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最終章 鼎、倒れる時
第二十五話 二六四年 龐会の任務
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正直に包み隠さず言うのなら、龐会は今回の任務には乗り気になれなかった。
父である龐徳は投降して間もなく今なお語られる武神、関羽に挑んだ。
結果として敗れたものの、父の忠義と武勇は当時の武帝から称賛された。
まだ生まれて間もなかった龐会だが、母からその話を聞かされた時には誇らしかった事を覚えている。
が、際立った武勲も無いまま年を重ねる自分が情けなく感じていたところに、この任務である。
こんなモノは官吏の仕事であって、武将である自分がやるべき仕事だとは思えなかった。
とは言え、大将軍である司馬昭の直接指示に逆らえるはずもない。
渋々と受けた命令だったが、その直後にそれが簡単な官吏の仕事ではない事が分かった。
司馬昭は三千の兵を龐会に与えたのである。
たかが罪人一人を護送するのに、何を大仰なとも思ったがその罪人が問題だった。
直接の面識は無かったが、護送する謀反の疑いをかけられた武将の鄧艾と言えば、今の魏では知らぬ者などいないくらいの名将である。
もし本当に鄧艾が謀反を起こしたのであれば、三千程度の兵でどうにか出来るとも思えないのだが、現段階ではあくまでも疑いであり、鄧艾の家族が都にいる事からも軍を挙げて抵抗する事は考えにくいと司馬昭や賈充が請け負っていた。
この任務には何かある。
武将肌である龐会でも、そう感じずにはいられなかった。
話せばわかる様な智将鄧艾に謀反の疑い有りと言うだけでも奇妙と言わざるを得ないが、その護送に兵三千は多すぎるし、謀反対策としては一桁どころの話ではないくらいに少な過ぎる。
漠然とした不安を抱えたまま成都へ向かっていた龐会だったが、あと数日で成都と言うところまで来て、前方から早馬が来るのが見えた。
「何者か?」
龐会が早馬に向かって問うと、早馬が駆け寄ってくる。
「龐会将軍ですか?」
「いかにも。どうした? 俺に何か用だったか?」
「助けて下さい! 謀反です!」
「謀反? 鄧艾将軍が?」
「違います! 鄧艾将軍を助けて下さい! もはや一刻の猶予もありません!」
まったく状況が分からなかったが、早馬の兵の訴え方の必死さはとても演技や作り物とは思えなかった事もあり、龐会は頷く。
「道中で状況を聞く。案内せよ」
「将軍、間もなく日が暮れますが?」
兵の一人が龐会に向かって尋ねる。
「それがどうした? 一刻の猶予も無いと言っている。状況を確認する事の方が先だ。何事も無ければ、そこから夜営せよ」
兵は不満そうだったが、龐会はそれより必死に走って来た早馬の兵の方を優先した。
謀反を疑われている武将であるはずの鄧艾だが、この兵は本気で鄧艾を救って欲しいと懇願して来た。
この兵にとって、それだけ重要であると判断されるほどの人物であると言う事だ。
龐会は馬を走らせながら、救援を求めて来た兵の話を聞く。
彼は鄧艾直属の兵ではなく、鄧艾捕縛の任を与えられた周旨と言う少年兵長の元の兵だと言う。
捕縛の事を鄧艾に伝えた時にも、鄧艾は抵抗など見せず、司馬昭が誤解しているのだろうと言うと、素直に捕縛されて都への護送を了承したらしい。
本来であれば道中で龐会と合流する予定だったが、その途上で鄧艾の首を取って手柄にしようと企んだ輩がいたと言う。
奇襲を予見していたという事は無かったが、それでも鄧艾は冷静に指示を出し、その結果としてこの兵は生き延びる事が出来て龐会に会う事が出来たという事だった。
が、鄧艾の元には兵長である周旨や鄧艾の息子の鄧忠、鄧艾を護衛すると言って同行してきた兵五百程度しかおらず、敵の部隊の方が多く頭上を抑えられた状態だったらしい。
それは今から向かってどうにかなるモノなのだろうか、と龐会は疑問に思ったのだが少なくともこの兵は鄧艾達を救えると信じている。
ほとんど接点の無かった兵、しかも捕縛の任についていた兵からも絶大な信頼を得ていると言うのは信じ難い人望であり、名将の中の名将と言われるだけの事はある。
しかし、龐会としても大きな問題があった。
龐会の任務はあくまでも護送であり、戦の急襲と言う訳ではない。
なので騎馬で編成されている訳では無かった事もあり、龐会に付き従う騎馬兵は百騎足らず。
もし鄧艾を襲った者達が龐会を邪魔者と判断した場合、そのまま討たれる可能性も無くはない。
その場合にはおそらく賊の類と思ったと言い訳するか、あるいは賊によって襲われたとでも言うのだろう。
「旗はあるか?」
龐会は騎兵に尋ねる。
「はい、あります」
「旗を掲げて、我らが魏軍である事を知らせておこう。それでもこちらに敵意を向けるようであれば、それは敵だ。まぁ、戦いが続いていれば、ではあるが」
念の為とは言え、龐会は兵に伝えておく。
これもどちらかと言えば、早馬としてやって来た兵に精一杯の事はやってみたと見せる為だったのかも知れない。
だからこそ、その場に近付いた時にまだ剣戟の音が響いている事に龐会の方が驚いたくらいだった。
まだ戦っている?
