちらにも民衆から立ち上がった義勇軍なんかがいれば、黄巾軍に参加している民衆も離れていきそうなんだが」

 呂布の言葉に、張遼も高順も感心する。

「将軍の言うとおりですね。そういう人達が漢軍に合流してくれれば、黄巾が逆賊だってはっきりしますから」

「奉先は戦闘の事になると、頭がよく回るよな」

「高順には言われたく無いな」

 呂布は高順を睨んで言う。

 この言い争いは日常的に行われているのだが、呂布は中々高順に勝てないでいる。

 張遼は十代も中頃にして、時に識者を唸らせるほどの知略の冴えを見せるので、基本的に呂布と高順はお互いに程度の低い争いを行っている。

 が、こんな会話をしているものの、荊州の黄巾の賊徒はほぼ鎮圧されている。

 荊州では呂布奉先の名前を知らない者はいないと言うほどの知名度であり、いかに余所者が喚き散らしたとしても、呂布に挑む者は多くない。

 荊州にはまだ数万の信徒がいて、それが戦力となれば無視出来ない危険性をはらんでいるのだが、それを束ねる者の心が折られているので機能しなくなっていた。

 その為、掃討戦は丁原が行う事になり、呂布達精鋭の三千は徐州への援軍へ向かう事になっていた。

「徐州か、俺は行った事無いですね。将軍と高さんはどうですか?」

「俺も無いなぁ。高順はあるんじゃないか?」

「俺は城勤めじゃないから自由に動けるってのもあるな。香ちゃんの故郷を見に行かないわけないだろう?」

 高順は胸を張って言う。

 いつもは無精髭で、見るからに武骨者の高順なのだが身奇麗にすると、その途端に威厳漂う武将に早変わりである。

 生来の真面目さもあり、誰が見ても一廉の武将に見えるし、事実並みの武将よりはるかに優れている。

 潜入にも意外と向いているのかもしれない。

「でも、そんなに面白くは無かったな。畑が多かったし、栄えていると言っても都ほどじゃないし。香ちゃんは、ここで育ったんだろうなってのは良く分かった」

 高順評に呂布と張遼は笑う。

 香は黙って座っていれば氷の様な美貌もあり、洗練された美女の印象が極めて強いのだが、内面は純朴な田舎娘で、その外見からは想像も付かないほど活発なところもある。

 本人は木登りが得意と言う事で、木に登って果物を採ってくる事は珍しくない上に、本人が汚れる事に抵抗が無いせいか、畑仕事なども手伝いたがる。

 料理も出来ると言うことで、自分で材料を集める事も珍しくないのだが、山菜や川魚くらいならともかく、大きな蛙などを捕まえてきて女官を驚かせる事もあった。

 そんな人物なので、高順や張遼ともすっかり打ち解けている。

 裏表の無さも、彼女の魅力だろう。

「そう言えば奉先、聞いたぞ? いよいよ香ちゃんを嫁にもらうらしいな」

「なっ!」

 突然の事に、呂布は危うく落馬しそうになった。

「ははーん。今回の徐州への援軍って、そう言う事か」

「大将軍からの命令だ」

「それを受けたのは丁原オヤジだろ?」

「義父上から俺が命じられたんだから、それは間接的にとはいえ俺が大将軍から命令を受けたと言えるだろう?」

 呂布は正しく説明しようとしているのだが、高順はニヤついているし、張遼も止めようとしない。

「と言うより、何でお前が知ってるんだ? 高順にだけは知られないようにしようって話してたのに」

「荊州城内では話題だぞ? なあ、文遠」

「ようやく、と言う感じもしますけど、秘密にしてたんですか?」

「いや、秘密って訳じゃ無いけど……」

 呂布は頬を掻きながら、言葉に詰まる。

「半年かぁ。まあ、奉先と香ちゃんにしては順調だったのかな。場合によっては十年くらいそれで良しとしそうなところもあったし」

「いいから。その話と今回の援軍は関係ないから。関係無いからな!」

 呂布は厳しい口調で言うが、高順に効果があったかは疑わしい。

 最初こそ高順を怖がっていた香だが、呂布と張遼と違い、立場的には一般人である高順とは価値観が近かったらしく、呂布や張遼が仕事の時には高順に護衛してもらいながら外に出ていた。

