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最終章 鼎、倒れる時

第十八話 二六四年 綿竹の決着

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 兵数でいうのであれば、今尚蜀軍の方が鄧艾軍よりも多い事は間違いなかった。

 もし兵を綿竹に退かせる事が出来れば、いかに名将鄧艾といえどもこの素人集団を率いて綿竹城の攻城戦は望み薄となるはずだった。

 そう、ここで命を懸ける事は決して無駄死にではない。

 諸葛尚はそう思い、逃げる兵は逃げるままに任せて自身は殿軍として戦場に留まり続けた。

 どれほど少数であったとしても、戦意の高い部隊が一隊でも残っていれば鄧艾軍の本隊を足止めする事が出来る。

 本隊との連携が取れないのであれば、総大将である父諸葛瞻が綿竹城へ入る事が出来る可能性も高くなる。

 僅かな供回りだけを連れた諸葛尚は、すでに満身創痍であり、もしここで戦を止めて解放されたとしても、おそらく綿竹城まで生きて帰る事は出来ないだろう事も悟っていた。

 だからこそ、命尽きるまで魏軍を、魏に手を貸し蜀を脅かす蜀の民を一人でも切り捨てる事だけを考えて戦い続けていた。

「……見事なものだ」

 そんな諸葛尚の前に、若い武将が現れる。

「貴将は?」

「鄧艾の息子、鄧忠。貴将の名は?」

「諸葛瞻の息子、諸葛尚」

 名乗りながら、諸葛尚は自分の最期を看取る相手が鄧艾の息子である事に、奇妙な因縁めいたものを感じていた。

「父に対する孝、総大将を逃がす為に命を懸ける忠、死を前にしても揺るがぬ志、そして万の敵に囲まれても恐れぬ勇。どれをとっても名将たるに相応しい。さすが諸葛亮の孫と言ったところだな」

 鄧忠の表情を見る限り、それはお世辞では無く本心からの言葉のようだった。

「……お互い、重い名を背負ったものだな」

 息も絶え絶えでありながら、諸葛尚は笑う。

 もし違う形で出会っていたら、その重過ぎる名を背負う者として話が合ったかもしれない。

「これと言うのも、黄皓を野放しにして……」

 諸葛尚は言葉を切る。

 と言っても、それは自分の意思で切ったわけではなかった。

 背後から師纂の大刀によって貫かれていたのである。





「忠! 何を呑気に敵将と喋っている! 戦はまだ終わっておらぬのだぞ!」

 師纂に言われるまでもなく、鄧忠にも分かっていた。

 敵将の首を掲げ、討ち取った事を告げ敵の戦意を打ち砕く。

 兵の数においてだけでなく、装備も訓練の度合いも大きく劣っているこちらにとって勝利を確実にする為の、手っ取り早い方法。

 だが、鄧忠は死を賭して戦う諸葛尚に、言葉をかけずにはいられなかったのだ。

 死に瀕する諸葛尚に、綿竹への退路は断たれ、成都にでも逃げたので無ければ諸葛瞻は今頃杜預率いる別働隊の手によって捕らえられているだろう、とは言えず、無意味と知りながらもその勇戦ぶりを称えずにはいられなかった。

 むしろ師纂の行いの方が蛮行に思えたくらいである。

「首を落とせ! 掲げて蜀の兵に見せつけてやれ!」

「その必要は無い! 諸葛尚、討ち取ったりと叫ぶだけで十分だ!」

 二人の意見は合わなかったが、もはやその必要も無かった。

 蜀の兵にはこの劣勢を覆すだけの戦意は保つ事も出来ず、鄧艾軍の兵となった蜀の飢民は自国の兵に対する深刻なほどに深い恨みを晴らす為に襲い掛かり、剣で切り、槍で突き、次々と打ち倒していく。

 鄧艾の本隊と、諸葛瞻や黄崇を捕らえた杜預が合流するまでに夥しい数の蜀の兵は討たれ、京観を築き上げたほどだった。





「諸葛瞻、貴将は誰と戦っていたつもりなのだ?」

 捕らえられた諸葛瞻に、鄧艾は尋ねる。

 鄧艾は早々に追撃の手を止め、守備兵もいない綿竹城に入城すると、丘本や陳寿に城の物資を調べさせ、兵糧に余裕があるのを確認するとまたしてもその物資を近隣の村を集落に分配する様に指示を出す。

 その一方で、杜預や鄧忠や師纂などを伴って、すぐに諸葛瞻達を連れて戦場跡へ戻る。

「魏の賊将め! この諸葛瞻、これ以上の生き恥を晒すつもりはない。この首を切れ!」

「そのつもりではあるのだが、我が師である司馬仲達が神の如しと尊敬された諸葛亮の息子とはどの様な者であったかに興味があったのでな。私の話をする上で、もっとも相応しい場所があるので、ここまで御足労頂いたのだ」