こちらより多数の兵に頭上を抑えられ、しかも奇襲されたとあってはもはや勝ち目など無い。
そこから負けない戦いなどに移行すると言っても、まず成功する事などない。
それをやり遂げていると言うのが、まったく信じられなかった。
「道を開けよ! 魏軍将軍、龐会である!」
間道の道を塞ぐ兵に、龐会は叫ぶ。
「上に敵将らしき者がいるな、十騎ほど行ってみろ。もし敵対するようだったら、すぐに戻って来い」
「了解」
龐会にはこれまで際立った武勲は無いものの、軍属としてはそれこそ鄧艾より長く軍にいて、子飼いの兵もいる。
司馬昭から与えられた歩兵と違って、龐会に付き従う者達である。
一方の間道を塞いでいる兵士達は、驚くほどすんなりと龐会の前を開いた。
間もなく日が暮れると言う薄暗い中、龐会の前に開かれた景色は想像を絶するほどの凄惨さだった。
間道の出入り口を塞いでいた兵達は、その中に入っていく事が出来ずに遠巻きに見ていた者達だった分かる。
間道はまさに屍山血河の様相であり、遠巻きに見ていた兵を除くと立っているのは中央にただ一人。
生存者ですら、数名と言う惨状だった。
「龐会である! これ以上争うと言うのであれば、魏軍の将軍としてこの俺が相手をする! 魏国を敵に回す度胸のある者はいるか!」
龐会の言葉に反応した中央の男は、ふらつく足で龐会のところへやって来る。
その姿に息を飲み、遠巻きに見ていた兵達が我先にとその男から遠ざかって行く。
近くで見ると、その男の凄まじさに龐会すら言葉を失った。
その男は血塗れで薄暗い夕時で無くても、人相も分からないほどに汚れていた。
体中に矢を受け、いくつもの致命傷に至る傷を受けている。
原因の一つには、この男が鎧を身に付けていないせいと言うのもあるだろう。
だらりと下がった左腕は骨が折れているのか、腱が切れているのか、すでに使い物にならず、おそらく今後も完治する事は無い。
もっとも、この男の命そのものが風前の灯であり、どの様な名医がこの場にいたとしても助ける事は不可能だと分かる。
この男にはすでに戦うだけの余力は無いと龐会は思ったのだが、戦っていたと思われる兵の怯え方から、この屍の山はこの男の手によるものだと予想出来た。
が、これほどの事を誰が出来ると言うのか、龐会には一人しか心当たりが無い。
「戦いは終わった。武器を捨てられよ」
龐会はそう言うが、この男が右手に持つ槍を手放さない理由も分かる。
槍と言うより、それを杖代わりにしてでないとこの男は歩く事すらかなわないのだ。
「……周旨を」
それだけ呟くと、男は力尽きて龐会の前に倒れた。
「手を貸せ! 生存者を助ける!」
龐会はこの場に留まっていた兵達に指示を出すと、倒れた男を助け起こす。
すでに男に息は無く、事切れていた。
文字通り命尽きるまで戦い続けたらしい。
「将軍、生存者です!」
「何としても助けよ! この者も連れて行く」
龐会はすでに死んだ男を担ぎ上げると、間道を抜ける。
「ほ、龐会将軍!」
「お前には見覚えがあるな。確か、田続と言ったか?」
龐会に睨まれ、田続は怯え切っていた。
上に回った龐会の兵がすぐに田続を見つけて説明すると、率いて来た兵を連れて龐会の兵より先に出迎えの準備に向かったらしい。
文官の中でも気骨のある者はいるが、この男は違う様だ。
「龐会将軍、その男は?」
田続は龐会が担ぐ亡骸を見て、息を飲む。
「この男と戦っていたのか?」
「その男は、謀反を企んだ大罪人、鄧艾です! 今すぐに首を刎ねて、大将軍の元へ送って下さい!」
「……そうか、やはりこの者が鄧艾であったか」
龐会としても、それしか有り得ないと思っていたのだが、想像を絶する武将だと感心した。
「将軍、生存者の回収終わりました」
「そうか」
龐会は田続を一瞥した後、報告の方を聞く。
無数の屍の中にあって、生存者は僅か六名。
しかし、その内の三名は助かる見込みは無いと言う。
「ですが、兵長の周旨の生存は確認出来ました。重傷ですので、助かるかどうかは五分と言ったところです」