 泥の中にでも突き進んでいく香に、高順でさえ苦戦させられる事もあったらしい。

「徐州まで何事もなければいいんですけどね」

 張遼は不安げに呟く。

 荊州では完全に鎮圧出来た訳ではないものの、かなり早い段階でこちらの優位を確立させる事が出来たが、中央付近の激戦は聞こえてくる。

 漢軍はかなり苦戦を強いられているようだ。

「何言ってんだよ、文遠。何もなかったら、俺達が荊州から出張ってきた意味が無いだろう?」

「丁原軍が動いたと言う事実があれば良いと、太守も考えていますよ。だから手勢もたった三千なんです。黄巾の基本的な戦略は大群で圧倒することですから、数で押されると厳しいですよ」

「おいおい、数なんて問題にならないだろう? こっちには奉先がいるんだぜ? まずこれで一万だろ? 荊州兵でも精鋭中の精鋭だ。それを俺と文遠で率いるから、さらに一万、合わせて二万までは楽勝だな」

 高順がそんな事を言っているが、どう考えても楽勝ではない。

「その計算は素晴らしくおかしいぞ。確かに荊州兵の中でも精鋭である事は間違いないが、それでも俺達は三千なんだ。敵の数が一万を超えると勝目は薄いぞ」

「奉先。荊州でお前の非常識な強さを知らないのは、お前一人だぞ」

「それでもおかしいだろう」

 呂布は念を押す。

 そうでもしないと、高順は本当に大群と戦いかねない。

 しかし、改めて言われると、呂布はあまり考えたことの無い事でもあった。

 今の張遼より少し幼い位の時には、強さに興味があり、強さに憧れ、強くなろうとした事は覚えている。

 かつては虎の生まれ変わりだと、母は笑いながら話していた。

 強さを求める事にしか興味が無かったような少年だったはずだが、ある日を境にそれに対する興味を失ってしまう。

 母の死である。

 呂布少年は母のために強くなろうとした。

 母は穏やかな人であり、戦う事にはまったく向いていなかった。

 そんな母を守る為に、と言う明確な目的があったために打ち込むことが出来ていたのだが、その母がいなくなり自分はどこに力を向けるべきかが分からなくなった。

 今でもそんなあやふやな状態であり、自分が強いのか弱いのかも定かではないのだ。

「どうした、奉先。急に黙り込んで」

「斥候はまだ戻らないか?」

 妙に嫌な予感がして、呂布は会話を区切る。

 その一言に、高順と張遼も緊張感が増した。

「確かに、斥候を放ってからかなり経ちますね」

「意味するところは何だ、文遠」

 高順の質問に、張遼は考え込む。

「何もなければ、何もありませんでしたと報告に戻っているはずです。それが無いと言う事は何かあったと言う事が予想されます。見つけた敵が想定外で、報告出来る状態まで調べようとしているかもしれません。または、斥候が敵に見つかった恐れもあります。どちらにしても、警戒するべきでしょう」