 鄧艾はそう言うと、京観の前に諸葛瞻を引っ張ってくる。

「これを見よ。これが貴将の戦果だ。これを望んだのであろう? 蜀の民同士が血を流し、互いに殺し合う事を良しとした結果がこの通りだ」

「何を言うか、侵略者め! 貴様らが来なければ、この様な事にはなっていない!」

「確かに我々が来ていなければ、この京観となっていた者は戦う為に兵になった者では無く、ただ餓えに苦しむ貧しき民であった事だろうな」

 鄧艾は溜息をついて、首を振る。

「諸葛瞻、貴将は初日に諸葛亮の木像を使う事によって我が軍に勝利しているが、手を誤ったな」

「初日に敗れた者が何を言う」

 諸葛瞻は眉を寄せて言うが、鄧艾の方も分からないのかと言わんばかりに眉を寄せる。

「初日がどうこうの話ではない。あの時のあの一手は、戦わずして私を退ける事が出来る一手であったのだ」

 鄧艾の言葉に、諸葛瞻も黄崇も首を傾げている。

 彼らは戦う為の策として諸葛亮と言う名を持ち出したのだが、蜀の民にとってもその名の意味は非常に大きな意味を持っている。

 もし諸葛亮の木像を出しその名を利用するのであれば、ただ敵兵を混乱に陥れると言う事に使わず、蜀の民同士が血を流す事態になっている事を諭すべきだったのだ。

 もしそうされていれば、鄧艾に協力する飢民はいなくなっていただろう。

 それどころか、鄧艾ら魏から来た者達を率先して捕らえて、諸葛瞻の元に引き出したかも知れない。

 二つの城を落としたとは言え、奇襲によって落とした城であり、綿竹に来た時には魏軍の兵は数千以外は近隣からやって来た民であり、さらに言えば魏軍数千の兵も元は蜀からの投降兵である。

 生粋の魏の者である武将達は、諸葛亮の名の元にであれば明らかに敵にされるはずだった。

 が、諸葛瞻は自らの武功に目が眩んだ。

 魏軍と戦って勝利し、『諸葛亮の息子』と言う名を武勲で飾りたかったのだろう。

 仮に初戦の一戦で魏軍を全滅させる事が出来ていれば、その巨大な武勲によってその名は飾られた事だろうが、鄧忠がその危険性に気付いていたかはともかく戦う事を避けて軍を退いた事によって、初戦の勝利と言う一勝と引き換えに諸葛亮の名を悪用する姑息な策を用いたと思われた事が、大きな敗因となったのだ。

 ここで諸葛瞻が信用を失い、常日頃から兵に蔑まれてきた飢民達にとって敵はむしろ蜀軍、本来の敵である魏の鄧艾に全面的に協力する事になり、結果はこの通りである。

「諸葛瞻、最初の質問に戻ろう。貴将は、誰と戦っていたのだ?」

「……敵だ」

 諸葛瞻は絞り出す様な声で答える。

「敵とは?」

「……国家を脅かす者だ」

「民に脅かされるのであれば、それは国に問題がある。貴将の戦うべき敵は、私や飢民では無かったはずだ。そこに目を向けなかった貴将に、これ以上国の大事を預ける事は出来ない」

 鄧艾の言葉に、諸葛瞻はもはや答える事が出来なかった。

 敗れた事に打ちのめされているのだ。

 ただ戦に敗れたと言うのではなく、圧倒的な格の違いを見せつけられた事が諸葛瞻の心を折ったのである。

「だが、国の為に戦った事は見事。散った者達に恥じる様な事は無かった事は、この鄧艾が認めよう」

 こうして綿竹の戦いは終結した。

 この戦に参加した蜀の武将、総大将の諸葛瞻とその息子である諸葛尚、張飛の孫である張遵、李恢の甥である李球などほとんどの武将が命を落とす結果となった。

 鄧艾は回収する事の出来なかった李球は諦め、他の武将達の首を首桶の中に入れると、黄崇と馬邈を呼ぶ。

「二人に頼みたい事がある」

「はっ、なんなりと」

 答えるのは馬邈だったが、黄崇は顔色も悪くまるで重病人の様に見えた。

「敗れたとは言え、国のために戦い命を落とした忠義の士である。せめてその首だけでも帰してやりたいのだ。成都へ赴き、陛下にこの者達が立派に戦った事を伝えて欲しい。その上で、この鄧艾が兵を率いてやって来ると言っても、決して無用な流血は望んでいないと言う事もな」

「……降伏しろ、と?」

 黄崇が、土気色の顔色で虚ろな目をして鄧艾に尋ねる。

「これ以上の流血は無意味である事は、成都に残る者全てが分かるはずだ。大将軍である姜維は未だ剣閣にあり、守将として派遣された諸葛瞻がその様な姿で帰還したとあっては戦う事それ自体が無理だろう。降伏する事が、これ以上の流血を止める唯一の手段なのだ」

「はっ! お任せ下さい!」

 馬邈はそう請け負ったが、結局この二人が成都へ出向く事は無かった。

 その日の夜に馬邈は何者かに切り殺され、黄崇は自らの喉を切り裂いて自決したのである。

「……こうなる事も予想されていたのでは?」

 陳寿は鄧艾に尋ねる。

「まったく考えなかったと言う訳ではありませんが、この戦いを生き延びたからこそ、適任だと思っていたのは本当です」

 都合が良い話であるとは自分でも思うのだが、鄧艾としてはこれで戦いは終わったと思っていた。

 もちろん成都に住む者達に無理にでも武器を持たせれば、まだ戦う事は出来ると判断する者もいるかもしれない。

 だが、まったく無意味な流血である。

「私が行きましょう」

 そう名乗り出たのは陳寿だった。

「私は蜀の者ですから、おそらく成都へ入る事も出来るでしょう。将軍達の首と張遵の矛があれば事態を察するでしょう」

「下手すれば切られるかもしれないぞ?」

 杜預が尋ねると、陳寿は頷く。

「分かっています。ですが、ごく短期間だったとは言え、私は諸葛瞻将軍の元にいた事もありますし、黄皓の事も知っています。将軍達や丘本が行くより話易いはずです」

 陳寿はそう言うと、ごく僅かな護衛の兵を連れて成都へと向かった。
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