「その者も鄧艾に加担した者。今すぐ首を刎ねるべきです!」
「それを決めるのは俺であって、お前ではない。まずは成都に向かう。そこで詳しい話を聞かせてもらう」
龐会は田続に自らの近くから離れない様に命じると、歩兵と合流した後に成都へと向かう事にしたが、その前に間道での犠牲者の確認も行った。
かろうじて一命を取り留めた周旨は、間道の戦いにおける役職付きの唯一の人物であり、後の二人は一兵卒だと言う事も分かった。
確認の取れた死者は龐会の担ぐ鄧艾の他、鄧艾の息子である鄧忠も確認出来た。
他にも武将らしき者もいたのだが、切り刻まれて判別出来なくなっていた者も多数いた。
田続が言うには、師纂と言う者も勇敢に戦ったそうだが、その切り刻まれた者の中の一人がそうらしい。
「将軍、その遺体も成都へ運ぶのですか?」
龐会の兵の一人が、鄧艾の死体を見て尋ねる。
「怪我人の事を考えると成都への方が早いから出来る事ならそうしたいところだが、さすがにそれは出来ないな。鄧艾将軍の亡骸は先に司馬昭大将軍の元へ送らせる事とする。出来る事なら棺を用意して、棺に入れて送りたいのだが」
「すぐには……」
「そうか。田続」
「はっ!」
「お前の率いる兵は必要無い。お前の責任の元、鄧艾将軍を司馬昭閣下の元へ送れ」
「な、何を?」
「もし鄧艾将軍が司馬昭閣下の元へ届けられていなかったり、損傷が増えているなどの事が確認された場合、お前の責任として俺がお前を切り捨てる。誰か、この腰抜けの兵を率いる者はいるか」
龐会の率いた騎馬の中から三名が鄧艾の移送を引き受け、田続の元に残っていた五百名の兵士を連れて都へと引き返し、龐会は成都へと進む。
だが、そこでも問題が待っていた。
成都の門が閉ざされていたのである。
「大将軍の使者である! 門を開けよ!」
「大将軍? 姜維大将軍であれば、都の中におられる。大将軍の名を語る不届き者め! 早々に立ち去るが良い!」
成都の門を守る武将が、門の上から龐会に向かって言う。
「何? 何をぬかすか、貴様!」
「我らが族父、関羽の名に懸けてこの門をくぐらせるものか!」
門を守る守将が叫ぶ。
「……ふざけるなよ、死にたくなければ門を開けよ! 今なら戯言として許してやる!」
「はっはっは! 戯言なものか! 魏のたわけ共め! 尻尾を巻いて逃げ帰るが良い!」
守将が高笑いする中、龐会は鬼の形相で守将を睨みつける。
「貴様、関羽の一族らしいが、その首、この龐会が切り落としてやるぞ」
「出来るものなら、やってみろ」
守将は高笑いしていたが、突如成都の門が開かれる。
「何をしている! 誰が門を開けさせた!」
「俺だが、お前と話す事は何も無い」
そう言うと、守将の後ろに現れた人物がひょいと守将を担ぎ上げると、門の外へと投げ落とす。
「将軍! 門は開けました! ソレを切り捨てて、急ぎ中へ!」
「すまん。貴将は?」
「杜預です!」
門から落とされた守将は足から落ちた為命に別状は無かったが、両足が折れていた為に接近する龐会から逃げる事は出来なかった。
父である龐徳は投降して間もなく今なお語られる武神、関羽に挑んだ。
結果として敗れたものの、父の忠義と武勇は当時の武帝から称賛された。
まだ生まれて間もなかった龐会だが、母からその話を聞かされた時には誇らしかった事を覚えている。
が、際立った武勲も無いまま年を重ねる自分が情けなく感じていたところに、この任務である。
こんなモノは官吏の仕事であって、武将である自分がやるべき仕事だとは思えなかった。
とは言え、大将軍である司馬昭の直接指示に逆らえるはずもない。
渋々と受けた命令だったが、その直後にそれが簡単な官吏の仕事ではない事が分かった。
司馬昭は三千の兵を龐会に与えたのである。
たかが罪人一人を護送するのに、何を大仰なとも思ったがその罪人が問題だった。