「だな。どうする、奉先」

 高順の質問に呂布が答えようとした時、斥候に放っていた二騎が全速力で戻って来た。

「将軍、黄巾軍です! その数、三万ほどと思われます!」

「三万だと?」

 高順が驚きの声を上げる。

「俺の見立てでは、戦えるのは二万までだ。さらに一万追加されたら、さすがに奉先でもキツいだろう。徐州軍は何をしているんだ?」

「まだ出て来る様子はありません。このまま行くと、我々の方が先に当たりそうです」

「当たりそうですって、まともに当たっちゃ勝てないだろ?」

「たぶん、徐州軍も同じように考えているんだろう」

 呂布はそう予測する。

 徐州軍も州軍なので数は揃っているはずだが、その州軍を率いている人物に問題がある。

 黄巾軍は見た目には農兵なのだが、戦ってみるとその戦闘能力の高さはかなり高い。

 よほどの勇将でもない限り、正攻法で黄巾軍と戦うのは厳しいのだが、徐州軍の中にそれほどの勇将、猛将がいないのだ。

 少なくとも呂布は聞いた事がないし、香も呂布や高順、張遼のような武将は徐州にいないと言っていた。

 潜入していた高順ですら、名前を上げられないくらいだ。

 漢軍から飛蝗の群れと称され恐れられる黄巾軍と戦うには、あまりにも心許ない。

 実際に正攻法で勝てそうなのは呂布達の他には、ごくわずかである。

 音に聞こえた名将である皇甫嵩、朱儁、魯植と言った将軍達でさえ、黄巾軍には苦戦しているのだ。

 数だけは揃っている、と言う程度では戦いにならない。

 荊州からの援軍である呂布軍は、士気も高く、装備や練度も申し分ない。

 圧倒的攻撃力を誇る黄巾軍に対してもまったく引けを取らない事は疑いないが、それでも総数三千である。

 いかに勇猛果敢な精鋭軍であっても、十倍の敵は戦う前から重圧になってしまう。

 そして、黄巾軍と戦う上で、どうしても避けられない問題もある。

 黄巾軍の中央精鋭軍は、妖術を使うと言うものだ。

 荊州黄巾軍には妖術使いはいなかったので、呂布達は妖術を実際に見る事は無かったのだが、漢軍の中にはその妖術を恐れて戦わない軍も存在すると言う。

 その事を盾にして猛威を振るう黄巾軍もいるのだから、この戦況を覆せずにいる。

「いくらなんでも十倍の敵と戦っても勝目は薄い。まずは徐州軍の協力を得る必要がある。漢軍の誰かが居てくれれば話は早いが、地元の名士とかにでも良いから兵を出させてくれ」

「俺が行きましょうか?」

「いや、文遠はここで補佐してもらわないと困るし、お前では若すぎると侮られる恐れもある。伝令だから、誰かに任せてくれ」

 呂布がそう言うと、張遼は早速手配を済ませる。

「さて、それじゃ徐州軍が動くまで俺達もどこかに隠れて……」

「奉先、ちょっと遅かったみたいだぜ」

 高順がそう言って指を差す。

 まだ遠くではあるのだが、それでも黄色い集団が大群で押し寄せてくるのを見る事が出来た。

「どうする、奉先。逃げるか?」

「妥当だとは思うが、戦う前に逃げたとなると腰抜け呼ばわりだろうなぁ。俺個人はまったく構わないんだが、それで香まで白い目で見られるのは可哀想だ。高順と文遠はどうだ?」

「相手は三万か。俺が死ぬにしては黄巾軍では張り合いはないが、確かにそれで香ちゃんが迫害されるのは頂けないな。むしろその為なら死ねる。文遠は?」

「お供しますよ。俺だけ逃げて生き延びたとしたら、面倒で損な役回りを全部押し付けられますからね。俺や高さんはともかく、将軍には何が何でも生き延びてもらわないと」

 高順と張遼は、軽口を混じえて答える。

 この二人の呂布に対する忠誠と信頼は絶対のものである。呂布が命を懸けると言うのなら、二人共追従する事を躊躇わない。

 むしろその為の盾になる事すら厭わないのだ。

「よし、皆、聞いてくれ」

 呂布は率いる三千の荊州兵に向かって言う。

「これから俺達は三万の飛蝗を相手に戦う事になる。俺が先頭に立つが、全員を生きて荊州に帰す事は約束出来ない。一緒に死んでくれる奴らだけが残ってくれ」

「大丈夫だぞ。ここで逃げても腰抜けだなんて言わないから」

 高順がそう付け足すと、荊州兵から笑いが起きる。

「高順さんがそんな約束守る訳がないでしょう」

「そっちこそ、戦いが始まってから逃げ出すなよ!」

 荊州兵の言葉に、呂布は苦笑する。

 高順は正式には将軍位にいないので、兵士達も気楽なようだ。

 もっとも、この荊州兵の精鋭部隊の大半は高順が集めてきた気性の激しい者達である。それぞれが腕自慢なので、敵前逃亡をよしとしないようだ。

 荊州呂布軍三千対黄巾軍三万。

 十倍の兵力を有する黄巾軍に対する呂布の戦いは、その名を全土に轟かせる事になった。
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