直接の面識は無かったが、護送する謀反の疑いをかけられた武将の鄧艾と言えば、今の魏では知らぬ者などいないくらいの名将である。
もし本当に鄧艾が謀反を起こしたのであれば、三千程度の兵でどうにか出来るとも思えないのだが、現段階ではあくまでも疑いであり、鄧艾の家族が都にいる事からも軍を挙げて抵抗する事は考えにくいと司馬昭や賈充が請け負っていた。
この任務には何かある。
武将肌である龐会でも、そう感じずにはいられなかった。
話せばわかる様な智将鄧艾に謀反の疑い有りと言うだけでも奇妙と言わざるを得ないが、その護送に兵三千は多すぎるし、謀反対策としては一桁どころの話ではないくらいに少な過ぎる。
漠然とした不安を抱えたまま成都へ向かっていた龐会だったが、あと数日で成都と言うところまで来て、前方から早馬が来るのが見えた。
「何者か?」
龐会が早馬に向かって問うと、早馬が駆け寄ってくる。
「龐会将軍ですか?」
「いかにも。どうした? 俺に何か用だったか?」
「助けて下さい! 謀反です!」
「謀反? 鄧艾将軍が?」
「違います! 鄧艾将軍を助けて下さい! もはや一刻の猶予もありません!」
まったく状況が分からなかったが、早馬の兵の訴え方の必死さはとても演技や作り物とは思えなかった事もあり、龐会は頷く。
「道中で状況を聞く。案内せよ」
「将軍、間もなく日が暮れますが?」
兵の一人が龐会に向かって尋ねる。
「それがどうした? 一刻の猶予も無いと言っている。状況を確認する事の方が先だ。何事も無ければ、そこから夜営せよ」
兵は不満そうだったが、龐会はそれより必死に走って来た早馬の兵の方を優先した。
謀反を疑われている武将であるはずの鄧艾だが、この兵は本気で鄧艾を救って欲しいと懇願して来た。
この兵にとって、それだけ重要であると判断されるほどの人物であると言う事だ。
龐会は馬を走らせながら、救援を求めて来た兵の話を聞く。
彼は鄧艾直属の兵ではなく、鄧艾捕縛の任を与えられた周旨と言う少年兵長の元の兵だと言う。
捕縛の事を鄧艾に伝えた時にも、鄧艾は抵抗など見せず、司馬昭が誤解しているのだろうと言うと、素直に捕縛されて都への護送を了承したらしい。
本来であれば道中で龐会と合流する予定だったが、その途上で鄧艾の首を取って手柄にしようと企んだ輩がいたと言う。
奇襲を予見していたという事は無かったが、それでも鄧艾は冷静に指示を出し、その結果としてこの兵は生き延びる事が出来て龐会に会う事が出来たという事だった。
が、鄧艾の元には兵長である周旨や鄧艾の息子の鄧忠、鄧艾を護衛すると言って同行してきた兵五百程度しかおらず、敵の部隊の方が多く頭上を抑えられた状態だったらしい。
それは今から向かってどうにかなるモノなのだろうか、と龐会は疑問に思ったのだが少なくともこの兵は鄧艾達を救えると信じている。
ほとんど接点の無かった兵、しかも捕縛の任についていた兵からも絶大な信頼を得ていると言うのは信じ難い人望であり、名将の中の名将と言われるだけの事はある。
しかし、龐会としても大きな問題があった。
龐会の任務はあくまでも護送であり、戦の急襲と言う訳ではない。
なので騎馬で編成されている訳では無かった事もあり、龐会に付き従う騎馬兵は百騎足らず。
もし鄧艾を襲った者達が龐会を邪魔者と判断した場合、そのまま討たれる可能性も無くはない。
その場合にはおそらく賊の類と思ったと言い訳するか、あるいは賊によって襲われたとでも言うのだろう。
「旗はあるか?」
龐会は騎兵に尋ねる。
「はい、あります」
「旗を掲げて、我らが魏軍である事を知らせておこう。それでもこちらに敵意を向けるようであれば、それは敵だ。まぁ、戦いが続いていれば、ではあるが」
念の為とは言え、龐会は兵に伝えておく。
これもどちらかと言えば、早馬としてやって来た兵に精一杯の事はやってみたと見せる為だったのかも知れない。
だからこそ、その場に近付いた時にまだ剣戟の音が響いている事に龐会の方が驚いたくらいだった。
まだ戦っている?
こちらより多数の兵に頭上を抑えられ、しかも奇襲されたとあってはもはや勝ち目など無い。
そこから負けない戦いなどに移行すると言っても、まず成功する事などない。
それをやり遂げていると言うのが、まったく信じられなかった。
「道を開けよ! 魏軍将軍、龐会である!」
間道の道を塞ぐ兵に、龐会は叫ぶ。
「上に敵将らしき者がいるな、十騎ほど行ってみろ。もし敵対するようだったら、すぐに戻って来い」
「了解」
龐会にはこれまで際立った武勲は無いものの、軍属としてはそれこそ鄧艾より長く軍にいて、子飼いの兵もいる。
司馬昭から与えられた歩兵と違って、龐会に付き従う者達である。
一方の間道を塞いでいる兵士達は、驚くほどすんなりと龐会の前を開いた。
間もなく日が暮れると言う薄暗い中、龐会の前に開かれた景色は想像を絶するほどの凄惨さだった。
間道の出入り口を塞いでいた兵達は、その中に入っていく事が出来ずに遠巻きに見ていた者達だった分かる。
間道はまさに屍山血河の様相であり、遠巻きに見ていた兵を除くと立っているのは中央にただ一人。
生存者ですら、数名と言う惨状だった。
「龐会である! これ以上争うと言うのであれば、魏軍の将軍としてこの俺が相手をする! 魏国を敵に回す度胸のある者はいるか!」
龐会の言葉に反応した中央の男は、ふらつく足で龐会のところへやって来る。
その姿に息を飲み、遠巻きに見ていた兵達が我先にとその男から遠ざかって行く。
近くで見ると、その男の凄まじさに龐会すら言葉を失った。
その男は血塗れで薄暗い夕時で無くても、人相も分からないほどに汚れていた。
体中に矢を受け、いくつもの致命傷に至る傷を受けている。
原因の一つには、この男が鎧を身に付けていないせいと言うのもあるだろう。
だらりと下がった左腕は骨が折れているのか、腱が切れているのか、すでに使い物にならず、おそらく今後も完治する事は無い。
もっとも、この男の命そのものが風前の灯であり、どの様な名医がこの場にいたとしても助ける事は不可能だと分かる。
この男にはすでに戦うだけの余力は無いと龐会は思ったのだが、戦っていたと思われる兵の怯え方から、この屍の山はこの男の手によるものだと予想出来た。
が、これほどの事を誰が出来ると言うのか、龐会には一人しか心当たりが無い。
「戦いは終わった。武器を捨てられよ」
龐会はそう言うが、この男が右手に持つ槍を手放さない理由も分かる。
槍と言うより、それを杖代わりにしてでないとこの男は歩く事すらかなわないのだ。
「……周旨を」
それだけ呟くと、男は力尽きて龐会の前に倒れた。
「手を貸せ! 生存者を助ける!」
龐会はこの場に留まっていた兵達に指示を出すと、倒れた男を助け起こす。
すでに男に息は無く、事切れていた。
文字通り命尽きるまで戦い続けたらしい。
「将軍、生存者です!」
「何としても助けよ! この者も連れて行く」
龐会はすでに死んだ男を担ぎ上げると、間道を抜ける。
「ほ、龐会将軍!」
「お前には見覚えがあるな。確か、田続と言ったか?」
龐会に睨まれ、田続は怯え切っていた。
上に回った龐会の兵がすぐに田続を見つけて説明すると、率いて来た兵を連れて龐会の兵より先に出迎えの準備に向かったらしい。
文官の中でも気骨のある者はいるが、この男は違う様だ。
「龐会将軍、その男は?」
田続は龐会が担ぐ亡骸を見て、息を飲む。
「この男と戦っていたのか?」
「その男は、謀反を企んだ大罪人、鄧艾です! 今すぐに首を刎ねて、大将軍の元へ送って下さい!」
「……そうか、やはりこの者が鄧艾であったか」
龐会としても、それしか有り得ないと思っていたのだが、想像を絶する武将だと感心した。
「将軍、生存者の回収終わりました」
「そうか」
龐会は田続を一瞥した後、報告の方を聞く。
無数の屍の中にあって、生存者は僅か六名。
しかし、その内の三名は助かる見込みは無いと言う。
「ですが、兵長の周旨の生存は確認出来ました。重傷ですので、助かるかどうかは五分と言ったところです」
「その者も鄧艾に加担した者。今すぐ首を刎ねるべきです!」
「それを決めるのは俺であって、お前ではない。まずは成都に向かう。そこで詳しい話を聞かせてもらう」
龐会は田続に自らの近くから離れない様に命じると、歩兵と合流した後に成都へと向かう事にしたが、その前に間道での犠牲者の確認も行った。
かろうじて一命を取り留めた周旨は、間道の戦いにおける役職付きの唯一の人物であり、後の二人は一兵卒だと言う事も分かった。
確認の取れた死者は龐会の担ぐ鄧艾の他、鄧艾の息子である鄧忠も確認出来た。
他にも武将らしき者もいたのだが、切り刻まれて判別出来なくなっていた者も多数いた。
田続が言うには、師纂と言う者も勇敢に戦ったそうだが、その切り刻まれた者の中の一人がそうらしい。
「将軍、その遺体も成都へ運ぶのですか?」
龐会の兵の一人が、鄧艾の死体を見て尋ねる。
「怪我人の事を考えると成都への方が早いから出来る事ならそうしたいところだが、さすがにそれは出来ないな。鄧艾将軍の亡骸は先に司馬昭大将軍の元へ送らせる事とする。出来る事なら棺を用意して、棺に入れて送りたいのだが」
「すぐには……」
「そうか。田続」
「はっ!」
「お前の率いる兵は必要無い。お前の責任の元、鄧艾将軍を司馬昭閣下の元へ送れ」
「な、何を?」
「もし鄧艾将軍が司馬昭閣下の元へ届けられていなかったり、損傷が増えているなどの事が確認された場合、お前の責任として俺がお前を切り捨てる。誰か、この腰抜けの兵を率いる者はいるか」
龐会の率いた騎馬の中から三名が鄧艾の移送を引き受け、田続の元に残っていた五百名の兵士を連れて都へと引き返し、龐会は成都へと進む。
だが、そこでも問題が待っていた。
成都の門が閉ざされていたのである。
「大将軍の使者である! 門を開けよ!」
「大将軍? 姜維大将軍であれば、都の中におられる。大将軍の名を語る不届き者め! 早々に立ち去るが良い!」
成都の門を守る武将が、門の上から龐会に向かって言う。
「何? 何をぬかすか、貴様!」
「我らが族父、関羽の名に懸けてこの門をくぐらせるものか!」
門を守る守将が叫ぶ。
「……ふざけるなよ、死にたくなければ門を開けよ! 今なら戯言として許してやる!」
「はっはっは! 戯言なものか! 魏のたわけ共め! 尻尾を巻いて逃げ帰るが良い!」
守将が高笑いする中、龐会は鬼の形相で守将を睨みつける。
「貴様、関羽の一族らしいが、その首、この龐会が切り落としてやるぞ」
「出来るものなら、やってみろ」
守将は高笑いしていたが、突如成都の門が開かれる。
「何をしている! 誰が門を開けさせた!」
「俺だが、お前と話す事は何も無い」
そう言うと、守将の後ろに現れた人物がひょいと守将を担ぎ上げると、門の外へと投げ落とす。
「将軍! 門は開けました! ソレを切り捨てて、急ぎ中へ!」
「すまん。貴将は?」
「杜預です!」
門から落とされた守将は足から落ちた為命に別状は無かったが、両足が折れていた為に接近する龐会から逃げる事は出来なかった。
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